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臨機応変

 それから慌ただしくセツのためのものが運び込まれた。

 一段落ついたとならず、食事の時間。セツの食事はロバーツがついて持ってこられた。デルウィンはいつもどおり家族と。終えてすぐに戻ろうとしたが、父がついてきた。母までついてきた。そのまま父と母がセツと会見することになった。

 “完全なる私室”側にはセツとデルウィンが。廊下側には父と母が。城内とはいえ、従者もついている。セツは目に見えて緊張していた。

 雪の妖精女王と呼ばれる母は、美貌と政治の才を併せ持つ。才能ある女官がこの数年で増えているのは、紛れもなく母のおかげだろう。美しい銀糸を髪を結い上げ、澄んだ湖のような青い目を持つ。

 金を紡いだ髪と目を持つ父は、洞察力と豪胆さで政治を執り行う。大胆でありながら、緻密に練られた政策で国を治めている。

 王たる王。王妃たる王妃。そう呼ばれているはずなのだが、

「まあ! 本当に女の子みたいね。かわいらしい」

「吹けば飛んでいきそうな儚さだな。深窓の令嬢のようだ」

 二人が揃うと頭が悪くなると、もっぱらの噂である。知られているのはごく身近な範囲のみだが。

「女の子……血筋なのかな……」

 セツがぽそりとつぶやいていた。

「ご挨拶が遅れました。イブキセツと申します。イブキが家名、セツが名前です。お目にかかれて光栄です」

 明らかに気後れしていた。

「デルウィン様には様々なことを教わっているのですが、こういう場合の作法はまだ必要と思っていなかったもので、無作法で申し訳ないです」

「セツ、そんなに気にしなくてもいい。父上と母上は、特に今は気を抜いているから、適当でいい。適当で」

 冴え冴えとした表情と政治手腕を見せる母も、膨大な情報から最適解を導き出し国を動かす父も、今は威厳がはがれおちほわほわした身内向けの状態である。

「こんな緊張する三者面談をするとは思っていなかったです……」

 悪い意味でほわほわしている両親だが、セツの目にはそうは映っていないようだ。

「“三者面談”とは、何かな?」

「教師と生徒と生徒の保護者で面談することです。三者は、三人という人数ではなく、異なる立場という意味です。子どもが学校に通っている場合、子どもの活動時間の大部分は学校で過ごします。それを、教師は見ています。勉強のことを含め、学校での様子を保護者に伝え、保護者も要望があれば伝える。そういうことを時期を決めて行うんです」

 『僕は教師ではないですが』と締めくくった。

「いいね、三者面談。来年からはデルも学校だ。実施してもらおうか。セツくん、教師ではないと言うけれど、デルの学びの助けをしていると聞いているが?」

「僕は教わることばかりです」

「大事なことだ。人に教えるには、自分が理解していなければならないからね。最近、教育係からの評価がいいのは、君のおかげだろう」

「デルウィン様が学びに真摯であるからですよ。その助けになっているなら、僕は嬉しいです」

 直接聞いたことはないが、学習時の様子や勉学への理解度などは、両親に伝えられている。腹ペコ王子の件についても耳に入っているだろう。“完全なる私室”にセツを匿っていることまでは推測されていなくとも、すでに何かあったと気づかれていた可能性が高い。小動物をこっそり飼っているのではないかと思われるくらいはしたかもしれない。

「不便はたくさんあるでしょう。できるだけ快適であるように手配させますね。遠慮せずに言ってくださいね」

「ありがとうございます。デルウィン様が尽力してくださっていますから、不満はありませんよ」

「日中、うちの息子がいないことの方が多いのでしょう? 何をしているのかしら」

「デルウィン様が本を借りてきてくださって、それを呼んでいます。図書館のようなところがあるのですね。デルウィン様が教えて下さいますが、まだこの世界はわからないことも多いです」

「自ら学ぼうとする姿勢、えらいねえ」

「いえ、本を読むことは好きですから。何も大変なことはないですよ」

 父も母もほわほわしたまま、一見すると穏やかに話をしているが、一枚むけば舌戦が繰り広げられることもままあることだ。デルウィンから見てとても善良なセツだ。妙な口約束をしなければいいが。今も、何か違和感があった。まだ感覚的なもので、“何が”と具体的な引っ掛かりまではわからないのだが。

