準備
本日のおやつは、ベリーのタルトレットとハチミツのマドレーヌ。紅茶はダージリン。
これから脳に詰め込む作業が始まるので、甘い物は必需品である。
マドレーヌを頬張り、テーブルの端に置いた紙の束から数枚を抜き取り、お目当ての資料を探す。
「上層部の一覧表は、あ、これだ。うわあ……ご丁寧に絵まで添えてある」
役職名の横に、まん丸で二頭身のキャラクターが並んでいる。
確かに「分かりやすいようにしておきました」とは言っていた。けれどまさか、絵を描いてくるとは思ってもみなかった。
あの美女擬きは絵まで上手いのかと唸りつつ、お髭のキャラや派手な帽子を被っているキャラなど、個性豊かな絵を眺める。
そしてふと、これはもしや似顔絵なのだろうかと首を傾げた。
「えっと、この国には宰相はいなくて、その代わりに枢密院があると……へえ、絶対王政だからかな」
他国では宰相が政務を統べるが、この国ではその役目を枢密院が担っているらしい。
そして、その枢密院という文字の横には、ドレスを着たまん丸二頭身の、ジル・ゴルジと思しきキャラクターが描かれている。そこには吹き出しが添えられていて、
『枢密院とは、国王陛下の私的な助言機関で、陛下の信頼する少数の高官で構成されているよ』
と、まるで子供向けの教材のような親切過ぎる解説まで付いている。
「あの人、協力する気満々なのでは?」
相当な手間と時間が掛かっている資料をありがたく眺めながら、国王が頂点にいるピラミッドをペンで叩く。
国王陛下の下には、枢密院と侍従長、宮内卿が並んでいる。
「侍従長は……これ、ローガットさんかな?国王の私生活と身の回りの管理って書いてあるから、そうだよね?宮内卿は、王宮の運営や儀式、と」
その並びの下には、国家財産や金庫、税などを管理する財務卿。外交や使節団などを統べる外務卿。都市管理や地方領主との調整を担う内務卿。騎士団を統括する軍務卿。そして裁判や治安維持などは法務卿が続いている。
絶対王政らしく、国王の直下に側近、その下に各長官、さらにその下に騎士団と貴族が並ぶという、とても分かりやすいピラミッド構造。
「この似顔絵と吹き出しのおかげで覚えやすくて助かるかも。次は、手順かな」
今回は上層部だけへのお披露目とはいえ、式典としての体裁はしっかり整えられている。
ただ顔を見せて終わりだとは思っていなかったけれど、想像以上に大掛かりなもので少しだけ緊張している。
「開式の言葉。それと、血統証明の読み上げ……」
出生記録や血統の証明を読み上げるその役を、どうやらジル・ゴルジが担当するらしい。
その説明の横には、さっきのとは別のドレスを着たジル・ゴルジのキャラクターが描かれていて、「これは私が担当するわ」と吹き出しで宣言している。
「そのあとは、王女の入場、国王の宣言、王女の挨拶……そしたら退場と」
どこの国でも大筋は変わらないのだと、ふんふん頷き読み進めていく。
「問題は、挨拶文だけど……なにこれ」
『本日、このような晴れの場において、王家の一員としてお迎えいただきましたこと、心より深い感謝を捧げます。私は未だ幼く、学ぶべきことばかりではございますが、国王陛下の御心に添い、この国のために努めてまいります。どうか今後とも、温かいご指導を賜りますようお願い申し上げます』
国のことを何も知らず、平民として育った王女の為に作られた、非の打ちどころのない挨拶文。
「努めてまいります」「ご指導を賜ります」と、自分では何も出来ません!と宣言させ、「国王陛下の御心に添い」と、勝手な行動は慎めと釘まで刺してきた。とんでもない男である。
「うん。書き換えよう」
これをそのまま読み上げるよう言われたわけではないので、問題はない。
ジル・ゴルジが作った挨拶文をペンでぐりぐりと横線を書いて消し、その下に新しく自分で挨拶文を書いていく。
「感謝……感謝?そんなものないのに?でも一応は入れておくべきだよね……嫌だけど。そうだ、嫌味も入れてそれらしく整えれば……あ、これなら。でも、だったらもう少し」
ふと、一度目の侯爵令嬢として過ごしていた頃のことが脳裏を過った。
あの頃は、こうして頭を悩ませながら、何度も下書きを重ねて手紙を書いたものだ。
「我ながら、よくやっていたよね……」
返礼、挨拶、慶弔と、他にもたくさんあるけれど、どれも形式が異なるようでいて、根底にある心得は同じ。家の名誉を損なわないこと、相手の家格にふさわしい文面に整えること、自分の教養を、さりげなく示すこと。
相手との関係性や季節、場面に応じて細やかな配慮が求められ、よくあれほどの気遣いを当たり前のようにこなしていたものだと、小さく溜息を吐くと――。
「それ、挨拶文ですよね?へえ……リスティア様が作られたものですか?」
背後から急に声を掛けられ、驚いて振り仰ぐと、そこにはシリルが。
「その黒い部分は、何ですか?」
私が横線でぐしゃぐしゃにしたジル・ゴルジ作の挨拶文を、後ろから覗き込むように見たシリルが、「真っ黒だ」と呟いている。
「シリル……?」
「はい」
「え、どうしてここに?」
そう尋ねると、紙から視線を上げたシリルと目が合い、背筋にヒヤリと悪寒が走る。
にこっと微笑んでいるのに、目が全く笑っていない……!
