帰る家
アメリカの田舎が舞台の映画やテレビドラマで、こんな家を見たような気がする。
十分ほど歩いただろうか、辿り着いたのは、一軒家だった。暗くてよくわからないけど、たぶん木造二階建て。日本人的にはとても大きな家だけど、圧倒される程の大きさではない。
玄関の前にデッキがある。そこへ上がるための幾段かの階段の前に、女性が二人待っていた。
彼女たちも白いローブを着ている。袖は七分丈のようだけど、袖口は広いから暑くないだろう。うらやましい。
ファーノさんが紹介をしてくれる。
「こちらの家に当面お住まいください。この者たちが、タカハラ様の側仕えをいたします。シズル・エイリと、メメン・リーラです。」
ふたりは、名前を呼ばれて、順番に頭を下げた。
シズルさんは、五十才代だろうか。ふくよかな体型だ。その笑顔は優しく、礼儀正しく距離をとっているという感じだ。
メメンさんは若い。十代かもしれない。なんとか笑顔を作ろうとして、失敗してる。いきなり夜中にこんな用を言いつけられたら、緊張するよね。
私としては、女性が傍にいてくれるのは心強い。殿方には聞けない事もある。
「高原綾乃です。シズルさん、メメンさん、よろしくお願いします。」
出来るだけ印象がいいようにと、笑顔で挨拶をしたのだけど、戸惑った顔をされた。
「タカハラ様。私たちのことは、呼び捨てになさってください。」
年長であるシズルさんが、そう言ってきた。
「私達は、タカハラ様にお仕えする立場ですから。エイリ、リーラとお呼び頂けると嬉しく存じます。」
呼び方まで指定されたが、正直に思った事を伝えた。
「年上の方を呼び捨てにするのは、抵抗があるのですが。」
「大丈夫です。すぐに慣れて頂けますよ。」
シズルさんは微笑んでいる。
慣れる、か。慣れてしまうんだ。
心の中にさざ波が立ったけど、意志の力で笑顔をつくった。
「分かりました。そう呼びます。」
郷に入れば郷に従えだ。
「お気兼ねなく、何でもお申し付けください。」
もう一度頭を下げられた。メメンさんも急いでそれに倣ってる。
若いメメンさんの緊張がほぐしてあげたい。そう思っていると、ファーノさんに声を掛けられた。
「タカハラ様。他にも数名お付けします。明日以降にご紹介いたしましょう。」
もしかして、二十四時間体制のローテーションを組んでくれるんでしょうか。
「中へどうぞ、タカハラ様。」
ファーノさんが先に歩き出す。
大祭司長が前に出て来たら、二人の女性は少し距離を取って頭を下げる。
メメンさんに何も言えないまま、ただ私の荷物が、白ローブさんたちから、女性ふたりに渡るの見ることしかできなかった。
「タカハラ様。」
急かしてくるファーノさんに仕方なくついて行く。
玄関デッキに上がる階段を登った。
デッキには、椅子とテーブルが置いてあった。やっぱりアメリカの映画で見たような感じがする。
ドアをくぐった。玄関には、二階へ続く階段もあった。後から女性二人が入って来ると少々手狭に感じる。
すぐに右手の部屋に案内された。ろうそくの灯りが点されてはいるが、薄暗い事に変わりはない。
お一人様用の食卓セットっぽいものがあったので、迷わずそこに、レジ袋を置かせてもらった。いろいろ入っている通勤カバンは離さない。
部屋の中には暖炉があった。冬はどれくらい寒いのか。
聞いてみたいが、まずは目先の問題を解消しよう。
「夏服をください。」
貸してくれとは言わない。面倒見てもらう気満々だ。少なくとも、この世界の状況がある程度把握できるまでは、ね。
「ご準備いたしております。」
答えてくれたのはシズルさんだ。
「湯浴みもして頂けますよ。」
え、それってお風呂ですか?
