切歯扼腕
最近腹ペコ王子扱いされているようで、給仕などがちょっとした菓子をそっとわけてくれるようになった。秘密だと言われて渡されるが、それらは一度対呪毒室に持ち込んでチェックしている。今は解決したのだが、セツが『衣食住が揃えば』と言っていたうちの“食”を用意することが一番難しかった。たとえどんなに優れた王であっても、その王が死んで喜ぶものはいくらでもいるのだ。そしてそれは親族にも及ぶ。食べるものは徹底的にチェックされているのだ。今は余剰をどうどうと持ち帰れるようになったが、こっそり持ち帰ることはほとんどできなかった。徹底的な管理が行われているのだ。こうして専門部署があるくらいに。
「……減っている」
「何度も申し上げておりますが、毒見が一番確実なんですよ、殿下」
「わかっている。十分に役目を果たしていることには感謝している」
「光栄です」
スラリというより、ひょろりとした男はロバーツという。対呪毒室の職員で、つまりは呪いや毒に詳しい。プロフェッショナルではあるのだが、自分の身体で実験しがちで、見るたびに身体のどこかしらに異変がある。今日も、左目の白目と言うべき部分が黄色くなっており、せわしなくキョロキョロしていた。いわく、特殊な訓練を受けているので大丈夫、らしい。黄色い白目は、次に顔を合わせる時には治っているだろう。別の異変が起こっている可能性が高いが。
「検知だけでも、私にできないものだろうか?」
「そうですね……。殿下、基礎魔法はどれくらい学んでおられますか?」
「適正はどれも可もなく不可もなし。初級魔法は扱える。得意不得意が出るほどではない」
「対呪毒を学び始めるには十分です。殿下の教育がいつから始まるのかは、私にはわかりかねますが……少々お待ち下さい。室長、殿下の対呪毒教育っていつからか知っていますか?」
呼ばれて出てきたのは対呪毒室の室長でもあるサウェリンだ。豊かな髭を蓄えた初老の男で、年季と貫禄を醸し出されている。対呪毒室の職員は、だいたい髪か髭が長い。万が一の場合、毛に呪毒を集めて切り落とすために。ロバーツも青い髪を長くしているが、手入れは熱心ではないため、もっさりしている。
「おや、デルウィン殿下でしたか。最近、よくいらっしゃるそうですね」
「腹ペコ王子だからな。私達が安心して食事ができるのはみなのおかげだ。感謝している」
「もったいないお言葉です。教育について知りたいとおっしゃいましたか?」
「あぁ。耐性訓練は受けているが、知識はまだ学んでいない。いつから学ぶものなんだ?」
「予定では、デルウィン殿下は学園での教育後になります。これにはいくつか理由があります。大きな物は一つ、知識を得ることは当然なのですが、解呪・解読を学ぶには本物を使用します。身体が小さいと、その量の調整が難しいのです。しかし、学びたいと思ったときは、学びの“旬”だと私は思っております。早く学びたいとおっしゃるのでしたら、そのように伝えておきますが?」
ロバーツが呪毒検知のために毒見をしていたことを咎めるつもりはない。たしかにそれは万全を期すために必要なことだ。しかし、いくら部屋から出ないといっても、セツはギリギリの食事量で生きている。クッキー一枚もおしいのである。
「私は、すぐにでも学びたいと思っている」
「わかりました。確約はできませんが、教育係へ頼んでおきます。理由を聞いてもよろしいですか?」
「腹ペコ王子だからな」
「ふふっ、いいですね。そのような理由のほうが、伸びますよ」
数日後には早速組み込まれることになった。ただし、お試しとして。万全を期して行うが、呪毒をあおるという自らを傷つけるような内容も含まれている。まだ無理だと判断が下った場合、中止できるように。
「呪いや呪毒の検知は、違和感を探すことです。強い呪い、強い毒は、存在感も強い。埋め込むものの概念で包むという隠蔽方法もありますが、そうすると呪いや毒自体も薄れてしまいます。殿下はすでにあるていどの耐性を持っていらっしゃいます。検知できないほど隠蔽されているものであれば、落ち着いて対処すれば問題ないでしょう」
サウェリンの授業はとても実践的だった。ギリギリの呪いや毒を実際に持ち出す程度に。
杖にすがりつきながらどうにか自室に戻る。後は強めの呪いの分析、解呪の訓練だった。無効化は成功したのだが、体力をごっそり持っていかれたのだ。部屋まで送ると言われたが、断って自力で戻ってきたのだ。これくらいで倒れていては、セツを守れるはずもない。
「もどったぞ、セツ」
「おかえりなさい。珍しい時間……っ! どうしたのですか!?」
歩くので精一杯のデルウィンに、セツが驚かないわけがなかった。
訓練の一環だと、駆け寄ってくるセツを制止しようとするが、体温が触れて力が抜けてしまった。
包み込まれるように抱き上げられる。ベッドまで運ばれ、ぬくもりが離れてしまったことを残念に思ってしまった。
「服を緩めますね。苦しいところはどこですか? 吐きそうとか、気持ち悪いことはありませんか?」
きっちり着込まれた服の、首元や腹回りが緩められていく。
「これは、訓練の一環だ。大丈夫、体力を持っていかれただけで、休めば治る。手慣れておるな。医者を目指す学生だったのか?」
「いいえ、教師を目指していました。応急処置の講習は受けていましたから、これくらいはできますよ。失礼しますね」
セツの手があちこち触れる。額に、首元に、腕に、手に。不快ではなかった。いたわるようで、心地いい。
「いつもより体温が低いですね。汗をかいていますから、お水を飲んでおきましょう」
固く絞ったタオルで額が拭われる。
「お砂糖と、少しお塩を溶かした水です。本来であれば、柑橘系の果汁でクエン酸やビタミンも追加したいんですけど、今はこれで精一杯で」
