没落貴族は悪役令嬢のヒモになる
「婚約解消の申し出……だと?」
僕が聞き返すと、使用人のジェロムは沈痛な面持ちでこっくりとうなずいた。
「先方から婚約解消を申し出る手紙が、たった今届いたのです」
「それはやっぱり……僕が貴族じゃなくなるから、だよねぇ?」
事の発端は、僕の父であるピエール・カロリング伯爵と、どこかの子爵が王の不興を買い、領地没収と爵位剥奪となったことに始まる。
その二人は、この国で禁止されている奴隷の売買に手を染めたのだとか。
その結果、貴族会議にて当家の取り潰しが決まったのが昨日。婚約解消の申し出があったのが今日。僕がこの家から家族丸ごと追い出されるのが明日。
父とは同じ屋敷で暮らしているもののめったに顔を合わせることはなく、僕は自分の親が奴隷を売買していることすら知らなかった。
けれど、これは知らなかったで済まされる問題ではない。貴族にとって、家族の罪は自身にも大きく降りかかる。
父のせいで家も婚約者も失うことになった僕も可哀想だが、ジェロムをはじめとした使用人達も大変だ。だって、いきなり勤め先が無くなるんだもの。
「まぁまぁジェロム、元気出しなよ。君は優秀だし、またどこか別の貴族のところに再就職できるはずさ。だからあまり悲観するな」
「私の再就職先など、どうでも良いのです! 私が心配しているのはルイ様のことです! 顔がいいだけの世間知らずの貴族の次男坊が、貴族の世界から追放されてまっとうに生きていけるとは思えません! もしかすると婚約者のクロエ様が助けて下さるかと淡い期待を抱きましたが……婚約解消となった今、その望みもついえました」
そう言ってジェロムはおいおい泣き出した。
ジェロムが言う「顔がいいだけの世間知らずの貴族の次男坊」とはルイ・カロリングこと、僕だ。
ジェロムの僕に対する評価は(顔以外は)あまり良くないようだけど、僕だって礼儀やマナーは熟知しているし、外国語が堪能という長所もある。読み書きだってできるし、領地経営のための勉強をしたおかげで計算だってできる。
いざとなれば平民として仕事をやっていけるはずだ。
「大丈夫だ、ジェロム。僕は君が思っているよりもずっと逞しい。この家が無くなってもなんとかなるさ。婚約解消もしょうがない。あまり心配するなよ」
◇◇◇
屋敷を追い出されてから一週間が経った。
カロリング家は一家離散。
父は王から爵位剥奪を言い渡された翌日から行方不明。母は失意の中実家に戻った。剣の腕があった兄は軍に志願し、僻地で国境警備にあたるという。
僕はというと、領地を出て大きめの街で仕事を探すことにした。
教養もあり貴族としての礼儀作法を余すことなく身につけた僕なら、平民の富裕層向けの店で働いたり、家庭教師の職などもあるだろう。
貴族の世界でなくたって、どこでだって生きていける——と思ったのは最初の数日だけだった。
僕はいま、街角のカフェテリアの前で小銭を数える、ただの無職だ。
「くすん、一杯の紅茶を飲む金すらないだなんて」
店の前に飾られた可愛らしい看板が憎い。その店の扉を嬉しそうにくぐるマダムたちが憎い。
どうして皆、そんなにお金があるんだい?
僕なんて、うっかり富裕層向けの宿に数日泊まっただけで、もう手持ちの金が尽きてしまったというのに。貴族向けの宿ではないと油断したのがまずかった。一泊の値段など確認しなかったのも良くなかった。
でも、それだけで手持ちの金が無くなるだなんて思わなかったのだ。それに、金が尽きるまでに仕事が見つからないというのも予想外だった。
どうやら、仕事を探す際にカロリング家の次男だと名乗ったのが良くなかったらしい。奴隷売買に手を染めた極悪非道なカロリング家。それが今の僕の評価だ。
僕がこの街にいるという話はすっかり広まってしまい、極悪非道な没落貴族の次男を雇いたいという職場はひとつも見当たらない。
いま工事中だという、大きな橋の建築現場なら仕事が見つかるかもしれないと言われた。とにかく人手を欲しているそうで、経歴や身分は問わないという。
それならと思い試しに現場を覗いてみたが、ここは戦場かと思うほどに荒れた雰囲気で、温室育ちの僕にはとてもじゃないけれど無理だ!