浮世絵でみたような、浅くて大きな桶にお湯がちょっぴりだったとしても、全然構いません。
食事と湯浴み。天秤にかけて湯浴みを取った。汗を流して、服を着替え、すっきりしてから食事をしよう。
「どうぞ、こちらに。」
導いてくれるシズルさんから、ファーノさんに目を移した。
別に何のお伺いを立てる必要はないと思っているのだけど、なんとなく表情を窺ってしまう。
彼は、暖炉のそばに立っていて、私を見ると例の意地悪笑顔を見せた。
「どうぞ、いってらっしゃい。ご要望の、しっかり沸騰したお茶を用意しておきますよ。」
「…ありがとう。」
何とか笑顔で返した。
ファーノめ、冷たいビールを出せとは言わないが、せめて常温の水をくれ。
心の中で文句を言いながら、シズルさんとまだ緊張中のメメンさんと共に部屋を出る。
案内されたお風呂に、しばし呆然とした。
アメリカンなお家の中に、純和風檜風呂。
いや、檜かどうかはわからないが、木のにおいがする。高級旅館のスイートにありそうなお風呂だ。
「お湯が少し冷めてしまったかもしれません。お好みのお湯加減にいたしますので、お確かめいただけますか?」
シズルさんは何でないことのように言ったけれど、突然やって来た客への対応は大変だったはずだ。しかもお風呂の用意までしてくれるとは。これ以上の面倒を掛けるのは気が引ける。
「いえ、夏ですし、ぬるくても大丈夫です。」
そう言ったのだけど、シズルさんに笑顔で手招きされて、お湯に手を入れた。確かにいつも入ってるお湯よりぬるい。でも全然大丈夫。
しかしシズルさんは、そう思わなかったようだ。
「思っていたより冷めてますわ。」
俄かにお湯が温かくなった。
驚いた。こんな急に温度が上がるなんてどうなってるの? 沸かし直しみたいにどこか一方から熱が広がったんじゃない。お湯全体が一気に温かくなった感じだ。
シズルさんの顔を見つめてしまった。
「今、すぐに温かくなりましたけど…。」
「私、魔力は大きい方ですの。」
来た! 魔力!
「魔法ですか?」
私は前のめりになってしまったが、シズルさんは平静だ。
「はい。人それぞれ、得手不得手はございますが、皆使っております。リーラもかなりの使い手です。」
この辺りの世界の管理人、愛ちゃんは、私にも魔力が備わると言っていた。
「私にもできます? シズルさん。」
「もちろんです。異界の方は、大きな魔力をお持ちです。念じてごらんなさいませ。このお湯を、熱くも冷たくもできます。」
この辺りの世界の管理人愛ちゃんからは、日常生活に困らない程度の魔力と聞いている。シズルさんが言うほど大きな魔力なんてないだろう。けどお風呂は、私にとって日常生活の範囲だ。愛ちゃんがそう理解してくれていたら、出来るだろう。
だけど念じるだけって。呪文とか無いのだろうか。
「念じるだけですか。」
「はい。」
シズルさんのにこやかな笑顔は変わらない。
やってみる?
でも。
妙に現実的な自分が顔を出す。
今せっかくいいお湯加減にしてもらったのだ。お腹もすいているし、早くスッキリしたい。
試すなら、ファーノさんが用意しておくと言っていたアツアツのお茶に対してでしょう。冷ますことが出来なければ、ファーノさんにやってもらおう。
大祭司長様に似あわないお仕事をさせると考えると、ちょっと楽しい。
「後で試してみます。」
すごくいい笑顔が作れた。
残念な事に石鹸はなかったが、洗い髪には香油を塗ってくれた。
下着はゆるい作りで心もとない。
夏服のサイズは、横に大きめだった。水色のロングドレスで、袖は飾り気なしの五分丈。残念さに関しては、これ以上は言わないでおく。急にやって来たのだ。サンダルまで揃えてくれただけでありがたい。
脱いだ服は、シズルさんがお預かりしますと有無を言わさず持って行った。ウールでドライクリーニングしかできない物もあったのだけど、時には諦めも必要だ。
汗を洗い流せたことを喜ぼう。
気持ちを切り替え、最初にいた部屋に戻った。
「写メ、見せてください。」
ファーノさんが、待ちかまえていた。
忘れていなかったか。
私は、お風呂に入っている間も目を離さなかった通勤バッグから、携帯を出した。
