3.その言葉の向こうがわ
「私の家はね、その小さな通りの先にあった」
静かな声とともに、幻が変化する。
つい先ほど現れたばかりの家と家の間に、土を踏み固めただけの透明な道が現れた。
道の先には、小さな家があり。
家のすぐ側の花壇では、見たこともない草が育てられていた。
「あの花壇は、私たちの自慢だった。曽祖父の・・・父の父の父の頃から集めた薬草を植えていたから」
「わたし、たち?」
笑うように眼を細めて、ロイが頷く。
「両親と、妹がいたんだ。ちょうど、君のような年頃の」
その言葉とともに、家が透けた。
樫の木の扉の先は、土間の台所。
その向こうに、寝室が1つ。
暖炉と机と椅子と、寝台が、家具のすべてだった。
どれも、いくどとなく修繕されながら丁寧に使われているのが一目で分かる。
「父は、とても器用な人で。木を組み合わせて机や椅子を作るのが得意だった。あの机も、椅子も、寝台も、父が作ったものなんだ」
家の裏から、小刻みに何かを叩く音が響く。
音がついた幻なんて見たことがなかったアーフィは、眼をまん丸くしてそちらを眺めた。
透きとおった家の向こう側。
黒々としたあごひげをたくわえた、やっぱり透きとおった男の人が、身体の大きさからは想像もつかない丁寧さで金槌をふるっていた。
使いこまれた金槌が、木の釘をかるがると打ちつけて。そうして目の前で椅子が作り上げられていく様子は、アーフィを感嘆させた。
「すごぉい」
そうか、と誇らしげに笑って、ロイは続けた。
毎朝ひげを整えるのが日課の、優しくて力持ちで、怒ると恐い父親の話を。
その口調に自分の父親のことを思い出して、アーフィはくすりと笑った。
金槌を持たせたら力加減に失敗して叩き壊してしまうくらい不器用なお父さんは、優しいけれど怒ると恐いところが、ロイのお父さんと似ている気がした。
「ロイさんは、お父さんが好きなのね」
虚をつかれた顔、というのはこういう顔なんだろうか、とアーフィは思う。
隣の叔父 さんがたまに使うその言い回しは、難しすぎてまだ意味があまり分からないのだけれど。
「・・・あぁ、好きだったよ」
優しいまなざしを幻に向けながら、ロイは新たな話を始めた。
料理と、刺繍を含めた裁縫全般が得意で、いつもほがらかに笑っていて、薬草を育てることにかけては村一番で、けれど何もないところで毎日のように転んでいた母親の話を。
視線の先では、栗色の髪の女性が忙しそうに立ち働いている。
夕食なのだろう、なじみのある野菜が、暖炉の上で煮込まれていた。辺りにただよう香りに、口の中がたちまちつばでいっぱいになる。
「おいしそう」
「おいしかったよ、とてもね」
茶目っ気のある笑顔で、ロイが言う。
「いいなぁ。わたしのお母さんなんて、ニンジンを最後に入れたりするのよ」
生煮えのニンジンの硬さと苦さを思い出してしまって顔をしかめたアーフィは、だから気づかなかった。
一瞬、哀しそうな顔をしたロイに。
「今のうちに、たくさん習っておいで」
優しく紡がれた言葉の向こうがわに、深い何かを感じて。アーフィはロイをしっかりと見つめた。
確かに笑っているその顔が、どうしてだか泣いているように思えて、なんだか胸が重くなる。
「もちろんよ。だって、おいしいご飯が食べたいもの」
口を尖らせてみても、胸はちっとも軽くならなかった。
そんなアーフィの様子に気づいたのか、ロイが声をあげて笑う。
「違いない。妹もよくそう言って、母に料理を習っていたよ」
促されるまま、透き通った家の中を見やれば、アーフィと同じくらいの背丈の女の子がお皿を運んでいるところだった。
「あぁやって、皿を洗ったり、運んだり、鍋をかきまぜたり・・・味見をしているときが一番楽しそうにしていた」
幻の中では、女の子が味見をしている。
切れ長の栗色の瞳が、色は違うけれど、ロイにちょっと似ている気がした。
そのまま黙り込んでしまったロイを見上げて、アーフィはちょっと考える。
目の前に広がる幻と背の高いロイの顔を交互に見ているせいで、なんだか首が痛くなりそうだった。
「座って、お話ししませんか」
気づいたら、立ちっぱなしの足もちょっと疲れているような気がして、アーフィは言葉を続けた。
「ロイさんの背が高いから、首が疲れちゃった」
すまない、気づかなくて。とロイは笑って、それから草原に腰を下ろした。
アーフィも続けて腰を下ろして、びっくりした。
夜露に濡れた草だらけの硬い地面の座りごこちが、町の教会の上等な椅子よりもずっとよかったからだ。
これも、ロイの魔法なのかな、と思って。
アーフィは笑った。
「ありがとう、ロイさん」