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鼓動(仮)  作者: 釜鍋小加湯
第一笑
1/15

1-1

 メロンジュースの味なんて、これっぽっちも残ってなかった。

 喉の渇きは身体の動きを鈍化させ、就業時間が残り十分となった今は、電池の切れかかった昭和の玩具と重なった。

 職場の隅に立て掛けてある時計の針が、夕方の四時五十一分を指した。田島高尾(たじまたかお)(おもむろ)に機械のメンテナンスを切り上げ、終礼が行われる集合場所へと向かうことにした。

 シャーリングと呼ばれる機械の作業場を後にし、緑色を基調とした通路を重い足取りで歩いていく。両側には何台かの機械と製品が乗せられている台車があり、そこを通り抜けると、灰色の背中がいくつも立ち並んでいるのが見えてきた。

 終礼場所は既に人が七列くらい並んでいた。高尾はいつも通り、一番端の列の最後尾に並び、腕を後ろに背伸びをした。

 背筋を軽く反らしながら、何気なく辺りを見渡してみる。そう遠くないところにいる若い女性三人組は、お喋りに夢中で話に花が咲いていた。喋り声は他からもちらほら聞こえてくるが、背中越しにも疲労を隠せない人を多く見掛けた。

 週末、閑談の声は普段に比べて少ない。

 高尾は上半身の力を抜いて、背伸びをするのをやめた。うつけた顔で息をつき、目線を下ろした。上方の窓から透き通った日が入り、緑色の床が白っぽく反射していた。

 高尾は目を凝らし、視線を逸らそうとした。するとそこに、靴の先が剥げた黒い安全靴が突如現れた。

「田島、今日の呑み会どうすんだい? 女性陣に訊いてみたら、来るっていってたぞ」

 聞き慣れた少年のような明るい声が耳に入り、高尾は目の前にある剥げた靴先から、ゆるりと視線を上げた。小太りで坊主頭の合田(あいだ)が、汗ばんだ笑顔でこちらを見ていた。

 実はこのこと、昼休みにも訊かれていた。しかしそのときは、どうしようかと決められず保留をしていた。

 高尾は、灰色の帽子のつばを少しだけ上げてから、乾いた唇を開いた。

「ごめん、遠慮しとくよ。今日は何とか定時で終われたけれど、今週は残業も多くて忙しかったから」

「シャーリングやタレパンは大変だったようだな。行かないなら、俺と坂下とで行ってくるよ」

 ため息混じりに言葉を吐いて、合田は少しだけ肩を落とした。

 話を聞いてから、高尾は不意に口を大きく開いた。鼻筋に(しわ)を寄せ、だらしなく開いた口を手で隠した。疲れた、怠いし眠い。頭のなかも、ぽわっとする。

 口を閉じ、高尾は当てていたその手で目を擦った。汗と涙で指はべたついてきた。

「マッサージ機。ウィーンウィーン、マッサージ機故障、マッサージ機故障」

「痛い痛い、なんだよ急に痛いって」

 突然高尾の背後から、ゴツい指が肩にめり込んできた。肉も骨もあったもんじゃない。十本の指はゴリ押ししてきていた。振り向いてみたら、目と鼻の先でニッと笑う合田の顔があった。

「来なかったことを、後悔させてやるからな」

 高尾は首をすぼめ左右の肩を上下し、揉まれているゴツい指を振りほどいた。

 高尾はしかめっ面で、無邪気に笑う合田と向き合った。

「疲れてんだからもう」

「あれ、涙目だけど泣いちゃった?」

「欠伸が出たんだよ。さっき真ん前で見てたでしょ」

 片手で右肩を擦りながら、高尾は呆れた顔で否定した。

 合田は笑いながら背を向け、短い足を前に出して歩いていった。最後尾に並ぶ人の背中を沿うようにして進んでいき、丸い背中は徐々に遠退いていく。

 その後ろ姿を見ているうちに、肩を擦る高尾の手の動きが止まった。そうだ、あの小太り坊主にも、お見舞いしてやろうではないか。

 高尾は唇から舌だけ出して、両腕を前に突き出した。そのまま、早歩きで合田の丸い肩に接近していく。はたから見れば、げっそりしたゾンビのようだ。

 その細い手が丸い肩に触れようとしたとき、体型に似合わずするりと避けられてしまった。

 狸体型(たぬきたいけい)でも、動きは素早いから不思議だ。高尾は喉元まできたところでそれはいい過ぎと思い、唾と一緒に呑み込んだ。

「田島もやしー。呑み屋で待ってっからなー」

 列に戻り離れたところから、合田が茶化すようにいってきた。高尾は舌を出したままムッとして、坊主頭の横顔に向けて口走った。

「狸坊主よ。呑み会にはいかないからな。ついでに、たこもないから」

 列に並ぶ社員たちの冷めた視線が、ほっそりと()けた顔に集まっていた。


 高尾は派遣社員として、金属や鉄板を加工、製造する工場に勤務している。担当している工程はシャーリング。

 材料を切断する機械で、鉄板や金属板を決められた寸法にせん断するものだ。ハサミを使って紙を切るのをイメージするとわかりやすい。上下にある刃の間に材料を挟み、上の刃に圧力が加わることで切断をする。