ファーノさんに近づきながら、データを呼び出す。一枚目の画像を出したところで、彼に携帯を差し出した。
「今出てるのが、最新の画像です。ここを押せば、一つ前に撮影したものに変わります。こちら側を押すと、元の画像に戻ります。見終わったら返して下さい。」
「いいのですか?」
私が渡すとは思っていなかったのだろう。ファーノさんが、携帯と私を見比べながら、目に不審さえ見せて聞いてくる。
「必ず返して下さい。」
少々睨みつけていたかもしれない。そんな私に、ファーノさんは真剣な顔で、大きく頷いた。
「はい。お借りします。」
恭しく携帯を手に取る。私の携帯がこんなに丁寧に扱われたことは今まで一度もない。
最後に撮ったのは、ウィンザムの王様一族だった。それが画面に表示されてる。
ファーノさんは真剣な顔で、次画面を呼び出してる。操作は大丈夫そうなので、私はそこを離れた。
異世界人が理由で戦争は起こらない。
その言葉を信じるなら、見られて困るような写真はない。元いた世界で写したモノの中にも、恥ずかしいようなものはなかった、と思う。
私は、お弁当を置いたテーブルに着いた。
やっと、お弁当のプラスチックのふたを開く時が来た。
「いただきます。」
と小さく呟いてから、割り箸を割る。
魚の南蛮漬け、おいしい。ここでも食べられるかなぁ。こんなことなら、料理をしっかり身につけておくんだった。
「どうぞ。」
リーラちゃんが、まだ緊張が拭えていない笑顔で、お茶を運んできてくれた。
お茶からは湯気がでていないから、アツアツじゃない。
彼女が気をきかせてくれたのだろう。リーラちゃんに微笑みかけたが、すでに下を向いて後退っていた。取りつく島がないなぁ。
お礼だけは言っておこう。
「ありがとう。リーラ。」
お弁当に向き直った。
どんどんなくなっていく。食べてるんだから当たり前なのだけど。
管理人の愛ちゃんは、私は元の世界にいると言った。時計を見てみると十時近くになっている。今頃、向こうの私は、テレビを見ているか、お風呂に入っているか。
私は何をしているだろう。
まずい。また涙腺が緩みそうだ。
このお弁当はある意味最後の食卓だとか、考えてはいけない。
「タカハラ様。」
ファーノさんに呼びかけられて、視線を向けた。
グズグズな気分になりそうになっていた心の中が、ぴんと張った。
私にポーカーフェイスは通用しないわよ、ファーノさん。思いつめた感が透けてみえてる。
彼は携帯を軽く掲げた。
「これをしばらくお借りできませんか。」
「駄目です。」
即答した。手放すわけない。
でもファーノさんも諦めない。
「これがあればウィンザムの横暴を明らかにできます。」
どうしてそんな話が出てくるのか。
異世界人が別の国を選んでも問題ないと言ったのはファーノさんだ。
酷い扱いを受けたと最初に言った時、大祭司長も王様もたいして同情を見せてはくれなかった。
ウィンザムを糾弾したいのは、おそらく異世界人がらみではない。
「ウィンザムか、他の国か、それは分からないけど、何かの交渉事を有利に進めるための道具にしようとしていません?」
彼の表情は変わらないが、携帯を持つ手に、力が入るのはわかった。薄暗くても、目が悪くても、私はそうのに気づいてしまう。
言ったことが正解かどうかはわからない。けれど今、彼には携帯を返すつもりはなさそうだ。
「ファーノさん、そこには家族の写真も入っているんです。」
一瞬、彼が怯んだ。もう一度、返して下さいと言ってみる。
「返せないと言ったら?」
立ち直りが早い。神殿の長なのに非情だ。情に訴えても通用しないということは、つまり彼も政治的権力の一翼を担う存在なのだろう。王弟だものね。
でも私は、この国で住むからといって、他の国を害する存在になりたくない。
持ったままだった箸を置いた。
「ウィンザムで酷い仕打ちを受けたことは、天災除けを失ったことで充分購われるでしょう。返してください。」
「ウィンザムに対し、毅然とした態度で抗議をすべきです。」
「抗議?」
胸の中で押さえつけていた感情が、膨らんでくる。深呼吸をしてみたが収まりそうにない。言葉になってしまう。
