更年期の魔女は聖女を黙らせる
大魔女ピオニアの家は、森の中にある。
一番近い村も小さくて、ピオニアのことは知っているが訪ねてくる者はほとんどいない。
そんなピオニアの家に、不釣り合いな男が一人。
全身上等な仕立てなのが一目でわかる服をまとい、その雰囲気も明らかに高位の貴族。
「お久しぶりです、ピオニア殿。おかわりないようで」
男は気安い笑みを浮かべながら口を開いた。
そこには、奢りも媚もない。
「いやいや十分年を食ったよ。身体もあちこちガタガタさ。で?お忙しい公爵様が、わざわざ昔話をしに来たわけじゃないだろ?」
対応が雑なのはいつものこと。
相手が高位貴族だろうと、ピオニアの態度は変わらない。
国王だろうが教皇だろうが、彼女の主ではないのだから。
ピオニアの代わりに茶を出しながら、ラウルスは公爵と呼ばれた男を見た。
レイクウェル公爵。王族との縁も近く、現在も彼の娘は王子の婚約者。
ピオニアと、さほど年も変わらないように見える。
出不精のピオニアに代わり、出かけたり情報収集するのがラウルスの仕事(というか勝手にやっている)。
だが、公爵とピオニアが知り合いだとは知らなかった。
「アンナマリーも15になってね。今学園に通っているよ」
「ああ、もう15かい。そりゃ私も年を取るわけだね」
お茶をゆっくり一口飲んだあと、公爵はわずかに雰囲気を変え、続けた。
「その学園なんだが、最近妙なことになっていてね」
聖魔法の適性を見出されて、聖女の認定を受けた平民の少女がいる。
その少女が、教会からの推薦を受けて学園に編入してきたのだが、なにやら様子がおかしいのだという。
高位貴族の子息たちが、彼女の周りに競うように侍っているのだ。
その中にはアンナマリーの婚約者でもあり、未来の王であるシュテルス王子も含まれるという。
「魅了魔法を使っているのではないかと、密かに調べてみたのだがそれらしきものは出なくてね。」
「それがどうして私に会いに来る話になるんだ」
ピオニアにとってはどうでもいい話だ。
「アンナマリーが、悪役令嬢とやらにされているようでね。その聖女をいじめているのだのなんだのと冤罪を掛けられている」
「公爵家の力をもってすれば、冤罪を晴らすぐらい造作もないだろう」
「そう、まともなら、ね」
「聖女の後ろには当然教会がいる。だが最近、教会内部で不穏な、過激派とでも言うような勢力が伸びつつあるらしい。彼らは、旧世代文明を神に近づくための尊い技術だと言っている、のだそうだ」
「ほぅ」
ピオニアのカーマインの目が、公爵をまっすぐに見た。
「あなたなら当然知っているだろう、学園は旧世代文明の遺跡の上に建てられている」
「聖女を使って、遺跡へと何らかの干渉を狙っていると?」
「今はまだ証拠はない。だがどうにも、生徒たちの空気が、聖女に傾倒しすぎていて気持ち悪いんだそうだ」
そこまで言って、公爵は姿勢を正した。
「この国の貴族としてではなく、娘を心配する一人の父親として頼みたい。力を貸してもらえないだろうか」
ピオニアは肩をすくめて、かすかに笑みを浮かべた。
「やれやれ。アンナマリーは生まれた時から知っている。私にとっちゃ姪っ子みたいなもんだからね」
森の家から学園は遠いので、当分の間王都の公爵邸で、ピオニアとラウルスは世話になることになった。
「ピオニアおば様!」
屋敷に到着するなり、飛び出すように現れた少女こそがアンナマリーだ。
「お久しぶりです」
普段は令嬢らしくおしとやかな振る舞いの彼女が、年相応の少女らしい笑顔で迎える姿に、ピオニアに懐いているのがよく分かる。
「しばらく見ないうちに、すっかり綺麗になったねぇ」
ピオニアも珍しく、慈愛に満ちた眼差しでアンナマリーに応える。
アンナマリーはピオニアの後ろに控えるラウルスに気づき、そっとピオニアの耳元で囁いた。
「あの方、おば様の恋人?」
「そんなんじゃないよ」
鼻で笑って、ピオニアはラウルスを紹介した。
「自称弟子だ」
ラウルスはほんの少しだけ頭を下げた。
「さあさあ、私のことはいいから、お前さんの話を聞かせておくれ」
通された部屋で、ピオニアとアンナマリーはテーブルを挟んで向かい合っていた。
