完璧な王子宮殿
「……ま、眩しい……」
扉が背後で閉まると同時に、視界がぱっと白く揺れた。あまりの眩しさに額へ手をかざして目を細めていると、ふふっと笑ったローガットが「あちらです」と言いながら、手で天井を示した。
「高窓からの光が、大理石と金装飾に反射しているのです。この宮殿は、時間帯によって光の入り方が変わる造りになっておりまして、今は朝の光が高窓から真っ直ぐ差し込む為、特に眩しく感じるのでしょう。さ、こちらに」
ローガットに促され歩きながら、パチパチと瞬きを繰り返す。
すると、リオルガが私の横に並び「目が慣れるまで、ゆっくりで構いませんよ」と、進行方向の光を遮るように軽く手を上げてくれた。
ほんの少しだけ光が和らぎ瞬きを止めると、それを見てローガットが話を続ける。
「王子宮殿は、イシュラ王がお生まれになった折に、一度大きく改装されております。当時の王妃殿下が強くご要望されたとか。通常、王子や王女殿下がお生まれになりますと、そのときの王妃殿下が内装や庭園を整え直し、より良い環境へと仕立てるのが慣例ではありますが……建物そのものにまで手を入れられることは、極めて稀なことかと」
「あの高窓も?」
「はい。現王妃殿下が手を加えられた部分も多いのですが、建物とリスティア様のお部屋だけは、当時のまま残されております」
「ここは、朝だけこんなに明るいの?」
「そうですね……昼になると光が上から回り込み、室内全体が柔らかな白い明るさに変わります。夕刻には斜めから光が入り、壁のレリーフが長い影を落とします。これらは、イシュラ王が自然と時間の感覚を身につけられるようにと、そのような意図で造られたのだと聞いております」
「へえ……」
「そして、夜は月光です」
「月光?」
「高窓の位置が月の巡りに合わせて造られておりまして、満月の夜には廊下が銀の帯のように照らされるのです。夜も恐れずに歩けるようにと、月の光が届くよう工夫を施されました」
銀色の廊下なんて見たことも、聞いたこともない。
それはどんな景色なのだろう……とうきうきしながら、奥へと進んで行く。
まず目に入ったものは、子供の視線でも見えるように緩やかに湾曲した天井だった。
淡い青と白で描かれた天井画には、幼い王子の未来を象徴する絵が描かれているらしい。
でも私には絵心がないのか、それを見ても「……ほー」としか言えず、どれが何を表現しているのか全く以て分からない。
一度目の人生では、政治や礼儀作法、外交が中心で、絵画は鑑賞出来れば十分という扱いだったのだと、言い訳しておこう。
壁のレリーフは細やかで立体感があり、よく見ると小さな動物の目に宝石がはめ込まれている。
床は大理石を組み合わせて作られており、その模様が歩く方向へと自然に続いていて、幼い子でも迷わないようにと進む先を示しているらしい。
「こちらは、読書室でございます」
一階の奥に設けられた読書室は、まるで小さなサロンのよう。淡い色のシルク張りの壁、子供用に縮小されたロココ調の椅子と机。壁一面には本棚があり、革装丁の絵本、歴史書、地図、図鑑、礼儀作法の手引きなどが並べられ、子供でも理解しやすいように挿絵が多く色が入っているものまである。
「反対側には舞踏室がございます。そして、その先の扉から庭園へと出られます」
両開きの扉の先には、小さな舞踏室が広がっていた。
壁には細長い鏡が並び、金の細工が流れるように縁を飾っている。鏡は装飾だけでなく、姿勢や歩き方を整える為のものだという。床は磨かれた木材で、踏むと軽やかな音が返ってきた。
どれもこれも、幼い王子の為に整えられた理想の幼年期を過ごせる空間。ここまで子供を中心に作られた宮殿が、他の国にどれほどあるだろう。
少なくとも、私が一度目の人生で見た王子宮殿は、華やかではあっても子供の為の場所ではなかった。
「さあ、こちらへ」
そして舞踏室の奥の扉を開けた先には、庭園と、その中心に大きな噴水がある。
水は細い糸のように静かに落ち、ほとんど音を立てない。噴水の周りには円を描くように花が植えられ、花壇の縁の金細工が光を受けて光っている。
奥には子供用の小さな東屋があり、そこには絵本や玩具などが置かれているのだとか。
そしてここが、物語のヒロインであるメリアが、王子と出会った場所。
「素敵なところだね」
大切な息子達の為に用意した箱庭に、異分子である私が入り込んだのだから……。