「言っておきますが、抗議というなら、私は、この世界で異世界人を欲しがる人すべてにしたい。大祭司長のあなただって、異世界人を召喚することを全く否定していない。どうして私がこんなところにいなくてはいけないの? あなたたちの勝手で、いきなり全然知らない世界へ引きずりこんで、世話してやるからここで生きろなんて、馬鹿にするにも程がある。」
声に尖りが出てしまうことを押さえられなかった。
それでもファーノ大祭司長は動揺を隠し、私の携帯を手に持ったままだ。いい加減にあきらめて。
「返すといったでしょう、大祭司長。それがいつとは決めていないないなんて、言わせないわよ。もし言おうものなら、私にとっては、この国も、ウィンザムと同じということになる。」
かなり本気だった。
するとふいに足元が明るくなった
コンパスの図柄ができている。さっきまで消えなくて困っていた召喚魔法陣だ。
家の外で声が上がり、ざわめきが起る。
召喚魔法陣の半径は五メートル。きっと家の外にはみ出しているのだろう。
私が作ったって、こういうことだったのか。
他の誰かが描いたのではなく、私個人に付随しているものなんだ。
愛ちゃんのアフターサービスは完璧だった。召喚魔法陣は、今いる国が嫌だと思えば出てくる。
「シズル! メメン! 外に出ろ!」
ファーノさんの命じる声に、私もつられて彼女たちを見た。
さっきまでにこやかだったシズルさんの顔に恐怖の色があった。召喚魔法陣の上にいると一緒に移動してしまう事を、彼女たちも知っているのだろう。
「早く行け!」
大祭司長の大声に、彼女たちはやっと動き出す。親が子を庇うように、シズルさんが年若いリーラさんを守るように抱えて出て行く。
好意的だったエイリさんが、一度もこちらを見なかった。
私、すごく悪者っぽくない?
ファーノさんは立ちあがり、厳しい目で私を見下ろして来た。
まるで敵を見るみたい。
異世界人は、天災を退けることのできる有り難い存在だったのでしょう?
だからあなたたちは、召喚した。
だからあなたたちは、自分の国に留まるように言った。
私は、大きなため息を遠慮なくついた。
「携帯を置いて、出て行ってくれる?」
いまはただ、一人になりたい。もう誰の顔もみたくない。
けれどファーノ大祭司長が、目付きを一層鋭くして言った。
「また逃げるのか。」
失笑してしまった。
意味がわからない。
「逃げる? どこへ? 全く知らない世界なのに。あぁ、もしかして、嫌な事があってもすぐに投げ出さず、少しぐらい我慢しろって言いたかった? 私、充分我慢したつもりだったけど、全然意味なかったみたいね。悪いけど、今は少し頭を冷やしたいから、一人にしてくれる? 携帯は置いて行ってね。」
一気に言いながら立ちあがった。足元に置いていた通勤バッグを手に取る。
大祭司長は動かない。
もう一度言った。もしかしたら私も大祭司長と同じくらい目つきの悪い表情になっていたかもしれない。
「携帯を置いて、出て行って。」
私を睨みつけながら、大祭司長は携帯電話をテーブルに置いた。
「ありがと。」
取り返した携帯は、バッグに入れる。
「おやすみなさい。」
まだそこにいる大祭司長に告げて、ためらうことなくリビングを出た。
寝室は二階、階段を上がって左側、一番奥が私の部屋だと、シズルさんから聞いていた。
階段を上がる。召喚魔法陣は、ずっと私についてきた。
燭台を持って来るのを忘れたけど、魔法陣のおかげで足元は明るい。
お風呂の準備までしてくれていたのだ。寝室もすぐ眠れるようになっているだろう。
そういえば歯磨きをしてない。メイクも落としてない。
一日くらい、もういいや。
寝室は真っ暗だった。部屋の様子を見るには、光源が足元の魔法陣だけではよくわからない。
結局もう一度携帯を出すことになった。液晶のバックライトを懐中電灯代わりに、部屋を照らしてみる。
燭台がすぐに見つかった。蝋燭もちゃんと乗ってる。
この蝋燭に火をつけたい。
日常生活に不自由しない魔力があるはずなのよね。そして魔法は念じればいいだけ。
念じるだけっていいというのが、ちょっと怖い。下手な事を考えられないんじゃないの?