お茶と菓子を置いて使用人はすぐ下がり、ラウルスも一旦部屋の外で控えている。
「公爵から多少は聞いたが、お前さんが直接見たことを教えておくれ」
姿勢を正し、アンナマリーは話し始めた。
聖女の名はソフィア。
聖女であり編入してきたとあって、最初から注目はされていたが、特に目立つ様子ではなかったという。
それがいつの間にか高位貴族の子息たちが周りに誰かしらいるようになり、一部の女子生徒たちからはいい顔をされなくなっていた。
アンナマリーの婚約者であるシュテルス王子も、当初は貴族らしからぬ振る舞いの彼女を、快く思っていない風だったのだという。
だが何度か話すうちに様子が変わり、今では和やかにソフィアを囲む輪のなかにいるのだ。
「シュテルス様は、ソフィア様と話すと気持ちがこう、明るくなるのだ、とおっしゃいました」
そして、と続ける。
「私のことは、真面目すぎるのだと。型通りすぎて息苦しいときがある、と…」
「まるで浮気男の見本のような言い訳だね」
ピオニアはバッサリと言い捨てる。
「でもシュテルス様ももともと、とても真面目な方で羽目を外すようなことはなさらない方なのです」
「それで魅了も疑ったと?」
「そうですね。それらしき痕跡は出なかったようですが」
それから、思い出すように首をかしげた。
「でも、なんとなく学園内の空気が変なのです。うまく言えないのですけど、ソフィア様に好意的で何でも受け入れてしまうような。それでいて、熱心な信者というふうでもなくて」
その『何かが変』という直感だけが根拠なのだが、ピオニアは気のせいだと一蹴することもなく真面目に話を聞き、そのことにアンナマリーはホッとしたようだった。
「それで直接学園に、というのはわかるよ?でもこんな仰々しい」
ぶつくさ文句を言うピオニアと、後ろに控えるラウルス。
今二人は学園の応接室にいた。
やる気を出したピオニアに公爵家の手配は早く、「大魔女ピオニアが学園を見学したい」と、訪れる名目をあっという間に整えた。
学園側は突然の申し出に戦々恐々と、しかし大魔女を無償で呼べることに喜んでこれを受け入れた。
普段は楽な服装をしているのだが、今日ばかりは魔法使いらしい重厚なローブをまとい、学園に訪れていた。
見学のメインは、アンナマリーのクラスの魔法実習だ。
ソフィアも同じクラスのため都合がいい。
魔法科の教師は緊張で顔を真っ白にしながら授業を始めた。
生徒たちもソワソワと落ち着かないのも仕方ない。
もっとも、女子生徒の視線の大半は、ピオニアではなく後ろのラウルスに注がれているようだが。
青銀の髪に深い青の瞳、背も高く表情を動かさないその佇まいは、氷の精霊のようである。
それに比べると、ピオニアは至って普通のおばちゃんだ。
カーマインの瞳こそ珍しいが、それは近づかないとわからない。
よくある茶色の緩やかに波打つ髪を下ろし、体格も小柄。どこにでもいる普通のおばちゃんで、大魔法使いの威圧感などは感じない。
そのせいか最初は緊張していた生徒たちも、だんだん授業の方に集中するようになった。
今日の実践では杖を持ち、魔力を高めて撃たせるようだ。
学校側で杖は用意されてはいるが、貴族たちはほとんど自分専用の杖を用意する。
魔力を高め循環させるための形は球形が最適とされていて、丸く磨かれた宝石を先端につけるのは共通。
それ以外の装飾部分で、贅を凝らして家の力を見せつけるのが当たり前になっていた。
生徒たちは順番に、杖を持ち訓練場に建てられた的に向かって撃っていく。
ほとんどは小さな火球であったり氷であったり、各々の得意属性ではあるが控えめな威力のものばかりだった。
「次、ハロッド・テイルトン君」
教師に呼ばれ、一人の男子生徒が得意げに立った。
掲げる杖は水色の綺麗な球形。
だが杖の本体部分には金で細かな装飾が施され、他の生徒たちの杖より重そうだ。
ハロッドは杖に力を込め、気取った仕草で的に向けて振ってみせた。
握り拳大の氷の塊が現れ、的に勢いよく当たる。
その威力に、生徒たちの間からどよめきが生まれた。
ハロッドは席に戻る途中にソフィアに声をかけられ、鼻高々といった笑顔を見せた。
