4、聖協会の上層部
この章はユリアーネ視点になります。
聖協会に所属する神器使いで『三人の聖者』の1人ユリアーネは、執務室で客人を迎えていた。客人、と言っても聖協会の神器使い、ジーナ・エイナウディである。『十五人の博士』の1人である。
「このあたくしに何の用なの、お姫様。あたくしとやる気になってくれたの?」
「まずはその寝ぼけた頭を覚ます事ね、ジーナ。水ならあるわよ」
「まったく、面白くないわね、あんたたち夫婦は」
「私をあの堅物と同じにしないでちょうだい」
「……不思議だったんだけど、それでなんであんたとミエスは結婚したの?」
「それが世の中の摩訶不思議なところよね。聖協会七不思議の一つにでもしましょうか」
初め、突っかかるような話し口調だったジーナだが、すぐに砕けた口調になる。彼女は、協会生まれ協会育ちのユリアーネを、それこそ赤子のころから見ている。そんな彼女を、ジーナがかわいがらないはずがないのだ。
ジーナは豊かな赤毛の美女で、その瞳は深緑のよう。しどけない姿勢でソファに座る姿は妖艶で、肩どころか胸元まで開いたドレスをまとっていた。はっきり言って目に毒だが、ユリアーネは慣れたもので特に気にしなかった。
「それで、本題なんだけど」
「ええ。今度はどこに行けばいいのかしら」
ジーナはこんな格好だが頭はいい。声も甘ったるいが気も効く。
「マルセルが亡くなったという報告が来たわ。神器は無事だったから、回収の必要はなし。マルセルの討伐任務は、そのまま近くにいたキーラが引き継いだわ」
「そう。なら問題ないわね」
「それが問題あるのよ。キーラには引き続きその任地にいてもらうわ。代わりに、ジーナ。あなたがキーラのもとの任地に行って来てちょうだい」
「ちょ、ちょっと待って」
余裕を見せていたジーナが焦ったように口をはさんだ。淡々と言葉を紡いでいたユリアーネは「どうしたの?」と首をかしげる。
「どうしたの、じゃないわ! あたくしにはほとんど戦闘力はないのよ! 後方支援よ!」
ああ、そのことか。とユリアーネはうなずく。それはわかっている。
「と言っても現在、この本部には9人しか神器使いがいないの。私と、あなた、ミエス、ベルナール、リエラ、エリゼオ、ジェミヤン、それにラウールとマティアスの9人。まさか、まだ14歳のラウールと5歳のマティに討伐に行けとは言えないし、私とベルナールはよっぽどのことがないとこの場所を離れられない。リエラは精神面に不安があるし、この時点であなたかミエスかエリゼオの三択なのよ?」
「エリゼオを行かせればいいでしょ」
ジーナが胸の谷間を見せつけるようにして身を乗り出したが、ユリアーネは取り合わなかった。
「あなたよりエリゼオの方が確かに戦力的に安心よ。でも、これから行く場所はあのキーラが通った後なのよ? 塵も残ってないわよ」
「ああ……それもそうね。わかったわ、行くわよ。でも! 助けを呼んだらあなたが来なさいよ!」
「大丈夫よ。もうすぐ、数人の神器使いが帰ってくるはずだから、あなたの代わりになる人物を派遣するわ」
「頼んだわ。じゃあ、行ってきます。転送魔法陣は使っていいのよね?」
「もちろんよ。ああ、でも、豪遊しても協会からは出さないわよ」
「ケチ!」
「ジーナの金遣いが荒すぎなのよ!」
最後にそう言いあって、ジーナは出ていった。何のかんの言いつつ、彼女はきっちり仕事はこなしてくれるだろう。実質的な戦闘員が少ない現在、1人で討伐に参加できる実質的な戦闘力を持つエリゼオを本部から離したくなかったので仕方がない。
その後昼食をとり、報告書を片づけると、分厚いファイルを持ってベルナールの病室に向かった。そこで、夫のミエスに遭遇した。
「あら。ミエス、ここにいたの。ちょうどよかったわ」
二度説明する手間が省けた。ついでにいろいろ相談しよう。
「マルセルが亡くなったと聞いたよ」
