10話
すると君塚先輩は俺の正面まで歩み寄ってくる。真っ直ぐにその瞳で見つめられると、心臓を鷲掴みにされたような気分に晒され、どうしても悪態をつきたくなってしまう。反抗期真っ只中のガキか俺は。
「改めて。学芸特殊分室所属二年、君塚絢音です」
「結崎流斗だ。敬語の方がいいか?」
「室長に使わず、私に使うのは道理に合わないでしょう。楽にしてください」
「……因みになんて呼べば良い?」
「お好きにどうぞ。私の方は結崎君とお呼びします」
「じゃあ……あやや?」
ものすっごい睨まれた!
「……因みに聞きますが、何故それを採用しようとしたのですか?」
平常心を保とうとしているが、澄ました表情の裏で不服に感じているのが分かる。
「単なるコミュニケーションだ。せっかく自由にして良い権利をもらったんだからな」
正直言うと、呼び方だけでも軽くしないと、息が詰まりそうなんだよ。
「確かにお好きにとは言いましたが、初対面としての礼儀はないのですか?」
「ならお好きになんて身勝手な言い方はしない方がいい。俺に必要最低限の礼儀を期待するな。しなくていいなら俺は全力でしない。そういったことには手を抜かない」
「全力のかけ方が見当違いの方向に飛んでるけどね」
「純粋なんだよ。それでどうする? どうしても嫌ならば、妥協案を出すが?」
「……因みに聞きますが妥協案とはどうなるのですか?」
あやや(暫定)は難しい顔をしながら尋ねてくる。
「意外だな。君塚先輩と呼ばせればそれで済むはずだろう」
ここまで話に乗ってくるとは意外だった。正直俺の態度はふざけている以外の何物でもない。それに律儀に付き合うとはよほどの暇人か、よほどの馬鹿のどちらかだ。
「いえ、お好きにと言ったのは私です。今さらそれを撤回するつもりはありません」
なるほど、確かに馬鹿(真面目)だ。ここまで直線的だと逆に笑えてくる。そういったところも似てはいるが、こちらはかなり不器用なようだ。
「それで、妥協案はどうなっているんですか?」
「んじゃ、あーやとか?」
食いついてくると思っていなかったため、本当に適当なあだ名だった。俺としてもここまで来てしまった手前、君塚先輩と呼ぶ気にはなれなかった。
「……分かりました。あーや、いいでしょう」
渋々、といった風情であーや(公認)は答える。納得したくはないけれど、自分の中の意地と天秤にかけた結果、甘んじてそのあだ名を受け入れたようだ。
「なんならそっちも俺にあだ名つけてもいいぞ?」
「いえ、遠慮させていただきます、結崎君」
語尾を強調してきっぱりと言われた。受け入れはしたが、根には持っているらしい。
「うん、それじゃあ親睦も深めたところで、早速今日の研修に入ろうか」
室長を先頭に俺たちは事務室へと戻ってくる。
今まで静かに観戦していた室長は手を叩き、楽しそうに笑みを浮かべる。何だかんだ乗せられてしまったが、もはや気にしても仕方が無いだろう。『世の中、なっちまったもんは仕方が無い。うじうじ悩むな、不遇を嘆いている暇があんなら少しでも状況改善に努めろ』との言葉は、親父から耳にたこができるほど聞かされた。
「何かめぼしい案件が届いているのですか?」
「そうだね、仕事なら何件かあるけれど……ん、ちょっと待ってね」
机に広げた書類を眺めていた室長は、目線をパソコンのモニターに移した。
「応援ですか?」
「いや、通報だね。どうやら体育館側の部室棟の方で問題が起こったらしい」
「分かりました、直ちに向かいます」
言葉とともにあーやは席を立つ。
「頼んだよ。結崎君、最初から突発的な問題だけど、まぁそれこそがここの存在意義だ。期待しているよ」
「期待されると裏切りたくなる性質なんだが?」
「期待しているよ」
「……そうかい、分かったよ」
何を言っても聞き入れてもらえないらしい。なら、もうやることは決まっている。
俺は先に部屋を出て行ったあーやに続いて、分室を出た。