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前程万里

 入学式は厳かに行われた。静かな講堂に、と言いたいところだが、気がそぞろになっている者が少なくないため、新入生はざわついていた。ご子息ご令嬢と呼ばれる者が親元を離れて数年間学びやで過ごす。とはいえ、数え年で六歳の少年少女だ。ほとんどは、親元を離れると言った経験がないだろう。デルウィンも個人で城を離れることはほとんどなかった。

 学校の案内、各種カリキュラムの説明、しばらくのスケジュールの予定の配布等。まだ幼い子供には煩雑な情報が容赦なく与えられる。食堂の説明も兼ねた食事。後に、それぞれに割り振られた部屋へ。あとは自由時間となるが、まずは生活環境を整えるために荷を解き──。

「あのー」

「なんだ?」

「私にお仕事が回ってこないのですが」

「必要あれば手伝えるようにそこで待機することがセバスの仕事だろう」

「……はい」

 入学した者は全員寮に入るのだが、従者を一人連れていいことになっている。デルウィンも一人、護衛も兼ねた、まだ若いバトラーを連れてきている。“完全なる私室”は自立心を養うためにもあるのではないかというのがセツの予想である。おかげで、無機質な室内を己の使いやすいように自分の手で整えることが苦ではなかった。

「殿下、ドアに不審者が張り付いておりますが、いかがいたしましょうか?」

「どういう不審者だ?」

「おそらく“王子”に興味を持たれた御学友かと存じます」

「開けていいぞ」

「では、開けます」

 セバスがドアノブを引くと、ドアに寄りかかっていたようで、『わあ』と声を上げて三人の少年が倒れ込んできた。

「こんばんは。私になにか──」

 いい終わらぬうちに、少年たちはぱっと逃げてしまった。

「躾がなっていないな」

「六歳児など、あれくらいのものですよ。どこかの御子息ご令嬢にしては幼い行動ですが」

「あぁ。セツによると、やっと自我が確立して学びを理解するようになるということだからな。こうなることがわかっていたから、身分を偽りたかったのに」

「すぐにバレますよ。殿下が今年入学であることは知られています。その名前がなく、代わりに聞いたことのない大変聡明でいらっしゃる銀髪で青玉の目を持つ者がいれば、すぐにそちらだとわかります。セツ殿の家名を借りたいとおっしゃったそうじゃないですか。それも目立ちますよ」

 偽名を使い、身分を偽ることはできないかと打診したのだが、残念ながら却下されてしまった。許されるなら、セツの家名を借りたいと思っていたため、余計に残念に思った。

 セツの家名である“イブキ”は、地名に由来するそうだ。有名な怪物の名前にもなっているらしい。正確には、字が異なる。字が異なるというのはピンとこなかったが、セツの国の母国語は表意文字を使用しており、文字の一つにも意味があった。セツの“イブキ”には、地名と同じ響きで、豊かさと気高さの意味を持つ文字に置き換えている。そんな話を聞いて、興味を持たないはずがないのだ。結局セツの家名を借りることことはできなかったのだが。

「今日はこれでいいだろう。セバスも、今日はもういい」

「はい、了解です。では、おやすみなさいませ」

 デルウィンの部屋は、使用人用の部屋も含まれている。使用人は不要なのだが、護衛としての付き人が必要なことは理解している。セバスにはせいぜい暇を持て余してもらおう。

 明日の用意を確認して、ベッドに入る。

 冷たいベッドは少しだけセツを恋しく思わせた。


 学園では、外出の制限はされていない。城から通えないくもないところに学園はあるものの、経験を得るために寮に入るのが習わしだ。

 今日は、半月ぶりに城に戻ることになった。

「セツ、大事ないか?」

「おかえりなさい、デルウィン様。見ての通り、無事に過ごしていますよ」

 たった半月だ。いつも通りのセツなのだが、

「気になる点がいくつかある」

「はい?」

「一つ目」

 デルウィンは、ぴっと指を立てる。

「早速携帯食が食べられているな。ロバーツはどうした?」

 念の為と日持ちのする食料もおいていったのだが、その包みで作られたオリガミが机の隅に置かれていた。ゴミは捨てればいいのだが、セツは程よい大きさの紙があると折ってしまう性分らしい。

