はかる。
はかる。
前方一時、右におよそ三十度といったところ。だいたい三メートルかしら。これがわたしと貴方の距離なんだわ。鉛筆で貫いた三角定規をくるくる回しながら弄ぶ。時々尖った先がかすって痛い。貴方はお友達と楽しそうにおしゃべりしている。たぶん昨日のプロ野球の試合のこと。わたしはルールは全然知らないけれど、貴方の好きな選手が活躍していたのはちゃんと見ていた。背番号は三番だった。三振と、四球と、死球だった。選手の名前はなんだったかしら?
三メートル。
こんなにも近くにいるのに貴方はわたしに気づきもしない。こんなに貴方を見つめているのに。こんなに貴方のことを思って、数えて、考えているのに。貴方は振り向いてくれやしない。野球の話ができないから? だったらちゃんと野球のルールを覚えるわ。選手だって背番号だけじゃなくて、顔も名前もちゃんと覚えるから。だからもっと距離を詰めてよ。
……いいえ全部ウソ。わたしは心のうちで溜息を一つ。貴方がわたしに気づかないのは当たり前だわ。だって一度も、話したことさえないのだから。
この三十三人の教室で男子は十五人、そのうちの一人があなた。
女子は十八人、そのうちの一人がわたし。
わたしにとって貴方はたった一人なのに、貴方にとってのわたしはたったの十八分の一なのだから。
ああ、なんでこの年頃はみんな、男の子も女の子もこんなに面倒臭いのだろう。ちょっと話しかけるだけなのに、しちゃいけないこととしなくちゃいけないことが数えきれないくらい多すぎる。溜息をもう一つ。距離は、ほんとうは三メートルでは全然済まないのでしょうね。そう思うと溜息が止まらない。いいの、わたしはじっとしていよう。貴方を見ていられさえすれば、知られていなくても幸せなはずだから。わたしは三角定規をくるくる回す。溜息をもう一つ。尖った先が刺さって痛い。
貴方は友達と歩き出す。何の気なしにわたしの方へ。そうね、そこが近道だから。でもわたしは黙っていよう。黙ってうつむいたふりして三角定規をくるくる回す。尖った先は机にぶつかる。三角定規はぶつかって止まる。
机と机の間を縫って、貴方はどんどん近づいてくる。わたしの横を通り過ぎる。それでもわたしはじっとしていよう。貴方にとって、わたしは知らない女の子。だけど私は――
ガタリと机がおののいた。貴方の足がぶつかったのだ。
私は思わず顔を上げる。しまったと思う一瞬もない。
瞳が逢っちゃった。
「あ、悪ぃ――」
そして、貴方ははわたしの名を呼ぶ。
――呼ん、だ?
いま、わたしの名前呼んだの?
わたしのこと、知ってるの?
わたし背番号ないのに?
「そりゃあ、それくらいは」
「どのくらい!」
勢いあまって、われしらず手にした三角定規を突き付けていた。
貴方は一瞬うろたえる。変な女と思ったかしら。
「……少なくともそんなちっちぇえ定規よりはな」
つまらなそうに言い捨てて、不貞腐れたようにぷいとそっぽを向くと、貴方は友達を追いかける。また距離が開く。もうだいぶ先、十メートルくらい。さっきまでよりもずっと遠い。
だけどどうやら、わたしははかり違えてたようね。
ちっちぇえ定規を投げ捨てて、わたしも慌てて貴方を追った。
(了)
格納No.3。2007年作。mixiのどっかのコミュで三題噺のお題に出された「わたし」「あなた」「定規」に応えたもの。(※2013/09/06補訂)