 因みにタレパンとは、正式名はタレットパンチプレスという。

 プログラムソフトを使用して、鉄板に沢山の穴を打ち抜くというもの。ダダダダと、マシンガンのような音を出して加工する機械だ。

 普段の仕事は定時上がりがお決まりなのだが、九月に入り残業のある日が度々出てきた。今週は受け入れが重なり、一、二時間残業が毎日続いた。多忙は継続されたが、今日に限っては、曲がりなりにも定時で終われた。


 列に並ぶ社員が増えてきて、それと同時に話し声も増してきた。

 高尾は誰とも話すことなく突っ立っていると、四人の男が駆け足でやって来た。そのうちの一人が高尾の隣に並んだ。何気なく名札を覗いてみたら、同じ派遣会社の人だった。帽子を浅く被り、金色の前髪が瞼の近くにまで垂れ下がっている。その男が息を整えていると、主任が上司との話を終え、ファイルを片手に集合場所に向かって歩いてきた。

 ざわつきは徐々に収まり、主任は最前列の中央で足を止めた。並んでいる社員を前に帽子を脱ぎ、軽い会釈をした。M字型に禿げたおでこが現れ、静まった列の所々からクスクスと笑い声が聞こえてくる。社員たちの目がM字一点に集中している。高尾の周囲からも、咳でもしてるかのように背中を動かし笑う女性数人の姿があった。

 主任は八重歯を覗かせ、いつも通りに「ひっ」と一瞬笑ってから、ファイルに目を落とした。口内に人差し指の先を入れてから数ページ捲り、八重歯を覗かせ話を始めた。

「皆さん、お疲れ様です。今週は忙しい工程もあって大変だったとは思いますが、無事週末を迎えることが出来ました」

 主任は流暢に話を続けている。真面目に聞いている人もいるが、中にはちょっかいを出しあったり、主任の文句をいってる人もいた。

 隣の男は息が整い、後ろに並んだ男らと小声でな何か話をしていた。帽子を脱いで、首まで伸びた金髪が露になっていた。

 高尾は何を思うこともなく、休めの体勢で主任の話をただ黙って聞いていた。

 彼の勤める泉製作所には、派遣社員が沢山いる。派遣社員がいなければ、この会社は機能しない。中小企業の中ぐらいにあたるこの工場は、専ら派遣に頼っている幾多の工場の一つだ。

 工場は三棟に別れており、高尾は二棟で先にも触れた切断行程に属している。

 入退社の出入りも少なくはない。二棟だけでも今年に入り、既に七人もの派遣社員が辞めている。八ヶ月で七人だから少なくはないだろう。それに、会社全体を通せばもっといる筈だ。

 仕事が合わない、身体を痛めた、人間関係が上手くいかないと様々あるが、退社の理由については逐一皆に知らされることはない。知るのは工程に携わる数人と、噂話に耳を立てるオバサン連中くらいか。退社後に会うことも稀有な話だ。

 高尾はこれまで、仕事を辞めたいと思ったことは何度かあった。

 親しい派遣仲間が辞めたとき、自分ももっと給料や待遇の良いところを求めて転職しようかと考えたりした。

 日にちが経つにつれて、その意思は溶けていき、今の状況を考えれば、そう簡単に転職をするわけにもいかないところで落ち着くのがパターンになっていた。

 高尾は今年で三十二歳になった。泉製作所に派遣社員として勤めて六年が過ぎた。転職は、安易な気持ちで出来ないことくらいは自覚している。

 六年前はフサフサだったよなあ。高尾は物憂げに主任の頭を眺めた。

 話しを終えた主任はファイルを閉じて頭を下げ、後ろに下がっていった。入れ代わるように班長が前に出て挨拶をし、簡潔に補足を述べ終礼は終わった。

読んで頂きありがとうございました。

感想など有りましたら、宜しくお願いします。今後の執筆の参考と、励みにしたいと思います。

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