7、腐っても神器使いでした
この章はシャロン視点です。
シャロンが聖協会本部エーレンフェルス城に来てから一週間がたった。その間に何度か神器使いが出入りするのを見た。そのたびに、リエラがたどたどしく説明してくれるのである。すでにリエラはシャロンにとって妹的な存在になっていた。
今日もリエラとともに城の中を歩いていると、後ろから突撃された。
「シャロン!」
「おや。マティアス。こんにちは」
振り返ると、腰のあたりに五歳前後の子供が抱き着いていた。抱き着いてきた子供はニコッと笑う。顔を見ればわかるが、この子はユリアーネとミエスの子供だ。プラチナブロンドに青灰色の瞳の、かなり将来が楽しみな顔の整い方をしている。全体的に見てどうやら母親のユリアーネ似だが、これから成長すればわからない。
両親にかまってもらえないからかしっかり者に育っているマティアス・リスティラは神器使いだ。ユリアーネの母親も神器使いだったらしいから、かつて神器に選ばれたものたちは、各国で王や貴族になっている可能性が高い。そのため、その血縁である王族や貴族から神器使いが排出されやすいのは確かだ。だから、神器使い同士で親戚である、というのはさほど珍しいことではない。
両親であるユリアーネとミエスが忙しいため、マティアスの面倒は聖協会の職員全体で見ているらしい。リエラなど比較的年の近いものが遊び相手を務めているらしく、リエラとともに行動しているシャロンともすっかり顔なじみだ。ちなみにマティアスは5歳。リエラは16歳であるらしい。
「マティアス。ここにいたか」
「あ、ラウール」
目下のところマティアスのお目付け役の神器使い、ラウール・イグレシアだ。年少組なので、マティアスと一緒に本部お留守番組である。リエラと同郷である彼も感情表現が少ない。国民性なのだろうか。
ラウールは栗毛に青緑の大きく吊り上った眼をした少年だ。小柄だが、まだ成長期なので身長は伸びるだろう。
マティアスはシャロンから離れるとラウールの隣に立った。やはり面倒を見てくれている者のほうがいいらしい。
シャロンが思わず微笑んだ時、するどく頭が痛んだ。思わず眉をしかめるが、リエラに袖を引かれてあわてて笑みを浮かべた。
「何?」
「……こっちのセリフ。どうかしたの? どこか痛む?」
リエラがシャロンの瞳を覗き込んでくる。シャロンはエーレンフェルス城の中では仮面を身に着けなくなっていた。多少、他人と違うからと言ってこの城の人間は差別をしないからである。
リエラがシャロンを監視していることはわかっていた。シャロンの身に何か変化が起こっているのではないかと考えたのだろう。
「いや……大丈夫だよ。ちょっと頭痛がしただけ」
「そう? ……ちょっとごめんなさい」
リエラはそう言ってシャロンの右の前髪をかきあげた。
「マティアス。お前にはまだ早い」
「え? なに?」
「ラウール。お前にもまだ早いって」
どうやらラウールやそのほか通りすがりの職員が勘違いしている様子だ。しかし、リエラは気にせずにじっとシャロンの顔を、というか顔に浮かんだ文字を見た。
気づいたら、シャロンの右手はリエラの細い首を絞めていた。
「……っ! どうして……!?」
シャロンは驚きで眼を見開く。シャロンの意志に反して、右手はリエラの首を締め上げる。
「リエラ!」
ラウールが驚いて叫んだ。首を絞められながらも意識ははっきりしていたらしいリエラは、自分の髪飾りを引き抜くと大きく右上から振りかぶった。シャロンの右手はリエラの首を放し、鋭くとがった髪飾りの先をよけた。
「ラウール、マティアス! ユリアさんかミエスさんを呼んできて」
髪飾りを逆手に構えたまま、リエラとは思えないほど鋭い声でラウールとマティアスに命じた。明らかにマティアスを逃がすためだが、ラウールは「わかった」とだけ言ってマティアスの手を引いて後ろに下がった。シャロンの体は意に反して彼らを捕まえようと動く。
「動かないで! シャロンの体を傷つけたくはないの」
リエラは素早い動きでシャロンの背後に回り込み、右腕をひねり上げた。痩身の少女とは思えない強い力だった。首元には彼女の簪が突きつけられている。
その娘を殺せ。
頭の中でそんな言葉が発せられた。……何故?