皆の言葉遣いも荒々しく、上司であろう者に対しての礼儀作法もなっていない。あんなの、僕に相応しい職場とは言えない。
……だって、親方って呼ばれていた旦那は歴戦の武人のようだった。向こうだって、僕のようなひょろひょろ男なんてお呼びじゃないだろう。
ジェロムがここにいたら「無職なのだから、仕事を選り好みしてはいけません!」と僕を叱るだろう。
でも、僕にだって選ぶ権利がある。泊まる場所も、仕事も、好きなものを選ぶ権利が。
決して怠けている訳じゃないし、僕なりに一生懸命生きている。
ただ、カフェに入る金すらない、びっくりするほどの貧乏人というだけだ。手元にあった金はほぼ使い切ってしまったし、今晩の宿代すらない。今の僕にあるのはわずかな着替えとバッグだけ。
テラス席でケーキに舌鼓を打つ令嬢たちを恨みがましく見ていると、急に聞き覚えのある声が僕の名を呼んだ。
「あら、あなたはカロリング伯爵家の……ルイ様?」
声の方に振り返ると、赤毛をひっつめ髪にした女性が立っている。彼女は満面の笑みで言った。
「やっぱり、ルイ様だわ! こんなところで会えるなんて、私たち運命かしら!」
「君は貴族学院で一緒だった……確か、名前はアリス……?」
「アリス・メーストルですわ。元メーストル子爵家のアリス、と言ったら思い出して頂けるかしら」
思い出した! 確か、当時は赤毛をぐりんぐりんの縦ロールにし、バカでかいリボンをつけ、複数の女子を取り巻きにしていた。かなりキツい性格で、何人もの女子を泣かせていたのを覚えている。
泣かされた女子の中には、僕の婚約者クロエもいた。先週の爵位剥奪後、会いに行った僕に門前払いをくらわせた元婚約者、だが。
「覚えているとも。それにしても、元メーストル子爵家、というのはどういうことだい?ああ、嫁いで名前が変わったのか」
「嫁ぎ先があれば、どんなに良かったことでしょうね」
アリスは鼻で笑った。
「相変わらず、ルイ様はおっとりしてらっしゃるというか、ぼんやりしてらっしゃるというか、世間に疎すぎると言いますか」
「アリス嬢、急に悪口を言うのはよしたまえ」
「カロリング家とともに爵位剥奪された家をご存知ないのかしら? 私の父とルイ様のお父上であるカロリング伯爵は、政敵に嵌められたのですわ。おかげさまで私もルイ様も貴族から追放ですわ」
アリスはそう言うと、大げさに肩をすくめた。
「そういえば、ジェロム——僕の元使用人が、どこかの子爵も爵位剥奪と領地没収になったと言っていたな。それがアリス嬢の家だったのか」
「んまー! ルイ様ってば、本当に世間に興味がありませんのね。ところで、ルイ様はいまからカフェにお入りになるの?」
僕はカフェの扉をちらりと見た後、首をすくめてみせた。
「残念ながら金欠でね」
「あら! ルイ様ともあろう方が金欠ですって? 学院時代はあんなにも煌びやかでいらしたのに」
アリスがわざとらしく目を細め、意地悪く笑った。その仕草を見て思い出す。
そうだ、彼女は陰で「悪役令嬢」と呼ばれていたのだった。
これ以上関わるのはよそうと僕が背を向けると、アリスが高笑いしながら言った。
「再会を記念して、私がお茶をご馳走してあげてもよろしくてよ! おほほほほ」
もちろんお断り……する訳はない。
背に腹は変えられない。僕はいま、とっても紅茶が飲みたい気分なのだ。
例え、ご一緒するのが悪役令嬢であっても、ね。
◇◇◇
席に着いたアリスは慣れた様子で注文を済ませると、僕の方に向き直してニッコリと笑った。
「ルイ様とお会いするのは1年ぶりくらいでしょうか?」
「ああ、貴族学院の卒業式以来だからね。君は何というか……随分雰囲気が変わったね。ほら、髪型とか」
僕が指摘すると、アリスはひっつめにした髪の、こめかみの辺りを指で優しく押さえた。その指先の爪は短く切り揃えられていて、もう彼女が貴族の令嬢ではないことを再確認する。
僕の国では貴族は爪を長く伸ばして整え、平民は仕事をしやすいように短く切り揃えるのが通例となっている。
「確かに、髪型はかなり変わりましたわね。学院時代は縦ロールヘアでしたもの。私、あの髪型はかなり気に入っていたのですが、さすがにあの髪型のまま今の仕事に就くことはできませんもの」
「今の仕事って?」
「教師ですわ」
アリスは胸を張り、誇らしげに言った。
「教師だって? 君が!?」
あんなに他の女子生徒を泣かしていたのに、という言葉は飲み込んでおいた。少々いじわるな教師だっている。アリスが教職に就いていてもおかしくはないだろう。
「あら、ルイ様は私が教師になったのが意外ですの? だって私は一家まるごと貴族の世界から追放されたんですのよ。平民になったからには働かねばなりません。呑気に花嫁修行などと言っている余裕はないのです。ルイ様だって何かお仕事に就いたか、いまお探し中かのどちらかでしょう?」
「僕は……」
求職中である、ということは何となく言いたく無かった。仕事が見つかっていないことが誇れることでないことくらい分かる。
それに、もしアリスに無職であることを伝えて、嘲笑うような態度を取られたらさすがに傷つく。
今の僕には金もなければ、心の余裕もない。
「僕のことはいいんだ。君はどうして教師という職を選んだんだい?」
「親戚の紹介ですの。私、お勉強だけは得意でしたから、それを生かすなら教師もいいかと思いまして。ルイ様、私が貴族学院で成績優秀者として度々表彰されていたのをお忘れなのかしら? 卒業式では答辞も読みましたのに」
アリスは頬に手を当てて、首をかしげた。その仕草も可愛らしいというより、嫌味っぽい。
