AVG声優の妄想と食卓
「……うー…わー………」
渡された台本をさらさらとめくり、いつもの通り半分以上が喘ぎ声やらで占められているのを確認しつつ、タイトルのすぐ次のページに書かれたあらすじを読んで、私の喉が勝手に呻いた。
猫が鳴くより馬がいななくより自然に、喉の奥から漏れたのだ。呆れが主成分を占める呻きが。
台本を渡してくれた木原さんも苦笑なんだか呆れなんだか、微妙な顔をして笑っている。
「まあ、同人ゲームだから商業より緩いでしょ」
「それにしたってこの設定は無いでしょう。作るのはプロのレーベルなんでしょ? 大丈夫なんですかコレ。未成年なんちゃら法でひっかかりません?」
「大丈夫大丈夫、多分。もっと酷い設定のゲームやコミックだって野放しなんだから」
「それ見つかったらアウトってことじゃないんですか…」
大丈夫と多分、を同じ文に同居させるという無茶っぷりを発揮した木原さんは、事務所内に置いてある自販機から緑茶を買って私の前に置き、向かいのソファに座った。
一応来客用の黒革張りのソファだが、滅多にない来客の為ではなく社員の仮眠ベッドとして大活躍して十年来のソファだ。小柄で痩せ型の女性、木原さんが座っても、ぎしぃ、と哀れにきしんだ。
底が抜ける日も遠くないと言われ初めてはや数年。とってもけなげで頑張り屋さんのソファなのだ。
私が座る時にどんな音を立てるのかは……言うまでもない。
「もう新人ともいえないあなたにこういう仕事をさせるのは申し訳ないんだけど、」
「いいですよ、仕事をいただけるだけでありがたいです。むしろおにいちゃんらめえあんあん言ってるロリキャラの声をアラサー女が出してるほうが申し訳ないくらいで……。またロリなんですか」
「またロリです。ごめんなさい。あなたの希望しているのが朗読系だというのは分かっているんだけど、あなたの声質って……」
木原さんは優しく言葉を濁したが、続けたい言葉は分かる。
あなたの声質ってどう頑張っても二次元ロリキャラアニメ声なんだもの。
木原さんからじゃなくても多方面から同じようなことを言われてるから、もう慣れました。
文学小説朗読系の仕事は、落ち着いて抑制のきいた声が好まれる。何度もオーディションを受けたが、一度も受かったことはないし、無論、オファーだって来たことがない。
来るのは、AVGや深夜アニメばっかりだ。別にそれが嫌だとか贅沢を言うつもりはないけれど、この業界で頑張り屋さんのソファと同じくらい生きている私は最近、がたが来つつあるソファのきしみを聞くたびに、自分の将来について考えてしまう。
そんな悩み深きアラサーに手渡された台本がこれ、とくれば尚更遠い目にもなろうというもの。
「ニートの兄が○学生の妹を、ニート資金を作る為に売り払うって。どんな無茶設定…しかもこれ、○のなかが小でも中でもアウトですよね……それにしても無茶設定。私が妹ならこんな兄は惨殺します。一寸刻みにで切った部分を焼肉にして焼肉のたれをつけてからおにいちゃんの口に」
「止めてお願いもうやめて! その妄想怖い妄想怖いですグロ禁止!」
「むー…まだまだ続くのに。じゃあ木原さんならどうします?」
「私なら兄を売り払うかな。ヤフオクで」
「ヤフオク!」
人身売買は禁止されているはずだが、動物も売っているヤフオク様なら人間だってうっかり売られててもいいような気がする不思議。それにしても一寸刻みと残酷度はそう変わらない気がするよ木原さん。
優しそうな顔で、事実面倒見がよく優しく頼れるマネージャ木原さんの暗黒面を覗き見て慄いていると、木原さんは向こうにいる社長に呼ばれてしまった。
「ごめんなさいね。じゃあ収録は明日からです。場所と時間はこれね」
「はい、ありがとうございました」
木原さんに頭を下げて事務所を出た。この仕事のおかげでアパートの家賃も払えるし、これからスーパーに行って買い物も出来るのだからありがたいことなのだ。
「ありがたーいありがたーい、ことだよねぇ」
でももう私は、おにいちゃんいっちゃうぅびゅくびゅくだけの台本を、渡されてもあんまり嬉しくない。
◇ ◇ ◇
家の最寄のスーパーでキャベツの切り口を見比べながら、それにしてもあの台本…、と思い返した。台本というより木原さんだ。まさか彼女の口からあんな黒い言葉が聞けるとは思わなかった。いつもは私がどんな妄想トークで誘いをかけても「仕事ですよ」と笑顔を浮かべるだけなのに。
でもヤフオクというのはなかなか面白いではないか。
家に戻ってキャベツを千切りしながら思う。
あの台本では、人身売買をするような危ない組織とニート青年の接点が曖昧だった。そんな細かい設定いらないし、本筋から外れちゃうシナリオに長い時間をかけてられないということなのだろうが。
まあネトオクも設定としてはイマイチだが、海外では自分の祖母をオークションに出した少女もいることだし、これはこれでアリかもしれない。
うん、ちょっとロリの……なんだっけ、そうそうミチカちゃんになってみよう。
「ミチカいっぱい考えたの、お兄ちゃん。ニート資金をお兄ちゃんが自分で稼げる方法♪ えへー、これ見てみて? おにいちゃんけっこう高値がついてるよ。おにいちゃんのためにがんばったんだ。ねぇおにいちゃんミチカのことほめてくれる?」
舌ったらずで甘えた声で、ジャガイモニンジン玉ねぎ鶏肉を放り込んだ鍋に向かって言ってみる。なんだかいい調子だ。私としてはオイルタンカーとかマグロ漁船とかに売られて欲しいが、それではエロゲにならない。残念だけどここは個人の好事家に買われてもらうしかないだろう。れっつ性奴隷。
ミチカを売ろうとしたおにいちゃんにはお仕置きで、ご主人様はぶよぶよと太ったSM趣味のハゲオヤジとか良いかもしれない……。
駄目だ、想像して食欲が失せた。今日はチキンカレー☆の日だというのに、なんてことだろう!
