王女としての私
「王族籍に入ったんだね」
冷たく、抑揚のない声音とともに、クリスの指先が私の額をトン……と押した。
『ここは怖い場所だから、君には向いていない。だから消えてくれるかな?』
あのときと同じ調子で、クリスは私の反応を楽しむかのように、トン、トンと何度も額を指先で押す。その度に視界の端でわずかに動くリオルガに気付き、クリスに気付かれないよう小さく手を振って止める。
「消えてくれって、そう言ったのにね」
王族としての立場を得た以上、そして次期王候補を目指す以上、クリスとの衝突は避けられない。それなら今ここで、貴方など恐れるに足りないのだと、余裕を見せておくべきだろう。
「了承していませんけど?」
「ああ、そうだったね」
薄笑いを浮かべたクリスの指先が、また私の額へと触れる寸前――その手をパチン!と払った。
「後先も考えずに人を煽って、好き勝手に悪意をぶつけてくるところは、母親にそっくりですね」
「……母上が、何を?」
感じの悪い薄笑いはスッと消え、目を鋭く細めたクリスが不快感を露わにする。あのときとは逆だと、クリスへと手を伸ばし、彼の額をグッと指先で押し込んだ。
「……っ、何を」
「やり返しただけですよ。お兄様」
「……」
「知らない振りなのか、それとも本当に知らないのか。ねぇ、お兄様。国王陛下はどうして人払いをしたと思いますか?」
「きっと、君のことについて、母上と二人で話す為だろう」
「それだけだと思いますか?」
「……何か、他に理由があるとでも?」
探るように私を見るクリスにふっと笑い、今度は彼の額を指先で弾く。
「王妃様は母と祖母、そして私からたくさんのものを取り上げました。ですから、次は私の番です。王妃様が欲しているものは、全て、ひとつ残らず、私が貰おうと思います」
「君に何が出来ると?王族籍に入っただけで、何の教育も受けていないただの子供が」
私としては、ただの子供だと思って侮っていてもらった方が助かる。そうしてクリスが余裕を見せている間に、追い抜かす気でいるのだから。
「これからは同じ舞台に立つ者同士です。頑張りましょうね、お兄様」
「君が、私と同じ?そんな日は永遠に来ることはない」
「でも、もしかしたらということもあるかもしれませんよ?」
「そのようなことは絶対にあり得ないから、無駄な努力はしない方がいいよ」
「どうぞ、その傲慢さで身を滅ぼしませんように。これは私からの親切な忠告です」
「……そう、その要らない忠告、どうもありがとう」
互いに作り笑いを浮かべたまま、バチバチと目に見えない火花を散らして背を向ける。
クリスとは絶対に相容れないと思いながら、隣に並んだリオルガを見上げた。
「ごめんね」
そう口にすると、リオルガは静かに首を振り、柔らかな微笑みを返してくれる。
たったそれだけで、張り詰めていたものがふっと緩む。
「リオルガから見ると、第一王子と第二王子ってどんな人?」
「そうですね……。第一王子殿下は、冷静沈着で常に余裕を崩さず、周囲からの評価も高い方です。ただ先ほどのように、思い通りにならない相手には静かに悪意を向け、どこか人を見下す物言いをされることがあります」
「自尊心が物凄く高そうだもんね」
「王族としての立場をよく理解され、資質に優れている方ではあります」
イシュラ王と王妃様の良い面も悪い面も受け継いだ、第一王子であるクリスが次期王候補に最も近いと、今は誰もが考えているだろう。
「第二王子殿下は明るく社交的で、陰では努力を惜しまれない方です。ですが、感情の起伏が激しく、癇癪を起こしやすい。感情の揺れがそのまま言動に現れるので扱いやすく、現時点で次期王候補に挙がることはないでしょう」
「第二王子はまだ子供なんだろうね」
「リスティア様の方が、よほど大人びていらっしゃいますよ」
「……はは」
人生三度目なので、流石に同じ土俵で張り合うわけにはいかないのです。
「このあとは、上層を集めた場での顔出しに関する、手順等の説明だよね?」
「はい。客室にゴルジ卿が待機されていますので、そちらで説明があるかと」
「王宮に戻ってすぐに王妃様との晩餐で、そのあとは王子達と……ただでさえ濃い一日を過ごしているのに、締めが誰よりも一番濃い、ジル・ゴルジ卿とは」