「申し訳ないが、覚えていないなぁ」
「ということは、私がルイ様に恋文を送ったことも覚えていらっしゃらないのかしら」
「んぐっ」
咄嗟に紅茶のカップをテーブルに置き、手元のナプキンで口元を押さえる。危うく紅茶が口から出るところだった。
何人かの女子生徒に恋文をもらったのは覚えているが、誰にもらったかまでは覚えていない。もちろん、アリスにもらったという恋文の記憶もない。
お茶をご馳走になっている身にも関わらず、僕ってあまりにも失礼じゃないかな。思わず目が泳ぎ、額にはうっすら冷や汗が滲む。
動揺している僕をよそに、アリスは平然と話し続ける。
「ルイ様って本当に他人への興味が薄いんですのね。当時、同じ学院内にルイ様の婚約者がいたのは存じてましたわ。でも、私は入学式の折に一目見た時からあなたをお慕いしてましたの。春風になびくルイ様の金髪、青い瞳、すらりとした長身、誰よりも着こなした制服……どれを取ってもステキでしたわぁ」
アリスは昔を思い出すように、慈しむような目で遠くを見ながら言った。
「私が成績優秀だったのも、何か取り柄があればあなたに振り向いてもらえるかもという下心から猛勉強した結果ですわ。あなたの恋人にはなれなくても、せめて私という人間がいたことを覚えていて欲しくて恋文を送ったというのに……それすら覚えていらっしゃらないなんて!」
それまでは慈愛のこもっていたアリスの目が突然キッと吊り上がり、その目尻にはみるみる涙が溜まっていく。
「ルイ様、あなたというお方は……あんまりですわ……ッ!」
「あわわ、泣かないでよ、アリス嬢。それに、仮に僕に婚約者がいなかったとしても、僕と恋人関係にならなくて良かったと思うよ。だって今となっては、僕、無職だし」
ヘラヘラと笑って見せる僕とは対照的に、アリスは表情を変えない。
「そんなの、私だって同じですわ。今となっては平民。貴族の方と肩を並べる権利はございません。婚約も解消になりましたし、今後同窓会などにも行けないでしょうし」
そう言うと、アリスは悲しげに目を伏せた。
「おや、婚約していたのかい」
「つい先日までは。ルイ様のように見目麗しい方ではありませんことよ。イモのような、パッとしない男でしたわ。美しい私には不釣り合いというものです」
では、アリス嬢に釣り合う男とは一体どんなものだろう。アリスは自分を美しいと評したが、僕から見れば、顔も不美人ではない程度で特別可愛いわけでもないし、性格は意地悪で有名だし、家柄が特別に良い訳でもない。
でもこれを指摘するのが失礼なことくらい、さすがに僕でも分かる。
僕は静かに相槌を打ちながら、紅茶に口をつけた。
「ルイ様も、こんなところにいるくらいですし、当然婚約は解消されたのよね?」
「ぐふっ……ものすごく、ストレートに聞くね」
「今は平民ですもの。貴族らしい探り合いは不用ですわ。どうせあの性悪女のことですもの、ルイ様の家が取り潰しになったと聞くや否や、手紙の返事もよこさず、会いに行っても門前払いというところでしょうね」
「全部当たりだけどさ、僕の元婚約者を指して性悪女っていうのは酷いんじゃない? 彼女はとっても可愛らしくて、かしこくて、優しい女性だよ」
僕がムッとしながら反論すると、アリスは憐れむような目でこちらを見た。
「ルイ様、本当に何も知らないのね? あの女は『ルイは顔だけの男。中身は空っぽ』などと吹聴して、あまつさえ他の男子と浮気してたんですわよ」
「う、う、浮気!?」
「下級生の公爵家の長男でしたわ。ま、男の方は完全に遊びでしょうけど。私がそれを咎めたら、『アリス様が意地悪をする』とこれまた吹聴し、私のあだ名はいつのまにか悪役令嬢で定着しましたわ。ああ、思い出すだけで腹立たしい」
「あ、アリス嬢が他の女子を泣かせてたのって、意地悪してたんじゃなかったの!?」
「私に泣かされたと吹聴していた顔触れを思い出してくださいまし。ルイ様の元婚約者と、その取り巻き連中ですわ。彼女たち、婚約者がいるのに浮気するわ、家柄が低い令嬢をいじめるわ、テストでカンニングするわで酷かったんですの。私はクラス委員だったこともあり、彼女たちを度々注意して……」
その後も、アリスは僕の元婚約者たちの悪行についてつらつらと述べた。
アリスの話が本当であれば、僕は人を見る目がない大馬鹿者ということになる。
そういえば、当時の男友達にも元婚約者の素行について苦言を呈された覚えがあったな。当時それを重く受け止めていたら、僕は何か変わっていただろうか。
自分の愚かさ具合に、段々と目の前が暗くなってくる。
どうやら僕は学生時代も人を見る目がなく、今は一家離散の上で無職で、おまけに金もない。良いところが顔以外何ひとつない。
考えれば考えるほど、気分が落ち込んでくる。
はあ、と特大のため息をつくと、アリスが僕の顔を覗き込むようにして言った。
「単刀直入にお聞きしますけど、ルイ様は今無職とおっしゃいましたわよね? 当面の生活のための資金はおありなのかしら」
「ふっ、今晩の宿代すらない状態さ。滑稽だろう? 存分に笑いたまえよ」
もうヤケクソだ! 僕は笑いながら両手を広げて言った。
すると、それを見たアリスは顔をほころばせた。
「あらあら、まあまあ! それは大変ですわ。それならルイ様、しばらく私のヒモになりませんこと?」
「そうだねぇ、それも良いかも……って、ヒモ!?!?」
ヒモとは、生活力のない男が、生活力のある女に養ってもらうというアレだろうか。一度外国の本で読んだ事がある。なんと馬鹿らしい話だ、そんな男がいる訳ないと思った記憶がある。
僕がいま勧誘されているのって、そのヒモ?
