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5.みる、みない、みる。

 すべてを(こば)むような声に、アーフィはのばしたまま宙をさまよっていた手を少しひっこめて、黒い服のすそをつかんだ。


「寒いのは、ロイさんのほうでしょう?」


 さっきから、泣きそうなのも震えているのも、冷えきっているのもロイさんの方。

 アーフィはそっと言って。

 そしてすぐに後悔した。

 ロイの顔がくしゃりと(ゆが)んで、楽しそうな夕食の光景もかき消えてしまったからだ。


「寒くはないよ。感覚なんて高尚(こうしょう)なものは、とっくに無くしてしまったんだから」


 静かにロイが言う頃には、透明な村はその姿を少し変えていた。

 男の人たちに担がれて、小道を音もなく進む・・・白い布で覆われた(ひつぎ)

 その隣を泣きながら歩いている、どこか見覚えのあるあの女性は・・・ロイの、母親だった。

 耳飾りが左耳に一つふえている。

 その意味が、アーフィにはなんとなく分かった。


「眼をつむって、耳をふさいでおいで。ていて気持ちのいいものはもう現れないから」


 (おだ)やかに吹く風の中、けれどその髪すら揺れない幻の葬列(そうれつ)が進む。

 村はずれの、白い花で囲まれた広場に、掘りかえされたばかりの深い穴があった。

 男たちが穴の底に棺を横たえ、女たちが白い花を(そな)え、子どもたちが何かの種をふりまく。

 どっと老けこんだようにみえる村長さんが、しわだらけの右手で左耳の耳飾りを揺らし、左手に持っていた杖で大地を叩いて空をあおいだ。


 参列した人々が、左耳の耳飾りをゆらす。

 女たちが口を開き、さざなみのような旋律が広場に満ちた。

 くりかえし、くりかえし。

 高く、低く。大きく、小さく。


 同じ旋律が、違う言葉をのせて響きつづける中で、穴は土で埋められ。

 掘り返した痕跡が残るその場所に、青い花が一輪植えられた。

 ふと視やれば、同じ花が、広場のあちこちで風に揺れていた。


「・・・眼は、そらさないの」


 呟くように言って、アーフィは死者の眠りの地を前にたたずむ、幼いロイを見つめた。

 その後ろで、薬師のラズが、拳を握りしめてうなだれているのが眼に焼きつく。

 同じしぐさを、アーフィは知っていた。


 流行り病(はやりやまい)でヤギが次々と倒れて、水すら飲めなくなって、次々と死んでしまったときに、村の皆や、先生や・・・もちろんアーフィ自身も、同じようにうなだれていた。

 それは、たすけられなかった悔しさや、何もできなかった自分への(いきどお)りが、叫びだしたいくらいに、叫びだせないくらいに、身体の中で渦巻いているときの、しぐさだった。

 

「わたしの村ね、先生が1人いて。文字や、計算や、いろんなことを教えてくれるの」


 言う間にも、幻の中の時間は動いていて。

 参列の人々がそっと広場を後にする中で、透きとおったお母さんの腕が透きとおったロイを抱きしめる。

 その服のすそを、透きとおった栗色の髪の少女が、ぎゅっと握っていた。


「・・・この間、先生が言ってた。

 目の前にあるものから、眼をそらさない方がいい、って」


 眼をそらしたら、本当が分からなくなるから。

 

 覚えている言葉をそのまま(つむ)いで、小さく息をつく。

 言葉に込められたものの重みに、今さら気づいたような気がした。


「・・・ロイさんは、村の人が好きなのね」

 

 泣き出して、そして皆をもっと悲しませるのは嫌だ、と。

 そんな声が聞こえた気がして、アーフィは言った。

 本当のところはよく分からなかったし、言葉にしてはいけないのかもしれないとも思ったけれど。

 声は、真実そのもののように響いた。


「・・・みな。本当に、いいヒトたちだった」


 ぽつり、と。

 呟くようにロイが笑った。


 幻が、その姿を変える。

 花に囲まれた広場が視界を通りすぎ、木造の家々と畑が広がり。

 そうしてそこに、ロイとその家族が視える。


 冬が来て、春が来て、秋が来て。

 畑を耕し、種をまき、世話をし、収穫(しゅうかく)をして。

 そのどれもに、男手をなくした家族の世話をなにくれとなくやく人々の姿があった。


 それからしばらくして。

 今のアーフィより少し年上になったロイの妹が、家の仕事をなんとかこなせるようになってから何度か季節がめぐるころに、今より少し年若いロイが、旅支度をして村を出て行こうとしていた。


「<冬の間だけ、町に出稼ぎに行くことにしたんだ」


 疲れはてたような声に、アーフィはロイを見つめた。

 (かげ)をおびたその横顔が、何か遠い存在のようにも見えて。

 つかんでいた服のすそを、ギュッと握りなおす。

 透明な村の向こうで、夜の闇が深まったような気がした。


「春になったら、かわいい飾り物をいくつか土産に、帰ってくるはずだった」


 それっきりで、すうっと揺らぐ家々に、アーフィは気づいた。

 この続きを見せたくないのだ、ということに。


「・・・ロ」


 口に出しかけた言葉に、顔をゆがめる。

 改めて考える必要もないほど、とんでもない我儘(わがまま)だった。

 見せたくない、と考えるものを、見せてといわれるのは自分だって嫌なのに。

 それでも、今知ろうとしなければ二度と知ることができないような切羽詰(せっぱつま)った感覚が、言葉を口から押し出した。


「何が、あったの?」


 まっすぐに、アーフィはロイに向きなおった。

 自分よりずっと年上の男の人は、幻の中の幼さをにじませたまま、そこに座っていた。


「・・・私は。きっと、酷くずるいことをしているんだろうね」


 どんな罪よりも、ずっと酷いことをしようとしているんだろう、とロイは呟いた。

 アーフィは、その言葉の意味をとらえきれないまま、闇色の(ひとみ)を見つめた。


「すべて。誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。誰にも、知られたくなかったのかもしれない」


 二つの視線が交わる。

 何かを思い出せそうな気がして、けれど思い出せずに。

 アーフィは、漆黒の双眸(そうぼう)を、眼をそらすことなく見返した。


「神さまは、いると思うかい?」


 いっそ泣いたらいいのに、とアーフィは思った。

 悲しいのか、怒っているのか、痛いのか、それらが全部混ざったようなロイの表情に。


「・・・・・・・今さら。本当に、今さらな話だ。

 忘れてくれてかまわない。いつ耳を塞いでも、眼を閉じても。

 その手を、離して。君の村に帰っても。それで、かまわない」


 だから、話してもいいかな、とロイは言った。

 アーフィの村のはずれに住むお爺さんが、古い悲しい話を聞かせてくれたときよりずっと、あきらめたような、すがるような口調で。


 服のすそをつかんでいた手を、アーフィはそっとはなした。

 それから、膝を抱えてうずくまるような姿勢をとっている黒づくめの身体の、左横にぴったりと座って、その身体に腕を回す。

 黒い服ごしの抱擁(ほうよう)は、肌に触れるのと変わらず、凍てつくような感覚をアーフィに与えたけれど、はなれる気にはなれなかった。


「聞かせて。ロイさんのおはなし」


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