その後ちらりとアンナマリーのほうを見やり、口の端をあげて嫌味な顔をしてみせた。
爵位が上のアンナマリーに対して、中々に無礼な振る舞いではないか。
アンナマリーの番が来て、彼女も己の杖を掲げる。
魔力はしっかりと高まっている。
だが撃つ瞬間に、それは霧散した。
貧相な炎が一瞬だけ燃え上がり、消えた。
生徒の一部から嫌な笑い声が上がり、その中に先ほどのハロッドもいた。
アンナマリーは毅然とした顔を保っているが、その手は微かに震えていた。
「少しいいかい?」
スッとピオニアが動いた。
「おば様…」
「お前さんは賢いから、この魔法の先に誰かを傷つけることまで見えてしまう。だから撃てない」
アンナマリーが目を見開く。
「もう一度杖を構えて考えてごらん。お前さんは愛された子だ。公爵や他の家族、使用人たちからも愛されている。その大切な人が危険にさらされていたら?」
アンナマリーの魔力が練られていく。
「傷つけるだけが魔法じゃない。大切な人が襲われたら、吹き飛ばすだけでもいい」
「撃ちなさい、アンナマリー」
ピオニアの声と同時に、アンナマリーの杖先から炎が球となって撃ち出され、的をはじき飛ばした。
撃った本人であるアンナマリーも、呆然と落とされた的を見ていたが、やがて振り返り満面の笑みを向けた。
「おば様!撃てたわ!」
普段、淑女の見本のようなおしとやかなアンナマリーが、全身で喜びを表した笑顔は破壊力も高く、クラスメイトたちは見惚れた。
その中にはシュテルス王子も含まれ、ほんのりと目元を赤くさせ、アンナマリーを見つめていた。
ざわめく生徒たちの中、ソフィアだけが真顔で、胸元のペンダントをしきりにいじっていた。
その後他の生徒たちも無難に実技をこなし、シュテルス王子も見事な火球を披露してみせた。
そして一人の女生徒の番になったとき、彼女も何やらもたついて、うまく魔法が放てないようだった。
「珍しいですわね。あの方、いつもは何の問題もなくこなされるのに」
アンナマリーが小さくつぶやく。
「緊張してるのかしら」
他の生徒もひそひそと話し始めたとき、再びピオニアが動いた。
「杖を見せてごらん」
彼女が持っていたのは学園の備品の杖だったが、それを受け取りピオニアは光にかざして見た。
「これは駄目だね。中に亀裂が入ってる」
教師から別の杖を受け取り確認したあと、女生徒にそれを渡す。
「こっちでやってごらん」
言われるがまま女生徒は杖を持ち的に向かうと、きれいな魔法を放った。
「ありがとうございます!」
ホッとした笑顔で女生徒が礼を言う。
微笑みでそれに応えたピオニアに、不躾な声が飛んできた。
「大魔女殿はどのような杖をお持ちなのですか」
見ればハロッドが立ち上がり、挑発的な顔で問いかけてきた。
「私の杖かい?」
ローブで隠れていた腰のホルダーから杖を外して、手に持って見せる。
その異質さに生徒たちはざわめいた。
真っ先に目を引く杖の先端にある宝石は、球ではなくカットされ、キラキラと光を反射し、まるでその内部から光を放っているように見えた。
「その宝石はいったい…」
ハロッドがたじろぐ。
「これかい?ダイヤモンドさ」
ピオニアの言葉に、別の意味でまたざわめきが起こる。
「ダイヤモンドってあんなにきれいな宝石でしたの?」
女生徒の一人がつぶやいたのがその理由。
ダイヤモンド自体は知られているが、これほどまでに細やかで鋭利なカッティングを見たことがなかったからだ。
「大魔女殿の魔法も、その素晴らしい杖あってのことなのでしょうね」
ハロッドの挑発を、ピオニアは鼻で笑って返す。
「飾りの重さで、魔力より筋力が鍛えられちゃかなわないからね」
カッと顔を赤らめて、ハロッドは身を乗り出した。
「俺だってそんな杖を使えばもっと強い魔法を撃てるさ!」
「じゃあ試してみるかい?」
あまりにもあっさりと、ピオニアは杖を差し出してみせた。
ニヤニヤしながらハロッドは杖を受け取った。
キラキラと虹色の光を放つダイヤモンドを見ながら、魔力を込めようとした。
「…………ガッ」
瞬間、苦悶の表情に変わり、叫びともつかぬ濁った声が口から出た。
魔力を込めようとした瞬間、ハロッドは全身から魔力を引き抜かれる感覚に襲われた。
