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管理人

 2015年。年明けすぐの金曜日、午後七時半、頃だったと思う。


「すみません!」

 気がつくと、謝られていた。

 目の前には頭を下げた中学生くらいの男の子。さらさらの黒髪だ。きっちり九十度に頭を下げている。

 私、高原綾乃とその子は、真っ白な四角い部屋にいた。

 どこかのSF映画で見たような、壁自体が発光しているような部屋だ。外に出たら、アンデッドやモンスターとかがいそう。

 突然の状況に、両手に大荷物を持った私は、フリーズしたままだ。

 今は、金曜日の夜のはず。

 横断歩道の前にいて、信号の赤い色を見上げていたはず。

 目の前の少年が、ぴょこんと頭を上げると、同時に言った。

「お願いです。何も言わずに説明を聞いてください。」

 きれいな顔をした子だ。女装したら女の子で通る。いや、もしかして女の子? でも声が男の子だ。

 美少年くんは、真冬だというのに半袖のTシャツにジーンズという格好をしてる。白地のTシャツには、空色で大きく『愛』と書かれていた。アート書道というやつかしら? 重くない感じのグラフィカルな毛筆体だ。

 思春期の男の子が絶対着そうにない柄だと思う。かなり吃驚だ。そんなの買うのは、ましてや着るのは西洋系の外国人観光客ぐらいだと思ってた。

 対する私の服装は地味だ。今勤めているのは、カジュアルなスタイルで大丈夫な職場だけど、派遣スタッフの私は、『目立たず清潔』にがをモットーだ。髪は肩までのボブ。ベージュのロングコートの下は、飾り気のない茶系のカットソーとパンツ。余りに素っ気ないのも良くないかと、半貴石を使って自分で作ったネックレスを付けている。鮮やかな色物は、オレンジのストールのみ、これだって、オフィス内ではつけない。

 ただ、今日はいつもと違い荷物が多い。冬物最終バーゲンセール巡りをしたからだ。

 左肩が右より少し上がっているのは、通勤バッグを肩にかけてるから。左腕にも紙袋をふたつかけてる。紙袋の中にはコートとパンツがそれぞれ入っている。右手にはショートブーツが入った百貨店の紙袋と、家の最寄り駅近くにあるスーパーマーケットのレジ袋。レジ袋の中は今夜のごはんと林檎がふたつ。

 セール以外でも買い物はした。思いついた事を書いて遊ぶための物の分厚いリング式ノートを買ったのだ。これは通勤バッグに入っている。

 それなりに満足して、後は家に帰って、TVを見ながら、ゆっくり夜ごはんを食べるだけ。そのはずだった。

 なのに、ここにいる。SF映画さながらの真っ白な部屋。

 美少年くんは、心を痛めていますというような、申し訳なさそうな表情をした。

「高原綾乃さん。あなたは召喚されました。これから別の世界へ行ってもらいます。」

「は?」

 反射的に聞き返したけど、それしか言葉は出てこない。

 これはいわゆる『ドッキリ』というやつ?

 視聴者参加型の驚かせテレビ番組?

 謎の美少年くんは、身を縮め、どこかびくびくしながら言った。

「滅多にない事なんですけど、向こうの召喚術に、はまり込んでしまったんです。その一瞬にあったすべてが、もう、ぴったりと。だから、行ってもらうしかないんです。」

『しょうかん』を、最初、『償還』かと思った。仕事が経理のせいだ。

 どうやら『召喚』らしい。

 やっぱり『ドッキリ』だ。どうやってここへ連れて来られたのかわからないけど、きっとどこかにカメラがあって、誰かに見られているに違いない。

 それとも夢だろうか。

 妙にリアルな夢ってあるものだ。夢ならどうして連れて来られたかという疑問は必要ない。夢を見ている時は、前後のつながりってないものだ。いつの間に眠ったんだろう。

 もしかして事故に遭ったとか。だから混乱して、信号見ていた後の記憶がないのかも。死ぬ間際なのか、生き延びる直前なのか?!

 三途の川も、お花畑もない。ここはSFホラーチックな部屋だけど!!

