リギア堂のお話 その2 <塩>
「リュウさん、本当に行ってしまうんですか?」
アルマ・リーズは胸の前で指を組みながらお聞きになりました。
「ええ。明日の昼には出発します」
リュウは伏せ目がちにそう答えました。
「どうしてですか? 折角この町にも慣れてきたところでしょう?」
アルマは必死で涙をこらえながらおっしゃいます。
「別れを惜しんで下さるのは大変光栄なのですが……。もう決まったことです」
あたくし達がこの町に来てからもう二年半。そろそろ潮時です。
ここチェシャの町は海辺の町。魚貝類の宝庫ですので、あたくしは結構気に入っていたのですが……いたしかたありません。
今日はこの町最後の営業日。普段の倍のお客様がいらっしゃいました。
「さて、客足も途絶えてきました。もう夕方ですね。アルマさん、そろそろお帰りになられた方が良いのでは?」
リュウにやんわりと忠告され、アルマは一瞬泣き出しそうな表情を見せましたが、気丈にこらえて、カウンター前の椅子から立ち上がりました。
「はい……。リュウさん、今まで、本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ、ご贔屓にしていただいて、ありがとうございました」
「私、リュウさんのこと忘れません。……本当に、ありがとうございました」
アルマは深々と頭を下げ、出口へと向かわれました。
そしてノブに手をかけてからこちらを振り返りました。
「またいつか、会えますよね?その日まで、お元気で……」
そう呟くようにおっしゃると、アルマは走って帰って行ってしまわれました。
リュウに言葉を発する時を与えずに。
いわゆる「乙女心」というものですわね。
彼女はあたくし達が引っ越す所の、町どころか国の名さえ今日初めて耳にされたのです。
この町の方々にとって、御伽噺の中の存在のような大陸の、小さな町……。あたくし達が行くのは、そういう所です。
リュウは静かに立ち上がり、商品棚の中から小さな壺を手にとって、出口に立ってドアを開けました。
「あの子は貴方を愛していてよ」
あたくしはふと、無意味だと思いつつそんなことを口にしました。
リュウは小さく苦笑して言いました。
「知っているさ。だからこそ、ね」
そして、静かに真直ぐあたくしを見つめました。
今日彼のこの表情を見るのはこれで二十三回目。
そしてそれはそのまま今日のお客様の数。
リュウは壺の中身を一掴み取ってドアの外にパッとまきました。
雪のように、そして塵のように、白い結晶が紫の空をバックに舞いました。
「さて、と。もう主なお得意様は皆いらっしゃったよね。店はまだ閉めないけど、荷作りは始めよう、ルビィ」
リュウはいつもの笑顔になってそう言いました。
「ええ、そうしましょうか」
もしかしたら、この町に再び訪れることもあるかもしれません。
けれど、それはもしあったとしても、早くて百年後。
そして、その可能性は限りなく、ゼロに近いのでした。
リギア堂シリーズ、第2弾。
リギア堂シリーズは、これからも続きます。
お付き合いいただけますと、幸いです。