「ロバーツさんは、強めの呪毒を試食?して、寝込んでいるそうです。サウェリンさんは、ちょうど出張中です」

 セツに提供される料理のチェックを依頼していたのがロバーツだ。それが寝込んだともなれば、チェックが雑になる場合もあるだろう。

「プロ意識にかけている。呪毒室に苦情を入れておこう」

「僕も見えるようになりましたから食べていませんし、最悪、水があれば半月は生きられるって言いますから、大丈夫ですよ」

「何も大丈夫ではない! それはまさに大事が起こっているだろう!」

「……はい、すみません」

「セツは己を過小評価しすぎている」

 ため息が漏れる。直接的に言ったところで、たいして効かないことはわかっている。

「セツ、お前は私のものだ」

「へ? あ、はい」

「私の大切なものを粗末に扱うな」

「ひゃっ……はい、今後気をつけます」

 セツはすぐに両手で覆うように隠してしまったが、顔が赤くなっているのを見逃さなかった。多少持ってまわった言い方にはなるが、この方が効きそうだ。

「それにしても、僕を傷つけて誰が得するんでしょうか?」

「セツの存在がおおやけになって、セツは私の大切なものだと公言している。私へ嫌がらせをして得をするものはいくらでもいる」

「そういうものなんですかねぇ……」

 セツは誰しも善性を持っていると信じている。だが、セツが思うよりずっと悪性ははびこりやすいものだ。ただ王族というだけで攻撃対象だと思ってしまうものがいるくらいに。

「二つ目だ」

 デルウィンは二本目の指を立てた。

「母上と似たにおいを感じるが、気のせいか?」

 この部屋に戻ってくると、いつもセツのにおいがした。ただの臭気ではなく、人がそこにいるという温かさだとか、セツの気配だとか、そういう類のものだ。今は、そこに香りのある花でも飾っているような甘いにおいを感じた。

「肌の乾燥対策のローションやクリームをもらいました。デルウィン様の言う通り、王妃様に。苦手なにおいでしたらもう使いませんけど、平気ですか?」

 好ましいかおりだと感じる。母のにおいと似ているように感じたのは、記憶違いではなかったようだ。あくまで似ているであって、同じではないのだが、環境の違いなのだろう。

「問題ない。そのまま使い続けたほうがいい」

 嫌だといえばセツは躊躇なく使用を中止してしまうだろう。セツの乾燥対策だというのに。

「そんなに乾燥しているのか?」

「えぇ、まあ。僕が元いた国は、冬はいくらか乾燥しますけど、基本的に湿潤な気候でしたから。身体が慣れていなかったんだと思います。王妃様が気づかれて、気を使って分けていただいたのですが……王室御用達のめちゃくちゃ高級品じゃないかと、少しそわそわします。ケチると王妃様チェックでバレるんですけど」

「母上は政治家としてこの国に貢献している。御用達ではあるだろうが、働いて対価を得たうえで適正価格で買っている。経済を回している。必要だと思うところには施すことも私達の責務だ。何も気にすることはない」

「ノブレスオブリージュの一環なんですね。じゃあ、ありがたく受け取らせていただきます」

「あぁ。……ノブレスオブリージュとは何だ?」

 一旦解説が挟まった。

「三つ目だ」

「はい、ご心配おかけしてすみません」

「内容もわからず先に謝るな。ずいぶん書付が多いが、何をしていた?」

 以前から読書の際に紙とペンを傍らにおいてメモを取りながら読んでいることがあった。今は、書きつけるにしても、メモ程度では収まっていない。

「なにかできることはないかと思って、翻訳のお手伝いをしているんです。文化などわからないことも多くて、翻訳のたたき台作りくらいのものですけど。せっかく頂いた能力ですから、活用していきたいと思ったんです」

 翻訳中だという資料を見せてもらった。

「これは、古文書の写しだな。まだ解明されていない、古代の魔法書だ。読めるのか?」

「はい。へぇ、そんなにすごいものなんですね」

「聞いていないのか!?」

「えぇ、はい」

「……翻訳は誰か頼まれた?」

「王様からです」

「父上! 後で文句を言っておく」

「えっと、ほどほどに。せっかくの能力ですから、活かせるならそれに越したことはないですよ」

 ことの重大さもわからず、セツはほわほわしている。

 昔の魔法が優れていた、というわけではないが、古代魔法は現代魔法と根本的に異なる点も多いという。もし、その原初の魔法が解明されれば、今の時代の魔法にも改革が起きるかもしれない。その可能性を秘めた文書をほとんど説明もなしに解読させるとは何事か。