「そうですわ! 私、一度美男子を飼ってみたかったんですの。一度外国の本でそういうお話を読んだことがありまして、感銘を受けましたのよ。ルイ様は私の家でのんびり暮らしてくれれば良いのです。無理に働かずともいいのです。多少であればお小遣いだって差し上げます。そうすれば、ルイ様は宿探しに困ることもありませんわ。我ながら明暗ですわね」
美男子を飼う、だと!? アリスはなんとはしたないことを言うのだ。先日まで貴族令嬢だったとは思えない。
だいたい、僕にだってプライドがある。ヒモだなんて、とんでもない!
僕の答えは決まっている。もちろん——
「よろしくお願いします」
僕はテーブルに突っ伏すようにして、深々と頭を下げた。
プライドがどうとか、言えるほど金銭的余裕がないのだ。それに、アリスも僕が思っていたほど悪役令嬢ではない気がする。
旧友の家にしばらく厄介になる、ただそれだけだ。何の問題もない。
それが世間でいうところの、ヒモであったとしてもね。
◇◇◇
「狭いところでお恥ずかしいのですが」
アリスはそう言って、僕を家にあげてくれた。
彼女の新しい家は、先程のカフェのある街から馬車で小一時間ほど走った先にあった。
広い農地の間に家が点在しているような、のどかな町だ。家の窓を開けると、爽やかな風に吹かれて小麦の穂先がさわさわと揺れるのが見える。
アリスの家は農地の真ん中に建つ、こじんまりとした家だった。空き家を格安で借りられたという。
「良い家じゃないか。窓からの景色がいいね」
「ふふふ、でもルイ様は部屋の狭さにびっくりしたんじゃありませんこと?」
アリスが僕の顔をイタズラっぽい顔で覗き込んだ。
確かに、アリスの家は狭い。玄関の扉を開けて、すぐにキッチンが見えたときは面食らった。
「まぁ、狭いといえば狭い。でも文句はないよ。なにせ、僕はヒモだからね! ヒモたるもの、住まわせてもらう家の文句を言ってはいけないよ」
「あら、ルイ様ったら早速ヒモが板についてきましたわね!」
アリスは褒めてくれるが、こんなにも名誉に感じられないお褒めの言葉が他にあるだろうか。
「ところで、ヒモは家で何をすれば良いんだい? 恥ずかしながら、僕には収入もないし、洗濯や掃除の仕方も分からないし、食事だって作れないし」
自分で言っていて恥ずかしくなってきた。貴族であれば当然のことだが、今の僕は平民だ。
あれもこれも出来ない、では話にならないだろう。
けれど、アリスは全く気に留めない様子で言った。
「家事をするタイプのヒモもいるそうですが、生活力の全くないタイプのヒモもいるそうですわ。ルイ様は後者のヒモとして生きていけば良いのではないかしら」
「アリス嬢は僕に生活力がないと思っているみたいだね」
「当然ですわ。つい先日まで貴族だった方に、掃除や洗濯や炊事が務まるとは思えませんもの」
図星だが、そうハッキリ言い切られるとちょっと傷つく。
「そうは言っても、君だって先日まで貴族だったんだから僕と似たようなものだろう?」
「いいえ。私は元々使用人の子ですので、貴族学院に入る少し前までは使用人見習いとして暮らしてましたの。だから一通りはできますわ」
「初耳だな。使用人の子がどうして令嬢になれるのさ」
「私の母はお父様……メーストル子爵の愛人でしたのよ。本妻が生きている間の母と私の扱いは、それはそれは酷いものでした。でも本妻とその一人息子が馬車の事故で亡くなって、私はメーストル子爵と正式に養子縁組し、令嬢となったのです」
アリスにそんな過去があったなんて、全く知らなかった。いや、今までの僕が彼女について深く知ろうとしなかっただけだ。
「君も苦労したのだね。おまけに、令嬢になったと思ったら父上は爵位を剥奪されて……その、なんと言っていいのやら」
「嫌ですわ、ヒモのくせに同情なんてしないで下さいまし」
「ヒモのくせにって!」
「ヒモはね、どんと構えるものですわ。家事は私がやりますし、生きていくのに必要なお金も私が稼いでまいります。ルイ様はこの家で、どんと構えてゆっくりして下さればいいのよ」
いい歳の男が家事も仕事もせずに家にいるだと?
