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夕食中オムライスを食べながら、高尾は来週土曜日にバーベキューと花火を皆でしないかと幸恵を誘ってみた。タイミングよく仕事も休みなのも相まって、オムライスを口にしながら幸恵は嬉しい顔で頷いた。この間は、仕事の都合がつかずに泣く泣く諦めざるを得なかったこともあり、今回参加できるのはひとしおとも言えた。
久しぶりに会う坂下や合田の話題で話は更に弾み、テレビに映るお笑い芸人をよそに楽しい夕食となった。
空になった皿を片付け、高尾が食器を洗っている最中、幸恵はシャワーを浴びに茶の間から出ていった。高尾は食器を洗うペースを上げて、全てラックに入れると足早に寝室に向かった。
期待と不安を胸に膨らませ、彼はスマホをチェックしてみる。残念ながら、ピカコンからの通知はまだ届いていなかった。もしや、アドレスなどの連絡事項を間違えて入力してしまったのか。指を震わせ、無我夢中でしていたから有り得なくもない。連絡が二三日待ってなければ、もう一度登録してみるまでだ。諦めることはどうしても出来ない。この決意は揺るがない、揺らぐことはない。心にある決意を彼は固める。
焦っても仕方がない。送信して、まだそれほど時間も経っていない。スマホを棚に置き、彼は寝室を後にした。
バラエティ番組を見ていると、バスタオルを首にぶら下げて、幸恵がシャワーを済まし茶の間に座った。入れ替わるようにして、高尾はシャワーを浴びに風呂場へ向かい、幸恵はテレビを見ながら顔にクリームを点々と当てていった。
高尾はシャワーを浴びて寝室に入ると、二人分の布団が敷かれていた。幸恵は、敷き布団の上にうつ伏せになり雑誌を読んでいた。
布団の上に胡座をかいて、彼は茶の間から持ってきたドライヤーをかけた。グアーンという軽い音が寝室に広がり、数分経ってグアンを最後に静まる。コンセントを抜きコードを巻いていると、彼女は首をこちらにひょいと向けた。
「高尾、ハブラシさ、ブサブサだったから取り替えといたから」
「ありがとう。顔、またやってんの?」
「またって、こういうのは継続しないと効果が出てこないのよ」
顔全体に白いパックをして、口をパクパク動かす姿は何度見てもギョッとする。呆れた問い返しをする幸恵だが、高尾は聞いているうちに、しらけた顔から苦い顔に変わった。
果たして効果があるのかと、毎回疑問に思ってしまう。歳を気にしているのか、最近の幸恵はお肌のケアに余念がない。
幸恵は雑誌に白い顔を戻し、興味深そうに文章を目で追っている。お肌や皺についての記事だろうか。そっとしておくのがよさそうだ。
高尾は立ち上がり、ドライヤーを棚の上に置いた。立ったついでにスマホを手に取り、それとなくスイッチを押してみた。画面に目をやるが、直ぐに吐息が出てしまった。何処からも連絡は来ていなかった。時計は夜の九時四十分を過ぎていた。スマホをドライヤーの隣に置いて、高尾は歯を磨きに寝室を出た。
脱衣所に面してある洗面所で、彼はコップに入れられている緑色の歯ブラシを軽く握った。いっていた通り、新しいものに替えられていた。
コップに水を汲んでから、歯ブラシを水で洗った。そのまま歯みがき粉を垂らし、鏡に映る顔を眺めた。
平坦な眉毛に決して高くない鼻。頬が痩け、何の変鉄もない顔が映っている。キリッとした表情を作ってみたり、元の平凡な顔に戻してみたりしてみる。
ピカコンに出場する人って、どんな人たちなのだろう。やっぱり、みんな面白い奴ばかりなのだろうな。人を笑わせることに自信があって、人前に立つことも何てことない。動画を見ていて思っていたけど、立場が変わるって、どれくらいのことなのだろう。笑ってもらったときは、どんな感覚になるのだろう。
全てが闇。そう、薄暗い道から暗い道に入ってみるだけだ。どっちにしたって先は自分で切り開くしかないんだ。
ベストエイトまで勝ち上がって幸恵を笑わせる。お笑い通の幸恵も、今度は魂の抜けたような表情をせず、きっと喜んでくれるだろう。
金や地位はいらない。それらは、将来夢見るお笑い芸人が手にし、天高く掲げればいい。
笑いをろくに知らない男がピカコン出場なんて、初心者がエベレストに登るようなものだ。それも三十過ぎた派遣社員がだ。
今一度鏡に映っている顔を見つめる。目を合わせて、ゆっくりと大きく頷いた。
素早く左右に首を振り、辺りを見回す高尾。幸恵の来る気配はない。手に持っていた歯ブラシを、コップの縁に橋を架けるようにそっと置いた。
Tシャツを脱いで、地べたにゆっくり落とした。歯ブラシを再び取り軽く握った。両腕を八の字に構えて、足をがに股にして膝を軽く曲げてみた。更に唇を尖らせ、竹輪の穴くらいの口を開いた。まだ物足りないな。眉間に皺を寄せてみる。
ひょっとこみたいだ。少しは滑稽かな。ではでは。
「二十代独身女性でーす。よーろぴーくね!」
握っている歯ブラシを斜めにえいっ、と振り上げた。そして口元に歯ブラシを持っていき、歯を磨くフリをして、即興ネタをしてみることにした。
「シャカシャカシャン、シャカシャカシャン、シャカシャカシャカシャカシャカシャカシャン! タオル振れ、バット振れ、弁当振ったらぐっちゃぐちゃ。ピッチャーと、キャッチャーが、サインを出しあいいちゃついて、バッターが、嫉妬して、主審がそれを制止する、一塁の、ランナーが、突然ダッシュで体当たり、ピッチャーが、ぶっ倒れ、食べてたガムが宙に舞い、食いカスが、地に落ちて、ガムだと思ったら歯欠けたー。シャカシャカシャン、シャカシャカシャン、シャカシャカシャンして歯医者へゴー!」
歯ブラシを前に突き出したところでポーズをとり、動きを止めた。鏡には、ネタ中に勢いよく歯みがき粉が飛んで、ベタリと付着していた。人差し指で拭い、歯ブラシにつけ戻した。
表情を戻す。変哲のない顔と、まっ平らな上半身が鏡に映っている。何事もなかったように、彼はシャカシャカと歯を磨いた。
Tシャツを着て寝室に戻り、布団の上に胡座をかいた。静まり返った寝室に、微かに聞こえる寝息。
二つの布団の角の境目には、目覚まし時計が置いてある。六時半にセットされていた。彼女の寝顔をそっと覗いてみたら、パックを取った艶のいい肌があった。
「効果、あるんだな」
高尾は独り言を掠れた声でいうと、彼女の口角が少しだけ上がった気がした。
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