 しかし、父の気持ちもわかる。失われた言語すら読めるのであれば、たとえば暗号などはどうなのか。古代の時代でなくても、奇才が残した誰にも読めない暗号で書かれた文書など、いくらでもあるのだ。その中には、例えば世界の真理に一番近かったとされる魔法使いの残した文書もある。セツの使いようはいくらでもあるのだ。だが、それが知られてしまえば、セツが王子のお気に入りというだけでなく、その能力ゆえに命を狙われることになりかねない。古代の魔法を神聖化している宗教団体もある。現代魔法によって利を得ている者などもいくらでもいる。神話に近い時代の書物を読み解けるのであれば、もし暗号まで読み解けるのであれば──利用価値はとても高い。父が直々に依頼したのであれば、セツの能力をまだ秘匿しているのだろう。そのあたりまで含めて問いたださなければなるまい。

「ともかく、大事はあるようだが、セツが無事でよかった。何か連絡方法を考えたほうがいいな」

「この世界の通信ってどういうものなんでしょうか?」

「この部屋と学校の寮の私の部屋に通信魔法のラインを引こうか」

「そ、それは一般的なものなんでしょうか?」


 父はセツを利用していた。言語能力と、“完全な私室”の中という状態は、機密文書を扱わせるには最適な状況だ。秘匿することは、セツを守ることでもある。苦言入れたが、そこは頼み込んでおいた。ロバーツには見舞いという名目で会いに行き叱りつけておいた。セツを軽んじるものに代理を頼むな、と。ロバーツは反省しきりだった。次からは注意してくれるだろう。

 自分がいないとどうなるのか、準備はしておいたが、やはり予想外のことばかりだ。確認できてよかった。だが、これからも頻繁に戻ってこれるかというと、次に戻ってこれるのは長期休暇に入ってからになる。使いを出すことはできるので、時々セバスをよこそう。

 何が最適か考えていたため、せっかくのセツとのお茶の時間がほとんど喋ることなく終わってしまった。

「考え事していた私が悪いが、セツも何か言え」

「考え事の邪魔はできませんよ。ずっとデルウィン様がいてくださったことになれてしまって、この半月、寂しかったです。こうしてご一緒してくださるだけで、十分です」

 セツはデルウィンを甘やかしすぎる。改めて思ったのだった。


 学園にもどり、デルウィンは手紙をしたためるようになった。セツの様子をセバスに見に行かせるための口実である。白紙の手紙を出すわけにもいかないので書き始めたものだ。報告ばかりの内容になってしまうのだが、それに対してセツは丁寧な返事をくれた。セツは文字までお手本のようにきれいだった。

 手紙はただ文字を書いた紙である。青みを帯びた黒インクで書かれたただの言葉。しかし、それがデルウィンの心の安寧をもたらしてくれるものだった。


******


 半年ほど学園で過ごした。カリキュラムの内容は、すでに学んだことも多く、退屈なこともあった。しかし、セツは教えてくれた。聞いて実践するばかりが学びではない。すでに知っているならば、もう一歩踏み込める、と。

 十分な学びを身につけることができたと自負があった。セツにそれを伝えることができそうだ。

 そして、初めての長期休暇である。もちろん、デルウィンは城に戻ることになる。

「ナツヤスミ……じゃなかった。この長期休暇はどう過ごすんですか?」

「学校に通うものは、通わせてもらえる余裕のあるものだ。以前と同じように家族で過ごすとか、旅行に行くと言っていたものもいるな」

「そういうところは同じなんですね」

 セツの言うナツヤスミはそういうものらしい。

「母上の視察に姉上と同行する。実質、旅行だ。そんな気楽なものではないが。また、セツに留守番をさせることになる」

「いつものことじゃないですか。王族のお仕事なんでしょうけど、ご家族と楽しんできてください」

「セツも」

「僕ですか?」

「一緒に行ければ、よかった」

「お誘いは嬉しいですけど、ご家族の時間に水をさすようなことはできませんよ」

 と、セツは曖昧に笑った。

 一度、言ったことがある。セツはもう家族も同然だと。だが、セツはまったく取り合ってくれなかった。『王族がそんなに気軽に家族を作っちゃだめですよ』とたしなめるように。

 己の血の重さは十分に理解している。身内というものは慎重に選ばなければならないことも。デルウィンはけして気軽に言ったわけではない。よく考えたうえで、そうしたいと思ったのだ。セツには重いだろうかと考えていたのだが、それ以前のに冗談だとしか思われていないようだ。

 デルウィンは考えた。子どもの戯言のようにあしらわれたのであれば、まず大人にならねばなるまい。歯がゆいことだが、今はまだできることが少なすぎる。成人を迎えれば、その分、責任を負うことにはなるが、できることも増える。口約束ではなく、名実ともに家族になるためには、セツを娶ればいいのである。その日までに、セツが頷いてくれるよう、恥じぬ大人にならなければならない。どうすべきかは考え中だが、視察は大事な仕事だということはわかっている。セツと離れるからといって、クサクサしていられない。