慌てて手を離そうとしたが、身体の自由が全くきかないまま、猛烈な勢いで魔力が吸い込まれていく。
それは魔力を超え、生命力そのものまで吸い上げているようで、内臓まで杖に引っ張られるような激痛が襲う。
「ァ゙…ァ゙ァ゙ァ゙…」
あまりの痛みに勝手に涙が溢れ、鼻水も垂れ流し、しかし手は杖を離してくれずガクガクと小刻みに痙攣し続ける。
鼻水が血に変わった頃、ピオニアはスッと、こともなく杖をハロッドの手から抜き取った。
ハロッドはそのまま床に倒れ、なおも痙攣している。
「テイルトン君!!」
我に返った教師が慌てて声をかけながら駆け寄る。
「魔力切れだ。医務室で寝かせておけばそのうち目が覚めるさ」
ピオニアはハロッドを見下ろして、杖を軽く振った。
金色の光がハロッドの身体へ吸い込まれていく。
「杖に余計な魔力が混じってると気持ち悪いからね。返しておくよ」
教師と男子生徒数人に抱えられて、ハロッドは運ばれていった。
残された生徒たちの間に、何とも言えない空気が漂う。
戸惑いと、恐れと。
その中に、まるで場違いな明るい声が響いた。
「あのっ!大魔女様は杖もすごいんですね!」
ふわりと微かに甘い花の香りがピオニアの鼻をくすぐる。
ソフィアが感激したかのような笑顔で、ピオニアに話しかけてきた。
ハロッドのあの醜態を見せられた後でピオニアに近寄るとは、相当な度胸だ。
同時に、仲が良かったはずのハロッドが倒れたのに、こんな態度ができる奇妙な不自然さ。
「アンタは誰だい」
「わたしはソフィアといいます!あの、教会で聖女に認定されて…」
癖なのか、しきりに胸元のペンダントを握ったり動かしたりしている。
「それ、きれいなペンダントだね」
ピオニアが興味を示すと、ソフィアの顔がパァっと明るくなった。
「はい、これ、おばあちゃんの形見で。大切なものなんです!」
ペンダントは透かし彫りされていて、平民が持つにしては中々によい品のように見えた。
ピオニアはそっと手を伸ばし、指先でそれに触れた。
一瞬ソフィアの顔に緊張が走る。
「いい品だね。大切におし」
そう言ってピオニアが手を離すと、ソフィアは嬉しそうに笑った。
同じ時、シュテルス王子はアンナマリーにそっと声をかけていた。
「あの…先日は少し言い過ぎた。済まない」
アンナマリーはほのかに目を見開く。
「君はなんでも完璧にこなせているわけではなかったんだな」
先ほどの様子のことを言っているのだろう。
アンナマリーは静かに目を伏せた。
「貴族として、感情を大っぴらに見せないようにと教育されてきましたもの」
「そうだな。私はいつの間にか、上辺だけを見ていたようだ」
王子がこんなに素直に非を認めるのは珍しいことだった。
これも、ピオニアおば様のおかげだわ。そう思うと、心からの笑みがほんのりとその表情をやわらかくした。
シュテルス王子の目元も微かに赤くなる。
アンナマリーも年頃の少女なのだということを、ようやく思い出したかのようだった。
「大魔女様は、この学園の地下のこと、何かご存じですか?」
唐突にソフィアが切り出した。
「地下?地下がどうしたんだい」
「あの!わたし、地下からなんだか嫌な気配を感じて。調べてみたらどうかしらって言ってるんですけど」
「ソフィアさん!」
アンナマリーの鋭い声が割って入った。
「そのようなことは軽々しく口にするものではないと、何度も言っているはずですが」
途端にソフィアは眉を下げてシュンとして、ペンダントをギュッと握りしめた。
「ひどいです、アンナマリー様。そんな言い方しなくても…」
ざわりと、周りの目が微かに冷たくなってアンナマリーを見る。
なるほどね、とピオニアは心のなかで納得した。
「空気が悪いね。少し入れ替えるよ」
ピオニアが軽く手を挙げると優しく風が吹き抜け、辺りの空気が爽やかになった。
この程度の魔法にいちいち杖は使わないが、生徒たちにはそれもまた驚きだったようだ。
関心があっという間にピオニアの方に移った。
そこへハロッドを医務室に運んだ男子生徒たちが戻り、授業の時間は終わった。
「ササラシアとギギ草、この二つと教会のつながりがないか調べておくれ」