余計な事を考えないように集中しなきゃ、家ごと燃やす失敗をしそうだ。
私は、蝋燭の先だけを見た。
点いて、念じたのとほぼ同時だった。
ふわりと、小さな火が灯る。
呆気ないくらい簡単だった。
簡単すぎて、喜べない。いつでもどこでも火をつけられるなんて、『取り扱い要注意』どころの話じゃない。
この世界の人たちは、この魔力をどんなふうに使っているのだろう。悪用対策がなければ安心して暮らせない。
ため息がまた出る。今、それを聞ける相手はそばにいない。
とにかく蝋燭に火はついた。
部屋の中を確認し、眠れる場所があるなら、もうそこで寝てしまおう。
そう思って燭台を持ちあげたが、早々に挫けた。
この燭台、重い。見回すと他にもたくさんの蝋燭が立っている。仕方がないから、片っ端から魔法で付けて回った。
少しばかり部屋が明るくなる。
ベッドは、天蓋付きだった。薄い布が、真上を覆い、四隅の支柱から床まで、ベッドに丸ごとすっぽりかけられてある。布越しに向こう側が透けて見える。近づいてよく見ると、糸は細いけど、織り目が大きい。
これって蚊帳? テレビでしか見たことないけど、きっとそう。
つまり、窓を開け放して、少しでも涼しく寝られるように出来るってことだ。
不用心かもしれないけど、召喚魔法陣の出し方が分かった今、別の場所に移動するのは容易だ。
来るなら来い、と誰にともなく思う。その一方で、心の隅の方に、落ち着こうよぉ、投げやりになってるよぉ、と言っている私がいる。でももういい。今日はもう思うがままに行動する。
ベッドの足もとには、木箱があった。その上に、服がある。広げてみると、飾り気のないストンとしたデザインのワンピースだった。素材は、今着ている服より柔らかい。寝巻のようだ。有り難く着替えさせて貰った。
さて、窓を開けよう。
窓は木でふさがれていた。というか、鎧戸だ。窓の両側へ渡された棒が鍵の役割を果たしている。無骨だ。けど、内側からは簡単に外せる。
鎧戸を押した。開かない。引くのね。
すぐに外気を感じた。つまり窓ガラスはない。技術的にまだ無理なのかな。
そうして開けた窓から、まず目を奪われたのは召喚魔陣。宙に浮いてる。私が二階にいるからか。
家の外には、来た時には無かった篝火がたくさん焚かれていた。家の周りを取り囲んでいるのだろう。魔法陣に入らないよう、距離を取ってある。
白いローブ姿の人が何人かこちらを見上げていた。
スピーカーで、すでに君は包囲されている、とか言われそうな雰囲気だけど、気にしない。
窓を全部開けると、期待通り、風が通り抜けていく。夜風が涼しい。日本の夏より過ごしやすい。
蝋燭は、一つだけ残して全部消した。最後の灯りは、燃え移りそうなものが届きそうにない床の上に置いた。
通勤バッグを抱えたまま、すばやく蚊帳の中に入る。
体の上に乗せるためのものだろう布があった。綿かな? 綿だと思うけど。
その中にもぐりこんだ。枕もちゃんとある。
ベッドに横になると、召喚魔法陣が分かりにくくなった。蚊帳の向こうにほのかな光が見える。
これがあると、彼らは近づいて来ない。
でも。
今日はもういいよ。
私は、召喚魔法陣に心の中でそう語りかけた。ずっと守ってくれてありがとう。
それにこたえるように、静かに光が宙に舞い、魔法陣が消えた。
召喚魔法陣が消えた事を、外にいる彼らはどう思うだろう。
私は、魔方陣を消すことで、攻撃的だったウィンザムの人に言ったのと同じ思いを込めたのだけど、やっぱり言葉にしなくては伝わらないだろう。
――和解出来ると信じてる。
でも今は、今夜出会った人たちの事はもう考えない。
大ガエルの鳴き声が聞こえる。
トイレがきれいで良かったとか、掃除も魔法で出来るのかなとか、ぼんやり思っているとまぶたが落ちてくる。
こんな状況で寝られるなんて、私って相当神経太いなぁ、そういえば愛ちゃんと話してない、と思っているうちに眠ってしまった。
十日間も眠り続けるなんて、全く知らずに。