第9話
バックミラーにはオートバイが一台見え隠れしていた。そして少し離れたところ、ミラーなどでは確認できない位置に黒のセダンがいる。警視庁を出てからしばらくして、追跡が始まった。当然志織も気づいているからこそ、車を停めなかった。
「たまにね。仕事が仕事だから、色んなところに恨み買ってるとは思うから。ここ最近はなかったんだけど。実際自分で車の運転するのも久しぶりよ」
「なるほど。家に帰ってこない事情もそこだな」
「まぁね。あんたならまだしも、朱乃や志保になんかあったら嫌だから。ただどこの誰かまでは分からないな」
「これはオリュンポスだな。おそらくヘルメスかアポロン」
「オリュンポス!? 噓でしょ?」
「追跡の仕方で分かる」
「もしかしてあんたを狙ってる?」
「さぁな。俺なのかあんたなのか。情報部のヘルメスなら諜報目的の監視だろうが、アポロンなら仕事は暗殺。こっちの命を狙ってくる」
俺の存在をどこかしらでキャッチしての行動かもしれない。もしくは俺を大々的に逮捕した志織が狙われる理由も十分ある。
ちょうど信号が黄色になり、先頭で車が停止する。片側二車線だが、右折専用車線がある。信号が赤になったところで右折信号が点灯する。
そこでオートバイが動いた。右折専用車線にズレて前進。すぐ横に付けてきた瞬間。
志織の急発進と発砲音が重なり、ハッチバックが後続車に激突した。すれ違いざまの発砲、慌てて前進していたら逆にタイミングが合ってしまうため、ギアをバックに入れていた。後続車には申し訳ないが、無事に銃弾はボンネットを打ち抜いた。
オートバイはそのままの流れで右折していく。志織はパトランプを点灯させ、急ハンドルを切り、右折する。
「追うわよ! あんたはセダン見てて!」
「その件についてなんだが」
俺はバックミラーを見る。
「因みにあっちもチャカ持ってるぞ」
「まったく最悪ね! こちら結崎! パトロール中に発砲したオートバイを確認! 追跡中! 他にも拳銃を所持しているセダンが一台! 至急応援頼む!」
怒鳴るように無線に叫ぶ。時速は八十キロメートル。高速道路の速度には及ばないもの、街中で出すには勇気がいる速度だ。
「左から来るぞ」
後方からエンジンの唸り声が上がる。左車線から横に付けてきたセダンは、助手席に向けて拳銃を向けた。そこで志織が左に急ハンドル。体当たりをかまそうとするが、減速して回避される。
「前トラック!」
「このッ!?」
前方の路肩には荷下ろしをしている引っ越し業者のトラック。慌ててハンドルを右に切る。慣性でドアにぶつかりそうになるのを何とか堪える。サイドミラーがぶつかるギリギリのタイミングに肝が冷える。それもつかの間、前方を走っていたオートバイがいつの間にか横についていた。手には拳銃。
「殺す気満々じゃない! 一旦引くわよ!」
無理に付き合う必要は無いと判断し、志織は脇道に入ろうとする。だがそこで再び発砲音、逃げることを許さないように、銃弾が飛ぶ。
「おかしい」
「ええ頭おかしいわよ。何発撃った? こっちは一発撃つのにもいろいろと手続きが必要なのよ!」
オートバイも背後に回る形になり、完全な鬼ごっこになった。赤信号の交差点で、クラクションが鳴り響く。無理なカーチェイスは逆に事故を誘発するものだが、こちらとて停まってしまっては銃弾にさらされる危険がある。
背後からの銃口から狙いを予測し、志織に方向を指示する。
「いや、そうじゃない。こいつらの狙いが見えない」
「私たちの命を狙ってるんじゃないの?」
「すれ違いざまの一発にかけていたんだとすれば、今ここでしぶとく追い回すのは愚策だ。失敗した時の別プランがあるはず」
「それってつまり、誘われてる?」
今走行しているのは駅から南方向に延びる片側三車線の直線五キロ道路。今は交通量も多くなく、自然と速度が上がる。メーターは一〇〇を超えている。
「この先に登り坂があるわ。舌を嚙まないように!」
「拳銃持ってるな?」
「えっあっ! そこ開けない!」
ダッシュボードの中にある拳銃を取り出し、シートベルトを外す。窓を開け取っ手を左手で掴み、右手だけ窓の外に出した。
「最低限の弾数で仕留めればいいんだろ」
「一発でアウト!」
一〇〇キロの風圧では体の固定は難しい。銃身を固定するなんて不可能。かつ真後ろにいる相手には照準は合わせられない。相手が左右にぶれて姿を見せた瞬間を狙うしかない。せめて一瞬でも動きを固定できれば……。
動きを止める。坂道。
その瞬間、俺の頭に電撃が駆け巡る。同時に車は坂を上りきる直前。
車はその加速度により前輪が持ち上がる。
「ブレーキッ!」
車が坂の頂上から発射される瞬間、車内に戻った俺は言葉とともに、志織の頭を力づくでハンドルに押し付けた。急ブレーキの慣性で体が打ち付けられる。同時に破砕音、そして爆発音。視界の隅で細かいガラスが宙を舞う。遅れて車が再び地面と接触する衝撃。脳を、体を大きく揺さぶる衝撃に、一瞬頭が真っ白になる。
耳も眼もろくに使えない状況だが、なんとかハンドルを切り、射線上から離脱する。
「一体何が……」
車を停止させ、体を起こした志織は目の前の状況を見て言葉を失った。一点を中心にフロントガラスに乱雑な蜘蛛の巣上の線が走っていた。そしてその一点は白い円としてくりぬかれている。予想される事態を察し、後ろを振り返る。リアガラスは粉々に粉砕されていた。
「狙撃だ」
細かいガラスの破片に注意しながら体を起こす。
「そんな、だって正面からよ? 狙撃できる場所なんて、まさか四キロも離れた駅のどこかから狙い打ったっていうの?」
「今日は無風。気象的には好条件だ。おそらく車体が浮いた一瞬、射線と重なる瞬間を狙い打たれた」
ブレーキをかけて減速したから、車体はあまり浮かずに済んだ。ほんのわずかなズレを生んだ。だが照準をフロントエンジンにしていたのか、直前で修正したのか、弾丸は志織の脳天を打ち抜くコースを通っている。頭を押さえつけなければ、血の海だった。
そこで爆発音が響く。車から降りて大通りの様子を見に行くと、炎上するセダンがあった。ガソリンに引火したのか、火の勢いは増している。突き抜けた弾丸が、そのまま背後のセダンに直撃、そしてエンジンだかガソリンだかを粉砕した。
本来なら俺たちがなっていたであろう惨状がそこにあった。あの火の中ではおそらく人が燃えている。こちらの命を狙っていた相手だが、おそらく口を開くことは二度とないだろう。気づけばオートバイも姿を消している。
「もしかして事務次官狙撃と同一犯?」
「ここまでの実行力、幹部クラスではあるだろう」
駅前に誘い出し、車が浮く瞬間に長距離狙撃。しかも車を一発で粉砕するほどの代物。狙撃手の力量もそうだが、準備したブツも規格外だ。
化け物と呼ばれる存在に睨まれたことは確かだった。
調査の結果から、やはり四キロ離れた駅のホテルの一室から狙撃されたことが判明した。だがその部屋を借りていた人物は当然偽物。防犯カメラを見ると、部屋を借りた人物は鍵を開けただけで室内に入ることはなかった。そして別の人間が何食わぬ顔で入室していき、狙撃をしたとみられる。炎上したセダンも盗難車であり、明確な情報は辿ることができなかった。