学園から戻ったピオニアが真っ先に指示したのはそれだった。
ササラシアは、花が香水の香料の素として知られている。
「どちらも教会が栽培して、収入源の一つになっています」
公爵の部下から報告を受け取る。
教会についてはすでに調べた範囲で、そのあたりのことはわかっている。
「その薬草が何か関係あると?香水に何か細工でも?」
公爵に尋ねられ、ピオニアは目を細めた。
「ササラシアは花が有名だが、その種にも薬効がある。種を粉にして摂取することで、気分を高揚させるんだ。とはいえ、それほど強い効果ではないから、媚薬などに使われることはない」
ソフィアから香った匂いのなかに、ササラシアも混じっていたが、貴族の子女は香水をつけているものも珍しくはないから、ソフィアのそれも目立たない。
「媚薬の類いでないならどうして」
「聖女と接触した際に、ほんの少し気分を上げたことで、『聖女と話すと楽しい』と刷り込まれる。1回は分からないくらいささやかなものだ。だがそれを繰り返し与えられたら?」
それは、仕組まれた疑似恋愛感情のような効果をもたらす。
あくまでも気分を高めるだけで、好意をコントロールするものではないから、魅了や媚薬を想定して調べても見つからなかったのだろう。
そしてそれゆえに、効果が出ている場面で、ソフィアより強い刺激を与えればそちらへの感情が上書きされる。
アンナマリーの笑顔に、シュテルス王子が冷静さを取り戻したように。
「あの子が形見だと言っていたペンダント、触れたら微かに粉がついたよ。あれをいじって粉をまいているんだろう」
じわじわとソフィアへの好感度を高め、彼女の意見を優先したくなる。
「ギギ草についてはどのような?」
「ギギ草は痛み止めとして使うのが一般的だ。治療も行う教会が育てていても違和感はないだろう。あれも、痛み止め以外に鎮静効果があってね。ササラシアの種で高揚するのを、前もってギギ草を摂取することで、ソフィアは冷静さを保っているんじゃないか、というのが私の推測さ」
「なるほど、たしかにそれなら我が家の調査に引っかからなかったのも納得がいく」
「学園内のムードをソフィアに好意的にして、地下へ教会を招き入れるのが目的、と見たほうがよさそうだ」
だとすれば、やはり目的は地下遺跡なのだろう。
旧世代文明の遺産だとは言われているが、それが具体的にどのようなものなのかは知られていない。
学園の地下に遺跡があることも、王族や高位貴族は知っているが、広く一般には知られていないことだ。
ソフィアが騒いで、それに賛同する者を増やすことで、うやむやにできなくなるのを狙ったのか。
話に進展がなくなった頃、書斎のドアがノックされ、アンナマリーが顔をのぞかせた。
「おば様、お話は終わりまして?」
「ああ、ひとまずはね。どうしたんだい?」
書斎に入ってきて、ピオニアの腕を取る。
「おば様の杖についていた宝石!とても美しくて。あれはどこの職人が加工したものなの?」
「これかい?」
無造作に取り出されたその杖の先端を見て、公爵は小さく「うっ」とうめき声をあげた。
ダイヤモンドは相変わらず、光を吸い込みそれを反射させ、キラキラと光を放つ。
「これは私が自分で研磨したんだよ。その方が速いからねぇ」
ラウルスに目配せすると、彼もまた自分の杖を取り出して見せた。
「私の杖も師匠に作っていただきました」
ピオニアのダイヤモンドよりは小ぶりだが、これまた美しい青に、アンナマリーは目を輝かせる。
「すごいわ!これはサファイア?でも黄色が入っているわ」
「バイカラーサファイアだ。なかなか面白い石だろう?」
とんでもない価値の宝石を、面白いで片付けるピオニアのスケールに、公爵も思わずといった笑いが漏れるが、しかしこのカッティングはかつて見たことのないレベルで興味をそそられる。
「おば様がご自分で?!このカットの宝石を首飾りにしたいから、職人を紹介してもらおうと思ったの」
確かに、宝飾品としても超一級、いや、今までの常識を覆す輝きだ。
それを身に着けたら、社交界の注目を一身に浴びるだろう。
「ふむ。ピオニア殿、無理を承知でそのカットをお願いできないだろうか。石の方はこちらで用意するので」