「何かこわいことはないかな?」

「今回こうして僕のことが露見してしまった理由が理由ですけど、日がな一日本を読んでいる生活ですから、疲れるようなことはないです。デルウィン様がお優しい方ですから、きっとこの世界の方もそうだろうと楽観的に思っていましたけど、伏魔殿と思っておいたほうが油断せずにすんだかもしれませんね。デルウィン様が的確な処置をしてくださいましたから、一命をとりとめましたけど、死ぬかと思いましたよ。僕は全然耐性がないみたいですから」

 セツはあっけらかんと言うが、全く笑い事ではない。平静を保とうとしても、眉間に力が入ってしまう。

「城内の者は調査の上で慎重に雇い入れているのだけど、なかなか難しいものだ。眼の前にぶらくっている魅力的なものに目を奪われ、短絡的にぎってしまうことなど、いくらでもある。どう動くかは、最終的には個人の資質だ。内心は、誰にも除くことはできない」

「人の物を盗ってはいけないなんて言う基本的な道徳は、教育や宗教が担うところだと思います。と、教師を目指していたものとして」

「──あっ」

 思わず声が漏れる。

 わかった。父の言葉の違和感と、その意図するところが。

「え? 僕、何か変なこと言っちゃいましたか?」

「いや、とても真っ当な意見だ。父が教育に関する役職につけて教育改革してくれとでもいいそうなくらい」

「おぉ、それはいい考えだね。セツくん、やってみないかい?」

「え、えぇ? 無理をおっしゃらないでください。僕はまだこの世界の道理も何も知らないんですから」

「父上、言ったはずだ。セツは私のものだ。気軽に利用しようとしないでほしい」

「それは残念。まあ、おもしろい話を聞かせてもらったよ。聞いてみたいことはまだたくさんあるんだけど──」

「セツを伏魔殿に巻き込まないでいただきたい」

「ふふっ。今日はもうこのくらいにしておきましょう。あまり負担をかけてはいけないわ」

 母の美しいほほえみは父を動かすには十分だった。

「じゃあ、また話を聞かせてもらえるかな? セツくん」

「えっと、僕でお役に立てるのであれば」


 三者面談もとい会談は短めに切り上げられた。セツの体調を考慮してだろうが、父はすでに有用な情報を引き出していた。本当に抜け目がない。

「デルウィン様、難しい顔をしていますけど、あの……やっぱり無作法を働いてしまったのでしょうか?」

「作法を知らなくても仕方ないセツに作法を求めるほうが無作法というものだろう。セツは何も悪くない。私の方こそ、謝らなければならないことができてしまった」

「──? 僕には心当たりがないんですけど、何でしょう?」

「私はセツもモノ扱いしたくないと言っていたが、私の所有物のように言ってしまった。すまない」

「あぁ、気にしてませんよ。僕がデルウィン様の庇護下にあるとおっしゃってくれたのでしょう? 僕は、自分の身も守れないのだと、今回の件で実感しましたから。デルウィン様に守っていただいて、どうにか生きながらえていることは本当のことです」

 セツは善性でてきている。いつも思う。

「もう一つ。異世界からきた人間は、だいたいギフトを受けているものだ。今まで何かわからないように装っていたが、私は気づいていたんだ」

「え? 何かありましたか?」

「あぁ」

 デルウィンは何冊か積んでいた本をなでた。いくらか好みは聞くものの、書庫から持ち出す本はデルウィンによって選ばれる。デルウィンはセツの能力を、選んだ本によって確認していた。

「セツには、この世界の言葉を読み書きできるんだ。この国の言葉だけではない。他の国の言葉も」

「……そうなんですか?」

 自身のことだというのに、セツは首をひねっていた。

「異世界からの客人は、しゃべるだけならば、まず最初に関わったものが所属する国の言葉を扱えた。それが最低限必要だと与えられるのだろう。だが、読み書きとなると、また別だ。異世界からの客人について調べたが、しゃべれこそすれ、それは一つの国の言葉だけだとあった。他国の書籍を混ぜて渡したが、セツは普通に読んでいるようだった。メモは私の知る言語で書かれていた。確認するが、もとから天才的な言語感覚を持っていたとか、そういう理由はあるか?」

「いえ、ないです。むしろ、外国語めちゃくちゃ苦手で成績悪いくらいでしたよ。えっ、そんな……」

 セツは積んでいた本を一冊に冊と手に取る。

「ホントだ。普通に読んでたし読めていますけど、何この文字……。でも、読めます。なんで、ですかね?」

「ギフトだろう。父は、いくつか他国の言葉を混ぜて話をしていた。セツは淀みなく答えていた。本が書庫から借りた本だと知って、他言語もわかると踏んでカマをかけたんだ。私が気づくまでしばらくかかったのに、父はすぐに気づいたんだ」

