偽りの防壁
目の前すれすれを、黒光りする鉄棒が通り過ぎていく。地面にめりこんだ棒が、ごつっと鈍い音をたてた。
「きゃっ!」
晶は避けると同時に、パーチェの手を離してしまっていた。急に支えがいなくなった彼女が、バランスを崩して倒れる。
(しまった!)
後悔しても遅い。倒れた衝撃で、パーチェの帽子が飛んだ。それは風にあおられて、晶の手の届かないところへ転がっていった。彼女の桃色の髪が、あらわになる。
「今度こそたたきのめしてやる!」
目を血走らせているのは、先日ぼったくり屋台で見かけた用心棒だ。
「……ああ、いたなあ。こんな奴」
「なんだとー!!」
男には悪いが、晶には集まってくる兵たちの方が恐ろしかった。
「囲め!」
「必ず捕らえよ!!」
周囲で怒号が飛び交う。晶はパーチェの手を再びつかんだ。
「行こう」
「わ、わかったわ」
場合によっては、戦闘を覚悟した方がいいだろう。晶は腰の剣を確認し、走り出した。
(でも、あの鉄棒はまずいなあ……)
晶が獲物に不安を覚えた時、ちょうど大道芸人が見えた。道の横で、客に剣を検分させている。
「お兄さん、僕にも触らせて」
「あっ、君」
晶は剣を強引に手に取った。
「待ちやがれ、このクソガキ!!」
そこへ、用心棒が顔を真っ赤にして駆け込んでくる。晶は鉄棒を、芸人の剣で受け止めた。圧倒的な質量に剣は軋みをあげて折れた。しかし、それで十分だ。
「うおっ」
まさか止めると思っていなかった相手が戸惑った瞬間、自分の剣の柄で顎を強打してやる。用心棒が泡を吹き、動かなくなった。
「ごめんお兄さん、これ剣のお代!!」
「坊や!?」
交渉している時間はない。晶は銀貨をその場に投げ、再び走り出した。左右の売店に体が当たり、商品がばらつく。
「きゃっ、ごめんなさい!」
「おばちゃん、ごめん!」
「あんたたち、何があったんだい!?」
おばさんに呼び止められようと、おじいさんが目を丸くしようと、止まってしまったら全てが終わる。肺の中がぺしゃんこになるくらい荒い息を吐きながら、晶たちは市場を駆け抜けた。
しかし時間とともに、手数の差があらわになっていく。
「いたかっ」
「いや、そっちはどうだ」
港につながる道がふさがれていく。船の姿は見えているのに近づけないもどかしさが、晶を苛立たせた。
「晶、あっちは?」
パーチェも周りに目を走らせる。しかし彼女の見つけた道は、大量の木材でふさがれていた。
「あいつら、なんて意地が悪いの……」
パーチェが悪態をついた。だが晶は、引っかかるものを感じて先に進む。
(なんで、こんなに手間をかかることを?)
ここを通るのは車ではない。子供二人を抑えたいのなら、他の道のように衛兵を待機させれば済む。
「ひっ」
晶の袖を、パーチェが強く引いた。
「ま……前、手、手がっ」
確かに彼女の言う通り、木材の隙間から日に焼けた手がのぞいている。しかし、大人にしてはずいぶん小さい──
「馬鹿アキラ、何やってんだ。さっさと来ないと捕まるぞ」
「セータ様!?」
子供の手が引っ込み、木材がずれる。見知ったセータの顔が出てきた。
「そこの大きい木を手前に引け。動くから」
言われたとおりにすると、確かに空間ができた。そこを這って通ると、バリケードの内側に出る。街の子供たちに囲まれたセータが腕組みをしていた。
「セータ……」
オーロのことは知っているのか、と聞こうとして、晶は言いよどんだ。
「聞いた」
「ごめん」
「……お前がオーロのために走り回ったことは、わかっている。結果はどうあれ、それは返したい」
「ありがとう」
彼らの周りには大人たちがいる。身なりからして、市場の商人のようだ。彼らは松明を持っており、足元には大量の木くず。その横には、水が入った壺があった。
「一体、何を?」
晶が聞くと、男たちは黙って口元をつり上げた。するとそこへ、衛兵たちが口やかましく叫びながらやってくる。
「よし、始めるぞっ」
セータが声をかける。大人たちが、木くずに一斉に火をつけた。燃えやすいくずはあっという間に、白い煙をあげ始める。
「これはどういうことだ」
「さっさとどけんか」
怒りの声をあげる衛兵たちに向かって、大人たちは言い返した。
「熊みたいな大男が暴れて、店を壊しちまってねえ」
「火も出てるんです。そっちを消すのが先ですわ」
大人たちはどんどん煙をかきたてる。風が起こり、兵士の方に煙が流れ始めた。
「げほっ……子供は来なかったか」
「こんなところ、通れやしませんよ」
「それもそうだな。速やかに火を消すのだぞ、今はそちらに向ける人手はないからな」
「はあい、心得ております」
衛兵たちは立ち去った。大人たちはこれ幸いと、消火にかかる。セータが誇らしげに胸を張った。
「さて、少しは役に立ったな」
「はい、助かりました……それにしても、この短時間でよくもここまで準備を」
「俺の力だけではない。アキラの人徳というやつではないか?」
「え?」
心当たりのない晶が目を丸くすると、良く肥えたおばさんが笑い出した。
「あれま、ずいぶん薄情になったこと。こんな美人をお忘れかい」
その声に聞き覚えがあった。
「あ」
はじめに用心棒を倒した時、ずいぶん自分を褒めてくれた人だ。
「あの時はどうも……」
「助かったのはこっちさね。借りが返せて良かったよ」
「でも、こんなにたくざんの木材、どこから……」
晶が聞くと、おばさんは奥に座っている老人を指さす。