王と道化師の対決
呼びかけに応じ、晶は垂れていたロープを思い切り引っ張った。パーチェしか見ていなかった男の足が、見事に引っかかる。
「あ」だか「お」だか分からない声をあげ、兵士が甲板にたたきつけられた。彼は顔面を強打し、動かなくなる。
「貴様!」
舐めてかかっていた子供たちにいいようにやられ、兵士たちがいきり立った。パーチェに手が伸びる。今度はロープのストックもなく、胸ぐらをつかまれた。
彼女は顔をしかめつつも、自由な手をばたつかせた。
「静かにしろっ」
不用意に近づけられた兵士の顔に、パーチェは持っていた重たい眼鏡をたたきつけた。
「ぐあっ」
兵士の額から血が流れる。反射的に顔をかばおうとしたので、パーチェの体は自由になった。しかし、彼女がとれる抵抗手段はそこで尽きる。視力を失ってふらつく彼女に向かって、残った兵士が刀を振り上げた。
「今度こそ、終わりだ!」
しかし、その気合いは報われることはなかった。
「おっと」
刀と刀がぶつかった。屈強な船員が、兵士たちの前に立ちふさがる。しかも、一人ではない。
「さっきは、よくもやってくれたな」
「汚い真似しやがって」
人質になっていた船員たちが合流し、足かせがなくなった船長たちだった。兵士たちは、ようやくここで失敗に気づく。
「いつの間にっ……」
「あ、僕が縄を切りました。さっきみんな、パーチェしか見てなかったし」
晶とパーチェでは、大した抵抗はできない。しかし、味方を増やすことは可能だ。
「へ……へえ、それは……結構」
「そろそろ……帰ろうかな……」
兵士たちの顔から、血の気が引いていく。船員たちは、そろって船長の顔を見た。
頭のてっぺんまで真っ赤にしたイゾラは、迷うことなく言い放つ。
「ぶちのめせ、野郎共!!」
船員たちの歓声と兵士たちの悲鳴が、海上にこだました。
☆☆☆
焼け落ち、あちらこちらから黒化した柱が突き出した館跡。そこを王が、わずかな手勢とともに歩いていた。
「全てが灰と化した」
「念のため、油をかけて二度焼きました。初手の不手際は、弁解の言葉もありませんが」
「構わぬ。これでようやく、不穏分子がひとつ消えた」
「消えたのは、不穏分子だけかねえ」
若い男の声がした。王の供回りの兵士が、にわかに殺気立つ。
そして彼らは見た。瓦礫の上に、腰を下ろした美麗な男を。彼にくっついていた黒猫が、人を馬鹿にしたようににゃあと鳴いた。
「……ナギ、とか言ったか。捕らえた男と、こんなところで会うとはな」
「ははは。間抜けな兵士ばっかで助かったぜ」
挑発に、供回りが乗せられた。剣が抜かれる。
しかし男は動じず、自分からずかずか距離をつめてきた。兵士が振りかぶった剣をよけ、引いていた短剣を突き出す。
「ぎゃっ!」
刃は、鎧の金属板の隙間を捕らえていた。小手の間から、たらたらと血が流れ出す。
「弓を放て!」
供回りたちは、すぐに戦術を切り替えた。しかし男は、半笑いのままそれを見守る。
「やめといた方がいいと思うけどな」
皮肉交じりに男が言う。だが、真面目に聞いた者はいなかった。短弓から放たれた矢が、空中を舞った。
ところが、その時突風が吹く。矢は全て風に煽られ、兵士たちの体に突き刺さった。予想すらしていなかった弓兵が、次々に地面に倒れる。
「──王は外しておいたよ。これで良かったかね?」
どこからともなく、初老の男が現れた。めったに見ることはないが、間違いなく魔法の使い手だ。王の体に、緊張が走る。
「気の利くことで」
「面白い問答を期待しているよ」
魔法使いは男の後ろに引いた。再び王は、やけに人形じみた男と向かい合うことになる。
「さ、これで邪魔者はいなくなった。恥も外聞もかなぐり捨てて、本音のぶつけ合いといこうぜ」
「……何が聞きたい」
「まずはこれか。なんで、この屋敷を焼いた?」
「反逆を企てていたからだ。兵士たちが踏み入った時には、屋敷じゅうにおぞましい臓物が散らばっていた。王太子を害しようとしていたに違いない」
「おいおい、そんな冗談で釣れるのはうちの晶ぐらいだぞ。本当は、気に入らなかったんだろ? あの学者、インヴェルノ卿の息がかかってたし……理解できない理屈を吐くしな」
男が淡々と言う。王の頭に、血液が上った。
「黙れ」
「あいにく、俺は人から命令されるのが大嫌いでね」
男はからかうように、紅色の舌を出した。
「王が散々探したものを、よりによって一番の政敵があっさり見つけるかもしれない。そう思っただけで我慢できなかったんだろ? おまけにパーチェはあんたが放逐した博士の娘だ。間違っていれば良いが、もし万が一にも合っていたら二重の意味で名声に傷がつく」
「──だから、研究ごとなかったことにしようとしたのかね」
魔法使いが聞く。彼の声にも、わずかに嘲りの色が混じっていた。
「そうだ。正しい正しい大王様にとっちゃ、自分が負けたなんてことは絶対に許せない。父の二の舞と言われるからな」
「皆に後ろ指を指され、王座を去った父。その背中を見つめた息子は、ああはなるまいと思った──なるほど、ありそうだ」
「ふん、下らん」
男たちの指摘を、王は鼻で笑い飛ばす。