「ええ」
ベルナールにうなずいて見せ、ユリアーネはミエスの隣に椅子を持ってきて座った。膝にファイルを置く。
「彼の神器は収容したわ。後で聖堂に行って見舞ってくるつもり……それで、事後処理なんだけど」
「ああ。君に任せるよ。任せっぱなしですまないけど」
「別にかまわないわ。大変だけど、ベルナールに死なれた方が困るもの。今の私では、聖協会を束ねることはできないわ」
そう。今ベルナールに死なれては困る。死なれるくらいなら、ユリアーネが多少大変な方がマシだ。このままベルナールが亡くなれば、聖協会は分裂する可能性がある。
「一応、手配したわよ」
「仕事が早いね」
「まあね。マルセルの代わりに、キーラがそこに行ってくれたから、そっちは大丈夫。キーラがいたところにはジーナを派遣したわ。本当はリエラに行かせようかとも思ったんだけど」
「……できれば今、城内の戦力は下げたくないからな」
「……やっぱり、悪魔だった?」
「ああ」
途中で口をはさんだミエスに尋ねると、ユリアーネはため息をついた。
「封じの文言が悪魔封じだったものね……まったく。変なものに取りつかれたものね」
「シャロン・ドリューウェット、だったか? 何者だろうな」
右半身に聖性文字が現れ、聖協会を頼ってきたシャロン。シャロンに現れた文字は封じの文言を唱えていた。
「シャロン自身が悪魔だという可能性は?」
「そうであれば、私の無言結界ではじかれている」
「それもそうね」
夫の言葉に納得し、ユリアーネはうなずいた。このエーレンフェルス城は幾重にも守られているのだ。外から入るものに敏感で、悪しきものははじかれる。その悪しきものの基準なのだが、それは微妙だ。しかし、悪魔は確実にミエスがこの城にめぐらせた無言結界に阻まれて、入れない。
「まあ、それについてはそのうち尻尾を出すでしょう。悪魔が、この聖教会本部の清浄な気に耐えられるはずがないのだから」
そう。ミエスの結界が護るこのエーレンフェルス城は、空気が澄んでいる。悪魔は陰気を好むため、澄んだ空気は苦手だ、とするのが一般的である。
「リエラは大丈夫かな?」
ベルナールに尋ねられ、ユリアーネは肩をすくめた。
「戦闘力には文句がないんだけどねぇ……やっぱりシエルラ王国に行って抗議してこようかしら」
「やめなさい」
「やめろ」
男性陣2人共からダメ出しを食らい、ユリアーネは「冗談よ」と肩をすくめた。
「シャロンの気性が穏やかで助かったわ。リエラも今のところ精神が安定しているわよ」
リエラは情緒不安定なきらいがある。母国で母親と双子の姉に虐げられたせいだと思われるが、あまりストレスがかかると爆発するのである。精神が不安定になったリエラをなだめるのはとても難しい。
ただ、彼女は精神さえ安定していれば聖協会でも五指には入る戦力となる。一度戦いのスイッチさえ入ってしまえば、リエラを止められるものは限られている。だからこそ、監視にふさわしい。
圧倒的な力を持ちながら、それを悟らせない。むしろ、どこか庇護欲を誘う容姿で相手を油断させる。そして、彼女の神器は一目見て神器とわからない。それも間者として最適……なのだが。
性格がねぇ。
リエラは善良すぎる。おっとりしていて、監視役には向かないのだが……。
神器使いは絶対数が少ない。向かない仕事でも、やってもらうしかない。まあ、リエラには詳しいことを告げない気ではいる。勘の優れた彼女は、時が来れば気が付くはずだ。おっとりしていても、頭は悪くないのだ。
「シャロンのことは放っておけば大丈夫よ。何があっても、リエラが対処して、私が出ていけるから。……で。魔物の話しなんだけど」
ユリアーネはファイルを開くと、ベルナールとミエスにも見えるようにベッドの上に広げた。
「……魔物の侵入数が増えているな」
「しかも、かなり中まで入ってきているね……」
