処罰
侯爵家から付き従う侍女から報告を受け、ルイーダは「馬鹿なことを」と思わず笑みを浮かべた。
若く、美しく、誰もが振り返るほどの容姿を備えていたとしても、イシュラはたった一夜の情けすら与えない。
それどころか、自身に近付こうとする者を冷ややかな眼差しで追い払い、寄せ付けもしないのだから。そのような人が逢瀬など、絶対にあり得る筈がない。
「勘違いをした令嬢に纏わりつかれているだけよ」
「ですが……一度や二度ではなく、国王陛下ご自身がその者を探し、会いに行かれていると」
「……何ですって?」
王妃である自分や息子達ですら容易に会えないというのに。あのイシュラ・シランドリアが、わざわざ時間を割いてまで会いに行っている――それを聞き、ルイーダは耳を疑った。
「どこの家の者なのか、すぐに調べなさい……」
何か意図があって行っていることだと、そう思っていた。
けれど、次々と寄せられる報告にルイーダは怒りに震え、握り締めた指先は白くなるほど力を込めていた。
どれほど尽くしても、決して同じ熱量を返すことなく、冷たい眼差しで淡々と応じるイシュラ。
そのような人が「側室を取る」と微かに微笑んだとき、彼に嫌われたくなかったのか、それとも自尊心が許さなかったのか。
『ジュリアマリア・スカルキを、王妃になさいますか?』
そんなことを口にしていた。
血の気が引くほどの後悔が胸を襲ったが、もうどうすることも出来ず、俯き唇を噛み締めながらイシュラの言葉を待った。
――でも。
『王妃はお前にしか務まらない』
その言葉がどれほど嬉しかったか、彼には分からないだろう。
『妃として迎え、永遠に共に生きることを、心から願う』
ルイーダのときとは明らかに違う、愛に満ちた誓いの言葉に、心が軋んだ。
ジュリアマリアに向ける眼差しは甘く、熱を帯びていて、彼女に伸ばされた手は壊れ物を抱くようにそっと優しく触れる。
『それでも、私が王妃よ』
どれほど愛する者であろうと、あれは側室にしかなれない。彼が望む王妃は、ルイーダなのだから。
「私のものにならなくてもいいわ。でも、誰かのものにもなっては駄目」
些細な嫌がらせも笑って受け流し、イシュラに泣いて縋ることもせずに全てを手にし、ルイーダを惨めにしたジュリアマリア。
ルイーダはこの国の王妃で、侯爵令嬢。邪魔者がいれば排除するのは当然の権利で、今までもずっとそうしてきた。
「明日には、嬉しい報告が聞けるかしら……」
そんなことを考えていた翌日。
「晩餐に……?」
イシュラからの誘いに、ルイーダは眉を顰めた。
執務室から滅多に出ない男が晩餐の誘いなど、警戒するなという方が無理だろう。
そう、最後に共にした晩餐は……あの忌々しい出来事のときなのだから。
「どういうつもりかしら」
どこか怪しみながらも、行けば分かるだろうと晩餐に向かった。
もしかしたら、ルイーダにとって嬉しい報せが聞けるのかもしれないと、そうほくそ笑みながら。
「王族籍に入り、正式に第一王女となりました。リスティア・シランドリアと申します」
けれど、期待して待ち続けていた報せなどではなく――。
ルイーダを嘲笑うかのように、にこやかに報告するリスティアの姿があった。
※※※※
「どういうことですか」
晩餐を終えてすぐ、子供達を退出させ人払いをしたイシュラに、ルイーダは声を震わせ問いかけると、「何がだ」と冷笑され、怒りで視界が歪む。