その娘を殺せ。
同じ言葉が鳴り響く。シャロンの体はリエラを突き飛ばし、近くの戦闘員が持っていた剣を奪い取った。
「動くなと言った!」
リエラは髪飾りを構えたまま言った。しかし、剣と髪飾りでは間合いが違いすぎる。と、思ったらその髪飾りがそのまま銀色の剣になった。髪飾りが、彼女の神器だったのだ。
『神器「スカルモルド」……小娘、「七人の賢者」だったのか』
シャロンは口を開いていないのに、その場に声が響いた。シャロンの声とは似ても似つかぬ、うなるような低い声だった。シャロンは自由になる左手で、剣を構える右手をつかんだ。
「あなた、何者? シャロンの体から出ていきなさい」
リエラは剣を構えたまま鋭い声音で言った。シャロンの体は左手の拘束を振り払い、リエラに向けて剣を振り下ろした。リエラは引くのではなくシャロンに向かって踏み出し、振り下ろされた剣を受け流した。そのまま剣の柄をシャロンの腹に叩き込もうとする。傷つけたくない、と言う割には容赦がない。
シャロンは甘んじてそれを受けようとするのだが、体は勝手に避けた。リエラは踏み込んだ勢いのまま足をつき、逆の足で回し蹴り。ちなみに、彼女のスカートである。こちらも避けた。
リエラが体勢を立て直さんと後ろに足を引くと、シャロンの右手は再び剣を振り上げる。一合、二合。金属同士がぶつかり合う音が聞こえる。シャロンの中にいる何かに、シャロン自身の意識が沈められていく。
「しっかりしなさい、シャロン・ドリューウェット! 意識を保って!」
斬り合っているリエラの声にはっとした。本名ではないが名前を呼ばれたことで、シャロンの意識が引き戻されたのだ。
「あら。少し遅かったかしら」
青のスレンダータイプのドレスの裾をひらめかせ、身の丈ほどの金の杖を持った『妖精の女王』が悠然と歩いてきた。この姿に羽があれば、本当に妖精に見えたかもしれない。
まあ、実際には妖精のような生易しいものではないのだが。
「リエラ。ご苦労様。怪我はない?」
「……どちらも、ないわ」
「それは重畳。少し下がっていて。悪魔が相手ではあなたでは分が悪いでしょう」
リエラがおとなしくユリアーネの後ろに下がる。ユリアーネはシャロンの全身を眺め、何故か「うん」とうなずいた。
「まだ乗っ取られてないわね。うんうん。探しているのはこれかしら」
何となくユリアーネの口調が腹立つが、彼女は何も持っていなかったはずの左手に、エーレンフェルス城に入るときに取り上げられたシャロンの剣を持っていた。シャロンは「あ」と思ったが、声には出なかった。
「封魔剣ね。珍しいわ。かなり古いものね。おそらく、ジークフリート王の時代のものではないかしら」
ユリアーネは1人でしゃべり続ける。
シャロンが使っていた剣は、ほかのだれも鞘から引き抜くことができなかった。シャロンだけが、その剣を鞘から抜くことができた。そのため、かなり古いものだったが、育ての親である神官はシャロンにその剣を与えたのだ。
そう言えば、体に文字が現れたのは、その剣をもらったころからのような気がする。
『それをよこせ』
シャロンの者ではない声が、再びシャロンから放たれる。ユリアーネはにっこり笑う。
「嫌よ。この封魔剣を壊すつもりでしょう? そんなことしたら、シャロンが本格的に乗っ取られてしまうじゃないの」
だからダメ。とユリアーネは微笑んで剣を後ろに隠した。
『寄こせぇぇえっ!』
シャロンの右足が強く床を蹴った。ユリアーネにとびかかろうとする。
だが、身構えもしないユリアーネに切りかかることはできなかった。何かに阻まれるようにユリアーネに触れることができない。
「解体」
杖を持っている右手の人差し指をシャロンが持つ剣の方に向け、ユリアーネがぽつりと言った。その瞬間、剣がバラバラになった。
ずさっと、シャロンの意志は関係なく体をユリアーネから遠ざけたが、おそらく、シャロンに意志があっても、後ろに引いていただろう。それくらいの衝撃だった。
「おい」
「……だから、後ろからいきなり現れるのはやめてくれる?」
うんざりした口調で言いながら、ユリアーネは後ろを振り返った。そこには彼女の夫たるミエスが左手に本を抱えて立っていた。
「……出てきたか」
「思ったより遅かったわよねぇ。このエーレンフェルス城はあなたの結界で清浄な気を保っているはずだから、滞在するほど悪魔は弱くなるはずなんだけど。最後のあがきと言うやつかしら」
「このままあの子の中に封印するか?」
「いいえ。切り離しましょう」
ユリアーネはきっぱりと断言した。しかし、ミエスは顔をしかめた。
「だか、私の力もお前の力も、精神には作用しないぞ」
「わかってるわ。おぉっと!」
シャロンが足を踏み出したのを見て、ユリアーネが臨戦対戦を取った。彼女の後ろではリエラが剣を構えている。
「どんなに強力な悪魔でも、3人の神器使いに勝てるものですか。おとなしくしなさい。今、シャロンから引きずり出してあげるわ」
『黙れぇっ!』
「リエラ! 確保!」
「了解!」
ユリアーネの背後からリエラが飛び出した。剣は使わず、シャロンの手首をつかんだ。そのまま足払いをかけてのしかかる。
「さすがね、リエラ! はい、シャロン。これ持って!」
いつの間にか近くまで来ていたユリアーネが、リエラにのしかかられて倒れたシャロンに何かを持たせた。どうやら、剣のようだ。
「苦しいかもしれないけど、耐えてね」
シャロンは頭の中に疑問符を浮かべたが、すぐにユリアーネの言葉の意味を知ることになった。頭が割れるかのような痛みが走ったからだ。その痛みは全身に広がり、シャロンはのた打ち回った。舌を噛み切らないようにリエラが手の甲をかませたくらいである。
しかし、そのうちすっと何かが抜けていくような感覚がして、痛みは一気に和らいだ。そして、ミエスが何かをつぶやく声が聞こえた。
「……再封印できたぞ」
「ありがと。リエラとシャロンもお疲れ様。大丈夫?」
ユリアーネはミエスからシャロンとリエラの方に視線を移した。まだ頭はずきずきしているが、そのほか異変はなさそうだ。リエラの方は、シャロンにかませていた右手から血が出ていた。
「……リエラ。手は大丈夫?」
「……大丈夫。よかったぁ……!」
リエラは身を起こしたシャロンに抱き着いて泣き始めた。どうしていいかわからずユリアーネを見上げると、膝をついていたユリアーネは楽しげに笑った。
「仲良しねぇ。まあ、ちょっと休みましょうか。そしりはいくらでも受けるわよ」
それ、目下のところ聖協会の責任者である彼女が言っていい言葉なのだろうか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
サブタイトル『腐っても神器使いでした』
ユリアーネ → 変わっているけど神器使い
ミエス → 引きこもってるけど神器使い
リエラ → 気弱だけど神器使い