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天災を退ける者

「疫病に悩まされているのです。異界の方は天災を退ける者。これで安心できる。」

 王様の笑顔に、私は合わせていた手をパッと離した。

 いただきます、なんて言ってる場合じゃない。

「ちょっと待ってください。」

 つい左の掌を王様に向けてストップをかける。こんなやり方は失礼だったかもしれないが、見逃して。

 王様は、怪訝な顔をしたものの黙ってくれた。ファーノさんは思い切り顔をしかめてる。私は困った気持ちをそのまま顔に出した。

 疫病と聞いて、中世に大流行をしたペストを連想した。天然痘は絶滅したとWHOが言ってたはず。エボラ出血熱とかは怖いけど、それを『疫病』とは言わないよね。

 個人的な感覚だけど、『疫病』は、私の日常にはない言葉だ。

 どちらにしても、疫病は病気であって、天災じゃないはず。

 天災って、自然災害のことでしょう。

 私は、膝の上の大事なお弁当を落とさないよう押さえつつ、もう一方の手で通勤バッグの中から電子辞書を出した。

 念のため、調べること約一分。

 私の認識に間違いはなさそうだ。

 天災は、自然災害。

 疫病は、悪性の伝染病。

 気づかれないよう、息をついた。

 昔の人は、悪性の伝染病を天災だと考えていたかもしれない。ここの人たちもそのようだ。

 でも私は、やっぱり病気は、自然災害とは違うと思う。

 この話を持ち出した王様、陛下と呼んだ方がいいのだろう彼に、私は向き直った。

「陛下。病気は、天災ではありません。」

 どう言えば通じるか、考えながら言葉を探して紡ぐ。

「その人の住んでいる環境、個人の体力、季節によっても、かかる病気やその症状は変わります。逆に言えば、環境や生活習慣を変える事で、蔓延を防げます。すべてを無くすことは出来ませんが、人が立ち入れる領域だと考えます。天災ではありません。」

 話しているうちに、王様から表情が消えて行く。

「疫病を退けた方もいるのです。」

 強い口調で言いだしたのは、ファーノさんだ。大祭司長の彼は、異世界人のことに詳しいのだろう。

 その彼が正直に、『退けた方も』と言った。出来なかった人もいるということだ。

 わたしが『出来る人』だと期待されても困る。

 だいたい出来たり出来なかったりするのもどうだろう。それなら自然災害も、防げるかどうかわからない、ということにならないだろうか。

 納得できなくて、疑問を呈してみる。

「もしそれができるなら、病にかかる人はいなくなることになります。そうなりましたか?」

「疫病と、ただの病は違います。」

「いいえ。同じです。」

 ファーノさんの間で、強い口調の言い合いが始まってしまう。つい声を張り上げてしまった。

「私の世界では、かつては疫病として恐れられていたけれど、絶滅したものもあります。予防や薬で、死者が劇的に減った病もあるんです。病気は天災ではないと、私は思います。」

「退けられた人がいるのです。」

 ファーノさんが繰り返す。縋るものを求めているようにみえた。

 申し訳ない気分になるけど、安請け合いはできない。思い付きだけど、聞いてみる。

「疫病を遠ざけた人って、もしかして今回みたいに、すでに疫病が発生している時に来た人ではありませんか?」

「だったらどうだと言うのです。」

「その時、すでに疫病の勢いは、終息に向かっていたのかもしれません。異世界人が来たのは偶然だった。」

 ファーノさんが射るような視線を向けてきた。

「何故出来ないと決めつける。」

「出来ない人もいたのでしょう?」

 互いに一歩も引かない状況になってしまった。内心でどう決着をつけたらいいのかと思い始めた時だった。

「もうよい!」

 陛下の低い声が響き渡った。

 ファーノさんは、視線を落とす。

 陛下は、静かな面持ちを私に向けていた。さっきの無表情とは違う。

「食事をしなさい。タカハラ殿。疫病を退けられなくても、日照りや嵐は寄せ付けずにいられる。それだけでも充分な力だ。私は、これで失礼する。ファーノが不自由のないよう取り計らう。安心して、この国で過ごして欲しい。」