「あの子を、リスティアを王族籍に入れたというのは、本当のことですか?」
「ああ」
「そのようなこと……だって、手続きにどれほどかかると。まさか、事前に準備されていたのですか?いったい、いつから……!」
「いつからであろうと、もうあれは王族だ」
「私に相談すらなさらずに……?」
「相談?何故、王妃に相談をする必要がある。王政とは、王が決め、王が責を負うものだ。王妃に政務の決裁権はなく、相談する必要すらない。王族籍に関しては血統と継承に関わること。それを王妃の顔色を窺い、許可を乞えと?」
「ですが」
「俺の決断に、王妃の承認も同意も必要ない。王妃という立場を履き違えるな」
「……っ」
「さて、俺からも王妃に訊きたいことがある」
イシュラの低く押し殺した声音には怒気が滲み、ルイーダはぞくりと背筋を凍らせる。
「……へ、いか」
ルイーダが何か言う前にイシュラが手を挙げて遮ると扉が開き、そこからルイーダの弟であるマルスが入ってきた。
「どうして、ここに?」
視線を彷徨わせどこか挙動不審なマルスを見て眉を顰めるルイーダに、イシュラは「罪人だ」とだけ告げた。
「罪人……ですって?マルスは、私の弟であり侯爵家の次男です」
「大金を積んで暗殺依頼を出し、この国の王女と国王を狙った罪人だ」
「……国王陛下を?」
リスティアの始末は父であるオルダーニ侯爵に任せていた。それなのにどうして出来損ないのマルスが暗殺依頼を出し、リスティアだけでなく国王にまで手を伸ばしたのか。
何が起こっているのか分からず、焦り、苛立つ気持ちを必死に押し殺しながらも、ルイーダは虚勢を張るように笑みを浮かべる。
「どういうことですか?」
「今、口にした通りだ。元いた住まいに一度帰省した王女と、それに同行した俺に暗殺者を差し向けた。マルス・オルダーニは侯爵の指示だと、そう自白している」
「そんな、馬鹿げた話を信じるのですか?」
「それと先日、王子宮で解雇された元騎士達も関与していたのだが、王子宮を管理しているのは王妃だったな」
「……私を、疑われているのですか?」
ジュリアマリアのときのように、今回もまた静観しているのだと思っていた。
それなのに、城を抜け出し、リスティアと行動を共にし、国王自ら裏で動いていたなんて……。
「いや、オルダーニ侯爵と、王妃が関与したという証拠はないだろうな。証拠もなく疑うことなど出来ないだろう?」
「……証拠など、なくて当然ですわ。私も父上も、何もしていないのですから」
「ああ。オルダーニ侯爵もそう言っていたな……全て、次男であるマルス・オルダーニが独断で行ったことだと。侯爵の謹慎と賠償金、それとマルスの身柄を渡すと、そう申し出てきた」
「……そう、ですか」
「だが、俺はそれと取引をした」
それ、と口にしたイシュラの視線の先には、俯き小刻みに震えているマルス。
「取引……?」
「オルダーニ侯爵と王妃の収入源。他国との裏取引、未登録の鉱山など、よくもまあこれだけと思うほど色々と隠していたようだな」
「……っ」
「それら全て、この侯爵家の問題児が把握しているそうだ」
耳を疑うような言葉に、ルイーダは反射的にマルスを振り返ると、顔を上げていたマルスは肩をビクリと震わせ、すぐに顔を逸らしてしまった。
(なんてことを……!)
