バベル 東西南北編
春野天使様企画のグループ小説第十八弾参加作品です。原案はでん助様。【グループ小説】、【バベル】等で検索すれば、他の先生方が書いた作品が読めます。
公園の芝生の緑と空の蒼さの対比が美しい。
今度の所持者は少女だった。今にも消えてしまいそうな、儚げな少女。少女は芝生に座り込んでいる。
「何でも願いが叶うの?」
黒い表紙の小さな手帳を撫でながら少女は誰かに話しかけた。
「そう、我が輩はバベル。どんな願いでも叶えられる。さあ何を望む?ただし」
「願いを叶えるたびペナルティとして、人とコミュニケーションがとれなくなるが」
黒い手帳―― バベルが低めのハスキーな声で喋った。
少女が大事に持ち歩いていた手帳に、『バベル』という意思が宿ったのはつい先刻である。
本から本へと移る『バベル』は、自分の存在理由、すなわち所持者の望みを叶える為、少女の願いを叶えようとしていた。
「さあ望みを言え」
バベルが催促をする。うーんと少女は可愛らしく小首をかしげ、散々悩んだ後
「じゃああの雲を魚の形にして」
青い空にポツポツと浮かぶ小さな綿雲の群れを指した。
「本当にそんな願いでよいのか?」
「うん」
「どんなにくだらない願いだろうと、ペナルティは発生するぞ。それでもよいのだな?」
「ペナルティのコミュニケーションがとれなくなるって人と会話できなくなるってことだよね」
「まあ間違ってはいないな」
「だったら私にとって全然罰にならないわ。むしろ私の望みだもの」
「望みだと?」
「私は独りで平気。独りでいたいの」
「……わかった」
バベルはふわふわと宙に浮いた。風もないのに、パラパラと真っ白なページがめくれる。ゆっくりとめくれていたページは次第にスピードを上げてバラバラとめくれ、だんだんと光が集まり始めた。
弱々かった光が強さを増し、強さが最高潮に達した瞬間バベルは光を放つ。
すると不思議なことに空のあちこちに浮かんでいた雲が一斉にモコモコと形を変える。雲にありえない不自然な動き。
やがて雲のモコモコが止まった。青い空には魚の形をした雲の群れが出来ている。
「願いを叶えたぞ」
宙に浮いていたバベルは落下し、少女の手の中に収まった。
「……すごーい。本当に願いが叶うんだ……」
少女が感嘆の声をあげた。
「当たり前だ。我が輩に叶えられぬ願いなどない」
少女の家は閑静な住宅街にあった。静かなのは、夜だからかもしれないが。淡い青色に塗られたこぢんまりとした洋風の一戸建て。
少女はポケットから鍵を取り出して、家の鍵を開けた。ドアを開き、『ただいま』も言わずに家へとあがる。玄関から先にのびる廊下の途中には、二階へと上がる階段があった。
廊下の奥はリビングだろうか、明かりが漏れ、男女の姿が見える。少女の両親に違いない。
どうやら二人は言い争いをしているらしく、大きな声が聞こえてくる。
「俺は嫌だからな!!」
「あら私だってあんな子引き取るのは嫌だわ!あなたが育てなさいよ!!」
「お前が浮気して作った子供じゃないか。俺の子でもないのにどうして俺が育てなきゃならない!?」
「あなたの子供に決まってるじゃない!出来損ないな所がそっくりだわ!!」
少女は両親の方を気にすることもなく、階段をさっさと上っていった。
自分の事で争っている。聞こえているはずなのに。
なんとも感じないのか。
そんなはずなかった。
バベルを持つ指先は力がこもって白くなり、少女の華奢な肩は震えている。
少女は階段を上りきり自分の部屋へと入ると、ベッドへ身を投げ出した。
「離婚するんだって」
枕に顔を埋めた少女のくぐもった声。
「もう何年も前に決めてることなの。なのに私をどっちが引き取るかでずっと揉めてて離婚しない。どっちも引き取る気が無いなら、施設にでもなんでも入れれば良いのにね」
少女の声は涙声だった。
ピンクで統一された部屋に、両親の怒鳴り声と少女のすすり泣く声がしばらく響く。
少女を泣き止ませたかった。
しかし、本であるバベルにはどうしようもない。
願われなければなにも出来ないのだから。
結局なにも出来ずにおろおろと狼狽えていた。
「バベル」
「何だ」
少女の声が涙声ではないのにほっとし、けれどその思いは微塵も感じさせずにバベルは答える。
「願い事があるの。叶えてくれる?」
「もちろんだ。我が輩は所持者の願いを叶える。願わくは先ほどの様なくだらない願い事でない事を祈ろう」
「良かったねバベル。くだらなくないよ。私にとって、とっても大事な願い」
少女はそこで一呼吸置き