そんなの、ただの穀潰しじゃないか。さすがに、平民になった今そんな生活が許されるとは思えない。大体貴族であっても、仕事をするのが普通だ。
「そんなの、アリス嬢に何も得がないじゃないか!?」
僕が言うと、アリス上はウーンと首を捻った。
「では、私が帰宅した時に『おかえり』と一言声をかけてくださいな。それで充分ですわ。何回も言いますけど、ルイ様はヒモなんですもの。言うなれば淑女のためのペットのような存在です。ご自身の生産性など考えず、飼い主の言うことを聞いておけば良いのですわ」
「飼い主って!!!」
僕はヒモが何たるかを理解していなかったようだ。
今の僕はアリス嬢にとっての旧友ではなく、彼女の庇護下にあるペットなのだ。
今の僕の姿を見たら、カロリング家の面々や、ジェロムは何て言うだろうか。
情けないと言うのだろうか。それとも、顔が良いだけの貴族の次男坊が飢え死にしないだけマシだと言うだろうか。
なんとなく、後者な気がする。
こうして、僕のヒモ生活は幕を開けた。
◇◇◇
そうして始まったアリスとの生活は、思いの外穏やかだった。
彼女は誰にも忖度せずに自分の意見をハッキリと言うものの、家で仕事の愚痴をこぼすこともないし、近所の人にも親切だった。
小さい子供がいればあやすし、荷物を持ったお年寄りがいれば手伝う。
こっそりアリスの職場である学校まで覗きに行くと、小さい子供たちと追いかけっこをし、年配の先生に「はしたない」と生徒と一緒に叱られたりもしていた。
それまで使用人か貴族の子女としか接することのなかった僕にとって、アリスの行動ひとつひとつが新鮮だった。
「ねえ、アリス」
僕は出勤前に鏡台の前で化粧をするアリスに声をかけた。
「なんですか、ルイ」
彼女は鏡越しに僕を見る。ヒモ生活が始まった数日後に、お互いの名前は呼び捨てしあうことにした。
「君ってさ、僕の前では口元を隠して上品に笑おうとするけど、学校では大口をあけてガハハって笑ってるよね? どうして家と外で笑い方を変えるんだい?」
「……ッ!? ルイ!? いつ学校に来たんですの!?」
「いつって、昨日とか、一昨日とか。だって暇なんだもの。とにかく毎日のように覗きに入ってるよ。用務員のジャックおじさんにはすっかり顔を覚えられちゃったよ」
僕がそういうと、アリスは顔を真っ赤にして怒りだした。
「勝手に覗きに来ないでくださいまし!」
「いいじゃないか、減るもんじゃないし。それより、どうして君は家と外で笑い方が違うんだい?」
僕はアリスが大口を開けて笑う姿が、正直……とっても好ましいのだ。
取り繕った令嬢たちの笑い方とは違う、太陽のような笑み。悩みを全て吹き飛ばしてくれるような包容力を感じる笑い方。
できれば、家にいるとき、僕の前でも同じように笑って欲しいと思うのだ。
けれど、アリスはぷいっと顔をそむけてしまった。
「ルイの前でそんなはしたない笑い方をできる訳ないじゃありませんか!」
「どうして」
「どうしてって……」
アリスは真っ赤になったあと、すっかり黙ってしまった。
「そういえば、用務員のジャックおじさんからは『君たちは新婚なのか』と聞かれたんだけど、なんて答えるのが正解だったのかな?」
「ひゃっ!? し、新婚!?」
アリスは耳まで真っ赤にしたあと、僕の質問に答えることなくバタバタと家を出て行ってしまった。
結局、どうして彼女が家と外で笑い方が違うのかを解明できないままだ。
それに、ジャックおじさんには「新婚か?」と聞かれ、少し迷ってから「いや、ただの恋人」と答えたのだが、その返答が正しかったのかという質問もアリスにできずじまいだ。
どうにもモヤモヤするので、今日も学校へ様子を覗きに行こうと思う。
普通、働いていない男が年ごろの女性の様子を探りに職場に日参すれば怪しまれるだろうが、僕はこの無駄に整った顔のおかげで何故か警戒されることがない。
もし学校の関係者に「お前は誰だ」と聞かれたら、アリスの恋人だと答えることにしようと思う。ヒモってつまり、生活力の無い恋人ってことであってるよね?
……僕たち、まだキスどころか手もつないだことがないけれど。
◇◇◇
「あ! 金髪王子だ! 今日もいるぞー!」
昼休みに学校を覗いていると、僕の姿に見覚えがあると思しき子供たちがわらわらと駆け寄ってきた。
「王子様、今日もいるね?」
「王子、お仕事しなくていいの?」
「ばかだな、王子は王子様だから仕事なんてしなくていいんだぜ」
「王子様、舞踏会っていつやるの?」
子供たちは思いついたことを次から次へと話す。
どこから返事するか迷っていると、聞き覚えのある声が僕の名を呼んだ。
「ルイ! そんなところで何をしているんですの!?」
「あ、アリス先生だー」
「先生! この王子様、毎日学校を覗いてるんだぜ?」
僕に群がっていた子供たちが、今度はアリスの周りを一斉に囲みだす。
「やあ、アリス。今日もお仕事頑張っているね」
僕がにこやかに話しかけると、子供たちは「2人は知り合いなのかぁ」「じゃぁアリス先生はお姫様なの?」などと言いながら僕たちの顔を見比べている。
「用もないのに、私の職場を覗きに来ないでくださいまし!」
アリスの目がキッと吊り上がる。どうして働いているところを見られたくないのだろうと思っていると、唐突に一人の少女がアリスに尋ねた。