 美少年がこちらを窺ってきた

「疑ってらっしゃいますよね。でも、本当なんです。これでも僕は親切な方なんです。何のフォローもなしに、いきなり異世界に放りこむのもいますから。」

 異世界。そういえば別の世界がどうとか言っていたっけ。

 自分の思考が、一周まわって、いや、どこをまわったのかはよくわからないが、とにかく最初に、この男の子が別の世界に行くと言ったところへ戻ってきた。

「異世界トリップ?! だから中学生が案内役? 世間でいうところの『ちゅうに病』というやつ? 」

 なんということでしょう。確かに十代の頃は、主人公が異世界で苦労をする小説を読んだし、それなりにアニメやマンガに親しみはした。けれど今は違う。趣味は手芸だし、読む本はミステリーに偏っている。

 どうして二十八才にもなって、こんな夢を見てしまうのか。いや、現実か、そんなまさか。

「違います!」

 美少年が焦ったように声を上げた。

「違うんです。いろいろと誤解があると思いますが、時間があまりないんです。一方的で済みませんが、説明します。」

 彼が一歩近づいてきた。

 反射的に一歩下がってしまったことに、自分でも驚いた。私は、目の前の、気弱そうに見える美少年を警戒している。考えてみれば、子供といえども中学生。きっと力負けするだろう。本能ってちゃんと機能してるんだ。

 少年は悲しそうに少し身を引き、それ以上近づいて来なかった。

 その姿に、こちらも可哀相な気分になるが、仕方がない。彼は正体不明なんだから。

 彼がまた謝った。

「すみません。こういうことって、あまり起らないんです。百年に一回くらいで。」

「それは、かなりの頻度だと思う。」 

 思わずツッコんだ。

 大阪に生まれ育って二十八年。ウケるウケないに限らず、ボケとツッコミは脊髄反射と同じだ。

 口調が標準語なのは、今派遣で働いている会社が大企業のせいである。関西人が多いけど、全国から人が集まっているし、外国人もいるから、社内共通言語は標準語だ。こういう環境にいて初めて私は、関東の人が標準語を話せるわけではないと知った。誰もがみんな少しずつイントネーションがおかしい。わたしはもちろん、関西イントネーションの標準語。

 いや、今はそんなことどうでもいい。

 大事なことを聞かなくては。

「で、あなた、誰?」

 子供相手に大人げないが、少々尖った声になってしまった。美少年は、肩を竦めて身を縮める。

「あ、すみません。僕、管理人みたいなものです。」

「この部屋の管理人?」

 発光しているような壁や床、天井を見まわす。窓がない。ドアも見当たらない。ないとわかると怖いから、後ろを振り向きたくない。

 そんなちょっとした恐慌状態に陥りそうな、いやもう陥ってるだろう私に、少年はもったいぶることなく答えてくれた。

「いいえ、この辺りの世界の管理人です。」

「どの辺り?」

 あぁ、つまらないツッコミをしてしまった。曖昧な言い方をするからよ、少年。

 彼は、困ったような、情けないような顔をしてる。

 ここは譲歩しよう。そうすれば、この状況も早く終わるに違いない。

「わかった。とにかく話は聞く。」

 とたんに、少年は安心した顔になって話し始めた。

 夢なら早く覚めて欲しい。

「これから行く世界では、ことわりが少し違います。魔法があります。あなたにも、生活に不自由がないよう魔力が備わります。」

 なんかいろいろツッコミたくて、ムズムズするけど我慢する。

 魔法があるって、そのことわりの違いとやらは、『少し』どころの話じゃないでしょう!

「そこには六つの国があり、それぞれ王が治めています。あなたは、召喚した国に辿り着きます。世界が違う者がいると、その国はあらゆる天災から守られます。だからあなたは大事にされます。そこで生きてください。」

 続くだろう言葉を待ったが、沈黙の間が出来ただけだった。

 少年は言い切ったとでもいうように、ほっとしている。さすが美少年、さわやか感が溢れてる。

 だが、ちょっと待て。

「まさか説明それだけ? それで、はいそうですかって、納得できるわけないでしょう。」

 今、私は一人暮らしだが、親兄弟がいる。少ないけど友達だっているのだ。たったそれだけの説明で自分のいた世界から離れることに納得できる人なんていないだろう。

「行かない。帰る。」

 端的に告げると、彼はすごく辛そうな顔になった。

「帰れないです。高原綾乃さん。もう、パラレル・ワールドが出来ているんです。あなたがいた世界に、あなたはいます。そろそろご自分の住まれているマンションに帰りつくところです。だから、今ここにいるあなたは、向こうへ行くしかないんです。」

 パラレル・ワールド? 元いた世界に私はいる? そういう設定?

