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天才怪盗の社会奉仕  作者: ハルサメ
魅惑のサマーバケーション
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8話

「いってー本当にこれどうしてくれるんだよ。ちょっと冗談じゃなく痛むぞこれ」


 その背後で、苦痛の表情を浮かべながら流斗が立ち上がっていた。


「チッ、てめえ……」


 天里から手を離し、晃輝は流斗の腹部に五発の拳を叩き込む。


「グフッ……」


「死にたくなかったら寝てろ」


 倒れている流斗の腹部を容赦なく蹴り上げる。流斗の口からは少なくない血が吐き出された。


「晃輝! その辺にしないとそいつ本当に死ぬわよ!?」


「分かってるッ! 安心しろ、こいつが立ち上がるなんてもうありえ」


 言葉が止まる。周囲の視線は晃輝ではなくその背後に集まっていた。


 腹を押さえ、流斗は苦痛の表情を浮かべている。しっかりと両の足で立ち上がっている。


 何故か、天里はその姿にある種の『余裕』を感じてしまった。


「おいおいおいおい何の冗談だ? 嘘だろ? 骨の二、三本は軽くいってるんだぞ? なんで立ち上がれんだ? ゾンビかてめえ?」


「正真正銘、あなたと同じ人間ですよ。ほら血だって赤い」


 流斗は吐き出された血を拭い、真っ赤に染まった手を見せるように広げた。思わず目を背ける。


「舐めやがって!」


「晃輝! もうそのくらいに」


「うるせぇッ! てめぇは引っ込ンでろ!」


 制止するSAYURIを突き飛ばし、晃輝は再び流斗を殴る。何度も、何度も。まるで流斗の存在を否定するように、呪う様にその行為を続ける。


「流斗ッ!」


 出た声にも驚いたが、同時に悟るものがあった。流斗がやられ続けるのは、約束を守るためだ。決して手を出さない。その制約をこの期に及んで律儀に守り続けている。


 たとえ自分が血反吐をどれだけ吐こうとも。


 それが依頼を受けるプロとしてのプライド。


 嫌悪した。そこまで完璧に忠実に依頼を全うする流斗の矜持、それをただ見ることしかできない今の自分を、これまでの人生の中で一番恥じた。


 自分のせいで流斗が苦しんでいる。流斗がまともに動けない。


「もういいの!」


 結崎流斗の足枷になっている。


「あたしのことなんて気にしなくていいから!」


 そのことがどうしようもなく、どうしようもなく。


「そんなやつ倒しなさいッ!」


 許せなかった。


「あんたなら、でき――ッ!?」


 言葉と、晃輝の完璧なボディーブローが決まったのは同時だった。


 息を呑んだ。目の前にはうつ伏せに倒れている流斗の姿。体は小刻みに震え、口元からは血が垂れている。呼吸はまばらに乱れている。その体には力が入っていない。


 遅かった。


「おい、今なんつった?」


 荒い息をつき、血だらけの拳を握り締め、晃輝が血走った目と鬼の形相を浮かべる。


 近くの円卓テーブルを蹴り上げ、乗せられていた料理が飛散した。


「キャッ!?」


 先ほどとは違い、暴力任せに手首をとられる。


「俺がこいつより弱ぇとでも思ってンのかッ!?」


 手首の痛みはあった。だが晃輝を睨みつける。


「少なくとも、あんたみたいに脳筋じゃないわね!」


「頭に乗りやがってッ! このクソアマがッ!」


 晃輝が右手を振り被る。


「嘘でしょ!?」という思いはあった。


 だが逃げようとはしなかった。


 ここで逃げたら、自分の言葉を否定するような気がした。


 強く目を瞑る。


 構えた衝撃は――――来ることがなかった。


 恐る恐る開けた目の前で、拳が止まっている。止められている。


 流斗の手が晃輝の拳を受け止めていた。


「チッ、この死に底な――」


 乱暴に振り払おうとした晃輝だが、違和感。その腕はピクリとも動かない。


「おいお前」


 パントマイムのように、受け止められた右手だけが宙で制止する。


「誰の前で女に手をあげるつもりだ?」


 晃輝の二の腕を流斗が握り返す。


「ッ!?」


 晃輝は一瞬顔を歪ませ、弾くように天里から手を離した。


「怪我は無いか?」


「あんた……それはこっちの台詞よ」


「まだ許容範囲だ。騒ぐことじゃない」


「服はボロボロ血だらけが許容範囲って」


「それよりもさっきの言葉は、依頼変更と捉えて良いのか?」


「え?」


「『倒して』も良いんだな?」


 流斗が両の拳を力強く握り締める。


「うん」


 ボクシングの世界チャンピオンを倒す。


「あんたなら、できるでしょ?」


 不可能とは全く思えなかった。


「任務了解。さて、そろそろ腕の痺れは回復したか?」


 二の腕を押さえる晃輝の顔には、焦りが浮かび上がっていた。


「馬鹿みてえな握力しやがって」


「トランプ一セットを千切れる程度の握力だ。可愛いもんだろ? あんたも出来るよな? なんたって人を殴るプロなんだから」


 流斗の言う数値がどれほどかは分からないが、晃輝の顔が一瞬引きつるレベルである事は理解できた。どうやらできないらしい。


「喜べ、許可が出たから相手してやるよ。あんたもサンドバッグ殴るのは飽きたろ?」


「ブッ殺すッ!」


 晃輝が一瞬で間合いを詰める。一息ほどの間、巨体ゆえにその行動は予想外の圧力だ。


 はたして。


「グッ!?」


 苦悶したのは晃輝だった。何が起きたのかをはっきりと捉える事はできなかった。殴りかかった晃輝に対し、流斗は全て避け切る。一体何発避けたのか、それらを処理する余裕もなかった。すると突然晃輝の動きが鈍くなったのだ。先ほどと同じ場所を押さえている。


「どうした人を殴るプロ? 当たってないどころか当てられてるぞ?」


 おそらく避けながら流斗が何かをしていた。それだけは分かった。ボクシング世界王者の攻撃を避け、そこに反撃を加えるという無茶苦茶を宣言通りやっているのだ。

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