道化師の追撃
「己の間違いなど、恐れるものか。一人しかいない王太子の命がかかっているのだぞ」
よどみなく言えた。しかし男は、それを聞いて微笑む。
「じゃあ聞くが。その子供、本当に王太子か?」
王はとうとう、目の前の男が馬脚を現したと思った。
「苦しくなって、とんでもないことを言い出したな。オーロが私の実子でないと主張したいのか? 物語ならともかく、現実は大変だぞ。私にそっくりな瞳の子をどこで探す? その親兄弟の始末は? 身ごもっていない王妃について、どう説明する? それから──」
「るっせえな、誰もんなこた気にしちゃいねえよ。オーロは確かにあんたの子だが……性別が違うな」
王は口を開けたまま、固まった。王宮でも限られた者しか知らない秘密を、どうしてこの男が知っている。
「お、いいねえ。その人を呪い殺せそうな顔。図星だな」
「……博打のようなカマをかけるねえ、君は」
魔法使いが呆れたように言う。男は失敬な、と言いたげに胸を張った。
「全くあてなしってわけじゃないぞ。Ⅰ型糖尿病は女性の方が多いし、男にしちゃ妙に華奢だったからな」
「にしても大胆な」
「こいつには負ける」
男は不遜にも、王に向かって顎をしゃくった。
「男の子ができない王、と思われたくなくて、女を無理矢理王太子に仕立てたが──病気が全てを変えてしまった。世話に必要な人間が増え続け、いずれ誰かがオーロの性別に気付く可能性も上がっていった。それならいっそバレる前に死んでくれればと思った時もあったろう」
冷ややかな視線が、王に向かって降り注いだ。
「馬鹿だねえ。本当に」
「お前にそんなことを言われる筋合いはない!」
王は剣を抜く。しかし、奥に控えている魔法使いの存在が、足を鈍らせた。誰も斬ることなく、刃は空しく宙を舞う。
「今まで散々間違いまくってるくせに、まだ自分が完璧だと思ってる。これが馬鹿じゃなくて、なんだ?」
「私は今まで、間違えたことなどない!!」
「国民から不満が出ていたろうに」
「酒のことか? あれは彼らの健康のためだ! 今は苦しくとも、十年・二十年先には、私に感謝することになる!」
「冗談きついぜ、おっさん」
男は聞き分けの悪い子供をなだめるように、わざと優しい声を出した。
「酒の撤収がどれだけ命取りか、分かってないのか? 立派な井戸や池がある王宮と違って、この世界じゃ良質な飲料水なんてほとんどない。貧乏人が薄い酒を飲むのは、感染予防だったんだ。それをやめれば……」
「いずれは流行病が広がるね。そして弱い者から、じわじわと死んでいくことになる」
男の後を、魔法使いが引き取った。
「さて、そうやって民は死んでいく。数少ない楽しみかつ生命線を奪われた恨みは深く、街はがたがたになって行政にも影響が出る」
「その通りだ。となると貴族を頼りにするしかなくなるが……これは完全にインヴェルノ卿が強い分野だからな。もともと分が悪い上に、あんたはトドメのように大失敗を犯した」
「サリーレ博士の追放……だね」
「そうだ。貴族が手を焼く難病を、唯一治療できた男を放逐し死なせた。これで確実に、奇病の治療が百年は遅れた計算になる。インヴェルノ卿が知ったら、最大限に利用してくるだろうな」
「百年だと? 何を大げさな」
王は鼻を鳴らした。しかし男は、真剣な表情を崩さない。
「フカシで言ってるわけじゃねえぞ。内臓が汚いばっかりほざいてる連中の中にあって、唯一原因臓器まで辿り着いた逸材だったのにな。お前はそれを、自分から捨てた」
男にねめつけられて、王は一瞬言いよどんだ。しかし、我に返って反論を始める。
「奇病? インヴェルノの息子は、節制すれば治ったではないか。所詮、その程度のものだ」
「面倒くさいから説明は省略するがな。そんな単純な問題じゃねえんだ」
やけに淡々とした様子の男を見て、王はぴんときた。
「お前……知っているのか」
「ま、あんたの何百倍はな。俺のいた国じゃ、ちゃんと治療法が確立されてる」
嘘ではない、と王の直感が告げている。それと同時に、腹の底から妬みの思いがじわじわとわき上がってきた。
「なんせ俺は、違う世界から来たんだからな」
魔法使いが、わずかに身じろぎする。男はそれに構わず、さらに続けた。
「そこじゃ、流行病で死ぬ人間はほとんどいない。子供の頃に、予防薬を投与するからな。王侯貴族でなくても食う物には困らないし、医者もそこら中にいる」
「……どこのおとぎ話だ?」
「おとぎ話じゃない。お前が人の話を聞いていれば、ここでも実現する可能性はあった」
嘘だ、と言いたかった。しかしその言葉は、何故か意味のある言葉にならない。目の前にいる男が、急に神か精霊の類いに見えてきた。
王が唇を強く噛んだその時、馬が駆ける音が聞こえてきた。
「陛下、一大事でございます」
「……控えよ」
「言わせてやれよ。どうせ、王太子が死んだって報告だろ?」
男の言葉を聞いて、引きつる伝令の顔。それを見て、王は全てを理解した。