「この王子様みたいな人、アリス先生の彼氏なの?」
「か、か、か、彼氏!?」
アリスの頬と耳が一気に赤く染まる。
僕は「ヒモです」と正直に申告するのが少し恥ずかしいので、ニッコリ笑ってみせた。すると、それを肯定と受け取った子どもたちは、急に火のついた花火のように明るく騒ぎはじめた。
「恋人だって!」
「彼氏と彼女だぜ?」
「結婚式はするの?」
アリスは恥ずかしさからか、顔を赤く染めたままプルプルと震えている。
普段のぞき見している時は、彼女はもっと威厳たっぷりなのだが、今日はどうにも威厳がない。というか、随分かわいらしい。まるで恋する乙女のようだ。
その時、ひとりの大人しそうな少年が慎重に尋ねた。
「アリス先生、この王子様ともう……キスはしたんですか?」
周りの子供たちがキャー! と、はやし立てる。
アリスはもはや涙目になっており、答えられる状態ではない。僕が代わりに答えることにする。
「キスはしていないよ。それはね、結婚式まで取っておくものだから」
僕が、さも当然のように言うと、子供たちは「ほえー」と感心したように口を開けた。
同じ屋根の下に男女が住むのなら、本当はキスや抱擁のひとつやふたつ、あって当然だろう。
僕もアリスのヒモになるということは、そういうことだと思っていた。
彼女に恋愛感情がなくても、彼女を愛しているように振舞い、抱きしめるのが仕事なのだと思っていた。
けれど実際に暮らしだしてみると、彼女はそういったことを一切要求しなかった。
寝室も別だし、手をつなぐことすらしない。
さりげなく彼女の肩に手を回しても、アリスはすぐに立ち上がってどこか別のところへ移動してしまう。
僕はすっかり拍子抜けの日々を送っている。
最初は、ヒモとして恋人らしく振舞わないと家を追い出されてしまうという恐怖感からアリスに近づこうとした。
でも日が経つにつれ、恐怖感や義務感は、純粋に彼女をもっと知りたいと思う気持ちに変わっていった。
どうして家と外で笑い方が違うんだろう。
学校ではどんな風に働いているんだろう。
彼女とすれ違うとき、香水や石鹸とも違う、花のような香りがする。彼女を抱きしめたら、一体どれくらい良い匂いがするんだろう。
彼女は、本当は僕のことをどう思っているんだろう。
時々赤く染まる彼女の頬を見ても、おそらく僕に好意を持っているとは思う。
しかし、それがどの程度のものなのかは、僕には分からない。
単にアリスがウブなのか、それとも僕にさほど関心がないのか。
外国の本で見た、「ヒモを飼う淑女」とやらを自分もやってみたかっただけで、そこに丁度タイミングよく僕が現れただけだったのか。
「あ、あなた達ッ! そろそろ教室に戻りなさい!!」
顔を赤く染めたままのアリスが子供たちに言った。
子供たちがぞろぞろと教室へと戻っていく。
「ルイ! 職場を覗くだなんて悪趣味なことはおやめくださいまし!」
ヒモを飼育している君に、僕の行動を悪趣味だと言われたくないやい。
そう言ってやろうかと思ったが、アリスの機嫌を損ねてヒモを解雇されるのは非常にまずい。
僕は曖昧な笑みを浮かべ、学校を後にした。
でも、もう学校を覗かないという約束はできない。
だって、前よりもずっと君のことを良く知りたいからね。
◇◇◇
その日の夕方、アリスはカンカンに怒って帰宅した。
「ルイ! 子供から聞きましたわよ。あなた、本当に毎日私の職場を覗きに来てるんですってね? 一体どういうつもりですの!?」
「どういうつもり……うーん、君を良く知りたいという気持ち」
「へっ……?」
僕の返答が予想外だったようで、アリスは口を半開きにしてポカンとした。
「だから、君のことをよく知りたいんだ。家では見せない、君の色んな表情が見たい。色んな声が聞きたい。あと、君に悪い虫がつかないように監視したい」
「それは……ご自身のヒモとしての立場を守るため、ですの?」
最初はそうだったかもしれない。
けれど、ヒモとしての立場を守るためだけなら、こんなにも相手を知りたいと思うだろうか?
元婚約者と恋仲だった時は、相手の機嫌を取ることが最優先で、相手を深く知りたいだなんて思わなかった。
戯れに抱きしめることがあっても、相手の香りに心が動かされることなんてなかった。
……ということは?
「ねぇアリス、僕の君に対する気持ち、これって恋心だと思う?」
「ル、ル、ルイ、何を言ってらっしゃるのかしら!?」
アリスはたじたじになり、頬が赤く染まる。
「君は僕のことが好きだからヒモにしたの?」
「わああああ! わ、私、持ち帰った仕事がございまして、それをやらねばなりませんの! だから自室にこもりますわ! おやすみなさい! ごきげんよう! さようなら!!」
アリスは早口でまくし立てると、自分の部屋へと走って戻った。
「ねぇ、お互いの気持ちを確かめるために、今度抱き合ってみるのはどうかな?」
部屋へと戻るアリスに声をかけたが、返事が返ってくる前に扉をバタン! と閉められてしまった。
あれが答えということだろうか?
いやいや、アリスは僕のことを、あれで結構好ましく思っているはずなんだけどねぇ。
翌朝になると、アリスはいつも通りだった。
顔も赤くないし、態度も堂々としている。
けれど、絶対に僕と目を合わせようとしない。
好きだから避けちゃうっていう、アレ?