「温かいココアをご用意しておきます」
「うん。ミルク多めでお願いします」
さて、大変なのはここからだぞ!と、両手で頬をパチンと軽く叩き、気合を入れる。
イシュラ王に「何よりも優先しろ」と言われたジル・ゴルジの攻略に勤しみながら、顔出しの場も完璧にこなさなくてはならない。
疲れ切った身体を引きずり、このあと客室で数時間にわたって物凄く細かく議論を重ね、その日一番の強敵となったジル・ゴルジとやり合い、倒れ込むように眠りについた――三日後。
「王妃様が謹慎?」
王宮内に激震が走った。
「どれほどの期間になるか分かりませんが、既にその旨は皆に通達されております」
「そうですか」
朝食後に報告してくれたリタさんに、静かに頷く。
私を狙ったオルダーニ侯爵家の次男は、王族暗殺未遂ではなく、王族不敬罪として裁かれることになった。
それによって、マルス・オルダーニは死罪を免れたものの、家名を剥奪される。あの王妃様ですら手を焼く問題児は、外部との接触を断つ為に、侯爵が所有するどこかの屋敷に軟禁されてしまうのだろう。
オルダーニ侯爵家への処罰は、監督不行き届きとしての賠償金の支払い。
それに加え、王妃様は後宮と王子宮の管理権を剥奪され、謹慎処分となった、と……。
賠償金や謹慎、管理権の剥奪だけでは、処罰としては甘い。
けれど、今ここでオルダーニ侯爵家を潰すわけにはいかないのだ。
政治的影響力の大きさもあるし、王妃様の子である王子達の正統性に傷がつくことになるといった問題もある。
そして何より、私自身、棚ぼたで王位を得たなどという不名誉を背負うつもりはない。
「私が移る王子宮の侍女は皆、国王陛下が選定した人達に代わるんですよね?」
「はい。今週中には全て終わるかと思います」
「リタさん達は……?」
「リスティア様の侍女は、引き続き私達が」
それはよかった!とほっと胸を撫で下ろし、カウチに寄りかかる。
顔出しに合わせて部屋を移動するので、それくらいまでに色々と済ませる予定なのだろう。
「もうすぐ、この部屋ともお別れだね……」
母の絵姿を見つめながらそう呟くと、リタさんが「いつでも来られますよ」と励ましてくれる。
「そうだよね。次期王候補になったら、この部屋にだって自由に出入り出来る……よね?国王陛下はそこまで意地悪じゃないよね?」
絵姿の母に向かってそう尋ねるも、母は美しく微笑んでいるだけ。
「……あの、国王陛下は?」
「この時間ですと、執務室にいらっしゃるかと」
「そう、ですよね」
王宮に戻ってから三日経ったけれど、以前のように一緒に食事をすることも、夜中にふらりと会いに来ることもなくなってしまった。
『私情を挟まず、贔屓はしない。より優秀な者に王位を引き継ぐ』
その言葉通り、私は王子達と同じ扱いになったのだろう。
それをほんの少しだけ残念に思い、慌てて首をぶんぶんと振り、その情けない感情を追い払う。
「リスティア様のお部屋は、王子宮の最上階にご用意しております。暫く使われておりませんでしたので、急ぎお部屋を整えさせております」
「空き部屋だったんですか?」
「はい。あの部屋は、国王陛下が幼少の頃にお使いになっていたお部屋なんですよ」
「国王陛下、の?」
「古い造りで隠し通路もなく、安全面を考慮されて封鎖していた、というのが表向きの理由でございます。ですが恐らく、この部屋と同じように、国王陛下にとって閉じておきたい想いがあったのではないかと」
「想い……」
「国王陛下はとても分かりにくい方ですが、リスティア様への想いは想像以上に深いものかと」
贔屓しないと言っておきながら、随分と甘いのではないだろうかと苦笑する。
「本日は、庭園にお茶をご用意しております」
「庭園も暫くお預けだもんね……うん、お勉強をしながらおやつを食べます」
もうすぐ行われる顔出しの場での手順、挨拶文、上層部の一覧表など、覚えるべきものをまとめた紙の束を、ジル・ゴルジに渡されている。
『これを、どうぞ。ああ、全て覚えられなくても、誰も責めはしませんからね』
これまた美しい装いで、美女の微笑みを携え、遠回しに「期待しておりません」と言われ、俄然やる気になっているのだ。
完璧にこなして、あっと言わせて見せるのだと、小さく拳を突き上げた。