 少し早口になっている陛下に、私はすぐに感謝の言葉を出せなかった。

 何か失敗をした。そんな気がしたのだ。

 慌てて立ち上がろうとして、膝の上のお弁当を落としかける。それを押さえた、おかしな体勢になりながらも、呼びかけずにはいられなかった。

「陛下。」

 でも、何を言っていいかわからない。

「大丈夫だ。心配ない。」

 笑顔を見せて、彼が去って行く。

 見送ることしかできなかった。

 疫病は、どれくらい蔓延しているんだろう。彼はそれで、どれだけ心を痛めていたのだろう。

 残念だけど、私に医療の知識はない。

 食事をしろと言われたけど、胸が重苦しい。食欲がなくなった。

「王子が、今、その病と戦っているのです。」

 ファーノさんが、怒りを含んだ声で言った。召喚魔法陣の外側辺りを睨みつけてる。

「昨日の夕刻から高熱を出され、今も…。」

 そうだったのか。だから、王様なのにあんな格好で、ここまで馬を飛ばしてきたんだ。息子が助かると喜んで。

「どうして出来ないなどと言えるのです。」

 ファーノさんに怒りを向けられている。でも、私は彼の視線を受け止めることしかできない。。

「こんなに強い魔力を持っていながら、出来ないなんて、簡単に言わないでください。こんに大きく精密な紋様の召喚魔法陣を作っておきながら、出来ないなんて……、どうしてなんだ。」

 大きな魔力? 作っておいてと言った? まるで私が召喚魔方陣を作ったみたいじゃない。

 混乱してくる。

 待って。まずは魔力から。

「病を癒す魔法があるんですか?」

 ファーノさんの怒りに当てられ、少々小さくなってしまった声で聞き返す。彼は大きく視線を逸らした。

「ありませんよ。あったら異界人に望みを託したりしない。」

 そんな都合のいい力はないか。

「わたしにわかるのは、病人は隔離して、看病する人を限定するということくらいです。」

 力なく言うと、苛立たしげな声が返ってきた。

「言われなくてもしている。」

「あとは、経口補水液。」

 少しの沈黙の後、ファーノさんが聞き返してきた。

「けいこう、何だと?」

 水分補給はどんな時でも必要なはず。レシピは簡単で誰でも作れる。

「経口補水液。沸騰させた水一リットルに、塩三グラムと砂糖四十グラムを溶かして出来上がりです。」

「りっとる?」

 単位名が違うのか。言ってて確かに違和感があった。

 でもどんな単位名でも比率は同じだ。

「水の重さを一として、塩はその千分の三。砂糖は千分の四十。この比率が大事なんです。」

 この世界の砂糖や塩の成分は、私が知っているものと違うだろうけど、多少の違いは大丈夫だろう。無いよりマシだ。

「飲めない。」

「え?」

 こちらを見ないファーノさんに聞き返す。

「嘔吐が激しくて、薬湯も飲めない状態なんだ。」

 それは苦しいだろう。

「まだ五才なのに、今夜が峠だと医者に言われている。」

 あの王様にそんな小さな子供がいたんだ。彼は、我が子の側に行ったのだろうか。感染症なら、責任ある立場の彼を、周りの人たちが近づけさせないかもしれない。

 ん? 今日が峠?

「昨日から具合が悪くなったんですよね。熱と嘔吐だけですか? 下痢は?」

「お前は医者ではないのだろう。」

 突き放すように言われたけれど、勢いが私を動かした。

「確かに私は医者ではありませんけど、心配です。発症して一日と少しなんですよね。それで今夜が峠だと言いましたね。それって脱水症状が進んでいるせいじゃないですか?」

 どんな病気でも一番気をつけなくてはいけないのは、脱水症状ではなかっただろうか。

「もしかして、嘔吐してるのに、コップ一杯の薬湯を全部飲ませたりしてません?」

「滋養をつける必要があるだろう。」

 憮然とした顔で答えられた。

 力が抜けて、椅子に座ってしまう。

「無理に飲ませても吐くだけです。でも昨日から充分に水分が摂れていないなら、脱水症状を心配した方がいいかも。経口補水液を飲ませてあげてください。ただし、カップ一杯を一時間かけてあげるつもりで。」

 子どもを持つ友達から、体験談を聞いたことがある。

「スプーン一杯を五分おきくらいに飲ませてあげてください。」

 そうしたら顔色が良くなったらしい。

「それと、寒がっていないなら、暑苦しい恰好はしないほうがいいです。熱を発散させないと。あ、夏だからそこまで厚着はしてないですね。とにかく水分補給がきちんと出来れば、後は体力勝負で何とかなる病気もあります。」

 疫病と聞いて、私はすぐにペストを連想したけど、今も発展途上国では嘔吐下痢症で多くの子どもたちが亡くなっている。疫病というにふさわしいかもしれない。もし嘔吐下痢症だったら、経口補水液が効果を発揮すると信じたい。後は体力勝負だろう。

