第7話 冬の海を開く北前船と青苧の利権
第7話です! ここから第3幕「日本海物流と北前船ネットワーク編」へ突入します。
陸上街道が雪で閉ざされるなら、冬の海を使えばいい――陸が目をつけたのは日本海の海運利権でした。
鉛色の雲が垂れ込める初冬の越後・直江津港。
日本海から吹き付ける激しい北風が、岸壁の波止場に白波を叩きつけていた。潮の匂いと凍てつく飛沫が舞う中、港の会所の中では、張り詰めた怒号が飛び交っていた。
「五分の一だと!? ふざけるなッ! そんな買い叩き、飲めるわけがないだろう!」
樋口与六が、珍しく机を激しく叩いて立ち上がっていた。十五歳の少女の琥珀色の瞳は、憤怒のあまり真っ赤に充血している。
対面に座るのは、上方の豪商・納屋衆の番頭だった。肥え太った顔に油のような笑みを浮かべ、絹の羽織を撫でている。
「ほほ……そう怒鳴られましてもな、与六殿。越後が誇る青苧が極上の麻であることは重々承知しております。しかし、間もなく三国峠は豪雪で完全に閉ざされる。陸路で京へ運べぬ以上、ここで手放さねば、青苧は倉の中でカビてただのゴミになるだけでございますよ」
番頭は鼻先でせせら笑い、茶をすすった。
「京や堺の座(商人組合)は、みな手を取り合っております。我らが買わねば、他所も買いませぬ。一駄につき銀十匁……これでも武士の情けというもの。売りたくなければ、どうぞ雪に埋もれて飢え死になさればよろしい」
「おのれ……!」
与六が奥歯を噛みしめ、悔し涙を滲ませる。
青苧は、越後の領民が初夏から手塩にかけて育て、茎から繊維を剥ぎ取って白く晒した最高級の麻だ。その白さと細さは絹をも凌ぎ、京の公家や名だたる武将の帷子や直垂に用いられる越後最大の換金作物である。冬の間の領民の命を支える唯一の糧を、商人たちは徒党を組んで八割引きで買い叩こうとしているのだ。
「与六、悔しがる必要はないよ」
静かな声と共に、神崎陸が会所の奥から歩み出てきた。
番頭が訝しげに目を細める。
「どなたですかな? 見慣れぬ御仁だが」
「越後国総兵站奉行の神崎陸だ。番頭さん、あんたたちの提示した条件だが――お断りだ。越後の青苧は、一筋たりとも上方商人には売らない」
「な、何だと……!? 強がりを申すな! 冬の日本海を出航できる船など日ノ本中どこにもない! 船を出せば波に呑まれて海の藻屑だ! 陸路が絶たれた越後に、一体何ができるというのだ!」
「何ができるか、今から見せてやるよ」
陸は不敵に笑うと、番頭の鼻先に背を向けた。
「ついて来い、与六。港の船大工のところへ行くぞ」
直江津の船溜まりの一角にある、巨大な作業小屋。
そこには、従来の和船とは明らかに姿の異なる、一隻の異形の新造船が鎮座していた。
全長十丈を超える巨体。だが、通常の平底の弁才船とは異なり、船底の中央に太い樫の木が一本、背骨のように突き出していた。
「陸殿、お呼び出しで?」
老船大工の辰造が、ノミを手にして現れた。
「辰造さん、例の補強はどうなった?」
「へえ! 言われた通り、船底に太い【竜骨】を打ち込み、外板を二重にして鉄鋲で締め上げました! 船底の底石も、石灰岩を隙間なく敷き詰めて重心を限界まで下げてあります! これならどんな大波を食らっても、転覆する心配はございません! 荒海を切り裂く鉄壁の構造です!」
陸が建造を命じていたのは、後世において「日本海の大動脈」と呼ばれることになる【北前船】の原型だった。
戦国時代の和船は、内海を走る平底船が主流であり、外洋の荒波を受けると簡単に横転した。だが、船底に重量のあるキールとバラストを設けることで、船は波に揉まれても起き上がり小法師のように自力で起き上がる【復原力】を獲得するのだ。
「さらに、この帆だ」
