ルイーダ・オルダーニ
静寂に包まれた後宮の一室。
王妃の私室は、後宮の中でもひときわ贅を尽くした、王妃の威光を映す場である。
天井は漆黒に金箔を施したレリーフで覆われ、室内の中央には巨大なクリスタルのシャンデリア。壁面は深いバーガンディーのパネルに金のモールディングが施され、窓際には深い森緑のシルクのカーテンが垂れ、裾には真珠の飾り房。
床には異国から取り寄せた絨毯が敷かれ、調度品は全て職人の手による最上の品。その中でも特別な物は、時間を掛けて作らせたバイオレットのガラステーブルだろう。そこにはクリスタルグラスとデギャンタが置かれ、赤いワインが光を受け炎のように揺らめいている。
その豪奢な私室の中で一人、王妃はグラスを傾けながら、父親からの報せを待ち続けていた。
「もうすぐ、もうすぐだわ……」
餌を撒いたあの日以降、侯爵家からは何の連絡もなく、統括宮内の情報も得られないまま時間だけが過ぎた。
「……やっと憂いがなくなるのよ」
口に含んだワインは甘くも渋くもなく、ただ喉を滑り落ちていく。
きっと明日には……あの愚かで忌々しいリスティアの訃報が届く筈だと、そう己に言い聞かせ不安を抑え込んできた。
それなのに、イシュラは相変わらず統括宮から出ることなく政務を行い、クラウディスタ家の次男は最近まで統括宮に通っていたという。
「望むものを、手にした筈なのに……」
幼い頃に渇望したのは、「彼の隣に立つ未来」。
それが叶った今、歴代の王の中で最も優れた国王イシュラ・シランドリアの唯一の妃であり続けたいと、そう思わせたのは、イシュラ本人だ。
『お会い出来て嬉しく思います』
王宮が主催したお茶会で、冷ややかな面持ちのままそう口にした、とても美しい王子。
精巧に作られた人形のようで、集められた令嬢達は皆、頬を染めながら彼を見つめていた。
『次期王候補とされているのが、あんな王子なの?』
年下の可愛げのない王子。
それが彼への第一印象だった。
幼い頃から王妃になるよう育てられてきた、ルイーダ・オルダーニ。
この国の最高権力者の隣に立つことを望み、厳しい教育に耐えてきた。それなのに未来の国王候補は、公の場で愛想笑いすら出来ない、お子様。
『がっかりだわ』
ただ顔が良いだけの子供に興味はなく、ルイーダは父である侯爵に言われるがまま、敵になりえるであろう令嬢達を排除することだけに尽力した。
恋情や愛情などない、お決まりの政略結婚――そうなると、思っていた。
あれは、いつ頃だったか……。
イシュラが次期王候補に指名されるのが確実視された年、彼の婚約者候補争いは激化した。
有力な令嬢は意外にも多く、その中で最もルイーダを煩わせたのは、広大で肥沃な土地を持ち、農業収入や商業収入で莫大な経済力を持つ伯爵家の令嬢だった。
突出した才も美貌もないくせに、ただ歳が近いという理由だけでルイーダと張り合う平凡な令嬢。
『私より、自分の方が婚約者に相応しいですって?』
熱い紅茶を浴びせれば、その場で蹲り泣いてしまう。やり返すことも、文句や嫌みのひとつ言うことなく、ただ「お父様」と泣くだけの弱い令嬢。
『身の程を知りなさい』
優秀な国王の隣に立つ完璧な王妃。王宮内、後宮内を管理し、側室を束ねる。いずれ生む我が子を次期王候補にする為に、どんな手段も厭わない。
権力を持つ男性に縋り、ただ泣くだけの女性に、王妃など務まらないだろうと、そういった思いでしたことを。
『何をしている』
イシュラに見られた。
泣き崩れていた令嬢は顔を上げ、すぐに彼へ「ルイーダ様が」と自身が受けた仕打ちを口にする。今までこういったことは何度も行ってきたが、それを見ていた者はなく、どうとでも出来た。
けれど、こうして令嬢を虐げている場面を見られては、不利になる。
きっと彼女を庇ったイシュラに叱咤されるのだろうと、ルイーダはそう予想していたのだが。
『……』
イシュラは令嬢を冷たく見据えたまま、何も言わず背を向けた。
令嬢は熱い紅茶で真っ赤に火傷した手を上げ、泣きながら縋ろうと彼へ手を伸ばすが、その手が彼に届くことはなかった。
『どうしてですか?』
すぐに彼を追いかけ、そう問い掛けていた。
ただ面倒だったのか、それとも私達に関心などないのか、どんな答えが返ってくるのか興味深く、このとき初めて話し掛けた。
『婚約者候補同士の諍いに、俺が口を挟む理由はない。どのような手段を用いて、何を犠牲にしようと、勝者が王妃の座を得る。それが国益に繋がるのであれば、それでいい』
否定せず、嫌悪もしない。冷徹で合理主義。
彼の隣に立つ者が、国を優先する者であればそれでいいのだと。
そんな貴方だからこそ私は隣に立つ未来を渇望した。
婚約者候補に指名され、婚約式、婚姻式と、とても順調に進んだ。
『王妃として、国の為にその力を尽くすことを求める』
厳粛な誓いの言葉と共に手を取られ、唇を重ねれば、胸の奥に熱が灯った。
それが何かも分からないまま、息子を二人生み、とても充実した日々を送ってきた。
跡継ぎが二人もいれば側室など不要。
稀に国王に側室を勧める者が現れたが、裏で圧力を掛け潰してきた。
けれど、イシュラは何も言うことなく、私が何をしても咎めることもなかった。
だって私は、あの人が望む完璧な国母なのだから。
――それなのに。
『国王陛下が、逢瀬を……?』