やり直しだ。
「おにいちゃんすごーい! いち、じゅう、ひゃく…はっぴゃくまんえんで落札だって。あ、メール入ってきた。ねえおにいちゃん、すぐに返信しなくちゃ。え? 何で嫌だなんて言うの? ミチカはおにいちゃんがずーっとニートで居られるように協力してあげてるのに!」
水を鍋に入れるといい音と共に野菜と鶏肉の香りが広がる。中火にしてアクを掬いながら、うろたえ怒る兄に頬を膨らませて反論する妹になりきってみた。たとえ暴力に訴えられたとしても、引きこもりニート青年の腕力なぞたかがしれている。毎日コントローラーとリモコンしか持っていない腕で、毎日体育の授業で鍛えている○学生に敵うわけがない! 返り討ちにしてくれるわ!
………いけないいけない。ロリっこおにいちゃん大好きーキャラから大きく踏み外してしまったわ。
「もう! おにいちゃんがメールしないなら私が返事を書いちゃうからね! 納品はいつがいいかな~、おにいちゃん学校行ってないから明日でも良いよね♪ わあ入金はやーい。明日迎えに来てくれるって、良かったねおにいちゃん! もおーぅ、そんなことばっかり言ってるならミチカ怒っちゃうもん。荷造り手伝ってあげるから、我侭いわないでよぅ。あ、お洋服も下着もいらないって。歯ブラシとーPSPはいる? DSのほうが良いのかな。もう、おにいちゃん! 往生際が悪いよ」
うふふふ、良い感じだ。
玉ねぎが半透明でとろっとしてきた。ニンジンに菜ばしを刺すとすんなりと通る。私はもう少し火を通して野菜が煮崩れ気味になっているのが好きなのだが、それは明日のお楽しみにしておいて、一旦火を止めてカレールーを割りいれる。シナモンとオールスパイスのパウダーを一緒に振り入れる。火を入れなおして弱火でルーを溶かしていきながら、頭の中ではツインテールロリっこがおにいちゃんの部屋でスポーツバッグに携帯ゲームとノートパソコンとゲームソフトを手当たりしだいに入れている。
『おにいちゃん』は魂を口からはみ出させながら部屋の隅で体育座りをしていた。妹を売り物にしようというくらいだから、なかなかに可愛く整った顔をしているのだろう。そんな青年がこれからあれこれされちゃうのかと思うと……うふふ、ふふふふふ………あっといけない。カレーがこげちゃう。
千切りをして塩で水抜きをしておいたキャベツに缶詰のコーンや水にさらしておいた玉ねぎのスライス、とシラスを混ぜてヨーグルトと粉チーズとマヨネーズでさっさと混ぜる。このコールスローっぽいサラダが私のチキンカレー☆には欠かせないのだ。
ま、食べるのは私一人なんだけどね。この歳になると一人ごはんの気楽さが身に染みるわ。
あ、ミチカとおにいちゃんは一緒に食べる最後の夕飯だね。
「今夜はおにいちゃんと一緒に食べる最後のご飯だから、ミチカ頑張って作ったの♪ いっぱい食べてねおにいちゃん。はいあーん」
おにいちゃんあーん。ゲームでもアニメでも言い飽きたなぁ。この仕事を続ける限りまだまだ言うんだろうなあ、おにいちゃん、あーん。
ミチカに促されたおにいちゃんは、魂を口の中に戻して口を開けた。カレースプーンに山盛りのカレー。
『おいしいよミチカ』
「ほんとー? ミチカうれしい。おにいちゃんだーいすき♪」
『大好きなおにいちゃんを売っちゃったのかミチカ』
「だっておにいちゃんの為だもーん。一年ではっぴゃくまんだよ、一年後からはニートし放題なんだよ」
『ミチカ頼む! 俺今夜のうちに逃げるから明日なんか言い訳してくれ』
「だめー。おにいちゃんそんなイジワル言うなら、ミチカ今夜は一晩中おにいちゃんを見張るんだからね!」
『ミチカぁ』
「カレー食べて。サラダも食べてね。おにいちゃん♪ 明日から頑張って、ミチカいっぱい応援してるから」
カレー皿もコールスローの小鉢も空っぽだ。今日も美味しかったわ。
おにいちゃんのご主人様がわりとまともな人だといいね。