陸が引き綱を引くと、帆柱の前に、三角形の補助帆が勢いよく展帆された。
「ジブセイル……縦帆だ。従来の横帆は追い風でしか走れないが、この縦帆とキールがあれば、揚力を使って斜め前からの向かい風でも風上に向かってジグザグに進むことができる」
「向かい風に進む船だと……!? そのような魔法のようなことが……!」
駆けつけてきた長尾景虎が、紫水晶の瞳を見開いて息を呑んだ。白縮緬の陣羽織が海風に翻り、白銀の髪が美しく舞う。
陸は辰造たちと共に試作船を進水させ、激しい白波が砕ける外洋へと船首を向けた。
吹き荒れる激しい横風を受け、船体は大きく傾くが、次の瞬間、まるで生き物のようにスッと水平に復元した。三角帆が風を捉え、白波を切り裂きながら力強く前進していく。舵を握る辰造の顔に、驚きと歓喜が溢れ出した。
「曲がった……! 風に向かって、船が走っていくぞ! 波に煽られてもビクともしねえ! 神業だ!」
辰造たち船乗りが歓喜の声を上げる。
「陸よ……この船ならば、冬の日本海を渡れるのか?」
「渡れるどころか、敦賀や若狭までわずか三日、そこから琵琶湖を経由すれば、七日で京都や大坂へ物資を直接送り届けられます。冬の間でも海運は止まりません。越後と畿内が、一年中結ばれるんです」
陸は景虎の前に立ち、力強く請け負った。
「景虎様。雪で陸路が閉ざされるなら、海を開けばいい。この船の名は『毘沙門丸』。越後を豊かにするための、不沈の宝船です」
「毘沙門丸……」
景虎は胸元に手を当て、感極まったように瞳を潤ませた。
「陸……そなたは、三国峠の雪を従えただけでなく、この荒れ狂う日本海までも余に与えてくれるのか……」
景虎は歩み寄ると、波止場の大勢の船乗りや工夫たちの前であることも構わず、陸の両手をきゅっと握りしめた。
「余の全てを……そなたに委ねて本当によかった。陸、そなたこそが真の奇跡だ」
白皙の頬を桜色に染めて見つめてくる軍神の姿に、船乗りたちから「おおっ、景虎様が!」「陸様、日本一の果報者だ!」と口笛と歓声が上がった。
「ちょ、景虎様、みんな見てますって!」
「構わぬ! 余が信じる男を褒め称えて何が悪い!」
照れ隠しに胸を張る景虎の横で、与六がくすくすと笑いを漏らした。
「ふふっ……では陸殿、あの横暴な上方の番頭には何と答えましょう?」
「決まってるだろ」
陸は不敵に笑った。
「『お前たちの安値買い取りなど金輪際不要だ。越後は自前の船団で上方へ乗り込み、堺の別の豪商たちに入札させて最高値で売り払う』――そう伝えて叩き出してやれ」
「はいっ!」
会所へ駆け戻った与六の通告を受け、番頭は顔色を土気色に変えて逃げ出した。
だが――自らの利権を根底から覆された商人たちの怨嗟は、容易には消え去らなかった。
その夜。漆黒の日本海の闇に紛れて、数隻の不審な小舟が直江津の波止場へと音もなく接岸した。
舟から降り立ったのは、黒装束で顔を覆った凶悪な素破(忍び)の集団だった。彼らの背後には、越後を屈服させようとする織田家配下の豪商たちの思惑が蠢いていた。
その懐には、油樽と火打ち石、そして猛毒を塗った鋼のボウガンが握られていた。
「標的は、越後の兵站奉行・神崎陸……新造の船団を焼き払い、奴の息の根を止めよ」
冷たい闇に光る刃が、深夜の執務室で一人図面を引く陸の背後へと忍び寄っていた。
【土木・兵站ミニ解説:弁才船(北前船)と日本海西回り航路】
江戸時代に大発展した西回り航路ですが、戦国期すでに日本海の海運は莫大な富を生んでいました。越後の特産である青苧は高級衣料・帆布・縄の原料として畿内・上方で極めて高値で取引され、海上コンテナに匹敵する大量輸送船団が越後の財政基盤を劇的に強化しました。
次回『第8話 上方商人を手玉に取る先物取引と越後上布』は明日18:00更新予定です!