 眉間にも額にもしわを寄せてしまう。

「どういうこと? つまり、召喚が成功した時点で、並行世界が出来て……。」

「そうです! 高原綾乃さん、すばらしい理解力です。こんなにすぐわかってくれた人いません。」

 少年のテンションの高さに、わざとらしさを感じるのは私が勘ぐりすぎるせい?

 こちらの疑心に、彼が気づいているかどうかはわからない。そのまま話は進んだ。

「だから時間切れになることが多くて、アフターサービスの説明が出来ないんです。」

「アフターサービス? 時間切れ?」

 つい聞き返した。自分が展開した適当な話より、それが気になる。

 少年が胸を張って言った。

「高原綾乃さん、もし召喚した国が気に入らなかったら、召喚魔法陣の上で『管理人、チェンジ』と言ってください。そうしたら、別の国にお連れします。」

 それ、『アフターサービス』なんですか?

「国は六つっていったわよね。どこも気に入らなかったら?」

 今度は、彼は眉を下げた。答えを聞くよりわかりやすい。他に選択肢はないわけね。

「どこか一番マシだと思う国の名前を、召喚魔法陣の上で言ってください。」

 私は、大きくため息をついてしまった。この夢はいつまで続くのだろう。

 私のため息に反応した少年は、真面目な顔で力を込めて言う。

「高原綾乃さん、何か願い事があれば、三つ叶えます。言ってください。」

 やっぱり夢だ。アフターサービスのほかに、『三つのお願い』ができる脈絡の無さ。夢だ。

 なのに疲れた目に痛い、発光しているように見える白い壁。現実ぽくって嫌だ。

「帰りたい。」

 思いがそのままつぶやきとなって出る。

「それは無理なんです。」

 言いながら少年はうなだれたが、すぐに勢いよく顔を上げた。必死な感じだ。

「あと! 時間がないので、『お願い』があるなら、早く言ってください。」

 何故急がせるのか。

「こういうところでは、時間という概念はないんじゃないの?」

 議論をするつもりはない。ただ疑問は解消したい。そんな私に、彼はあっさり答える。

「いつまでも、ここにいられては困るのです。」

 君の都合か。正直言って、少しイラつく。

 一方で、この夢から目が覚める気配が、全くないのが不安になってくる。他の人はどうか知らないが、私の場合、夢だと気付いた時点でたいてい目が覚めるのだ。

 現実逃避をしよう。そのうち目は覚めるはず。

「三つの願いね。」

 少し視線を上げて、宙を見る。

「早くして下さい。高原綾乃さん。もうすぐ時間切れです。」

 自称管理人の少年は、本当に焦ってきている。

 その焦る姿が、主導権は彼にないと私に思わせた。演技かもしれないが、それが、私の不安で大きく揺らぎそうな気持ちに、なんとか平静さをもたらした。

 彼を見る。

「質問は、お願いのうちに入るの?」

「入りません。急いでください。」

「これから行く世界って、生活文化水準、日本と同じ?」

 一番重大な事なことだ。日本の衛生環境に慣れているから、私ったら海外旅行には二の足を踏んでしまうのだ。

 少年がしばし固まり、それから目を逸らす。

 これは、されたくなかった質問?

「えっと、大丈夫です。魔法がありますから。」

「ごまかしてるね。」

「時間が無いです!」

 困り果てた顔で言われた。時間が無いのは本当なの? どうして無いんだろう。疑問に思ったが、急かされて、すぐ浮かんだ事を口にしていた。

「じゃあ、一番困る事。私、すごい近視でコンタクトレンズを入れてるの。これがないと、ほとんど見えない。」

 少年が大きく頷いた。

「わかりました。一つ目のお願いですね。善処します。あとふたつ。」

「善処する?」つい眉をひそめてしまった。「それって確約じゃないよね。」

『善処する』って、はっきり約束できない時に使われることが多いと思う。

「時間、時間がないです。」

 どうしてそう追い出そうとするかな。そりゃあ、夢からは覚めたいけど。

 私は、自分が今持っている物を見てみる。通勤用バッグ、レジ袋、紙バッグ三つ。

「質問。これ全部持っていけるの?」

「もちろん、この状態で召喚国に行って頂きます。」

 きりっとした表情かおと声で返事が来た。この美少年ぶりが、本気で怒れない理由かもしれない。得体は知れないが、相手が子どもだから、仕事モードの時に使うような強硬姿勢もとりにくい。喋ってナンボの大阪人としては、無視して黙りこむこともできない。