「どうしてでしょうね?」
軽く首を傾げたシリルの横顔に、一瞬、年齢にそぐわない陰が差した。まだ子供なのに、どこか大人びた諦めと、押し隠した怒りの気配が漂い、その整った顔には拗ねたような寂しさがはっきりと浮かんでいる。
「どうして、だなんて……冷たい人ですね」
私を見て肩を竦めたシリルは、以前一緒にお茶を飲んでいたときのように、当然のように正面へ腰を下ろし、私をジッと見つめた。
「無事に戻って来られたのに、連絡のひとつもないのですか?」
「あ……」
「僕のことなど忘れていたのですよね。ええ、そうですよね、お忙しそうですし」
「えと、シリル」
とんでもなく拗ねているシリルを宥めようと、彼の前にそっとベリーのタルトレットを寄せる。
シリルはタルトレットに視線を滑らせ、溜息交じりに肩を落とすと、静かにフォークを手に取った。
「兄上が……」
「リオルガ……?」
リオルガがどうしたのだろう?とシリルの言葉を待つも、その続きはなく。
ガゼボの中でにこやかに私達を見守っているリオルガに視線を向けると、それに気付いたリオルガが「実は」と口を開きかけ――。
「兄上、それは言わなくていいです!」
突然シリルが立ち上がり、リオルガの言葉を遮った。
いつも冷静なシリルにしては珍しいと、そう驚きながら見ると、彼の頬が真っ赤に染まっていた。
「シリル?」
「あ、何でもありません。ただ、その……」
私とリオルガを交互に見たあと、ストンと椅子に座り直し、フォークの先でタルトレットをつつく。
「だって、突然村に戻ると……怖い思いをさせたので、もう戻って来ないのかと。それなのに、何も僕まで騙すことはなかったのでは?沢山協力をしたのに……心配だって」
早口でブツブツ呟いているシリルを呆然と眺めていると、トン、トン、と横から肩を軽く指で叩かれた。
「実は昨夜、リスティア様のお披露目の件で別宅に戻ったのですが、そこでシリルに見つかってしまいまして。普段なら私のことばかり口にするのですが、昨夜はリスティア様のことだけを何度も尋ねてきました。無事なのか、どうなったのかと、とても必死に」
そう口にし、私とシリルを交互に見たリオルガは小さく笑みを浮かべる。
「あまりに心配しているものですから、陛下に伺いを立て、庭園に呼びました」
「いいの……?」
「リスティア様が統括宮に居られる間は好きにさせてやれと、そう陛下が」
王子宮に移ったら、こうしてシリルとお茶を飲むこともなくなってしまう。
「兄上が」と言っていたのに、心配して来てくれたのだと思うと何だかとても嬉しくなる。
「……へへ」
「何ですか、気味が悪い」
「……」
友情とはいいものだと噛み締めていたのに、この言いよう。
そう。これこそが、シリルである。
「それで、次期王候補を狙うんですか?」
「うん」
「無謀だと、そう思うのは僕だけではないと思いますけど。リスティア様は、今からでも間に合うと判断されているんですよね?」
「うん」
「そうですか。では、僕も出来ることはお手伝いいたします」
「……いいの?」
「リスティア様は貴族に伝手もなく、派閥もありません。これに関しては歳が離れ過ぎている兄上ではお力になれませんので、代わりに僕が」
「ありがとう」
「いいえ」
ツンと澄ましているシリルにお礼を口にすると、さっきまで拗ねていたのが嘘のように「仕方がありませんので」と上機嫌になった。
「統括宮から移られるんですよね?」
「王子宮にね」
「では……動くのはお披露目を終えてからにしましょう。それまでに、僕の方で色々と手をまわしておきます。それと、第一王子殿下は常に警戒しておいてください」
「ソレイルではなく、クリスを?」
「第二王子殿下は表立って事を起こすので、対処がしやすいんです。ですが、第一王子殿下は周囲の者を巧みに利用し、陰で見物しているような方です。欲しいものがあれば、どんな手でも使う。その過程で、誰かが傷付こうと気にもされません」
シリルにここまで言われるということは、大人の目がないところで色々とやっているのだろう。
「大丈夫。言われなくても、今、一番の警戒対象だから」
クリスの最大の後ろ盾であるオルダーニ侯爵家と、王妃様が処罰されたのだから、今ごろ彼は怒り心頭だろう。
「……気を付けてください」
本気で心配してくれているシリルに、「任せて!」と笑う。
すると、シリルがほんの僅かだけ肩の力を抜いたように見えた。