これほどのものを手に入れたら、そして技術を開発したら、国内のみならず他国からも欲しがる者は後を絶たないだろう。
公爵の頭の中では、すでに様々な計算が行き交っているようだった。
「やれやれ。仕方ないねぇ、ただし1個だけだよ。原石の状態で幾つか用意しておくれ」
ピオニアが引き受けると同時に、公爵は部下へ指示を飛ばした。
そして翌日には大粒の原石が多数用意され、公爵家の応接間でピオニアの前に広げられていたのはさすがというよりほかない。
1日とかからず用意されたというのに、どれも素晴らしい大きさだ。
その場には許可を得て、公爵家お抱えの細工職人たちも控えている。
ギャラリーにはお構いなく、ピオニアは原石を手に取っては品定めし、さほど時間を置かず一つの石を手に取った。
「これが内包物も少なくてよさそうだ」
そして右の手のひらに石を乗せ、魔力で包み始める。
石はゆっくりと宙に浮き、緩やかに回転し始めた。
魔法での研磨など初めて見る職人たちは、ギリギリまで身を乗り出して食い入るように手元を見つめた。
やがて回転は高速となり、石の輪郭がぼやけ、淡い光に包まれた。
チカチカと極小の火花が手の上で弾ける。
そのうち回転は徐々に速度を落としていった。
「出来上がりだ」
差し出されたピオニアの手の上で、職人たちは初めての輝きを見た。
今回磨いたのもダイヤモンド。
純粋に宝飾品向けの、まろやかなオーバルに鋭利なカッティングが施され、動かせば光が弾ける。
ピオニアの杖よりは、カット面が減らされていた。
いずれ職人が研磨できるように、とのピオニアの配慮である。
後にこれはアンナマリーの首飾りとして貴族たちの憧れを集め、ピオニアカットと呼ばれるようになるが、それはまた先の話。
ピオニアが学園を訪問してから数日が経った。
その間、ソフィアのことは密かに王家にも報告が上げられた。
しかし、決定的な証拠がないためすぐには動けない。
対策の一つとして、シュテルス王子は毎日ギギ草を煎じた薬湯を、学園に来る前に飲むことになった。
「それがとても苦くて、毎朝憂鬱なんだ」
と、人払いをした部屋で王子がぼやいていたと、楽しそうにアンナマリーは笑った。
その王子が言うには、ソフィアはしきりに地下を調べたがっていたそうだ。
その時は聖女が気にしているのだから調べたほうがいい、とシュテルスを始めとした周りの空気は賛同に傾いていたという。
「王家の人間も巻き込んで、無視できない雰囲気を作ろうとした可能性が高いと考える」
「なるほどねぇ。で、私はいつまでここにいたらいいんだい。そろそろ帰りたいんだがねぇ」
至れり尽くせりのもてなしを受けてはいるが、やはり人の多い屋敷は気が休まらない。
有り体に言えば、我が家でダラダラゴロゴロしたいのである。
「恐らく、そろそろ教会が動くだろう。勝手をされる前に、学園主導で調査を受け入れる予定だ。その際に、ピオニア殿に学園で待機してもらいたいのだ」
ソフィアと親しくして、要注意とされていた教師がここ数日落ち着かない様子を見せているという。
またソフィアの方も、せっかく近づきかけた王子との距離が、再び開いたことに戸惑いを見せている、とはアンナマリーからの報告だ。
せっかくピオニアが重い腰を上げて来てくれたのだ。この機に片付けてしまいたい公爵である。
公爵の予想が当たり、程なくして教会から調査したいと申し入れがあった。
表向きは遺跡のことには触れていないが、目的がそれなのは明白だった。
「調査と言ったって何をするつもりなんだか」
目立たぬよう、生徒たちが登校してくるよりも早い時間に学園に向かわされ、ピオニアの機嫌はとても斜めである。
ラウルスは彼女好みの温度と濃さの紅茶を淹れ、甲斐甲斐しくお世話をしていた。
「さっさと済ませて終わりにしたいねぇ」
その紅茶に口をつけながら、ピオニアはぼやいた。
授業が始まる頃、神官たちも到着した。
学園側の立ち会いのもと、調査が始まる。
彼らの言う『調査』とは、聖力が込められた水晶をかざして回ること。
地下への入口は、学園の裏庭にある。
扉の周囲には一見納屋か用具室のような小屋が建てられ、厳重に施錠されている。
