キャラ萌えを甘く見るな、アレは永遠に生き続ける英霊だ
キャラクターっての、あるだろ? 分かり易くぶっちゃけるとキャラ萌えだ。
あれもあれで、面白いと思うんだよ。
キャラクターってのは、世の中に広まれば広まるほど、それは一種の記号、
言うなら、言語のような一般性を持つと思うんだよ。
一般性とまで、広範囲に含めた言い方をしなくてもいい、
ある程度、範囲の限定された広範囲だ、
そうすれば、ただ、例えば”ツンデレ”とか、そういうキャラクター付けを立てただけで、
ただそれだけで、読者に強制的に情報を一定量、想起させることが出来る、
ツンデレ的キャラの持つ情報、それを省略し、物語の文章量を有意義に使うことができるって寸法。
もっと別に言い換えるが、
例えばシリーズモノだったら、二巻三巻では、流石に新規や、読者に思い出させる為に、省略しないだろうが
十巻二十巻にもなれば、読んでるのは大抵が”分かってる奴”に限られてくる、
そいつ等に対しては、もう、”なにをかいわんや”の領域だ、説明無しでも大丈夫な場面が多々現出するだろう。
これは単一のシリーズ、単一の作者の作品世界、その連続性による省略に止まらない。
省略でなく、増幅と言い換えてもいい。
例えば、無口キャラ、それだけで、どれだけのキャラクターが想起できる?
その時点で、そのキャラ付けを立てられたキャラは、読者の先入観という、情報量を上乗せされたんだ。
その上で、先入観がある前提で、作者はキャラクターを動かして、読者の期待に沿ったり、裏切り驚かせたり、いろいろ表現の幅が広がるって寸法。
なにが本当に言いたいか、分からなく曖昧になってきたので、本題らしい物に戻すが、
キャラクターってのは、言語と同じで、ひたすらに高度化する、
実用経験を重ねられて、情報が集積して、どんどん進化、成長するってわけだ。
既存の、様々にキャラ分類される中で、飛びぬけて最高位の奴、
それの模倣が更なる高度な模倣を呼び、完成度があがり、洗練されて行くんだろ。
歴史を、より効率的に踏まえる、踏襲できるようになった、昨今の超情報化社会によって、
この現象は加速するだろ、特に、一般大衆までもが、情報強者になっていけば、それも上手い循環の一つになる。
需要者が賢くなってくれれば、供給側も、それに合った、見合った、
簡単に単純にいえば、年齢層の高めの創作物を作れるようになる。
ハッキリ言って、小中高校生をターゲットに含めなくちゃいけなくなると、途端に制限が増える、
難しい漢字は使えない、表現だってそうだ、幼稚で稚拙で、分かり易くないといけなくなる、
そんな世界で、高度な現実が表現できるわけがねえ、できたとしても、それは大変な手間を要するだろ。
簡単な言語で難しい事を表現するのと、難しい言語で難しい事を表現するの、どっちが手間・隙・労力掛からないか明瞭だろう。
ノリで押し切るにも、そういう圧倒的な力技で魅了するカリスマを文章に持たせるのは、実のところ致命的に効率が悪い。
つまり俺が何を言いたいかというと、
子供はさっさと、小学生に上がる頃には、大人になってろって、そういうことだ。
そうすれば、既存のターゲット層から、学生っていう、中途半端で制限を設ける、購買層が消滅するのとイコールだ、いろいろ捗る。
あーあ大学ってのも、あったな、まああいつ等は社会人と同格って事で、
むしろ、そこでも二つに分けられるのが、まためんどい。
大学生も、さっさとワンランクレベルを上げて、社会人レベルになりゃいいんだ。
そうすりゃ、既存の社会人向けの供給作品もレベルが上がって、超社会人向けみたいになっていくかもしれねぇじゃんか。