事態の悪さを悟り、唇を噛み締めたルイーダに、更なる追い打ちが――。
「全て調べ終わるまで、オルダーニ侯爵との接触、後宮から出ることを禁ずる。そして、後宮と王子宮での権限を取り上げる」
「陛下!」
「王族を、国王を害そうとした家の者に、権限を渡しておけと?」
後宮と王子宮の管理権を取り上げられた王妃など、いまだかつて一人もいない。
ルイーダが築き上げてきたものが、音を立てて崩れていく。
「誰が、管理されるのですか?この王宮内で最も高貴な女性は、私だけです。一時的に国王陛下が預かられるとでも?後宮や王子宮のことになど興味のない方が?それこそ国の恥に」
「先代王妃に委ねる」
「……先代、王妃?」
先代王妃であるイシュラの母親はとうに亡くなっている。
それなら、イシュラが口にした「先代王妃」とは、たった一人。側室だったイシュラの母が男児を生み、王妃の座を譲り渡した人。
「メレーヌ様……?」
「王女の教育係として、王宮に戻られる」
「教育、を?あの方に頼まれたと?」
「ああ」
それを聞き、ふ、ふふ……と思わず失笑が零れた。
だって、あの方は――。
「よろしいのですか?ご自身の娘にさえ、王位を許さなかった方ですよ?」
イシュラより先に生まれた王女二人に、王位継承権を放棄させた女傑。
そして、ルイーダを婚約者候補として推薦した人物でもある。
「王族らしさを何よりも尊重し唱えている方です。平民として育ったリスティアをよく思うわけもなく、あのような子……絶対に認めませんわ」
長い爪が食い込むほど手を握り締め、零れそうになる涙を堪え、ルイーダはゆっくりと息を吐く。
「私生児を王宮に招き、まるで示し合わせたかのように王妃の生家である侯爵家を不祥事で処罰したとなれば、多くの者達が不審に思うでしょ。そう、例えば、愛した人との子に王位を譲る為に、だとか」
「……」
「絶対王政とはいえ、私の支持者、派閥、これまで培ってきたもの全てが、リスティアの王位を阻むでしょう」
「……」
何も言わず、ただ冷たく見つめるイシュラに向かって、歪んだ笑みを浮かべ言葉を連ねる。
たかがこんなことで全てを失うわけにはいかず、持っているもの全て盾にして脅すようなことを口にすれば、きっと躊躇うくらいはするだろうと、そう思ったから。
「王位は、情や情けで譲るものではない。相応しい者に渡す」
けれど返ってきた言葉は、ルイーダが予想していたものとはまるで違うものだった。
「リスティアに、王位を譲るつもりでは……?だから、次期王候補を指名されていないのでは……?」
事前にリスティアを王族籍に入れたうえで、王妃が仕掛けた罠を、逆に利用して追い込んだ。そんな真似をする理由など一つしかないと、眉を顰めたルイーダをイシュラは鼻で笑う。
「聞こえていなかったのか?王位に相応しい者に、と言った筈だ」
「では、クリスとソレイルにも……?」
「ああ」
(馬鹿なことを……)
最愛の女性との子に王位をと、そう望む者は多い。それなのにイシュラは、政略結婚の相手との子であっても、等しく見ると言い切るのだから。
(だから、嫌なのよ)
ジュリアマリアが側室として後宮に入ってきたときも、王妃であるルイーダと扱いの差をつけることはなかった。
王妃と側室は違うものだと、しっかり線引きをしていた。
それなのに、ジュリアマリアの何もかもが気に入らず、気付けば命を奪おうとした。
憎めればいい。呆れてしまえばいい。
諦め、無関心になれれば、どれほど楽なのか。
(こうしてまた、心を縛るのだわ)
「オルダーニ侯爵家と、マルス・オルダーニへの処罰は追って報せる。今から王妃は後宮で謹慎となる為、王妃付きの侍女達はそのつもりでいろ」
淡々とそう告げ、イシュラは背を向けた。
扉が閉まるのと同時に、残されたルイーダは支えを失ったかのように椅子の背へ身体を預け、深く、深く、何度も息を吐き出す。
「あ、姉上……」
その情けない声を耳にし、(ああ、ここにはもう一人いた)と、ルイーダはそちらへゆっくり顔を向け、重い身体を引きずるように立ち上がった。
「姉上、た、助けてください!父上は当てになりません!ですから、姉上が……え?」
ヒュッ、と空気を裂く音がしたあと、パン!と乾いた音がその場に響く。
床に膝を突きルイーダに懇願していたマルスは、叩かれた右頬を押さえながら「姉上?」と呆然と呟いた。
「役立たずなだけでなく、まさか足を引っ張るなんて」
「あね……っ!?いっ、た、姉上……、やめ、やめてください!」
再度振り下ろされた手が左頬も打ち、マルスは痛みと衝撃にただ混乱するだけだった。優しく、賢く、王妃として完璧な姉であるルイーダは、マルスがどんな失敗をしても叱ることはなく、ただ穏やかに微笑んでいた。
それなのに、これは、誰だろう……?と、物凄い形相で息を切らしながら何度も頬を叩く姉を見上げる。
「死んで……!死んで詫びなさい……っ!」
侍女達に羽交い絞めにされながら怒鳴るルイーダを見て、マルスはようやく自身が犯した罪の重さを自覚し始めた。