 そんなことを思いながら、『三つの願い』の課題に取り組む。

 何が必要だろう。あとふたつ。

 普通なら迷わず「一生遊んで暮らせるお金」とか言えるけど、日本と同じ生活を異世界とやらで望めないなら、安定した通貨があるかどうかもわからない。『きん』も、こちらの世界では価値がある物としてどこでも通用するだろうけど、異世界では別の金属に価値があるかもしれない。

 夢なのに、現実的な事を考えてるなぁ。

 あ、そうだ。

「電子機器。持ってる物全部、一生、使えるようにして。携帯とか、電子辞書とか。」

「わかりました。では、これにて『三つのお願い』は終わりです。」

 少年がほっとしている。

 冗談じゃない。何言ってるの?

「違うわよ。携帯と電子辞書で、お願い一つずつじゃないわよ。電子機器って言ったでしょ。私の腕時計、ソーラー充電で電波式だけど、これもちゃんと動かしてよ。」

「え、でも、三つだけで……。」

「電子機器。それでひとつでしょ。」

 強気に出ると、彼が少し身を引いた。目が泳いでいる。

「そうかな。そうなのかな。」

 言いながら首をひねっている。管理人さん、仕事の基本マニュアルとかないの? そういえば、説明なしで異世界に放りだす管理人もいるとか言っていたか。

 自由裁量がありそうじゃない?

 ここは強気で勝負でしょう。なにせ夢なんだし。

「みっつ目、言うわよ。」

 ふたつ目を言っているうちに、大事なお願いを思いついたのだ。

「あ、はい。」

 少年がこっちのペースに乗ってくれる。本当に君が管理人で、『この辺り』の世界とやらは大丈夫なのか?

「私が呼べば、あなたは、私がいつ、どこにいても話相手になること。」

「えっ?!」

 間違いのないように、くどい言い回しをした。

「以上、三つです。」

 言いきると、少年は両手を振って、あたふたとしだした。

「それ、困ります。三つ目は駄目です。僕が干渉するのは駄目です。」

「何を今さら、最初にルールを提示したのは君でしょ。『管理人さん、チェンジして』って言ったら、別の国に連れて行ってくれるんでしょ。それって立派な干渉でしょう。」

「それは、その、アフターサービスで……。」

 言い訳が、途中で消える。

 説得力ないよね。

「じゃ、そういうことで。」

 そうは言ったものの、悩んでいる様子の少年が、ちょっと可哀相かな。

 少し優しい口調をつくった。

「管理人さん、私が生きている間だけでしょう。あと五十年ないだろうから。」

 すると、管理人さんは目を見開いて、それから俯き肩を落とした。

 日本人女性の平均寿命は八十歳を軽く超えるけど、それは日本の生活水準があってこそのものだと思う。管理人さんが行けと言う異世界は、日本に比べて厳しい場所という設定みたいだから、長く生きられる保証はない。

「すみません。そうですね。三つのお願い、叶えます。」

 沈んだ声で返された。夢のはずなのに、いじめてるみたいで何だか後味悪い。

 空気を変えたくて、明るい声を出してみた。

「管理人さん、お名前は?」

 美少年くんが、また目を見開いた。

「え? あ、名前、ないです。」

 それはいけない。名前を呼び合うのは交渉の基本だ。たとえそれが仮初めのものだとしても。

「じゃ、『あいちゃん』」

「え?!」

 驚かれた。

 管理人がこの程度のことでそんなに驚くなんて、本当に大丈夫か、『この辺り』の世界。

 私はレジ袋を持った右手をなんとかも上げて、彼のTシャツを指さす。

「『愛』って書いてある。」

「これは……。」

 自分のTシャツを見降ろし、何故だかしばらく彼は言葉を失った。

 それから顔を上げて、微笑む。さすが美少年。眼福だ。

「はい。高原綾乃さん、そう呼んでください。」

「よろしくね。愛ちゃん。」

 言い終わったとたん、場所が変わった。夢って、唐突に場面が変わるものだ。

 けど、何か変。

 まずわかったのは、夜だということだった。それはいい。夜に信号を見上げてたんだから。

 けれど、相当の数の人に取り囲まれている。

 状況が、元いた場所と全くちがう。

 夢が続いてる。

 いや、本当に異世界に来てしまった?

 大失敗をした。

 言葉が通じるかどうかを聞いてない!

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