明治改元150年、に、おもうこと
『妄想甚だしい』というエッセイ集(!)に、載せたものの、あまり読んでもらえず、ここに再掲。
そのエッセイ集の中のひとつの文章なので、ちょっと脈絡がおかしいところもあるかもしれない。
ま、おかしい理由は、そういうことなので、悪しからず。
です。
今年は、明治改元150年。
で、ふと思ったんだけど。
私が、今年50才だとして、私は、大阪万博の年くらいに生まれたんだ。
で、高度経済成長をその身に体験した、黄金の子供時代を過ごしたんだ。
受験戦争、っていわれるほど、厳しい勉学の道を走り続けたのは、同年代の子供が多くなりすぎたから。
たとえば、小学生のとき、学校の収容可能人数を超えてしまって、プレハブ小屋みたいな教室で授業を受けた。
たとえば、小学校に通学しているあいだに、近くの新興住宅街を中心とした一帯のための、新しい小学校が創設されたりした。
そんな受験戦争をなんとか潜り抜けて、就職すると、そこは、今となっては「バブル」といわれる、ほとんどの人が好景気を実感したお金を湯水のように使うことが当たり前とされた時限爆弾つきの黄金時代。
時限爆弾が、大爆発を起こして、寒い寒い経済成長のないかと思われる暗黒の日々をひたすら耐え忍んでいると、やはりまた経済復興を成し遂げたんだが、こんどは、その豊かさが私たち下々の民には、ほとんど実感できない好景気、とか?
と、まぁ。
こんな50年でしたよ。
で、だ。
言いたいことは、冒頭へ戻る。
私は、50才。
今年は、明治改元150年くらい。
なら、私の人生、3回分を遡れば、今、NHK大河ドラマで今やってる「西郷どん」の生きて活躍していた時代が、そこにあることになる。
弓矢や鎧、戦国時代より変わっていない「種子島」が古いとされ、より高性能の西洋式の銃を早く仕入れた方がより強大な力を手にするという、当たり前の戦争の歴史がそこにはあり、それまで数千年続いてきた封建制がかなりの確率で壊された時代を経て。
ひとつの内戦と、ふたつの対外戦に勝利した政府は、その後あの致命的な敗戦を経て、なおかつそこから雄々しく立ち上がって、武力ではなく、経済力で、世界に冠たる一大強国になった。
そこころ、「私」が生まれた。
と、まぁ、だいたい、こんなところが、私と私の住まうこの国の歴史だろう。
で、だ。
なにを言いたいのかというと、いま、テレビドラマで見ている明治維新、って、そんなに最近のことだったんだ。
さらにいうなら、そんな、たかだか150年で、よくぞ、人間よ、ここまで進歩、したよなぁ。純粋に、そう思う。(だって、交通手段が、馬の時代から、新婚旅行に月へロケットで行こうか(これがほんとの、ハネムーン?──なーんちゃって)というようなお金持ちまでいるようになった《現在》に、なっているんだよ?)
その、ありえないほど素晴らしい進歩のなかで、日本人よ、よくぞ、世界に冠たる経済大国になりおおせたよなぁ、ご先祖さまたち、偉大すぎ。
その、偉大すぎるご先祖さまが、じつは、ほんの3、4代まえのお祖父ちゃんや、お祖母ちゃんだというのだから、ほんとうに、驚きだ。
そんな、えらい人たちの、孫、ひ孫、なんだから、いまの私たちも、きっと頑張れるさ、という(まぁ、この最後の感想はいかにも取ってつけた感想だが、 )、感慨に耽ってしまった、明治改元150年という言葉を耳にして。
けっこう、ホンキモードで、ガンバろうって。
えっ?
ほんと?
ただ、驚いた、って、言いたいだけかと、思っていた。
お読みくださり、誠に有難うございます。
またお会いできる日を楽しみにしています。
でわ。




