61話
「……結崎君、君にとってオリュンポスとはどんな組織だい?」
一般論で言うのなら世界の諸悪の根源、という認識だろう。今の社会でオリュンポスが関わっている事件が噂されない日など、全く無いほどだ。
だが室長が聞きたいのはそんなものではない。
「俺は、生まれて直ぐにオリュンポスが運営する施設に入れられた。そして親父から、グラウクスの名を受け継ぐに相応しい教育を施されてきた。当時の俺からすればあそこは地獄だったし、何度も死にたいと思ったよ」
教育という言葉を使ったが、あそこで行われていたのは洗脳である。世界中から才能ある子供を集めるため、両親を殺して孤児になったところを孤児院という形で引き取る。そして拾ってくれた組織に感謝し始めた頃を見計らって、洗脳する。
それが日常的に行われてきた。人権なんて存在しない。最初は甘い飴で釣り、その後は終始鞭を打ち続ける。
それに俺は何とか生き残ることが出来た。それは俺の能力の高さの証明にもなるが、何よりも運が良かった。俺は「運よく」この力を身につけることが出来たが、その裏で何人もの壊れていった者たち、俺が壊してしまった者たちがいる。
彼らと俺の差は本当に運だけだった。
「その仕組みは今でも腐っているとは思う。だがそこでの経験があったからこそ、今の俺がいる。ある程度の境地を突破できる知恵と力を身につけることができて、その面ではあの組織に感謝している」
すると室長は、不釣合いなほどの険しい顔つきになった。
「だが君が会得した能力なんて物は日常生活の上では殆どが無駄だ。もはやグラウクスではなくなった、ただの学生の君には不要なもの、邪魔なもののはずだ。それでも君は今の自分に不満はない? 確かに君なら上手く日常に溶け込む事はできるだろう。だがかつてそちら側にどっぷりとつかってしまった君が、こちら側で満足いく生活が送れるのか?」
妙に熱のこもった口調。これは俺の将来のことについて、親身になって考えてくれているわけではない。室長は否定したがっている。親を、環境を、そして自分自身を。
だがそれを肯定しようとしている俺に、不快感を露にしているのだ。
「どんな時だろうが、自分を否定するんじゃねぇ」
「……説教かい?」
「いや、親父の言葉だよ。どんなに腐った奴でも、どんなに非力でどうしようもない奴だとしても、そいつは自分なんだ。自己を否定するな。否定するんじゃなくて、ただ受け入れろ。自分がそういうやつなんだと受け入れて、それからどうするかを決めろ」
「強者の意見だね。世の中は自分を受け入れられない、弱い人間で溢れかえっている」
「世の中の奴らがどうとか、俺には全く興味が無い。あんたの事情も俺は知らない。だが、少なくとも俺の意見はこれだ。いつ何時聞かれようが、俺は同じ言葉を返す」
室長には底知れない何かがある。それが古くからオリュンポスと関わっていたからと言われれば納得がいく。
自分を否定せずに、ありのままに受け入れる。言葉では簡単だが、自分が自分を信じないでいったい何ができると言うのか。過ちは悔いるのではなく、省みることにより次へとつながっていく。そうして人は前を向くことができる。
だからこそ、俺は今の自分に何の後悔も不満もない。
「俺は、グラウクスとしての自分を否定しない」
ガタッ!
扉を動く音に、俺と室長は驚いて体を震わせた。
「今の話は……一体どういうことですか?」
室長と俺以外の声音が、応接室に響いた。完全に油断していた。この時間なら誰も来ないとたかを括っていた。先ほどの会話は寧ろ警戒は強めなければ内容だったが、熱く語ったせいで逆に散漫になってしまった。
それは室長も同様だったのか、俺たちはあーやの接近をあっさりと許してしまった。聞かれてはいけない会話を、聞かれてしまった。
「やぁ君塚さん、こんな時間にどうしたんだい?」
「結崎君の妹さんから結崎君が帰っていないと話を聞いて、まだ学校にいるのではないかと思い、ここに来ました。ですが……そんなこと、今はどうでも良い事です!」
朗らかに、強かに会話のペースを握ろうとした室長だが、あーやはそれを跳ね除ける。駄々をこねるように似合わない仕草で、頭を横に振る。
「先ほどのお話。結崎君があのグラウクスとは、一体どういうことですか?」
「君塚さん、まず落ち着こう。これは――」
「本当のことだ」
「結崎君!?」
何とか誤魔化そうとする室長に反し、俺は一切否定しなかった。したくなかった、という言い方が正しいかもしれない。自分の犯罪歴を赤裸々にするのは、心理的に明らかな反感を買うだろう。それは分かっている。だが、俺は真実を告げることにした。
「俺は半年前、結崎志織によって逮捕されたグラウクス本人だ」
室長が状況を打開しようと思考を巡らせているのが良く分かる。だが、申し訳ないが俺はここから引く事は無い。俺は、真実を語る。
あーやは目を見開き、俺を睨んでいた。腕や足が、かすかに震えていた。
やがてゆっくりと顔を俯かせ、その震える体を抱きかかえる。
「最低ですッ!」
はち切れんばかりに叫び、踵を返したあーやは、そのまま執務室を飛び出した。体を反転させる際、宙を舞った涙が部屋の光を反射して輝いた。
追おうとすれば追いつけただろう。だが追ってどうする。そう考えた時、俺の足は動かなかった。
「彼女なら、分かってくれると思ったのかい?」
室長が頭を抱えながら聞いてきた。
「いや、あーやのことだ。何が何でも俺を認めようとしないのは分かってたさ」
依然予想した通り、あーやは俺の正体を知り、拒絶した。なんて事は無い、全て予想通りの展開になっただけだ。
「じゃあどうして?」
「……さぁどうしてなんだろうな」
こうなる事は予想していた。だが室長の言うとおり、誤魔化す事に徹する事だって出来たはずだ。いつも通り飄々と、冗談交じりに話すことも出来たはずだ。
だが、俺はそれをしなかった。
その理由を、どう表現すればいいのか分からない。
一つ、確かなのは。
俺とあーやの間に、埋まりようのない溝が生まれたということだろう。
翌日、あーやは分室に姿を現さなかった。
そしてそのまた翌日。俺が犯罪者だと言う噂が、学園中に広まっていた。