「すごいですね。さすが、デルウィン様のお父様です」

「ほわほわしている場合か! それがどれほど有用な能力なのかわかっていないのか! 私なら、どうやって利用しようかいくつでも案を出しているところだ。父も私が思いつく何倍も考えているはずだ」

 頭が痛くなる。ため息が勝手に出る。

「まあいい。あとで考えよう。今日は騒がしくさせてすまなかった。順を追っていくつもりだったが、まとめてどっときてしまった」

「慎重なのは、悪いことではありませんよ。いずれ、僕の存在は明らかになっていたんですから、これから最適を考えていきましょう」

 微笑むセツの顔のあざが痛々しい。“完全なる私室”の結界のため、見るだけしかできず、治療の目処がたたない。調べられる範囲で治す方法を探すと言ってくれているが、対呪毒室の職員の口ぶりからあまり見られない症状のようで、期待はできそうにない。セツを秘匿して、自分は何ができたのだろうか。

 これから寒くなるからと用意された寝巻きは保温性の高い布を使用し、首元が冷えないように起毛素材が縫い付けられている。ベッドは室内で組み立てる必要があり、セツとデルウィンで行わねばならず、用意に時間がかかると言われたが、温かな寝具はすぐに用意された。手を打つつもりではあったが、時期を誤ればセツを凍えさせていたかもしれない。

 これからは十分な食事が用意される。デルウィンが知恵を絞って手に入れようとしていたものが、あまりにも簡単に手に入るようになってしまったのだ。

 デルウィンは、自分が見つけた宝物を独り占めしようと、誰にも見つからないようにただしまい込んでいただけだった。物言わぬ人形を、ただ愛でていただけだった。

 何一つセツのためになどならなかった。痛々しいあざは残ったものの、十分な食事でいつもより顔色のいいセツの笑みに打ちのめされる。

「デルウィン様、難しい顔をしていますよ。もうお休みの時間ですから、考え事は明日にしましょう」

 言われて、顔面に力が入っていたことに気づく。

「すまない」

「何が、ですか?」

 セツは何でもないように振る舞っているが、何でもないはずがないのだ。すべて、デルウィンの落ち度によるものであるにも関わらず。

「対呪毒室の判断は、後遺症はないだろうということだが、一晩はすぐに対応できるようにさせてほしい。対呪毒室は私よりずっと知識も経験もあるプロだということはわかっている」

「それでデルウィン様の気がすむのであれば、いくらでも言ってください。僕にできることは少ないですけど、叶えられることであれば何でもしますよ。えっと、ソファを寝室に動かしますか?」

「その必要はない。前にも言ったが、ベッドは十分に大きい。成人間近になっても、セツくらいの余裕はある。今日は冷え込むそうだ。ちょうどいいだろう」

「……あぁ、はい。湯たんぽ役、拝命しました」

 万が一、呪毒の影響がセツの身体に異常を起こさせた場合の備えでもある。しかし、ずっと気になっていたのだ。ベッドという寝具があるのに、それよりも窮屈なソファで寝かせていたことが。セツ用のベッドも用意されることになったが、数日かかる。その間くらい、寝床に招き入れてもいいだろう。

 そうして、枕を並べることになった。


 のだが、翌朝。

「おはよう、セツ」

「おはようございます」

「ん? アザが広がっていないか?」

「これは、その……」

「どうした、はっきり言え」

「デルウィン様も寝相よくないんですね」

 いつも一人で寝ているため、気にしたことはなかったが、よくない寝相によりセツをぶってしまったらしい。

「今夜は、私の手足を縛ってくれ……」

「温かそうなお布団ももらいましたから、僕はソファでも大丈夫ですよ」

 振り出しに戻った。





 それからセツを取り巻く環境はガラリと変わった。デルウィンの“完全なる私室”に閉じ込められていることに変わりはないのだが、関わる人間が格段に増えた。扉だけでは不便であるため、廊下側の壁の一部を窓にした。“完全なる私室”の結界の都合上、現場作業の殆どはセツが行った。しきりに『耐震性は大丈夫なんですか?』と言いつつ、恐る恐る壁を壊して窓を取り付けた。壁を壊した際には腰が引けていたが、セツは器用に処置して窓が設置された。裁縫道具の扱いを見ても思ったのだが、セツはとても器用だ。『さすがに窓付けは職人さんの指示にしたがっただけですけど、簡単な裁縫くらいは義務教育のうちですよ』とのことだった。教育というから、勉学ばかりかと思っていたが、生活に関わる技能も学ぶようだ。

