73話
終業式を明日に控えた昼休み。
相当特殊な状況でない限り、人間の腹はへる。三日間のまず食わずで訓練を行ったことがある俺だが、だからといって好きこのんで栄養摂取の機会を逃すような真似はしない。食える時に食う、食欲がわくだけまだマシな方である事は知っている。
いつもどおり、第二体育館の裏手で一人弁当を食べていた。飯を食う時ぐらい余計な事は考えたくないし、生徒の大半も俺に教室にいて欲しくは無いだろう。
つまり、これは俺なりの空気を読んだ行いというわけである。
「また一人?」
「今二人になったがな」
神出鬼没の声にもはや驚くことは無い。少し離れた位置に成美さんが立っていた。
この周防成美、さすがオリュンポス系列の施設にいたからか、身のこなしが他の生徒とはまるっきり異なる。始め、不用意に近づく輩がいないか多少の警戒はしていたのだが、成美さんはその隙間を縫うようにして近寄ってきた。
もっとも、監視と公言している状態なので大した意味はない。あるとすれば俺をドッキリさせることだろうが、流石に何回もやられれば驚きもしなくなる。
「一緒に食べてあげようか?」
「ふっ、冗談は止せ。あんた何も持ってないじゃないか。俺のはやらんぞ」
「いらないよ。まっ、お昼ぐらいはゆっくりさせてあげようか」
そう言って成美さんは踵を返した。
「やけに優しいじゃないか」
「上」
「上?」
見上げた先。太陽の光を何かが遮り、その何かが俺に降りかかった。
俺は全身ずぶ濡れになった。妙に生臭い、雑巾を絞ったあとの水かもしれない。
なるほど、これを喰らいたくなかったから逃げたのか。そこにすでに成美さんの姿はなく、上を見上げても窓が開いているだけで誰もいない。
「はっ……」
思わず、自虐の笑みが出た。
ちょうどその時、ポケットの中で難を逃れた携帯が震え出した。見ると、母親から電話がかかっていた。一瞬躊躇した後、俺は通話を押した。
《何で一瞬迷った?》
「……何で分かるんだよ」
コール数もたいしたことは無いはずである。
《まぁ良いわ。朱乃から聞いたの。あなた、面倒なことになってるんだってね?》
「まぁな。一つ言っとくと、この通話聞かれてるらしいからな」
《全く、ギルドも面倒なことしてるわね》
これが分室創設者の言葉と考えると、笑えるようで笑えない言葉だ。
《あなた……辛い?》
「どうした急にしおらしい声を出して」
《別に他意はないわ。これらの状況を、私も予想してなかったわけじゃない》
「それは、君塚絢音のことも言っているのか?」
《まぁ……ね》
あーやと親交があったこの母親が、知らないはずが無いか。
《絢音ちゃんには悪い事をしたと思ってる。グラウクスであるあなたと会わせる事の危険性も、十分理解していたわ》
考えなかったわけでも無いが、やはり俺を分室に入れるように手を回したのはこの母親だったか。創設者という話を聞いて、そうだとは予想していた。
「俺と君塚絢音を会わせる危険を冒してまで、あんたは何がやりたかったんだ?」
《あなたたちなら、ギルドを痛い目に遭わせる事が出来ると思ったのよ。そして今の室長の、影宮識也に連絡を取った》
「やっぱり室長も一枚噛んでるのかよ」
もうあの人のことで驚くのは勘弁だ。
《絢音ちゃんは昔から私によく懐いてくれていてね。その私があなたを捕まえた当時は、それは大喜びだったものよ。世界的な犯罪者をお縄につけたのだものね》
「そのグラウクスとこんなところで御対面させることに、メリットがあったとは思えないんだが? あの犯罪行為完全否定の性格なら、どう転んでも俺とは対立するだろ」
《あなたの境遇が……特殊すぎたのよ》
「俺の境遇?」
《幼い頃からオリュンポスという組織に育てられた、あなたの境遇。あなたには犯罪者としての意識が染み付いていて、常識的な判断が欠落していた。でもそれはあなたにとって罪でもなんでもない。幼い頃からそうするように教えられて育ってきた》
欲しい物があれば奪う。邪魔な人間がいるのならば殺す。望みを叶えるのは意思と力。それは俺の人生の中で当然のことだった。
《あなたは確かに一般的に言う罪を犯した。でもそれは周りの環境が、大人が率先してそれを教えたから。あなたはそれを常識として学び取っただけで、そうするしかなかった》
母親の声が、少し弱弱しいもの変わった気がした。
《絢音ちゃんには知ってもらう必要があった。犯罪者はその全てが裁かれなければ行けない。それは正しいけれど、あなたのような存在がいることも知ってほしかった。犯罪者として生きるしかなかったあなたを。だからグラウクスだと隠してあなたと接触させた》