そして大事な願いを言った。
「私の両親を消して」
「それは両親を殺すということか?殺した後の事を考えているのか?幼い君にはまだ保護者が必要だろう。後悔しても知らないぞ」
少女は枕を抱きしめてガバッと起きあがる。赤くなった目からポロポロと涙がこぼれた。
「いいの!ママとパパが私のことでケンカするのなんてもう耐えられない!!絶対に後悔しないから、願いを叶えて!!!」
「……そこまで言うのなら」
宙に浮き、光を集めながらバベルは思う。
どうして両親を消すのか。
『父と母が仲直りしてほしい』と願えないのだろうか。
その答えはきっと……想像がつかなかったのだ。
今さら父と母が仲良くしている場面など。
少女には。
少女は教室の真ん中で奇異の目に晒されていた。
「何なの?みんなどうしちゃったの!?」
クラスメイト達の囁く声をかき消すような少女の叫びが響きわたった。
しかし、少女の声は他人には獣のような唸り声にしか聞こえない。他人の声も、少女には外国の言葉を聞くように理解出来ない。
これが願いを叶えた代償――ペナルティ。
「これが代償なのバベル!?私はこんな目で見られたくない!!お願いだから元にもどして!!」
「叶えてもいいが、その願いにもペナルティは与えられる。結局そういう目で見られる。いたちごっこにしかならない」
「そんな……私」
少女は一歩踏み出す。それにあわせて皆も一歩退く。
「どうしたのあの子?」
「頭、変になったんじゃね?」
「近づくな!触ったら感染るぞ!!」
少女には理解出来なくても雰囲気は伝わったのだろう。
「いやっ…そんな目で私を見ないで!!みんな、みんな要らない。みんな消えればいい!!バベル、みんなを消してっ!!」
「その願い叶えよう」
それからの少女はまるで狂ったかのように人を消しはじめた。
病院へ連れていこうとした叔父叔母を。少女をひきとった祖父母を。事情を聞きにきた警官を。
少女は文字を読めなくなり書けなくなった。
そして少女は指を動かせなくなり……ついには倒れた。白い壁、白いベッド。
白いカーテンは風にそよいでいた。なにもかも病的なまでに白い空間で違う色をもつのは、ベッドに横たわる少女と少女が手に持つ黒い手帳のみ。ここは病室で少女は入院していた。願いを叶えたペナルティのために、少女は今では満足に身体を動かせないのだ。ただ入院費用には困らなかった。遺産という名の財産があったから。
「ねえバベル」
「なんだ?」
「いまの私をみてどう思う?」
「いまの私……とは?」
「おもうように身体すら動かせない私をみて哀れだと思う?不幸だと思う?」
「………………願いを叶えた代償だ。仕方ない」
「やっぱり不幸だと思うんだね……」
少女はそっと目を伏せた。
「私最初は独りでいい、独りで平気だと思ってたの。でも違った。今は怖い……独りが怖いの!!」
少女の頬を涙が濡らす。
「ねえ、バベル。私の最後の願いを叶えてくれる?」
「最後の願い……?でも君には対価として支払えるものはない」
バベルは嘘をついた。本当に支払えるものがなければ彼はとっくに別の本に移っていただろう。
だが対価として失うものを考えると、バベルは少女の願いを叶えたくない。こんな気持ちを持つのは初めてだった。
「バベル、私にはまだ払えるものがあるわ。それは――――」
少女はバベルが失ってほしくないものを言った。そして
「私の最後の願いは…………」
「わかった」
自分の気持ちに逆らってバベルは願いを叶える。バベルとはそういう存在なのだから。
バベルは少女を見ていた。痩せ細った折れそうな肢体を。何の表情も浮かんでいない顔を。
仕方のないこと。
これが少女の選んだ道なのだから。
少女の願い―― それは
『バベル、バベル、貴方だけはずっと私の側にいて、私を独りにしないで』
バベルは願いを叶えた。
その代償として、少女は『感情』を失った。
少女はこの結末で満足したのだろうか。
満足してバベルのことを忘れてしまっただろうか。その答えは誰も知る事はない。少女の瞳が何かを映すことはなく、うすく開いた唇が言葉を紡ぐことはなく、骨のような指が動くことは、もう二度と無いのだから。
バベルは少女の虚ろな瞳を見つめ続ける。
見舞い客も来ない小さな病室で。
少女の命の灯が消えてしまうその瞬間まで
ずっと
ずっと
ずっと傍で―――……。
だから、少女はもう独りじゃない。
本当はもっと細かく書きたかったのですが、時間が……。
とりあえず書き終えられてよかった。また機会があれば参加したいです。