 随分気にしていた耐震性とは何かも聞いたのだが、セツのいた世界では地震という天災があり、あるていどは揺れに対して耐えるための構造で建物を作らなければならないらしい。何故そのような事が起こるのか、突っ込んで話を聞いていくと、どうやらそもそも世界のあり方が違うということがわかった。

「世界の端が見えてるんですか?」

「金持ちの道楽でそれを見に行くツアーも組まれているくらいだ。その向こうには何もない、とされているが、その向こうに消えていくはずの海水はいつまでも絶えずある。循環していると考えられている。遺体を向こうに流す弔い方法をする宗教もあるくらいだ」

「あぁ、ありそう、そんな宗教。散骨みたいな感覚なんでしょうか」

 セツの世界では死者を海に還すという考えがあるとのこと。

「“還す”というのは、感覚的なところから発生していると思うんですけど、根拠がないわけでもないんです。生命は海から発生して、陸に上がって……あぁ、たどると宇宙の話になります、これ。長いし、僕そんなに詳しくないです」

「聞きたい」

「……後日まとめてからでいいですか?」

 後日、“あくまで有力な一説”“それを覆す発見があるかもしれない”と念押しされて長い話を聞いた。本当に長かった。

「あれ? これ、宗教観ひっくり返したりしないですか? 宗教的な理由で断罪されたりしないですか!?」

 何故か青ざめていた。別に何も問題ないと告げると、セツは『内心の自由』と『宗教の自由』に感謝していた。セツのよくわからないところがまた一つ知れた気がした。

「というのも、『それでも地球は回っている』っていう有名な言葉がありまして」

 少し話が長引いた。

「義務教育は世界のあり方まで学ぶのだな」

「これは学習まんがかNHKで見た気がするから、娯楽に近い気がします」

「高度な話に聞こえたが、娯楽か?」

「デルウィン様も楽しく聞いてくださったなら、娯楽ですよ。専門的な話ですけど、やっぱりベースに総合的な理解が必要で、それは義務教育の範疇ですね」

「詩を嗜むものは、古い詩もよく知る者も多い。そういうことか」

「定型詩なら枕詞があるんでしょうか? それとも本歌取り?」

「セツは詩にも詳しいのか?」

「あ、いえ、義務教育の範囲です」

 セツの義務教育では情緒の表現も学ぶようだ。

「私はまだセツにこの世界を説明することができていないな」

「まだまだ余地があるということですね。ところでデルウィン様の伸びしろに、まったく役に立たない僕の世界の話を詰めてしまってよかったんでしょうか?」

「許容範囲だ。まだまだ学ぶべきことが多すぎる」

「学びの意欲になったのであれば、僕も嬉しいです。それは何よりも得難いものですからね」

 異世界からの客人は、異なる考えを持っている。それだけで十分な価値がある。と、あくまで他人の言葉でしか聞いたことであったが、今、実感した。比較し得ない物事が比較し得るものとなり、見えていなかったものが見えるようになることを。

「見に行こう、世界の果てを。セツがここから出られるようになるのは、まだ先だが」

「金持ちの道楽ではなかったのですか?」

「一国の王子に、金持ちの道楽ができないはずないだろう」

「ふふっ、そうですね」

 セツはいつものように曖昧に笑うのだった。


 異世界から落とされた客人は、記録で残っているところによると、十年に一人の頻度で現れる。場所もそれぞれで、誰にも見抜かれずに人に紛れる、あるいは野垂れ死ぬという記録に残らない場合も考えると、もう少し頻度は高いかも知れない。セツの出現がこの国では数十年ぶりなのは、それらのことを考えると妥当だろう。それが城の中で保護されたと言うと前例はない。城で召し抱えることになったという者は少なからずいるが。

 セツは、つまり稀な例だった。最初は物珍しさに顔を見に来るものも多かった。セツは拒まず、にこやかに応えた。言葉をかわすうちに気づくものも多かった。セツがよき相談者であることに。

 セツ自身は義務教育と娯楽の範囲だと言うが、セツが元いた世界の知識は多岐にわたる。この世界に落ちてからも、ギフトとして与えられた言語能力で本を読み(本人にあまりそのつもりはなさそうだが)情報の収集に余念がない。

 相談者の言葉を的確に拾い上げ、的確な情報を提供する。城内のみならず、国内の経済状況にも影響が出始めている。『僕の知っていることなんてたかが知れていますよ』と本人は言い張るが、ひっきりなしに相談者が訪れているのが何よりの証拠だ。

