6.日常の亜人6
右端の穴に入ったものの、俺が音をあげることはなかった。なんだか、時間と共に体力が漲ってきてるような気がしなくもない。どうなってるんだ・・・。穴は、いくつかに枝分かれしていて、目印無くなったら帰れなくなりそうだった。暫く進むと、広い空間に出た。緑色が壁のように広がっていて、青臭い匂いが充満していた。
「うおっ急にジャングルかよ」
猫ちゃんは、しきりに周辺へ鼻面を向けて、ヒクヒクと嗅いでいる。俺には青臭いのと、腐葉土の匂いしかわからないが、猫ちゃんには何かわかるのかもしれない。そして猫ちゃんの目が険しくなった。
「なんか来るよ」
「えっえっえっ、なになになに、ヤバイやつ?な?な?」
猫ちゃんが身構えると、緑を掻き分けて大きな塊が突進してきた。速い!とてつもなく速い!俺の足は根が生えたように動かなかった。猫ちゃんが俺の身体を突き飛ばしてくれたが、間に合わずに、大きな塊は俺の半身を引っ掛けて、通り過ぎていった。俺の身体は回転するように、吹っ飛ばされた。それよりも猫ちゃんは、まともにぶつかって跳ね飛ばされて、俺の視界から消えた。猫ちゃんの柔軟な身体なら、死ぬことはないと思いたい。
俺は穴の近くの岩場に、叩きつけられるように転がった。滅茶苦茶痛い。それでも血が出ているとか、骨が折れたような気配はないので、腕を支えに起き上がろうとすると、目の端に向きを変えようとする豚のようなものが見えた。正しく形は豚だったが、緑色の斑模様で背中にだけ黒い毛が生えていた。牙はなかった。もし牙や角があったら今頃生きていないだろうと、思えた。猫ちゃんはどこだ?うまく逃げられたのだろうか?
俺が立ち上がったときには、すでに此方へ突進を開始していた。やばいだろこれ。さっきは猫ちゃんのおかげで、半身を引っ掛ける程度で済んだが、まともに喰らったら内臓破裂するかもしれん。かといって、タイミング良く避けられるような運動神経があるだろうか・・・・過去を振り返って見ても有り得なさそうだ。などと、馬鹿なことを考えてるうちに、すでに至近距離に、緑豚の赤く血走った小さな目が見えていた。あかん!死ぬ。
「おっちゃん!腰を落として踏ん張って」
横に避けるにしても、飛んで避けるにしても、おそらく無理な以上、これなら出来そうな的確な指示が聞こえてきた。それで持ちこたえられるかどうかなんて、考えも及ばないのに身体が自然に動いていた。
『ドドーーン!』(実際こんな音はしないだろうが)
ずりずりと、足が後ろへ滑っていく。上体が反って今にもひっくり返りそうではあっても、なんとか持ちこたえていた。俺の右手は奴の耳を握って、いまにも引き千切らんばかりだった。左手の親指が、奴の口の端に入り込み、イーーっという口(なんだこの表現わ)になっていて、奴が押せば押すほど、口が裂けそうになっている。痛いだろ?それでも押すのをやめないのは、そんな論理的な思考ができない豚だからだろうか。
そして数時間の格闘の末、決着は付かずにいたところ、猫ちゃんが頑丈そうな蔦を持ってきて、緑豚の足に絡めると、簡単に奴はひっくり返った。足を二本ずつ縛って動けなくした。耳は半分千切れていたし口も裂けて血が滴っていた。
それにしても俺ってこんなに力なかったはずだが?
「俺の身体おかしくなってるか?」
「へ?おっちゃんの身体は正常だと思うよ」
「いやいやいや、ぜってーおかしいって。こんなに頑丈で体力なかったはずだぞ」
と言いつつも、さすがに疲れて膝を付き、ぺたんと座り込んだ。
「こっちの世界に慣れてきたのかもね」
「なんだそれ。慣れでこんなのは有り得んだろ」
「うーん、なんて言えばいいんだろ。こちらに来るといろいろと性能が良くなるみたいな・・・」
「なんだそのチートな設定。小説や映画じゃあるまいし」
「だけどさー、実際あたしがそうなんよねぇー」
猫ちゃんが言うには、
攫われてから逃げ出して、俺の住む世界に迷い込んだら、やたら身体が重くなって気だるさに包まれたらしい。以前のように身軽に動けなかった。ところが、今回のように世界を移動してきたら、少しずつ楽になってきたらしい。今はもう前と同じくらいに戻っている。
ということなんだとさ。そういえば猫人なのに、なんか俊敏さもないんだなぁとは、思っていたんだ。猫ちゃんは指先を俺に向けてきた。
「ほら、これ見て」
指先には普通に人間と同じ爪が生えていて、それが一瞬にして、尖って鋭い爪が伸びていた。こんなんで引っ掻かれたら痛そうだ。
「うーーん、そうなのかぁ。俺強くなったのかなぁ。」
「うん、だってあんなに格闘して、怪我一つしてないじゃん」
「そうだよなぁ・・・でもこの豚が弱かったってオチじゃないよな?」
「おっちゃん、もう少し自信持ちなさいよ。この豚百キロ以上はあるのよ」
「おっそうだ、これで食肉の問題もとりあえず解決だよな」
「でも、持って帰れないわよ。ナイフもないから解体もできないし」
「くっそー包丁くらい持って来ればよかったな」
なんか良いアイデアでも思い浮かばないかと、そこで飯にすることにした。すごくハラペコだった。おにぎり一個ではとても持ちそうに無い。なにもかもがうまく行かないような、そんな気持ちにさえなってきた。