それとも、僕がぐいぐい迫りすぎてしまったのだろうか。
いや、でも突然抱きしめたり、唇を奪ったりしていないし、僕ってものすごく紳士。
それに、無理に目を合わせて「ヒモを解雇します」なんて言われたら困る。
紅茶を飲みながら、どうしたものかと首を捻っていると、アリスが言った。
「今日も学校に覗きに来たら許しませんことよ。わ、わ、私はルイに、はしたないところを見せたくありませんの! 学校はどうしても子供たちと向き合うのに忙しくて、淑女らしい振舞いができませんの。そんなところをあなたに見せたくないという気持ち、分かってくださいまし!」
アリスは言い切ると、ぷいっと顔を背けて、そのまま玄関から飛び出して行った。
背けた顔の端が赤かったことを、僕は見逃さなかった。
僕の口からふっと笑みがこぼれる。
君はなんて可愛いんだろう。
来るなと言われても、今日も仕事場を覗きに行こうっと。
アリスの生徒たちが僕に「ストーカー王子」という不名誉なあだ名をつけたのは、それから一週間もたたないうちのことだった。
◇◇◇
平穏な暮らしが、いつまでも続くと思っていた。
僕とアリスが平民となってひと月程経った頃、彼は急に僕たちの前に現れた。
いつだったか、アリスが「芋のような、パッとしない男」と評していた男だ。
ギレム男爵家の長男で、アリスの元婚約者のダニエル・ギレム。
ごつごつとした体に短く刈り込んだ髪の毛で、その見た目は芋というより岩のようだ。
ひょろひょろの僕と比べるとずっとたくましく、男らしく、そしていつまでもヒモというぬるま湯に甘んじようという僕と違って、彼はとても誠実かつ有能だった。
ある日、僕がいつものようにアリスの働く姿を見ようと学校を訪れると、見慣れない馬車が停まっていた。
馬車から降りてきた男こそ、ダニエルだった。彼は従者を連れて学校の敷地内に入ると、そのまま校長室へと向かう。
若い男の貴族が、こんな平民の学校に何の用だ?
もしかして——アリスに関係している?
なんとなくそんな予感がした僕は、彼の跡をつけ、窓から中の様子を伺った。
彼は従者とともに校長室へ入ると、座り心地の良さそうなソファにどっかりと座る。
突然の貴族の訪問に、先生たちは騒然となっている。
アワアワしている校長を前に、ダニエルは堂々とした態度で話し始めた。
「私はダニエル・ギレム。ギレム男爵家の長男だ。まずは、突然の来訪でご不便とご迷惑をおかけしたことを謝罪する。しかし、これは急を要するのだ。こちらの学校に勤務しているアリスという女性教師、彼女は貴族籍に復帰することになった。よって、こちらの学校は今日付けで退職とさせて頂く」
ええっ!? なにそれ、どういうこと!?
こっそり覗き見ている身なので、声が漏れないよう、僕は両手で口をふさぎながら盗み見を続けた。
ダニエルが続ける。
「アリスは先月、御父上が人身売買の罪で貴族籍を抹消されたのだが、それがこの度、冤罪だったことが分かったのだ。よって、アリスの実家であるメーストル家は貴族に復帰し、彼女も貴族に復帰する。身分違いの彼女がこちらの学校で勤務を続ける訳にはいかないので、彼女は今日付けで退職とさせてもらう」
すると、校長がおずおずと尋ねた。
「事情は分かりましたが、あなた様はアリス先生とどういったご関係で……?」
「ああ、すまない。婚約者だ」
ええええ! 婚約者だって!? アリスは婚約解消したって言ってたじゃないか! だから僕というヒモと生活している……けれど、アリスが貴族に復帰するんであれば、もう一度ギレム家と婚約関係になり、僕とのヒモ生活は解消ってこと……?
その時、他の教師に付き添われたアリスが、緊張した面持ちで校長室に現れた。
彼女はダニエルの顔を見てぎょっとする。
「ダニエル様? あなた、どうしてここに……」
ダニエルはすっと立ち上がると、とても優雅な足取りでアリスに近づき、その手を握った。
僕のアリスに気安く触るな! と僕がやきもきしているなんて知らないダニエルは、先ほど校長にしたのと同じ説明をアリスにもする。
「メーストル家が貴族に復帰……?」
アリスは信じらない様子でぱちぱちと瞬きをした。
それは嬉しそうというよりも、困惑でいっぱいといった様子だった。
「ああ、君は貴族に戻るんだ。当然、僕との婚約関係も元に戻るよ。僕はずっとメーストル子爵は冤罪じゃないかと疑っていた。君との婚約を解消した後も、君の御父上の名誉を回復するため奔走していたんだ。それで、ついに昨日真実を明らかにすることができた。ついでに、同じくカロリング伯爵——君の友人の御父上も冤罪だったことが分かった」
「まぁ……! ダニエル様……!!」
アリスが潤んだ瞳でダニエルの手をぎゅっと握った。
まずい、非常にまずい。もう僕の出る幕がない。
なんかついでに僕の実家もなんとかなりそうな雰囲気が出ているけれど、今はそれどころじゃない。このままだと、有能なダニエルとアリスがヨリを戻してしまう。
「アリス、このひと月、本当に辛かったことだろう。君は露頭に迷ったカロリング家の次男を家に住まわせてやったりもして、本当に生活が苦しかっただろう。僕はずっと君たちを見守っていた。婚約を解消した身ゆえ、君が一つ屋根の下で他の男と暮らすことに口出しをする権利が無かったが——君たちは恋人同士ではないのだろう? 君たちの様子を探っていた従者からも報告を受けている。カロリング家の次男の実家も貴族に復帰することだし、君たちはもう粗末な家で辛酸を舐める必要なんてないんだ」
粗末な家だと! 確かにアリスの家は豪華ではない。けれど、掃除が行き届いていて、アリスの作る美味しいスープの匂いが漂って、あの家には僕が今まで知らなかった幸せがたくさん詰まっていた。
僕たちの生活を知りもしないで、粗末だとか辛酸だとか、勝手に言わないでほしい!
「もう君はここで土埃にまみれて教師を続けなくてもいい。家に戻ってドレスに着替えて、少し落ち着いたら僕と結婚しよう。必ず幸せにすると誓うよ」
「ちょっと待ったぁ!!」
僕は居ても立っても居られず、校長室の窓をガラッとあけ、よいしょっとそこから乗り込んだ。
「君は、ストーカー王子!」
校長が僕を呼ぶ。そのあだ名、校長まで浸透していたんだね。
それは一旦置いておいて、僕はダニエルに言う。
「君とアリスの結婚なんて認められないぞ! だって一旦婚約解消したんだろう? だいたい僕はアリスの……」
あれ、ヒモって恋人っていう意味だっけ?
