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鼓動(仮)  作者: 釜鍋小加湯
第一笑
5/15

1-5

 夕食後、二人は何時ものように茶の間で(くつろ)いでいた。

 弱に設定された扇風機の風が、灰色のTシャツと花柄のワンピースの首もとを、絶えずヒラヒラと揺らしている。

 幸恵の太ももを枕にして、高尾は寝そべりテレビを見ていた。時折、画面に向かってぼやいたりもしている。幸恵はしらけた顔で、高尾の前髪をかき上げたり、相槌を打ったりしていた。

 コマーシャルに切り替わったところで、トントントンと太ももが小さく揺れ、高尾の頭が無造作に動いた。

「高尾、悪いけど頭上げて。シャワー浴びてくるから」

 さも、決めていたかのような台詞が真上から聞こえ、高尾はめんどくさそうに首をくの字に頭を浮かせた。

 太ももがワンピースに隠れるのをよそに、高尾はカーペットに肘をついて、手のひらに側頭部を乗せた。柔らかい太ももに比べて心地よくはないが、仕方がない。

 彼女の立ち去る足音が後方から聞こえ、テレビ画面からは飲料水のコマーシャルが流れていた。

 それからほどなくして、野球中継が再び映し出された。応援している球団が負けていて、納得のいかない継投策が続いていた。高尾はまたもやぼやきたくなったが、聞く相手もいないことから、取り敢えず今は黙ることにした。

 上背はそうでもないが、体格のいい投手が満塁の場面で投げていた。

 子供の頃から、彼はよく野球中継をテレビで見ていた。

 父親が野球好きで、三つ歳上の兄貴と母親を合わせた家族四人で茶の間に座り、ことあるごとに一喜一憂して楽しんでいた。

 休日には兄貴の友達が遊びにきて、兄貴と三人で家から程近い広場へ野球をしにいった。

 そこは土のグラウンドが敷かれた、四方を灰色のフェンスで囲まれただだっ広い場所だった。人気(ひとけ)はなく、いけばいつもうちらだけということが多かった。

 三人は入ってすぐの角まで歩き、高尾は打者、兄貴は外野、兄貴の友達は投手というのがいつもの配置だった。

 兄貴の友達は、小六で体重は五十キロくらいあった。肩幅が広く、バッターボックスで対峙したときに威圧感があったことを覚えている。

 体型とは裏腹に、兄貴の友達は打ちやすい球を投げてくれた。柔らかい黄色のカラーボールをやや山なりの球道で投げ、高尾は水色のカラーバットでフルスイングした。ビュンとボールは遠くへ飛んでいき、外野にいる兄貴は打球の方角に向かっていき捕球してくれた。

 幼い頃にこうして、野球をしたり見たりしていなかったら、小学四年のときにソフトボール部に入部し、中学、高校と野球部に入部することもなかっただろう。

 今日に至っても、これほど野球に対する興味や魅力に惹かれることもなかったと思う。

 高尾の影響を受けた幸恵も、もしかしたら野球を好きになることはなかったかもしれない。

 時代は移り変わり、地上波で生中継されることは珍しくなった。野球に触れる機会も疎遠になっていった。だからといって、野球が嫌いになることはない。中継があるときは、自然と心が浮き立った。

 何人目だろうか。選手の名がコールされ、敗戦処理と思われる投手がマウンドに向かって歩いてきた。スコアは十三対0。見ていれば見ているほど点差のつく試合展開に、高尾は欠伸を連発していた。

 投球練習をしている最中、映像は再びコマーシャルへと切り替わった。ここまでくると、野球を見ているのかコマーシャルを見ているのか、わけがわからなくなってきていた。

 肘をつき寝転んでいるうちに、眠気を覚えた。眠るには、まだ早すぎる。休日の前日こそ、長い夜を楽しみたい。

 目頭を擦ってから、その手をカーペットに伸ばした。

 このまま野球を見ていても、ぼやきを通り越して寝てしまいそうだ。適当にチャンネルを変えてみることにした。リモコンを握り、どのチャンネルにしようかとボタンを指に添えたとき、テレビ台の中にノートパソコンが閉まってあるのが目に止まった。

 高尾は身を起こし、三十二型のテレビをリモコンで消した。テーブルにリモコンを置いて、テレビ台にのっそりと近づき硝子扉を開けた。

 ここにはゲーム機も入っていて、休日には幸恵とたまに遊んだりしている。

 先週の休日もブロック崩しのゲームをして、負けた方が夕飯の皿洗いをする勝負をしたら、見事に負けてしまった。そんなことをふと思い出しながらノートパソコンを取り出し、テーブルに乗せ電源を入れてみた。