 セツは『ただ話をしているだけ』と言っているが、とっくにセツの有用性は気づかれている。父と母までよく訪ねてくると知った時は、少し面食らったが。

 セツは自身を過小評価している。だから、精一杯応えようとする。それを聞いた者たちはセツに何を報いたのだろ。セツを利用しているという自覚があってもなくても、腹立たしいことには変わりなかった。


******


 朝はほとんど自力で起きるが、時々セツに起こされることもあった。

 名を呼ばれ、軽く肩をなでられる。目を開けると、『おはようございます』と微笑まれる。眠りという安寧から抜け出すのはいつも億劫だが、セツのそれは悪い気分ではなかった。

 その日は少し違っていた。

 いつものように起こされたのだが、セツはまだ寝巻きを着たままだった。

「おはようございます、デルウィン様。朝ごはんの用意、できていますよ」

 セツの存在が秘密ではなくなってから、衣と食の問題は大きく改善された。部屋の簡易キッチンで朝食を作るようになり、デルウィンも同じものを食べることになっていた。『パンを温めて、卵を焼いて、簡単なスープを作るだけ』と言っているが、それだけ並べて“だけ”ではない。いつもの干し肉と乾燥させた野菜を一晩水につけておいて、それを温めて味付けをした“だけ”のスープは、身体にじんわりとしみる味がする。それも義務教育の賜物らしい。『乾燥させた食品からは、大体お出汁が出ますから』らしい。

「すみません、今日はあまり調子が良くないので、少し休もうかと思っています」

 そのままベッドに戻るために着替えていないようだ。

「私の朝食の用意をしている場合か! 自分の優先順位を低くするな。セツの悪いところだ」

「すみません……」

 セツをベッドに押し込み、しっかり布団を掛けてやる。しっかり寝かせなければ、すぐに出てきかねない。

「セツが言い出すなら、よっぽどなのだろうな。発熱している」

 熱い気がしてセツの額に触れる。やはりいつもより熱い。

「ゆっくり休んでいるんだぞ」

 いつかセツがそうしてくれたように、布団の上からポンポンとなでる。

 自分史上最速で着替え、しっかり味わいたいのだが、朝食も最速で片付ける。“完全なる私室”に閉じ込められている以上、セツにはデルウィンしかいないのだ。セツが自分を優先しない性分であることは、なかなか覆すことができない。だから、デルウィンがセツを優先するしかないのだ。

 午前中は武術の鍛錬だが、師範に頼み込んで基礎練習だけで終わらせてもらった。

 セツの昼食は病人用の物を出すように依頼した。対呪毒室には、セツの食事がいつもと異なることを伝えておいた。

 これで昼間ではセツをみていられる。他にできることはないか、考えを巡らせつつ、部屋にもどる。

 と。用がなければカーテンを引いている廊下と通じている窓が開放されていた。もちろん、セツを訪ねてきたものと対話をするために。

 カッと、腹の中が熱くなる。

「何をしている!」

 落ち着いた声が出せなかった。

「お急ぎのようでしたから」

「それはセツの不調を押してでも聞かねばならぬことなのか!?」

「いえ、それは……」

 デルウィンの勢いに完全に気圧されていた。

「セツのいた世界とこの国ではまず前提条件が異なる。役に立つ、参考になることもあろうが、それらの情報を精査してこそだろう。今すぐセツから話を聞けずとも、調査分析できる要素はいくらでもある。それで、今すぐでなければならない理由はなんだ? 寝間着のセツを捕まえてでも」

「その……申し訳……ないです。セツ殿と話していると考えがまとまって案も出やすいのです。セツ殿の不調を考慮していませんでした」

「そんな、たいしたことじゃないですよ」

「たいしたことだ! 馬鹿者!」

 つい、腹立たしさが勢いとなって口から出てしまう。

「私はまだ力が及ばず独力ではセツを守りきれない。セツが自ら犠牲になる真似をするなら、なおのことだ。セツは私のものだ! それを傷つけるものは、誰であっても許さない。セツ、お前もだ。セツは……」

 目から、喉の奥から、感情が溢れ出てしまう。ずっと押し込めていたもの。常に冷静であるために殺していたものが。

「デルウィン様……」

 引き寄せられ、温かく包まれた。セツはデルウィンが知る大人より小柄だが、それでもまだ五歳であるデルウィンよりずっと大きい。デルウィンを抱きしめると包みこまれたと感じるくらいには。