「しっかり務めてくる」

「はい。またお話聞かせてください。学校はどうでしたか?」

「学業だけでなく、学ぶことも多い。あからさまに取り入ろうとしてくるものがいるので、気疲れもするが」

「ふふっ。時々様子を見に来てくださるセバスさんからもお話は聞いています。デルウィン様からも聞けて安心しました。それほど御学友とお話することが多いんですね」

 セバスには様子を見てくるようにと言っておいたが、こちらのこともあれこれ喋ったらしい。余計なことまで喋っていないといいのだが。デルウィンにやましいことは一つもないので、脚色が入っていなければいい。

 セバスからも聞いている。手紙にも書いている。重なる内容もあるはずだが、セツはデルウィンの話を楽しそうに聞いてくれた。


******


 旅行を兼ねた視察だが、やはり視察の重要度が高い。いくつか候補地があり、その候補地を回って各地の様子を見る。どこでももてなしてくれるが、年頃が同じくらいのめかしこんだ少女になにかまとわりつかれるのは辟易した。将来の妃候補ということで(はっきりそう言葉にしたものもいた)、デルウィンに紹介したいのだろうが、心が動くことはまったくなかった。やはりセツを娶るときめたからだろう。紹介します、ご挨拶なさい。そう言われて出てきた少女たちと、無意識に比較してしまう。判断は、見た目と少し話すことで得られる表面的な知性くらいしかない。父とそれほど変わらない年齢のセツと比べるのは、そもそもまちがいなのだが、いつも脳裏にちらつくのだ。もちろん、態度に出したりはしない。どのように振る舞えばいいのかは叩き込まれている。卒なくこなせたはずだ。見抜かれたのか、母と姉は『お眼鏡に叶う子はいないのね』との評価だったが。

 セツがいればもっと楽しかっただろう。根底にある価値観の異なるセツであれば、どのようなことを思っただろう。頭の片隅にはずっとそんな思いがあった。デルウィンの目を通してみたものになってしまうが、セツに語ろう。成人して結界が効力を失った後に、一緒に行こう。小さく切り取られた窓からしか見えない景色だけではない。本で得られる情報だけではない。直接この世界を知ってほしい。まだ伝えられるのはほんのわずかではあるが、デルウィンは日記のように日々をせっせと書き連ねるのだった。


 視察は余裕を持って行程が組まれていたが、予定通りにはいかないこともある。誰が悪いわけでもない。それぞれがそれぞれ仕事をまっとうしていた。だから、城に戻った日が、予定通りずれ込み、セツと話をする時間がほとんどなく、休暇が終わってしまうのは誰のせいでもなかった。

「話したいことがどんどん溜まってしまう」

「デルウィン様はお話するのがお上手ですから、僕だけでなく、例えばお友達にも話してください。セバスさんにお話すれば、僕も間接的に聞けます」

「私はセツと話したいのだ」

 セツでなければ意味がないのだ。

「勉学は学生の本分ですよ。しっかり励んできてください。僕は、ずっとここにいますから」

 『出られないだけですけどね』と、曖昧に笑って付け足した。

 デルウィンの休暇は、あっという間に終わってしまったのだった。


 こうなったら徹底的に話したいこと、連れていきたいところを書き溜めておこう。

 セツがこの世界にくることなく、大学とやらを卒業していれば、教師になっていたのだろうか? では、この世界の学校のことも書いておこう。学ぶ内容もことなっているのだから。

 学習の内容ばかりではない。セツの言葉があったからこそ、学校は退屈せず、学ぶことはいくらでも見つけられた。友人と、あるいは一人でも(セバスはついてくるが)街へでかけた。どこもかしこも、セツと見て回りたいと思える場所ばかりだった。

 学校で、集団で学ぶようになり、(以前から十分ではあったのだが)社会性が認められたのか、長期休暇には公務が詰め込まれた。ただでさえも少なくなっていたセツとの時間が殆どなくなってしまったのだ。

 セツはセツで、父に抗議をしたのだが、翻訳作業はずっと続けていた。『養われているばかりでは、心苦しいですから』らしい。楽ができるなら楽をすればいいとデルウィンは思うのだが、そういうものでもないらしい。

 保護されるような立場でもないため、働いて自分の身は自分で養うことが当然だ。意識しなくても使える程の役立つ技能があるならなおさら。デルウィンとしてはセツが利用されているようで嫌なのだが、対価は支払われている(使うことがないため預かりとなっている)ため、強く文句も言えない。

