第10話
「お帰りなさい。では仕事をしてください」
翌日、分室に来た俺にあーやは開幕から素っ気無い挨拶だけを述べた。
昨日こっちは命狙われているわけだが。そして源三はその事実を知っているわけだが、その娘であるあーやは何も知らないようだ。
隠すわけでもなく、別に伝える必要性もない。これはこれ個人の話である。
なのだが、後々知られると怒られるようにしか思えないのはなぜなのか。
「いや待て、何か増えてね?」
昨日、机に積み重なっていた書類のタワー。心なしか見覚えの無い棟がいくつか増えているような。
「推理小説同好会の方々から直々に結崎君へ回して欲しいとのことだったので、そのまま乗せました」
「何してくれてんだよあの野郎!?」
「自作の推理小説十作品だそうです」
「真面目に部活やってたのかあいつら!? いや、それでもいらねよッ!」
「因みに感想カードも預かっているので、この記入までが依頼です」
なんだこれは、トリックの明らかなミスでも指摘しろってのか? 以前完膚なきまでに返り討ちにした百問耐久知恵比べ勝負の報復か何かか。
「こういうのは寧ろあーやの方が適任なんじゃないか?」
「すみませんが文法や文体が砕けすぎているので私は遠慮します」
「つまり読み物としてちゃんと体裁を整えていないので、気になって仕方ないと」
あーやらしいと言えばあーやらしいかもしれん。
「あぁあと結崎君」
「まだ何かあるのかよ」
「ロシア語は出来ますよね?」
「日常会話に困らないくらいにはな」
「なら良かったです」
「だから何が?」
「どうやら九月からロシアの留学生が来るらしく、今室長が生徒会室で対応しています。ですが我が校でロシアの方を受け入れる事は初めてであり」
「おい馬鹿止めろ」
「ロシア語を話せる結崎君を世話係にすることで話をまとめているそうです」
「ふざけ――」
理不尽すぎる命令に抗議の声を上げようとした時、
「Привет!」
分室のドアが開き、かなりテンションの高いロシア語が飛び出してきた。ウェーブのかかったセミロングのブロンド髪に、鮮やかな碧眼。美しさを追求した、それこそ作り物かと疑うほどの均整の取れたロシア系の顔立ち。一七〇センチ近い身長など、フィギュアスケートなんてやったらさぞお似合いであろう美貌の持ち主は、その輝かしい笑顔と共に分室の中を見渡していた。
「結崎君、今彼女はなんと言ったのですか?」
「『こんにちわ』だ」
もっとも、この「Привет!」は英語の「Hi!」に近く、親しい友人同士での挨拶になる。つまり初対面の相手に使うと馴れ馴れしく思われる類であるのだが、それを発した本人はそんなこと気にせずに分室の中を物色している。
「ここが識也のオフィスですか?」
「そうだね、ここで学生たちの依頼を受けているよ」
「依頼を受けるとは、探偵みたいですね!」
続いて戻ってきた室長の答えを聞き、ロシア女は興奮気味な声を上げた。
「おいあいつ今日本語喋ったぞ。しかもかなり流暢な」
それどころか英語と日本語を交える巧みな文法すら駆使してる。
「どうやら日常会話程度なら話せるのかもしれませんね」
暗に「俺要らないんじゃね?」というニュアンスで聞いたのだが、あーやはものの見事に無視してきた。
そこでロシア女が話していた俺たちに近寄ってきた。
「初めまして! あなたたちは識也のお友達ですか?」
「お友達というよりは、後輩になります」
「後輩?」
あーやの言葉にロシア女は首を傾げる。
「仲間だ仲間。спутник」
先輩後輩を重視するのは日本人の特徴である。海外に出ればそれが異質であることが分かる。今回はより正確に表現しようとしたあーやの気遣いが裏目に出た。
「おお仲間ですね! 仲間、いいですね!」
何がそんなに楽しいのか、ロシア女は「仲間、仲間」と連呼し始めた。
「ルナ・アルティミーザ。そろそろ自己紹介を頼むよ」
「そうでしたそうでした。忘れてました!」
室長の一言でロシア女は手を叩き、再び俺たちに向き直った。
「私はルナ・アルティミーザと言います。ロシアから来ました。日本語は結構自信があります。これからよろしくお願いします」
流暢どころか、顔を見なければ日本人が言ってるとしか思えない日本語でルナと名乗ったロシア女はお辞儀をした。
「彼女は九月からうちに留学する事になってるんだ。今回は留学前に一度学園を見てみたいとのことで、一週間ほど滞在してもらう予定だよ。そこで結崎君」
「いやだ」
目配せをしてきた室長に即答する。
「そう言わずに頼むよ」
「いやいやこいつ十分日本語話せるだろ。なんでわざわざ世話役なんて事をやらなきゃ」
「私は日本語は大丈夫ですが、文化について色々勉強したいです!」
「って彼女も言ってるからよろしくね」
「失敗を繰り返して文化を学んでいく方法もあるんだぜ?」
「その尻拭いをするのも僕らの仕事なんだよ?」
問題を起こされてから対処するより、問題が起こさないように監視する方が労力が少ないと言うことか。
さて、じゃあそろそろ「茶番」を終わりにしようか。
「なら交換条件だ。推理小説同好会から推理小説十本が届いてる。これの処理を室長にお願いしたい。こいつと平行して作業なんて不可能だ。それで手を打とう」
「分かった、そっちは僕に任せてくれ。じゃあアルティミーザさん。こちらの彼が案内係になるので、よろしくお願いします。何かあったらロシア語も通じるので頼ってください」
「結崎流斗だ」
「お願いしまーす!」
人の気も知らない体を装い、ロシア女は陽気に挨拶した。