35話
「それでは改めて、よろしくお願いします。左手、でしたね?」
始めてみるにこやかな顔で、あーやは左手を差し出してきた。元々整った容姿であり、微笑んでいる表情はとても綺麗に見える。
「その通りだ」
差し出された左手同士で握手をする。
「いつもそんな表情してくれるなら、思わず惚れるところなんだけどな」
「それだけは絶対に止めてください、不愉快です」
「えぇ……」
冗談にしては酷過ぎる拒絶じゃないですか?
「今のは冗談じゃないですよ、お兄ちゃん」
と、そこで戻ってきた志保が、両手に抱えたお菓子を籠に入れていく。
てか何そのでかいの、プリン? パッケに四百グラムとか書いてあるけど良いの? カロリーとかやばいよ? ちゃんと計算して飯作ってる俺の努力ガン無視? というかこんなの喰ってて体重気にするとか、なんか違くない?
「志保、冗談は止せ」
「私が冗談を言うように思えますか?」
思えねえよ。お前が何よりも嘘が嫌いな事は、嫌って程知ってるよ。だからこそフォローの仕方が間違ってんだよ。お兄ちゃんが馬鹿にされたのに肯定するんじゃない。それと、今のはプリンに対しても言ってるんだぞ。
「おや?」
そこであーやが志保を見て目を見開く。ここは紹介でもした方が良いか。
「あぁこちらは――」
「お久しぶりです絢さん!」
「お久しぶりです志保さん」
そう言って二人は丁寧にお辞儀をしあう。
「どうしましたお兄ちゃん?」
いや、どうもこうも……ねぇよ。
「……お前ら、知り合いなのか?」
「はい。でもこの場合、どう説明すれば良いんでしょうか?」
助け舟を期待するように、志保があーやを見る。
「私の父と、志保さんのお母様が同じ職場に勤めていまして、私は父に会いに、志保さんはお母様に連れられてきたことがあったので、幼い頃から交流がありました」
「そういうことです! 驚きましたか?」
「……あぁ驚いたよ」
だが志保の期待していることに、ではない。あの母親と同じ職場、それはつまりあーやの父も桜田門の関係者ということになり、そしてなにより君塚という名前。
「じゃあもしかして君塚っていうと……」
「警視総監の君塚源三は私の父です」
「…………………………そうか」
やっぱり警察――天敵――の長の娘だったのかよッ!? なるほど、俺があーやに苦手意識を抱いているのも、身内に警察の人間がいてその雰囲気をあーやも身に纏っているからか。
君塚源三には一度会ったことがある。大柄で豪快な親父、だがそれに似合わず頭の回転も速く、言葉の一つ一つが的確なのだ。流石外見はどうであれキャリア組である。首根っこを掴まえられた状態での面会だったことも踏まえて、あまり良い印象は無い。
「じゃあ将来の進路は警察か?」
「えぇ幼い頃からそう考えています」
「絢さんはお母さんに憧れてるんですよね!」
「はい、目標のお方です。護身用の合気道では、いつもご指導を受けています」
あの母親に憧れている? 嘘だろ? あの無駄にプレッシャーかけてくる、無駄に頭の回る正義感マックス猪突猛進の母親に? だがそうだとすれば、初めて会った時のあーやの雰囲気があの母親に似ていたことも合点がいく。あの母親は、あーやの上位互換か。
というか、そんな人物とグラウクスだった俺をセットにしていいのか。娘とはいえ、俺のことが伝わっているわけではないだろう。これは知っている室長の方がおかしい。
だとすれば、この正義感丸出しの熱血正直者は俺が犯罪者であると分かれば、昼間のイカサマを指摘するのと同じように、俺は排除しようとするだろう。保護観察処分とはいえ、これまで俺が行ってきたことと、それを隠してのうのうと生活してきた俺を、騙していたと罵るかもしれない。
あーやの勘は良い線をいっている。それがあの母親をモデルとしているのなら、俺の方こそ気を引き締める必要があるのではないか。
「志織さんの息子、というわけではありませんが、結崎君からは多くを学ぶ事ができそうです。人間的にはあまり目標にしたくはありませんが、これからよろしくお願いします」
真摯な目(+毒舌)を向けるあーやに、俺は反応しきれず苦笑いを浮かべる。
あーやにとって俺という存在は目標とする人物の息子で、頭の切れる後輩なのだろう。
それも間違いではない。
だが――犯罪者という、もっとも忌むべき存在でもあることを、あーやはまだ知らない。




