11.はじまりの夜のおわり
段々としらんでゆく東の空が、近づいてくる朝の息吹を二人に伝える。
幻の輪郭はすこしずつ薄れ、草原が、本来の色を取りもどしつつあった。
「・・・行かなければ」
名残を惜しむようにゆっくりと、ロイが呟く。
「夜は終わる」
その言葉に、アーフィはのろのろと顔を上げた。
「おかえりなさい、君の世界へ」
その言葉にこめられた意思に、唇を噛んでなんとか笑う。
視界の外れに、透明な村が草原の果てのほうから揺らいで消えていくのが映った。
夜は・・・闇の時間は、終わったのだ。
「ヒトは、ヒトである方がいい」
呟くように、ロイが言った。
その重さを、アーフィは量れなかった。
量ることなどできない、と思いながら、長い黒髪をかきあげて、左耳へと動く白い手を見ていた。
「これはもう、置いてゆく。私がもっていても仕方がないものだ」
その手が触れるか触れないか。
それだけで、耳飾りはあっけなく、白い耳からはなれた。
手のひらに乗せた銀色の小さな耳飾りに、いとおしむように口づけて、ロイはそれを高く投げた。
一瞬だった。
朝日に煌いた銀色は、一呼吸もしないうちに、砂よりも細かくなって、風に乗って消えていった。
「ロイさんは、どうするの?」
なんだか、ひどくおそろしい予感がして、アーフィは眉をひそめてロイを見やった。
こんな時に、なんでそんなにきれいな笑顔なのだろう。
「私は、魔だ。行くべきところがある」
かなしい、とアーフィは思った。
こんなきれいな笑みを浮かべて。
そうして、何をするつもりなのか。
それが、なんとなく分かるような気がして。
止められない無力さが、かなしくてならなかった。
「いきなさい、アーフィ。朝だ」
幻はもう、そのカケラたりとも残っていなかった。
遠い山の向こうからさしこむ朝日に白々と照らされた草原のなかで、ロイはゆっくりと立ちあがり、そうしてアーフィを立たせて、その背を押した。
「ロイさん」
名前を呼んで、遠くなった双眸をじっと見つめる。
ずるいなぁ、とアーフィは思った。
こんな時にはじめて名前を呼ぶなんて。
「わたし、あなたの笑顔、好きだわ」
意趣返しも含めて、ぎゅうっと抱きついてすぐにはなれた。
驚いたような顔のロイに、くすくす笑う。
魔だ、とロイさんは言うけれど。
それでも、今ここにいるロイさんは、優しくて、かなしい存在で。
だから笑って欲しいとしか思えない。
「またね」
自分はきっと、後でひどく泣くだろう、とアーフィは思った。
お母さんに怒られたときよりも、ヤギを殺した時よりも、ずっとずっと泣くだろう。
それでも、今は笑っていたくて、だからロイのびっくりしたような顔を少しだけ見つめて、それから村に向かってかけだした。
振り返ったら、泣いてしまうような気がした。
太陽はもう、その姿を山の端からのぞかせている。
村が動き出す時間だった。
パン焼きのミレーさんは、もうそろそろ竈の準備をしているはずだ。
お父さんとお母さんが起きだす前に戻らなければ。だって、水汲みが途中だ。
考えながら、アーフィは走って。
息が切れて立ち止まる。
振り向けば、そこには広々としたいつもの草原があるだけだった。
何も、特別なことはなかったような顔で。
「・・・・・・」
立ちすくむアーフィのそばを、風が駆け抜けてゆく。
さようなら、アーフィ。
どうか、幸せに。
耳元で響いたのは、まぎれもなく。
ロイの声だった。