ミエスとベルナールは世界地図と表一覧を見比べて言った。ここひと月ほど、こういった資料はすべてユリアーネが管理していた。ベルナールが倒れたのは一週間前だが、その前から体調が思わしくなく、徐々に彼の仕事がユリアーネのもとに流れ込み、飽和状態になっていたのである。
「もう少し状況がわかったら、私とキーラで魔物の侵入戦線を一掃してくるわ。ただ、結界の張り直し要求も来ていてね~」
ユリアーネは軽く言ったが、そんな軽い言葉ですむ話ではなかった。実際に百戦錬磨のベルナールも冷静沈着のミエスも眼を見開いた。
「いやいや。さすがに無理だろう。ミエス、できるかな?」
「無理だ。ジークフリート王が張った結界は半径が2千キロを越えてるんだぞ」
ミエスの結界の有効範囲はせいぜい半径100キロ。いや、それでもすごいけど。
「……おそらく、ジークフリート王は1人で結界を張ったわけではないんだろうね。61人の神器使いたちと、神器を使って結界を張ったんだろう」
ベルナールはため息をついて言った。だとしたら、現段階で結界を張り直すのは無理だ。何しろ、神器使いが足りないし、要となるジークフリート王の後継者もいない。
「……まあ、それについてはおいおい考えましょう。それはともかく、そろそろ政務が私の手に負えなくなってきてるわよ」
実際には政務というより事務作業に近いのだが、聖協会本部では、魔物対策などの作業は『政務』、それ以外の経理の仕事などを『事務』と呼んでいた。
「執政官も事務官もいるだろう」
「そう言う問題じゃないわよ。許可を下す神器使いが私しかいないこの現状はおかしいでしょうが!」
冷静にツッコミを入れてきた夫にツッコミ返すと、ミエスはため息をついた。
「まあな。ベルナールに負担をかけるわけにはいかないからな」
「私は構わないよ」
「こっちが構うわ。さっきも言ったでしょ。まだあなたに死なれては困るの」
ユリアーネは楽しげに口を挟んできたベルナールにそう言うと、ミエスを見上げた。
「悪いけど、あなたの仕事を少し増やすわ。またマティをかまってあげられないわね……」
ユリアーネは息子の名前を呟いてため息をついた。息子のマティアスはまだ5歳。まだ親が恋しい年齢なのに、両親そろってあまりかまってやれない。
「そもそも、今は神器使い自体が出払っているからな。エリゼオはあまり机仕事が得意ではないが……」
「リエラなら得意なんだけどね。ああ……どうしてあの子、あんなに精神薄弱なのかしら」
リエラがもう少し強ければ、いろいろできることが増えるのだが……彼女にはシャロンの監視に専念してもらわなければならない。気をそらしたくなかった。
「まあ、もう少しでギルバートとディオンが帰ってくるはずだから、2人が帰ってきたらまた考えましょう」
どちらか1人をジーナの代わりに派遣しないといけないだろうが、それは後で考えよう。
「はっきり言って、聖協会の現状はかなり厳しいわ。神器使いが少なすぎる。来年にはラウールが1人で討伐にいけるようになると思うけど……」
ユリアーネはため息をついて組んだ脚の上に頬杖をついた。
どちらかというと、ユリアーネは現場派だと思っている。書類仕事はあまり向かないと思っていた。言われればやるが、ずっと椅子に座っているのは性に合わない。
ユリアーネが現場に出るためにも、後進が早く育ってほしいところである。
「……まあ、結界が大きすぎるのもあると思うが」
「半径2千キロだったら、円周は約12560キロだしね。40人弱でカバーできるレベルではないよね」
ミエスとベルナールも苦笑した。まあ、結界の一部は海も含んでいるため、結界の円周は簡単には計算できないのだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ユリアーネとミエスはちゃんと愛し合っています。ただ、愛を示す方法が屈折しているだけです。たぶん。