大脱出
「風邪で通院だったか? 長かったな」
「すみません、熱があったんで点滴してもらいました」
「……来て大丈夫なのか、それ」
苦しい説明だったが、なんとか教室に体をねじこんだ。これ以上欠席するわけにはいかない。
(本当のことを言っても、絶対信じてもらえないし)
クラスメイトはそんな晶の苦悩をよそに、相変わらず文化祭でやるお化け屋敷の打ち合わせをしていた。
「一応、それっぽい音楽は用意しないとね」
「あんまり有名なのだと、怖くないから……」
晶の学校はスマホ禁止ではないので、皆が動画サイトで検索し始める。本当は授業中はダメなのだが、担任も黙認していた。
晶もこれ幸いと、スマホを取り出す。検索しているふりをして、監視カメラにつないでみた。
「……っ」
いきなり、衝撃的なものを見てしまった。インヴェルノ卿の屋敷に、兵士たちが詰めかけているところだったのだ。
先日のように火矢を放っているわけではないが、兵士たちはかなり強気だ。玄関先で対応しているラクリマと、押し問答になっている。
ラクリマはのらりくらりとはぐらかす。しかし、その態度に腹を立てた兵士に突き飛ばされた。彼は玄関の柱に頭を打ち付け、そのまま動かなくなる。
「うわ、結構えげつない撮り方してるね。なんて映画?」
「……せ、先生。気分が悪いので、やっぱり帰ります」
晶は来たばかりの学校を、ゆっくりと出た。人の目がなくなったところで、全力疾走に切り替える。
「晶。場所の移動はいざ知らず、あの妙な機械はなんじゃ」
「ごめん、後でねっ」
不機嫌になっているカタリナを押しのけ、晶は地図の中へ飛び込む。
インヴェルノ卿の邸宅に降り立つ。魔方陣の位置が変わってしまうが、凪ならなんとかするだろう。晶は物陰から玄関の様子をうかがった。
「貴様ら。儂の門前でこんなことをして、無事で済むと思っているのか」
倒れているラクリマの前に、怒りをあらわにしたインヴェルノ卿が立ちふさがっている。眉間に筋が入り、目がつり上がった様は鬼のようだ。
しかし、不気味なことに兵士たちは全く意に介していない。晶は、嫌な予感がした。
「卿の名声は我々もよく存じております。しかし、此度は陛下の命。小娘一人といえど、隠せばただでは済みませんぞ」
やはり、と晶は歯を食いしばる。パーチェへの刺客も、今回の襲撃も国王の仕業だ。
(今思えば、拒絶反応が少なすぎた)
重臣たちのように拒否しなかったのは、寛容だったからではない。ハナから聞く気がなかったのだ。
そして彼の中にグレーはない。酒を一切禁じたように、賭場の近所の人間まで殺そうとしたように、汚らわしいものはまとめて抹殺してしまう。今度は標的が変わっただけだ。
凪はすでにこのことに気付いていて、行動を起こしているのだろう。──なら、自分がやるべきことは一つだ。
兵士の注意は、インヴェルノ卿に向いている。晶は使用人ですという顔で移動して、ラクリマを物陰へ運んだ。
「……起きてますよね?」
「ええ」
ラクリマは瞼を持ち上げる。やはり、寝ていたのは演技だった。
「追い返せそうですか?」
「いえ、卿はあくまで臣下の立場です。難しいでしょう」
間もなく家捜しが始まるだろう、とラクリマは告げる。
「パーチェはどこに?」
「急は告げてありますので、脱出の準備中かと」
「脱出?」
「あちらをご覧下さい」
ラクリマは横手を指さした。使用人たちが、木箱をいくつも荷車に積んでいる。あれが噂の密輸品だろうか。だとしたら、堂々としたものだ。
「あれは、書物を運ぶ定期便です。きちんと許可も受けていますよ」
晶の思いを見透かしたように、ラクリマが言った。
「紙も貴重ですし、中の情報はそれこそ世の宝なのですが……運搬人たちは、あまり興味がないようで。まあ、いつ見ても同じようなものではつまらないでしょうね」
ラクリマに言われて、晶はぴんときた。
いつも同じ中身。いつも同じ仕事。ということは……
「あんまり真剣に点検しませんよね」
晶が言うと、ラクリマが白い歯を見せて笑った。どうやら、正解のようだ。
「箱は小さいですが、パーチェなら入るでしょう。でも、窒息しません?」
「ちゃんと空気穴をあけた物が、彼女の部屋に置いてありますよ。急がないと、持って行かれてしまうかもしれません」
「分かりました」
「……若者に忠告です。彼女が入っていることは、作業員たちは誰も知りません。情報漏洩を防ぐためです。港で検閲に引っかかっても、彼らは頼りに出来ないと思ってください。ゆめゆめ油断なさらぬこと。少なくとも……」
ラクリマは晶を指さした。
「その変な服のままで、往来をうろうろしないように」
晶はそこではじめて、自分が制服を着たままだったことに気付いた。
☆☆☆
「アキラ、外はどうなって……って、何。その変な服」
パーチェも晶を見るなり、顔をしかめた。そんなに変かな、ブレザー。
「インヴェルノ卿が止めてくれてるけど、外の兵は引く気が無いよ。王の差し金だ」
晶が言うと、パーチェは黙って口唇をかんだ。やっと認められたと思っていただけに、悔しさもひとしおだろう。
「念のために聞いとくけど、蝶の姿になるのは無理なの?」
パーチェはすぐにうなずいた。
「昼は夢魔の力が弱くなるから、無理なの。目が見えないのもそのせいよ」
自力で逃げられる可能性はなくなった。晶は室内に目を走らせる。ラクリマの言った通り、部屋の隅にがっしりした木箱が置いてあった。
「こっちへ」
蓋を開け、シーツをその中に敷く。パーチェが箱の中に入った。