 さて、なにを見ようか。画面を前に少しの間、顎に指を当て彼是(あれこれ)と思案した。

 そういえば、帰宅したとき幸恵は腹を抱えて笑っていたな。キーボードで『お笑い』と打ち鳴らし、検索してみた。

 すると、様々なお笑い動画が幾つも並んだ。画面をゆっくりスライドしてみる。漫才、コント、モノマネ、一発芸など静止画の下にジャンルが記され、投稿者の名前の下の欄には動画に関する説明が簡単に書かれていた。

 お笑い動画の多いことに、高尾は口に手を当て驚いていた。なにがよいのかさっぱりわからない。

 取り敢えずインパクト重視で、『どどんと炸裂! お笑い動画王』 と説明欄に記されている動画の中から、一番上にある静止画に合わせて決定キーを押してみた。

 観客の拍手の後に、電器店のコントが始まった。店員役の太めの芸人が、クリップボードを片手に洗濯機を一台ずつチェックしている。

 そこに、帽子を被りTシャツを着た痩せ形のお客役の芸人が、ステージの端からやってきた。五台ある洗濯機を一通り眺め、そのうちの一台に目をつけ近づいていった。

 お客役の芸人は蓋を開閉してみたり、値段や機能を見たりして品定めをしている。

 クリップボードから目を上げ、店員役の芸人は、その行為を見ているうちに眉間に皺を寄せた。居ても立ってもいられず、お客役の芸人に早歩きで接近していき声をかけた。

「あのーすんません。この洗濯機に土入れて、観葉植物は育てることはできませんから、帰ってくれませんか?」

「はっ!? なに帰れっていきなり。観葉植物なんて育てませんよ。なんなんすかあんた、いきなり声掛けてきて?」

「なんなんすかって店員ですよ、見りゃわかるやないですか。あんたこそなんなんすか、フンコロガシですか?」

「フ、フンコロガシ!? フン、フン、フンコロガーシおーいしーいなってちゃうちゃう、客やろ客。洗濯機買いにきたんや。こっちこそ見たらわかるやろ」

「わからんわ。観葉植物好きそうなおっさんやなー、ぐらいにしか見えへんわ」

「どこをどう見たら、観葉植物好きそうな人に見えるん。どんな目しとんの、あんた?」

「こんな目、こんな目」

「顔近づけてくんなや、口臭いから」

「口臭いって失礼な。ほんなら」

 店員役の芸人は抱きついて、お客役の芸人のジーンズの後ろをモゾモゾと触り出した。

「何あんたセクハラやセクハラ。どさくさに紛れて尻とか、あっ!?」

 お客役の芸人は、店員役の芸人を無理やり突き放すと、口を大きく開き驚いた顔をした。

「落とし物です」

「落としてない落としてない、それワシの財布。返して?」

 財布の中身を、勝手に見始める店員役の芸人。

「あっ、お好み焼き屋の割引券入っとる」

「ええやろ、今度……」

「良かったら、一緒に行きまへんか? 今日定時で終わるさかい」

「なんでお前と行かなあかんの。返せや」

 お客役の芸人は、財布と割引券を店員役の芸人から奪い返した。割引券を財布にしまい、元々入れていたジーンズの尻のポケットに戻した。

 この後も、店員役の芸人とお客役の芸人のやり取りは何度か続いた。芸は次第にエスカレートしていき、お客役の芸人は頭に湯気を立て、帽子を脱ぎバシンと太ももに叩きつけた。

