X.それから
空に雲ひとつなく、風が心地よく世界をたゆたうある日のことだった。
いつものように水をくみに出たアーフィは、村の外から走ってくる馬に伝令使が乗っていることに気づいてびっくりした。
辺鄙なこの村に、伝令使が来ることは滅多にないのだ。
新しい、とても重要な法律が発表されたときか、とても大きな祭りの先触れか。
どちらだろう、と目を凝らす。
風にひるがえる伝令使の旗は、青。
祝いを告げる色だ。
何があったのだろう、と思いながら、けれどいつものように水をくんで家に戻った。
だって、それがアーフィの仕事なのだ。
その夜だった。
あさってから一週間の祭りがはじまることをアーフィが聞いたのは。
それはとても急な話で、準備が間に合うだろうか、とアーフィでさえ心配したけれど。
王の名の下に上等な酒とパンが全ての村にふるまわれる、と伝令使がみんなに伝えたことを知って、ほっと胸をなでおろした。
その日から、村中総出で祭りの準備におおわらわになった。
男の人たちは狩に出て大きなイノシシを捕まえるので忙しかったし、女の人たちは村の広場を飾ったり、パン以外のごちそうを作ったりするので忙しかった。
アーフィを含めた子どもたちも、いつもの仕事に加えて野草を積みにいったりイノシシを捌くのを手伝ったりヤギの乳を搾ったりでやっぱり忙しかったのだ。
だから、アーフィが祭りの理由を知ることができたのは、伝令使が到着して4日後、つまり祭りの当日になってしまったのだった。
「偉大なる勇者アーグ、大魔法使いゲイル、精霊の使者リーン、剣士ノアールの手によって、忌まわしきかの魔王が封じられた」
村長さんの声が、村の広場に朗々と響く。
辺鄙なこの村にはあまりかかわりのない話だった。
それでも噂にきこえたあの魔王が封印された、ということを名目に、村の人々の多くは純粋に祭りを楽しんでいた。
かなしいな、とアーフィーは思った。
本当なら一生食べる機会がないような上等なパンも、ぶどう酒も、ちっとも美味しいと感じられなかった。
伝令使が、村人にせがまれるままに何度も何度も語った話どおりならば。
嗤いながら、魔王は封印されたのだという。
悪夢のような姿で、勇者をギリギリまで追い詰めて。
けれど、銀を媒介にした魔法には勝てなかったのだ、と。
何が本当なのか、アーフィーにはよく分からなかった。
だって、魔王が封印される場面を見ていないのだから。
ただ、なんとなく。
あの朝に聞いたロイの声が、もう一度聞こえた気がして。
アーフィは、泣きながら笑った。
「あぁ、お嬢さん。やはり嬉しいことだね! もう魔王に苦しめられることはないんだよ!!」
酔っているのだろう伝令使が笑いながら言った言葉も、どこか遠く聞こえて。
アーフィはもう少しだけ笑って見せた。
視界の端に、村長さんと談笑している先生の姿が映って。
ゆるみそうになった涙腺を、目をつぶることでごまかす。
嬉しい、と誰もが言う場に、涙を見せてはいけないのだ。
だから、アーフィは。
手渡されたぶどう酒の杯を笑いながら飲み干して、心の中で呟いた。
先生。
魔王なんて、どこにもいなかったんです。
それが、アーフィの見た本当だった。
はじめまして。もしくは、お久しぶりです。
水音灯と申します。
あなたがそこに居てくださることが嬉しいです。
この物語を読んでくださってありがとうございます。
暫定的に。
魔王とヒトの子の物語はここで終わりです。
もしかしたら続きを書くかもしれませんが、
今のところは更新終了とさせていただきます。
この作品は、2007年2月ごろにサイトで連載していた作品に加筆・修正したものです。
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