「ごめんなさい、デルウィン様。ご心配をおかけして」

「そうだ、心配をさせるな。私のために心身ともに健康でいろ」

「はい」

 背をなでられた。デルウィンはセツの寝巻きの少し掴んだが、すぐに放した。

「すみません、そういうわけですから、後日にしていただけませんか?」

「もっと強く言っていいぞ」

「えぇ……」

「すみませんでした。またきます」

「私の許可を取ってからにしろ。セツは私のものだ」

「はい、そのように」

 そのままセツをベッドに押し込んだ。

「今日はそこから出てくるな」

「はい。ご心配おかけしました」

「そうだ、心配をさせるな。と、言いたいところだが、私にもそれくらいの甲斐性はある。心配をさせるのは私だけにしておけ」

「ふふっ、難しい注文ですね。肝に銘じておきます」

 その日はセツの世話をやいてすごした。


 それからセツとの談話の許可を求められるようになった。ただ一人に強く注意しただけだが、すっかり知れ渡っていたのだ。セツに負担をかけすぎないために、ある程度にとどめて制限できるのはいいことだ。父は、合間を見て好きなように話すと一度だけデルウィンに宣言して、好きなように話しているようだが。ただ、父は忙しい。それほど頻繁ではないので、目をつぶることにした。

 しばらくして、わざわざデルウィンに許可を取る理由を知ることになった。

 生まれた産声以降泣いたことがないあの鉄面皮が泣くほどなのだから、よっぽどなのだろう。そう思われたらしい。

 まず鉄面皮と思われていたいたことを知ったデルウィンは、一瞬だけ自室のベッドの中に引きこもった。こらえて、噛み砕いて飲み込んで、一瞬だけでどうにか終わらせることができたのだった。



 この国では、雪の時期が一年の三分の一を占めている。残りを雪後・雪前として分けているのだと教えると、『フユが長くて、ハル・ナツ・アキをまとめて二分割した感じですね』とのことだ。セツの国では、季節は四つに分けられているらしい。暖かい、暑い、涼しい、寒いで分けられているのだとか。

「この国では、季節は雪を中心にわけられているんですね」

「我々は雪と生きる民だ。私の名前も、雪に由来している」

「そうなんですか? 僕とおそろいですね」

 自分の名前など気にしたことはなかったが、妙に気恥ずかしかった。

 自国の季節は、セツの言い方に沿うならば、暖かくなっていく時期、寒くなっていく時期、寒い時期といったところだろうか。

「もうすぐ雪解けだな」

 日中のほとんどの時間をどんよりとした雲で覆われていた日々は、いつの間にか移り変わっていた。雲の向こうを見る日が増えていた。暦の上でも、雪中から雪後に変わるまであともう少しだ。

「学校、始まるんですね」

「セツをおいていく不安はあるが、ロバーツがよくやってくれるだろう。研究熱心すぎて他の損得を考えないから、その垂涎の存在であるセツを損得ではなく守ろうとしてくれる」

「あぁ……、そうですね」

「優秀さが偏っていることは認める」

 一点特化だから優秀なのだろう。まだ人当たりがいいことは奇跡かもしれない。

「学校、か。すでに学ぶことは学んでしまっているのだがな」

「机上の学びだけが学びではありませんよ。他を知るからこそ、自らの学びが深くなるものです。僕のいた世界を、国を知ることができたから、この世界の、国の仕組みをより深く知ることができたように。同じ学びでも、得るものはいくらでもあります。学びは、地固めです。その上に何を築くのか、築くことができるのか。それがわかるのはまだ先です。学校でどのようなことを学ぶのか、興味があります。帰ってきたら、教えて下さいね」

「あぁ、もちろんだ」

 セツは教師になるために大学とやらで学んでいた。“教育”を学んでいたのだ。内容の異なるであろうこの国の教育の内容に興味を持つのも当然だろう。

「子供の発育についでも学んでいたんです。これくらいの年でどういうことができるようになるという基準、とか。この世界ではどれくらい共通なのかはわかりませんが、デルウィン様くらいのお年でしたら、やっと自己を確立して学びを得られるようになるくらいです。だから、学校もその年令からなのだと思います。デルウィン様は早くからそれができていました。周囲とはギャップがあるでしょう。しかし、奢らずに、鷹揚に慎ましやかであってほしいと思います。デルウィン様は、どんな経験でも己の肥やしにできると、僕は思っていますから」

 セツの激励は何よりも効いた。



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