「シギ!」

 ファーノさんが急に大声を上げた。

 彼より少し年上と言う感じの白ローブさんが、頭を下げたまま側に来た。シギというのは、この人の名前なのだろう。

「聞いていたな、陛下に伝えろ。」

 私に聞こえるように指示を出した。

 よかった。試してくれるんだ。

 ファーノさんをじっと見てると、不機嫌そうな顔で言われた。

「どうぞ食事をなさってください、タカハラ様。」

 ぶっきらぼうに見えるけど、私は無駄に勘のいい女です。あなたが、私を信じてくれたとわかります。

 食欲はないけど、少しでも食べてみよう。椅子に座り直す。

 そういえば、召喚魔方陣を私が作ったというような言い方をされたことも気になる。

 疑問は増えていくばかりだ。でも尋ねるのは後にしよう。

 この国にいると決めたのだ。落ち着ける場所に行ってから、順番に解消しよう。

 何しろ魔王退治とか、冒険とかは全然なく、ただ居るだけでいいらしいのだから、時間だけはたくさんあるはずだ。

 管理人の愛ちゃんと話がしたいなぁ。

 スーパーで買ったお弁当を見る。

 小さな王子様の病気が治りますように。

 そんな願いも一緒に込めて手を合わせる。

 いただきますと言いかけた時だった。

 召喚魔法陣が揺らめきだした。

 薔薇の花が閉じていく。つぼみに戻り、小さくなって葉の間に隠れた。

 そのすぐ後に、一番外の枠の中の紋様が時計回りに、二番目の枠内の二重螺旋の茎と葉が反時計回りに、同時にスタートして消えて行く。

 私の周りを一回りして、図柄が消えると、今度は残された円の線が、外側から時計回りと反時計回りの順に、同時に消え始める。

 残った線が全て消えた時、椅子の下のマリナーズコンパスの光がふわりと湧きあがった。

 それが最後だった。

 召喚魔法陣が、消えた。

 消え方まで美しかった。

 消えなくてどうしようと思っていたはずなのに、無くなって、ひどく心もとない気持ちになった。

 この魔法陣は、ウィンザムで私を守ってくれた。知らない場所で、逃げ場所があると思わせてくれた。

 もしかしたら、出会った人となんとかやっていけそうだと思えるまで、消えるのを待ってくれたのかもしれない。

 ひとりになってしまった。

 もう何処にも行けない。

 帰れない。

 召喚魔法陣の光が消えてしまうと、夜の闇が身近に迫って来る。

「タカハラ様。」

 大祭司長ファーノさんが近づいてくる足音がした。

 私、俯いてしまってる。急に涙腺が緩くなってきたような気がする。

 落ち着こう。大丈夫。きっと大丈夫。

 大ガエルの重低音の鳴き声も聞こえてる。

 私は冷静だ。

「よろしければ神殿の客室にご案内いたします。きっとそちらの方が、落ち着いて召し上がって頂けるでしょう。」

 ファーノさんが優しい。これは相当私が弱って見えているに違いない。それを否定できない。

 私は黙って、レジ袋にお弁当を戻した。顔が上げられないまま、両手に荷物を抱えようとした時、またファーノさんの声がかかる。

「お荷物を運ぶお手伝いを致しますよ。」

 ふと、渡したらもう二度と帰ってこないかも、という考えが頭をよぎった。それを振り払う。

 彼は親切で言ってくれてる。そう信じる。

 ただ、どんな時でも貴重品は自己管理すべし。

 私は、通勤バッグと食べ物の入ったレジ袋だけを、手に取った。残りは今日買ったものばかりだ。

 静かに息を吸い、大きく吐いた。

 この椅子から立ち上がったら、異世界生活が始まる。

 こんなの夢だと思ってたのに。どうやら本当に現実みたい。

 仕方がない。

 立ち上がろう。

 しっかり自分の足で立ち、目を上げる。

 すぐそばに、表情を隠し、静かに私を見つめるファーノさんがいた。

 私は、なんとか口角を引き上げて、笑顔を作ってみせる。

 ここで生きていくなら、この世界での異世界人の立ち位置をしっかり見極めなくては。

 いろいろはっきりするまでは、大祭司長様にも、無駄にへりくだったりはしません。

 私は、親切な大祭司長、ファーノさんに申し出た。

「では、残りの荷物をお願いします。それから、夏服ください。飲み水はしっかり沸騰させてくださいね。私の周りは、常に清潔にしていただくようお願いします。」

 ファーノさんが、意地悪笑顔になった。

「小難しい注文でなくてよろしゅうございました。」

 さて、どうかな。きっちりお掃除チェックをさせてもらいます。

「では姫君、ご案内いたしましょう。」

 腕を上げて方向を指し示すイケメン大祭司長ケイリズ・ファーノ。

 この世界の事を何も知らない私。

 今はついて行くしかない。

 ただ、黙ってついて行くことはできない。

「私、姫じゃありませんから。」

 ファーノさんは返事をせずに、片頬で笑って歩きだす。悪役っぽい笑い方だった。

 いつの間にかまわりには、提灯みたいなものを持っている白いローブ姿の人がたくさんいた。

 足元を照らしてくれる。

 大丈夫。きっと大丈夫。

 私は、荷物を持ってくれる人たちに、ありがとうと言いながら、ファーノさんの背中を追いかけた。


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