 ほとんど戻れなくなったデルウィンの部屋には翻訳のための資料が積まれることになった。






「殿下、この荷物だけ妙に重くないですか? 何が入ってるんですか?」

「記録だ」

「日記ですか? いつも熱心になにか書いているとは思っていましたけど、なかなかの量ですね」

 卒業となり、荷物を引き上げる際にセバスに文句を言われた。


******


 学校での生活は長いようであっという間だった。

「ご卒業おめでとうございます。帰ってくるたびに思っていましたけど、すっかり大きくなりましたね。……あれ、もしかして身長抜かされています?」

 “おかえりなさい”をしてくれたセツのとなりに立つ。セツの目を見るには少し目線を下に向けなければならなかった。

「デルウィン様、何歳になりましたか?」

「十一になる」

「まだこれから伸びそうですね」

「当然だ。姉ももうすぐ追い越す」

「あぁ、僕、お姉さんより低いんですね……」

 セツはたしかに小柄だが、それはそれとして、デルウィンは父も母も背が高い。デルウィンも(姉も)それを受け継いでいるだけだ。

「あのお父さんとお母さんから、そりゃ高身長イケメンができあがりますよね。僕なんてずんぐりむっくり小人ですよ……」

 手で顔を覆い、はぁとため息。セツは己の容姿を嘆いているらしい。デルウィンは何を恥じるのかと思うが、そもそもセツとは美的感覚が違うのだろう。

「私はセツの容姿をとても好ましいと思っている」

「へあ?」

 この数年ですっかりのびた髪をすくい上げる。前髪は時々切っているようだが、呪毒のために残ってしまったアザと色素が薄くなってしまった左目を隠すくらいには長い。それ以外は伸ばしっぱなしだ。簡単に結っているが、邪魔にならないようにまとめているだけだ。万が一、また呪毒を食らってしまった場合に髪に逃がせるように伸ばさせている。気候があっていなくて乾燥しやすい肌は、デルウィンの母から肌をケアするための化粧品を分けてもらうことによって潤いを保っている。髪のケア用品ももらっているのだろう。セツの髪は指通りがいい。

「黒に近い茶色の髪は珍しくないが、セツのような艷やかな黒髪は見たことがない。滑らかでしなやかだ。ずっと触っていたくなる」

 不思議と、セツの黒髪は鮮やかだ。濡れたように輝き、しなやかに揺れる。

「吸い込まれそうな琥珀の目。肌の色も、神秘的で艶やかだ」

 触れる頬はあたたかく、なで続けていたい滑らかさである。

「いつもおだやかに微笑んでいるセツには、いつも安堵をおぼえている。容姿だけではないな。私はセツを大切に思っている、愛しいと、思っている」

 セツの口から『ひゃあ』と間の抜けた声が漏れていた。触れる頬がみるみるうちに赤くなっていく。

「ちゃんと言葉にしたことがなかったか。セツには、異世界への転移自体が不運だと思っているかも知れないが、私のこの部屋に落ちてきてくれたことは、私にはとても幸運だった。誰にも文句を言わせず、セツは私のものだと言える立場にあるのだからな。人権を無視するつもりはないが、セツを守るために、まだもう少し私のものであってほしい。私が成人して、この結界が解けたあとには、セツが私を選んでほしい」

「えっ……な、に……?」

 多少の赤面ならば見たことはあったが、今回の赤さは今までに見たことがない。

「な、何? 情報量が多い! どうしたんですか、デルウィン様。急に何を言って……」

「あぁ、急だったな。私はずっと考えていたことだ。そう、端的に言えば、私はセツを愛している。あと四年、セツが自由になったその時に、セツの自由を少しだけでも私のために使ってほしいと思っている」

「へぁあ……」

 真っ赤になったセツからは、言葉にならない声が漏れただけだった。

「セツ……」

 ほっそりした指だ。翻訳に勤しむセツの手はインクで汚れていた。

「まっ……そんなプロポーズまがいのことを言われても、何を……」

「“まがい”などでは──」

「あぁ、でも、」

 握った手がするりとなでられた。

「僕にとっても、デルウィン様は大切な人です」

 顔は真っ赤なまま、涙目になりつつも、セツは微笑む。

 デルウィンは立場上、美辞麗句から罵詈雑言まで様々な評価や感情を向けられる。そのため、何を言われても動じない“慣れ”があった。セツの言葉は、例外であった。それを強く思い知らされた。

 触れたい。抱きしめたい。とっさの衝動を抑え込む。思うがままに振る舞うなど、子どものすることだ。親子ほども離れたセツと対等であるためには、そんな子どもじみた態度をとるわけにはいかない。

「また忙しくなると聞いています。体調には気をつけてくださいね」

「あぁ」



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