第5話
《入れ》
「失礼します」
ドアの奥からの許可を聞き、俺たちは室内へと入っていく。
「やっと来たか、待ちくたびれたぞ」
部屋の一角、高価そうな革のソファーには野蛮そうなゴリラがスーツを身に纏って腰掛けていた。もみ上げから顎まで綺麗に繋がった髭は相当の貫禄を感じさせ、霊長類の頂点と言われるのも頷ける風貌である。ドラミングをしたらさぞかしいい音が出るんだろうな、と思える外見をした君塚源三は、しかし何か疲れた口調であった。
その横、ソファーには座らず源三に控える形で1人の若い男が立っている。スーツ姿の優男然とした、風貌の男は志織の姿を見るなら分かりやすく安堵の表情をこぼした。
そしておっさんの正面、俺たちに背中を見せて座っている一人の男に目がいった。男も俺たちの存在に気付き首を回す。
ブロンドの髪をワックスでべっとりと固め、縁の尖った性格がきつそうな眼鏡。おっさんと比べたら劣るが、がっちりとした体格の白人の男は俺を軽く見て、そのすました顔をすぐおっさんに戻した。
「ミスター君塚、これはどういう状況ですか?」
そして苛立ちの篭もった言葉を投げかける。
「ミス結崎はグラウクスを搬送しに行ったはずです。なのに彼女と共に帰ってきたのはどう見ても少年だ。これは何の冗談ですか? 彼がグラウクスだとでも?」
「全く持ってその通りだ」
「あなたは、いえあなた方は私を侮辱しているのですか?」
白人男性は分かりやすい苛立ちを示した。
「誠実さとは日本人が持っている美徳の一つであると認識していましたが、それは改めなければいけませんね。会わせる気が無いのなら最初からそういえばいいでしょうに、わざわざこんな茶番まで仕掛けるとは遺憾としか言えませんね」
「いえそういうわけではなくてですね……」
まくし立てるように話す白人に、おっさんは何とも表現し難そうに言葉を濁した。おっさんも嘘は言っていない。ただ、事実が常識的に信じられないほど奇怪なだけだ。
「誰だあれ?」
「ICPUのトム・ボーン捜査官。オリュンポス関連の事件を担当している方よ」
だがあちらさんはご立腹だ。まぁ自分が血眼になって捜査しているオリュンポスの犯罪者が、極東の島国に掻っ攫われただけでなく首輪を繋がずに高校に通わせているなんて信じられる訳が無い。
「帰らせていただく。今回の件、しっかりと上にも報告しますよ」
テーブルに拳を叩き付けた後、ボーン捜査官殿は荒々しく席をたった。
「お待ちくださいボーン捜査官!」
「ミス結崎、私はあなたを尊敬していましたが、今はもう軽蔑しか感じません。このような方だったとは失望しましたよ」
俺たちの横を通り過ぎる際に、捜査官殿は毒を吐いた。
そして俺を一瞥し、しかしすぐに目線を切った。
「それは俺の台詞だよ、トム・ボーン捜査官」
その自分が正しいと微塵も疑っていない蔑んだ瞳を、たまらなく壊したかった。
「何か用かなボーイ?」
扉に手をかけようとしていた奴は、瀬戸際で足を止めた。
「この状況で俺の存在を確かめない時点であんたの底が知れたよ。所詮は上辺だけ繕って本質を見抜けないぼんくらに過ぎないってな」
「口を慎んだ方がいいなボーイ。子供がしゃしゃり出る場では無いのだよ。大人しく机にかじりついて勉強でもして」
「そいつは自分の事を言ってるのか? 子供の頃は運動がからっきしダメで勉強しか取柄がなかったのはあんただろ? ついた渾名が枝豆だっけ? 無駄に身体だけでかくてひょろっとしている。お似合いの渾名じゃねえか。ネーミングセンス抜群だ」
「なんだと!?」
そこで捜査官は目に見えるほどの動揺を表した。
「そうやって学力で見下しているから学生時代に十三回も振られるんだよ。社会人になってからもあれこれ相手の生活に口出して、そのくせ夜の営みじゃちっせえ象徴で縮こまってりゃ誰だった愛想尽かしちまうよ。『ポークビーンズみたい』って笑わせるなよ」
「何を言っているのか分からないなボーイ……一体誰にそんなことを吹き込まれた?」
殴りかかっては来ないが、語尾が震えている。こいつはもう少しやっておくか。
「そりゃお前、言った本人に決まってるだろ? あれ、もしかして知らなかった? キャシー・ブラウンは、オリュンポスのスパイだったんだぜ?」
「いいだろう……どうやらその口は言っても閉じそうに無いようだなボーイ」
捜査官殿は持っていた鞄を床に落とし、コリをほぐすように首と肩を回した。
「この程度で逆上するなんてあそこだけじゃなくて器もちいせえな。いいぜ? やるってんなら相手になって」
「やめなさい」
静かな言葉と共に、志織に後頭部を軽く殴打された。全くこの姉妹は人の頭を叩くことが好きらしい。
「先に売って来たのはあっちだぞ?」
「油注いだのはあんたでしょ? まぁそのおかげで足を止めてくれたのだから結果オーライだけど。さて、これで少しは話を聞いてもらう気になりましたか、ボーン捜査官?」
今ここで俺が煽らなければ、そのままボーンは部屋を出て行っただろう。だがそんな状況を予測できない志織ではない。もしかしたらこの状況も踏まえて全て志織の掌の上だったのかと疑ってしまいそうになる。
それを確かめる術は俺にはない。俺には受け継がれなかった。
経験と勘による推測。俺にはそれしかできない。
「……なるほど、このボーイがただのボーイでない事は良くわかった」
一度深く息を吐いた捜査官殿は、
「話は聞きましょう。しかしそこから先をどう判断するかは保障しません」
未だ厳しい目つきで俺たちを見据えていた。