それを含む鍵束が行方不明になっていた。
神官たちは、裏庭とは全く違う場所をあちこち周り始めた。
同時刻に、無人と思われた神殿からの馬車から複数人がこっそりと降り、学園内へ侵入した。
裏にはすでに見張りが配置され、怪しいものが近づけばすぐさま拘束する手はずになっていた。
ピオニアが待機しているのは、あくまでも念のためである。
しかし。
ピオニアの表情が一瞬で変わった。
ピンと張った糸が切られたような感覚。
「見張ってたんじゃないのかい!」
「見張りがすべて昏倒していました!」
ピオニアが声を上げると同時に、様子を見に行っていた騎士が部屋に飛び込んできた。
結界が壊された。
ピオニアはすぐさま裏庭へ向かうが、到着する前に激しく大地が揺れた。
学園の広い敷地の中、校舎から離れた場所の地面が割れ、地下から何かがせり上がってきた。
びっしりと呪文が刻まれた柱に囲まれた檻の中、塊があった。
よく見ればそれはどくどくと脈打ち、生きているようだった。
調査していた神官たちが駆けつけた。
その中には教室を抜け出したソフィアも混じっている。
彼らはこれがわかっていたように、両手を掲げた。
「神の使徒が、悪しき拘束から解放されたのだ!」
檻が勝手に開き、肉塊にしか見えないそれがもぞもぞと蠢く。
「あんな禍々しいもののどこが神の使徒だ」
校舎から出てきたピオニアは、吐き捨てるようそう言ったが、神官たちは歓喜の表情のままソレに近寄っていった。
「神の御使いよ、我らを導きたまへ」
肉塊がビクンと動き、一部が盛り上がりせり出した。
そこにあったのは人の顔。
苦悶の表情を浮かべ、口をパクパクさせていた。
近寄っていた神官が足を止め叫ぶ。
恐らくその神官の名だろう。
「アイツ、喰らいやがったね」
ピオニアが舌打ちした瞬間、肉塊が大きく伸び、新たな神官を飲み込んだ。
ボコ…ボコ…と粘ついた音を立てて肉塊が形を変え始める。
「なんですかアレは」
およそ場違いな涼しい声でラウルスがつぶやく。
「旧世代文明の生体兵器だろうね」
ピオニアがそう答える間にも、肉塊から喰った神官たちの顔が浮かび上がり、それぞれが苦悶の呻きを上げている。
生きながら吸収されているのか。
肉塊から歪な手足らしきモノがいくつも生え、膨らんだ腹部は顔をつけたまま。
「ダス…ゲ…」
涙らしきものを流しながら、その顔がぐにゃりと歪む。
「そんな…私こんなつもりじゃ…」
腰が抜けてその場に座り込んだソフィアが、震えながらつぶやく。
ちらりとそちらに目をやって苦々しい顔で告げた。
「聖女ごっこをするのは勝手だが、人の命をおもちゃにするんじゃないよ」
そしてラウルスに呼びかける。
「足止めできるかい」
「ええ、師匠、もちろん」
「神官どもが死なない程度に縛っておくれ」
「なんとお優しい」
まるで緊迫感のないやりとりで、ラウルスは己の杖を掲げた。
肉塊が口のような穴を身体に開け、そこから巨大なエネルギーが放たれた。
それは校舎とは逆の方向の、人のいない森側だったが、木々は一瞬で蒸発し、何もない焼けた荒れ地が出現した。
再び肉塊が口を開ける。
今度はこちらに向いて。
生徒たちから絶望の悲鳴が上がる。
反対側に逃げた者もいたが、ほとんどは肉塊から発せられる威圧感で足が動けなくなっていた。
そこへ、清浄な青い光が巨大な氷の壁を作り出し、肉塊の攻撃を受け止める。
それだけでなく、氷が鎖となって肉塊を拘束する。
ただ、喰われた神官たちにも痛みが伝わるらしく、うめき声はさらに大きくなった。
「…多重展開だと…?」
見ていた教師の誰かが呻くようにつぶやく。
そんなラウルスの様子をわざわざ確認することもなく、ピオニアは杖を掲げた。
先端のダイヤモンドに光が集まり大きくなってゆく。
リーーーーン
澄んだ硬質な音が響いた。
「始まった」
ラウルスが喜びを滲ませてつぶやいた。
カットされた面の一つ一つから細く光の筋が放たれ、それは宙に文字を書いていく。
ピオニアの魔法は音楽だ。
あまりにも繊細で緻密で正確な魔法は、その発動音が美しい調べになるのだと、ラウルス以外の全ての者がその瞬間知った。
