83話
終業式から一週間が経ち、夏も本番の暑さを迎えようとしていた。夏休みではあるが、学園には朝から部活動で汗を流し、図書室で補講や自習に精を出す学生が多くおり、学食も常に解放されていたりする。
思えば学生として迎える初めての夏休み。この長期の休みを利用して多くの学生が、海に行ったり山に行ったり、はたまた甘酸っぱい一夏のアバンチュールに身を染めたりと、青春を謳歌すると聞いた。
別にそれが羨ましいとか、憧れているとかではない。ただそんな時期でさえ、業務を続けている学芸特殊分室の活動事態に苛立っているだけだ。というか、夏休みで開放的になった学生の後始末を何で俺たちがやらなければならないのか。
公園で禁止されている花火をやった輩の代わりに町内会長に頭を下げ、駅前で迷惑なナンパをしている男子生徒数人を回収し、祭りで羽目を外してめちゃくちゃにした屋台の後片付けを手伝わされもした。
夏休みに入り、逆に仕事が増えた印象である。いや、確実に増えているはずだ。
そんな日々が続いたこの日、珍しく俺と室長の空き時間が重なり、俺たちは応接室のソファーで対面していた。騒動の後、その事後処理や雑務に追われ、こうして顔を合わせる機会がなかなか取れなかったのである。
「昨日遼一の見送りに行ったけど、あれは凄いね。殆ど抜け殻状態だったよ」
支倉遼一は昨日の昼、アメリカへと飛び立った。本来は終業式の日の午後に出国するはずが、周防に殴られた箇所の治療のため、日程を変更しなければならなくなった。
だがそれより深刻なのは、心の方だ。こう言ってしまえばあれだが、よく留学を中止にしなかったものだと素直に驚いている。しかし日本に残るにしても、奴の居場所はもうこの学園には無い。療養も兼ねて、海外留学は逃亡の良い理由になったのかもしれない。
支倉の言葉通り、今回の計画にはいくつか綱渡りをした部分が多かった。しかし最も危険な綱渡りは、実はあーやへのメッセージに支倉が気付くことだった。
その時点ではまだ、噂は本当だと信じさせている。つまりそこで妨害工作をされるとドッキリの上書きが機能しなくなり、俺に対する反感感情は生徒たちの心に残り続けてしまう。
その意味で、支倉には俺たちに勝つタイミングが存在した。状況を甘く見て、慢心から出す手札を妥協した。それが支倉の敗因である。
「ギルドも引き継ごうとしていたらしいけど、あの事態だからね。直に自然消滅するんじゃないかな」
今まで全体の指揮を取っていた支倉の消失、そして成美さんによりギルドの構成員の顔が割れた今、ギルドは前までの秘匿な組織ではなくなった。粛清とまではいかないが、まとめる人間と秘密裏に悪行を行えた環境を失った今、崩壊を起こすのは時間の問題だ。
ギルドの消失。それが学園に与える影響は決して小さくはない。以前の水林のように、ギルドの力を借りて手を汚していた擬似的強者にとっては、その後ろ盾が完全になくなり、学園のパワーバランスが崩れる恐れがあった。
だがそのギルドの存在を、良く思っていなかった生徒が大勢いたこともまた事実だった。法を犯そうがどんな願いでも叶えてくれていた、まるで悪魔のようなギルドからの脱却。今や学生全員で、それをスローガンに生活を送るようになっていった。
だがギルド対策組織として創設された分室はなおも活動を続けており、というかギルドがなくなったことで以前の倍近く、それも無茶苦茶な依頼が届くようになった。
ギルドという組織に甘えることから卒業したくせに、分室という甘い汁はまだ吸っていたいとは、ハラワタが煮えくり返る思いである。
「一つ、聞いてもいいかな?」
「答えてもいいが、貸し一つな」
この返しに室長はしばらく真剣に悩み、そしてようやく決心したように深く息を吐いた。
「僕は今回の計画を、君と同等の領域まで理解しているつもりだ。でも一つ、どうにも分からない事がある。遼一が言った通り、支倉真一の一言があれば僕たちの首はとても簡単に飛んでしまう。それこそが、周防さんが二重スパイになっても遼一を追及できない理由だった。でも君のおかげでその支倉真一を抑えることができた。君は、奴に一体何をしたんだ?」
「言っただろ、話はつけたって。取引したんだよ」
「取引って……ギルドの崩壊と遼一の追放に見合う何かを、君は犠牲にしたっていうのか?」
ギルドはオリュンポスの下部組織であり、ディオニューソスである支倉真一直属の育成機関である。自分の腹を殴られて、何も思わない人間は普通いない。
そして奴が後継者候補を潰してまで得た何か、それを室長は危惧しているのだ。