「もうやってられへんわ! 帰るわ。他にも電器店なんてぎょうさんあるしな」

「待って待って、待ってくださいよ。離婚したばっかりっていうてましたやん?」

「アホかお前は。結婚したいうたやろ! 新婚中だ今、このボケナスが!」

 高尾は思わず「ふははっ」と笑い、表情を崩した。

「もうそんなら、お客さんは特別です、特別ですよ。この端にある大きい洗濯機、三千円でいいです」

 そういって店員役の芸人は、三本の指をお客役の芸人に突き出した。

「中指、薬指、小指で三て珍しい出しかたやな。まあそれはええとして、それどういうこと!? だってほら五万九千八百円て書いてますよ」

「いいんです。お客さん見たところ、結婚してそうだし」

「だから、それさっきいうたやん」

「三千五百円、さんごーでええです」

「あれ、なんか値段上がったな。さっき三千円て、いうてませんでしたか?」

「まあまあ、五百円ぐらいええじゃないてすか。鼻穴から、ズズッとこうやって出してくれればええですから」

「それ鼻水やん。不潔な店員やなあ」

 高尾の表情は、いつの間にか綻んでいた。お笑い動画を見るなんて、いつ以来だろう。彼女と二人で見たことはあるが、それも随分前のことだと記憶していた。

 彼女がよく動画を見て笑っていることも、今回見てみてわかった気がした。

 動画は三千五百円の洗濯機の中から、何と長髪のカツラを被り女装した三人目の芸人が勢いよく飛び出してきていた。

「お客さん、では女性と洗濯機セットで三千五百円になります。おおきにー!」

 店員役の芸人が甲高い声で叫んだのを機に、女装した芸人はダッシュしてお客役の芸人に抱きついてきた。

「会いたかったー。聞いてたわよー、再婚したんやって?」

「離れろや、おいこのボケナスが! 再婚やなくて、けっこぶっ……」

 女装した芸人が、無理やりお客役の芸人を抱きしめキスをした。それを見た店員役の芸人は明るい声で、「美味しい美味しい、オーデリーシャス!」と明るい声でいい、二人に対し感謝ともいえる礼をした。

「私、この人と結婚するから。ねえ、新婚旅行どこにする? 私はモーリタニアに行きたい」

 女装した芸人は、強引にお客役の芸人と腕を組み、嬉しそうな顔でいった。お客役の芸人は、組んでいない腕で目を一瞬伏せてから、「どこでもええねんから、もう帰らして。腕を離せや、ごっつい女やな」と、腕を強引にほどこうとしながら徐々に怒声になっていった。

「フンコロガシと幸せになるんやぞーって、お前らなにしとんねん」

 いつの間にか、二人は取っ組み合いをしていた。女装した芸人は、お客役の芸人を押し倒した。キャメルクラッチというプロレス技をかけ、お客役の芸人の身体をグイグイ反らせていた。

 技をかけられているお客役の芸人の変顔が特に面白く、沢山の観客の笑いが沸き起こっていた。動画に映る変顔のアップに、高尾も手を叩いて笑っていた。

「おえっ、おえおえおえっ」

 技を食らうお客役の芸人が、なにか連呼している。その顔に向かい、店員役の芸人がレフェリーに扮し、「ギブアップ、ギブアップ? ユーギブアップ?」と問いかける。

「この、ボケナスが」

 店員役の芸人の顔にいうお客役の芸人。

「理解不能。もっと締めなはれ」

 店員役の芸人は、ムッとした顔で女装した芸人に伝えた。すると、お客役の芸人の身体は更に反り上がり、顔は上を向いた。

「ギブ、ギブアップ? フンコロガシギブアップ?」

「おえおえおえっ、ほうえーーーっ!」

 苦しそうな声に反応し、女装した芸人は技をかけるのを止め、ホールドに入った。

「ワンツースリー、カンカンカンカン」

 店員役の芸人が即行でカウントし、勝負はあった。女装した芸人がホールドを止め立ち上がると、店員役の芸人は勝者の腕を高々と上げた。

「このボケナスどもが」

 お客役の芸人が、息を切らしながらゆっくりと立ち上がり、吐き捨てるようにいった。女装した芸人は、お客役の芸人に人差し指を突き出した。

「そんなやわな身体ではな、世界最強タッグ選手権大会で俺とタッグは組めないぞ」

「誰が組むか、この大ボケナスどもが!」

「どうも、ありがとうございましたー!!」最後は三人が同時にいい、観客の笑い声と拍手の中、動画は停止した。

 高尾は息を弾ませて、笑いながら関心していた。そこには、大差のついた野球中継を見るよりも楽しんでいる自分がいた。

 もう少し他のも見てみよう。久々に見たというのもあるだろうけど、見飽きたりない。さっきと同じ、『どどんと炸裂! お笑い動画王』と記されているものの中から選択してみた。

 ダンダンダダンダ、ダダダンダンダダ……。派手な出囃が流れ、グレイのスーツを着た二人の男が走って登場してきた。

 中央に置かれたスタンドマイクの前で立ち止まり、コンビ名を明るい声で発して漫才が始まった。

 先程と違い、平坦な言葉を交わし合う二人。大阪弁ならではの独特の空気がないせいか、ドキドキ感がいまいち沸いてこない。

 お笑いときたら大阪。と高尾は連想していた。大阪はお笑いの聖地。先程のコントも面白かったが、特に漫才に関しては大阪弁だから成しうるリズムがあり、二人の掛け合いによるツッコミとボケは、他の地域の芸人では出せない特異性があるとも思っていた。

 最初に見たコントにしても、もしあれが標準語だったら、恐らくそれほど面白くはなかっただろうなと、勝手ながらに思ったりもしていた。

 今見ている動画は見始め早々に、二人は関西の人ではないことがわかった。高尾の喋る言葉と、殆んど変わらなかったからだ。

「やっぱり違うな」気を落とし低い声色で呟いていると、シャワーを浴び終えた幸恵が、のんびりした足取りで茶の間に戻ってきた。

最後まで読んで頂き有り難う御座いました。感想などありましたら、宜しくお願いします。

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