3話
無言の圧力、とはよく言ったものだ。
怒鳴り散らされれば人間は萎縮するか、反発するかのどちらかの行動をとる。だが無言と言うのはそうもいかない。何せ相手は黙ってじっとこちらを見ているだけなのだ。
怒っていると分かっている状況で、しかし相手が何も言ってこない重圧は、怒鳴り散らされるよりも堪える物がある。そんな時に取れる行動といえば、戸惑って萎縮し、黙って己の至らないところの反省を行うくらいだろう。
だが何事にも例外がいるわけで、数少ないであろうが開き直って知らぬぞんぜぬを決め込み、何がなんだか分からない体を装う派の人間もいる。
状況を飲み込めずに気にせず騒ぎ続けるアホは、無視できるものとする。
「あんたねぇ……呼び出された分際でニヤニヤしてんじゃないわよ」
そんな例外を選択した俺に、低い怒気のこもった声音が投げかけられる。
俺を放課後の職員室へと呼び出した張本人、私立栄凌学園英語教師の神北朱乃教諭が不満たっぷりの声音で言う。黒の短い髪につり目気味の瞳。整っている容姿はしかし可愛いという女性的なものではなく、野生的な荒々しい美しさを感じさせる。
それが今は右頬をピクピク震わせながら、巷のヤンキー共が裸足で逃げ出すほどの眼力で俺を睨みつける。流石は正真正銘の元ヤン、迫力が違う。
「ニヤニヤなんてしていない。生まれつきこんな顔だ。言うなればそういう家系なんだ」
「ンなこと言ったら、私にだってそのニヤニヤの遺伝子があるってことか?」
ドスを効かせた表情で、我が叔母はメンチを切り始める。そんな表情するから嫁の貰い手がないんだよ、とは言わない方が無難だろう。煽りにも限度と言うものがある。
それにしても、甥とはいえ生徒に対してこんな態度をとっていて、よく教師が務まるものだ。採用試験の面接で、一体何を基準にしているのか問い詰めたいくらいだ。
「あんたのそのふざけた態度は義兄さんにそっくりだよ」
「あぁ……そりゃ嬉しくないなぁ」
親父にそっくりだなんて、今後の生活態度、いや人生を省みるレベルで悪寒が走る。
「まぁあんたがそんな奴だって事は、この半年でよく理解したさ」
「理解してもらえたようでなによりです、はい」
謙虚に受け答えしたはずなのに、また睨まれてしまった。
「それで、だ」
乱雑に髪を掻き毟りながら、こいつめんどくせーという類の深い息を吐かれる。とてもタバコが似合うシチュエーションだが、タバコはやらない信条とのことだ。
「ここ二ヶ月過ごしてみて、学生生活には慣れたか?」
高校生活、ではなく学生生活、に何か思うところがあるのは、おそらく俺が過敏に反応しすぎなのだろう。
「まぁボチボチやっているよ。友達は一人もいないがな。ハッハッハ」
「それが悪いこととは言わないが、胸を張って言うことじゃないぞボッチ」
「だったらもっと繊細に扱ってくれ。こう見えて俺、ナイーブなんだ」
「この期に及んでナイーブを主張するとか舐めてんのか? てかここは学校なんだから、敬語を使え敬語を」
生徒相手に「舐めてんのか?」と言う教師には言われたくはない言葉である。
「ったくお前と話してると、どうしてこうもイライラするんだ」
「親父の血を引いてるからなんだろ?」
朱乃が机に叩き付けた拳の音と衝撃で、周囲にいた他の先生方がビクッと震え上がる。
「なんであんたは姉さんに全然似てないんだ!」
「そりゃ血以外で接点がまったく無かったからじゃないか? 性格は生まれた後の経験によるところが大きいから、いくら俺でも知らない人間に似ることはないだろう」
「本当に義兄さんを相手にしているみたいだよ。って、だから話が脱線してるんだよ!」
頭を抱えたかと思えば急に怒鳴り散らす。朱乃は本当にあの母親と血を分けた姉妹なのかと疑いたくなってくるほどそそっかしい。
「あんたもう余計な事は言わないこと、良いね!」
脱線させる原因を作ったのはそっちなのだが、とりあえず首肯しておく。野暮な事を言わないのは世渡りのコツだ。