「すごく腹を立てていそうだよねぇ」
くるりと振り返り、噴水に背を向けてにんまりと笑う。
王宮に来てから意地が悪くなったものだと、首を横に振り来た道を戻る。
「でも、殺されかけた身としては、このくらいの意地悪は許してほしいものだよね」
ここの主であった王妃様は謹慎中で、管理権もなし。働いている者達も一新され、とても過ごしやすくしてもらった。
あとは、私が頑張るだけだと――そう思いながら、二階、三階へ続く階段を上がっていく。
「肖像画は……ないのかな」
歴代の王や王族の肖像画というものは、こうしたところに飾られているものだと思っていたのだけれど、統括宮にも王子宮にも見当たらない。では他の場所にあるのか、それともどこかに仕舞われているのかと小首を傾げていると、ローガットさんが「そこに」と視線を向けた。
その視線の先、階段の途中にある広い踊り場の壁に、一枚だけ肖像画が飾られていて。
「国王陛下……!?」
それは、幼い頃のイシュラ王の肖像画だった。
まだ幼い筈なのに、表情は今と変わらず無表情で、どうしてこれをこんなに大々的に飾っているのだと、まだ幼いイシュラ王をまじまじと見ていると――コツン、コツンと上から足音が降りてきた。
規則正しい足取りで二階から降りてきたのは、クリスだった。
柔らかな生成りのシャツに、紺のズボン。晩餐の席や統括宮で見たときよりも随分と簡素な服装で、本を数冊抱えているので今から授業へ向かうところなのかもしれない。
クリスの後ろには侍従らしき青年が一人だけ。
専属侍従なのだろうか?と、そんなことを考えていれば、クリスと目が合った。
ほんの一瞬だけ、クリスの表情が揺れるが、すぐに柔和な笑みに変わる。
「リスティア、もう来ていたんだね」
まるで優しい兄を演じるかのように、親しげに声を掛けてきたクリス。
「はい、お兄様。ローガットに王子宮殿内を案内してもらっているところです」
それに応えるように、私もまた笑みを浮かべ彼の妹を演じる。
「ローガットが王子宮殿に来るなんて、珍しいね。こうして顔を合わせるのは久しぶりだから」
そうクリスに声を掛けられたローガットは、微笑みを堪えたまま何も言わずに一歩下がった。
「僕が案内してあげられたらよかったのだけれど」
「ご心配なく、お兄様。ローガットが細かなところまで説明してくれて、とても楽しく見て回っております」
「楽しめているなら良かったよ。ただ、王子宮殿は見て回るだけでは分からないことも多いから、リスティアには少し解釈が難しいところもあったのではないかと思って」
心底案じているかのように眉を和らげたクリスは、そっと私の頭に手を置いた。
「この宮殿は、知識がないと理解しづらい部分が多い。だからリスティアが混乱していないといいのだけれど」
声色はとても優しく、まだ幼い妹を気遣っての言葉にも聞こえる。けれどその言葉の奥底には、「君のような子に、ここは似つかわしくない」と隠す気のない本音が透けている。
「ご心配ありがとうございます。初めて触れることばかりなので戸惑うこともありますが、丁寧に教えていただけたおかげで、少しずつ理解出来ております」
「それなら良かった。ただ、王族としての務めは少しずつでは追いつかないことも多くある。次々に難しいことが増えていくから、リスティアがついてこられるか、少し気にしていたんだ。無理をして倒れでもしたら、困るからね」
「もし倒れそうになっても、支えてくださる方達がたくさんいますわ。それに、お兄様のような立派な方をお手本として側で学べるのですから、この素敵な王子宮殿で暮らせることを、とても嬉しく思っております」
「……そう。君がここで不自由しないなら、僕も安心出来るよ。王子宮殿は、誰にとっても居心地が良いとは限らないから」
「お気遣いありがとうございます」
そう答えた瞬間、クリスは微笑みを崩さないまま、私の頭に置いた手の指先をそっと動かした。
撫でる仕草に紛れて髪を指に絡め取り、軽く引く。その僅かな力だけで顎が上がり、私は否応なくクリスを見上げる形になる。
「慣れればどうということはないよ。リスティアも……いずれは自分の居場所を見つけられると思うよ。歓迎するよ、ようこそ」
「ありがとうございます」
そうお礼を口にしながら、私は笑顔のままクリスの手に自分の手を重ね、さっさと放せと抓る。
するとクリスも、笑みを浮かべたまま静かに手を退けた。