僕って、アリスから恋人って認められている? 昔恋文をもらったらしいけど、再会してから好きって言われたことがある?
とんでもない事実に気づき、僕は一気に目の前が暗くなった。
今の僕には、アリスがダニエルと婚約関係を戻すのに意義を唱えられるだけの身分がない。恋人じゃないし、好きだとも言われてないのだ。
じゃぁアリスがダニエルとヨリを戻すのを黙って見ていられるか?
答えはノーだ。
だって僕は、アリスを愛しているから。
「君たちの婚約は認められない! だって僕は、ヒモだから!! アリスという飼い主がいなくなったら露頭に迷ってしまう。カロリング家が貴族に復帰したところで、僕の側からアリスがいなくなってしまえば、僕はたちまち人生に迷ってしまうだろうね。なんでって? そんなの、愛する女性を失って、正気でいられる男なんかいないからさ」
僕はアリスの方に向き直って、深呼吸をした。
「僕は君を愛している。だから、これからも……ヒモを続けさせてほしい」
校長がずるっとコケた。
どうしてだい? 我ながら、心のこもった一世一代の告白だと思うんだけど。
アリスは僕の告白を聞くと、ぶはっと吹き出し、大口を開けたまま大笑いしはじめた。
その姿を見たダニエルは、「なんとはしたない」と呟いて顔をしかめる。
「そういうことですわ、ダニエル様。私は淑女にあるまじき、ヒモを飼うということをしておりました。ずっと好きだった殿方を繋ぎとめるために、その方法しか浮かばなかった哀れな女です。そんな私にはダニエル様と婚約する資格なんてございません。それに、私は本来大口をあけて笑ったり、土埃にまみれながら子供と走るのを好ましく思っているのです。ダニエル様が求めるような、おしとやかな女性ではございませんの。ごめんあそばせ。私はこれからも……ルイと人生を共にします」
アリスがニッコリと言うと、ダニエルは大きなため息を吐いた。
「……後悔しても知らないからな」
しかし、ダニエルその捨て台詞には、どこか愛がこもっているように聞こえた。
やはりダニエルは有能かつ誠実で、アリスが思っているよりずっといい男なんだと思う。
でも、アリスが彼の魅力に気づいてしまうと僕の立場が怪しくなるので、僕は黙っていることにしよう。
結局アリスはキリのいいところまで教師を続けると言って、もうひと月ほど教師を続け、子供たちに惜しまれつつメーストル家の館へと戻った。
カロリング家とメーストル家が無事に貴族に復帰し、僕とアリスが婚約関係を結んだのはそれからすぐのことだった。
両家のドタバタもあり、結婚式を挙げる日取りはさらに一年半後となった。
◇◇◇
「うーん、我ながらイイ感じに書けていると思うんだけど」
僕はアリスの淹れてくれた紅茶を飲みながら、椅子の背もたれに背中をつけて、ぐぐっと伸びをした。
「ルイ、何を書いてるんですの?」
「僕とアリスの恋物語! タイトルは、そうだな、『没落貴族は悪役令嬢のヒモになる』なんてどうかな?」
「まぁ! 私の事を悪役令嬢として描くんですの!?」
アリスはムッとして頬を膨らませた。
「ヒモの恋愛小説ってなかなか珍しいだろう? これで一山あてれば、僕の立場も安泰になるかと思って」
結局、カロリング家は辺境から戻った兄が継ぎ、僕はメーストル家に婿として入ることになった。貴族なので正確にはヒモではないものの、今もなんとなくアリスの方が上の立場のような雰囲気だ。彼女は決してえらそうにはしないけれどね。
アリスが言う。
「出版する前に、早く読ませてくださいまし」
「ダメだ、ダメだ。まだ肝心なところが書けていないんだ……そう、ダニエルが去ったあと、僕と君がどうやって愛を深めていったかという重要なところが」
「早く書けばいいじゃありませんか」
「ええっ! だって、自分と奥さんのキスシーンとか、恥ずかしくて書けないよ! それに、改めてプロポーズするシーンとか、初めて手をつないだシーンとか、書きたいところは色々あるんだけど、どうも恥ずかしくって」
「その恥ずかしさを乗り越えられないから、ルイはヒモなんですわ」
「うう、おっしゃる通りで」
アリスがニッコリと笑って言う。
「ヒモはどーんと構えておけばいいんですわ! いずれ私がこの家の当主となるのです。ルイの生活は私が守ってあげます。出版した小説が例えコケても大丈夫。だから……その、ラブシーンはロマンチックに仕上げてくださいまし」
「ラブシーン!」
僕が複唱すると、アリスはプハッと噴き出し、そのまま大口を開けて笑い出した。
貴族に戻ってからも、僕と二人きりの時はいつもこの笑い方をしてくれる。
明るい太陽のような、全てを包み込むような笑顔。
僕はこの笑顔を永遠に守るため、末永く優秀なヒモでいようと、決意を新たにした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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【串焼きバトル戦記〜異世界転移しましたが日本に帰りたすぎるのでヒーラー ・獣人・喋る猫と一緒に料理人スキルで敵と戦いながら帰る方法を探します〜】
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