楽団の指揮をとるように杖がリズミカルに振られ、無数の光の線が眩い軌道を描く。
それは肉塊が現れた遺跡に触れ、柱に刻まれた呪文をなぞる。
またある光は肉塊の周囲を周り、光の鎖となる。
そして別の光は空と地面それぞれに、魔法陣を描いていく。
「いったい…いくつ展開してるんだ…」
魔法に聡い者ほど、驚愕と畏怖を感じていた。
ラウルスの同時発動でさえ規格外なのに、ピオニアのそれは遥かに超えていて。
生徒たちは恐怖も忘れ、ただその美しい光景に魂を奪われた。
「とっとと吐き出しな」
そう告げると金色の光は肉塊を包み込み、ぬちゃり、と人間が中から落ちてきた。
「今のうちに確保して!」
ピオニアに指示を飛ばされ、慌てて騎士たちがその神官たちを運び離れる。
神官たちは全身を粘液で溶かされかけていたようだが、とりあえずは全員生きていた。
「ほら!アンタは回復をかける!」
ソフィアも一喝され、連れ戻された神官たちに慌てて回復魔法をかけ始めた。
とはいえ、聖女認定されたと言ってもさほど強力な魔法を扱えるわけではなく気休め程度ではあったが。
「さて。解析は終わった。次はアンタの番だよ」
肉塊に向けてそう言い放つ。
「ラウルス、離しな」
一瞬で氷の鎖が消える。
しかし次の瞬間には、無数の光の鎖が肉塊を締め上げた。
「無理やり起こされて気分が悪いだろうが、またねんねしな」
ズリズリと肉塊は押し戻され、やがて檻の中に再び収まった。
そして折れたり崩れたりしていた周囲の柱も元通りになり、刻まれた文字が光り出す。
この僅かな時間で遺跡の封印を解読し、修復したのだと冷静に理解できたのはラウルスだけだろう。
やがて遺跡は、出てきたときよりはずっと静かに、地中に潜っていった。
地面は掘り起こされ、その奥は一部更地になってはいたが、先ほどまで異形の化物とそれを超える魔法が展開されていたとは思えないほどの落ち着きを取り戻していた。
「さぁこれで私の仕事は終わりだ。帰るよ」
やれやれと言った仕草で、戻っていくその姿はもう、どこにでもいそうな小柄なおばちゃんだった。
その後の取り調べなどは王国の仕事である。
ピオニアは今度こそのんびりと、公爵邸の侍女たちにマッサージを受けながら、その後の報告を適当に聞きながらゴロゴロしていた。
神官たちの一部は取り調べを受けたあと、ひっそりと処刑された。
遺跡は一般には秘密にされていること、生徒たちが教会の薬物で扇動されていたことなどは、公になると王家にもダメージが大きいため、静かに処理された。
生徒たちには厳重な箝口令が敷かれた。
鍵を盗み出し、神官に渡したのは件の教師だった。
当然教職はクビになり、強制労働施設へ送られた。
また今回の件で、王家と教会の力関係はかなり王家有利となった。
ソフィアは全容を知っていたわけではなかったので処刑は免れたが、聖女の称号を剥奪されて僻地の修道院へ監視付きで送られた。
外部との接触もほとんどない、自給自足に近い生活をしているところだ。
王都で貴族とふれあい、その生活を知ったソフィアには厳しいものになるだろう。
ちなみにハロッドはその後、杖を見ると恐怖で震えが止まらなくなる後遺症が残り、退学したそうだ。
「さみしいわ、おば様。また来てくださる?」
ピオニアとラウルスが森の我が家へ帰る日。
アンナマリーは寂しそうにしている。
「アンタの結婚式には見に来るよ」
「私からも礼を言わせてくれ。あなたのおかげで国も私個人も助かった」
見送りにはシュテルス王子も来ていた。
「かわいいアンナマリーを泣かせるようなことをしたら、いつでも城ぐらいぶっ飛ばしてやるからね」
それが大げさではなく朝飯前なのだと知ってしまったので、シュテルスは「ははは…」とただ力のない笑いを返すだけだった。
森の小さな我が家に帰り着き、ピオニアはゆっくりと伸びをした。
「ああ、やっぱり我が家はいいねぇ」
「久しぶりに師匠の魔法が見れたので、私は良かったですけどね」
いつものお茶を淹れながら、ラウルスは思い出し笑いをし、ピオニアに呆れた顔をされた。
そうやって、大魔女ピオニアは、今日も森の小さな家で、気ままに暮らしている。