飲ませてもらった水は、たしかに甘くて少ししょっぱかった。あまりおいしいものではなかったが不思議と身体に染み渡るような気がした。
「やはり医療の心得がある」
「保健体育と家庭科の範疇ですよ。義務教育のうちです」
ただ一人の言う常識が本当に一般的に知れ渡ったものであるかは疑問だが、セツが知ることは、つまり誰でも得られる知識ということだ。セツが特権階級である可能性は否定できないが、セツの慎ましい雰囲気は平民然としているように思える。この国では、教育を受けられるのは限られた人間だけだ。それがこの国の常識である。だが、セツをみていると思うのだ。無駄や向き不向きがあろうとも、一律である程度の教育を国民に施すのも、一考の余地があるかもしれない。
「手足が冷えていますね。かけるものを増やしましょうか?」
セツはデルウィンを壊れやすい細工のように扱い、すっかりベッドの中に収めてしまっていた。
「大丈夫だ。なかなか手足まで熱が回らないだけだろう」
「冷え性でなくとも、たまにありますよね。湯たんぽは……ないか」
手を取られる。セツになでられ、やっと血が指先まで通ってきた。
「セツは温かいな」
「寒くても指先まで冷えることがなくて、カイロとして重宝されていました。あぁ、僕が湯たんぽになればいいですね」
手は離れたが、すぐにぬくもりがとなりにもぐりこんできた。ポンポンと優しく背をなでられた。デルウィンは、ぷつりと糸が切れるように意識を途切れさせた。
「っ!」
意識が浮上した。もう寝室はすっかり闇に飲み込まれている。枕元の明かりをつける。となりには、残念ながらセツはいなかった。
「別に残念なことなどあるものか」
ひとりごちながら、ベッドを降りる。
伸びをする。もう今日は一日動けないと思っていたが、スッキリ回復していた。その代わり、回復に使われたのか、空腹感が身を占めていたのだが。
時計を見る。夕食の時間は過ぎていた。慌てて寝室を飛び出す。
「おはようございます。ゆっくり休めましたか?」
「あぁ。しかし、食事の時間を過ぎてしまった。すぐに行ってくる」
「あぁ、本当ですね。僕も気づきませんでした。すみません。服が緩んだままですね」
ズボンがずり落ちそうになった。そのまま寝てしまったため、しわができているが、着替えているヒマはなかった。緩めていた首元も締め直し、部屋を出す。
と、向こうからワゴンを押す給仕とロバーツが歩いていた。
後ろ手に予め決めておいたハンドサインをセツに送り、ドアを閉じる。
「食事を運んでくれたのか?」
「はい、殿下。室長、今日は強めの呪物で鍛錬を行ったために休んでおられるのだろうと。ちょうど出てきていただけてよかったです。食堂で召し上がりますか?」
ロバーツがついているのは、王族が口にするものに呪いや毒を仕込まれないようにだ。
「今日は自室で食べる。ワゴンはあとで返しに行く」
「清掃も我々の仕事です。また後ほど受け取りの参ります。廊下に出しておいていただければ片付けます」
「そうか。厨房へ感謝を伝えておいてくれ」
「はい、たしかに承りました。最後にチェックさせてくださいね」
ロバーツはパチパチ目を瞬かせ、ワゴンに手をかざした。
「──はい、問題ありません。ごゆっくり召し上がってください」
ワゴンごと食事を部屋に引き入れ、ほっと息をつく。
「もう出てきて大丈夫だ、セツ」
念のためにハンドサインで伝えたのは、ドアから見えないところで静かにするようにということだった。覗き込まなければ見えない部屋のすみで身を潜めていたセツが寄ってくる。
「今日のお食事ですか? 豪華ですね」
デルウィンにはいつもの食事(今回は多めだが)である。ギリギリの食事しか取れていないセツには、確かに豪華に見えるだろう。
「好きに食べてくれ」
デルウィンは明日も同等の物が食べられる。
「デルウィン様を差し置いてそんな事はできませんよ。僕、こんなに食べられません」
ワゴンの上の物がテーブルに並べられていく。食事用のテーブルの椅子は一脚しかなくので、もう一脚は学習机から持ってくる。
セツはその一食を、さも大盛りのように言っているが、いつもより多めとは言っても五歳児の食事量だ。セツは小柄ではあるが、成人男性だ。足りないと言われこそすれ、過剰だと言えるほどではない。何故そうなるのかといえば、デルウィンがそんな食事を強いているからだ。無力を痛感する。速く見つけなければならない。セツの不自由ができるだけ軽くなる方法を。
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「違和感がある。見てくれないか?」
「はい、承りました。……あぁ、これは“おまじない”がいき過ぎているものですね。食べてもデルウィン殿下でしたら問題ありませんけど、オススメしません」
対呪毒室に持ち込んだのは、給仕からもらった焼き菓子だ。デルウィンの検知に引っかかったので、答え合わせをしにきた。
「殿下、才能ありますよ。こんな繊細な違和感も察知できるなんて」
「サウェリンの教えがいいのだろう」
「室長も喜びますよ。私の師匠でもありますから、厳しさはよく知っています」
「それは初めて聞いた。では、ロバーツは私の兄弟子なのだな」
「あらら、へへっ、光栄なことです」
ロバーツは協力者候補の一人だ。セツの秘密を共有できるものは、この国のためではなくデルウィンを信用できるものでなくてはならない。セツの存在は国益になりうる。デルウィンもそう思うから、国益よりデルウィン個人を優先してくれるものでなければならないのだ。その点、ロバーツは学者肌であるため、必ずしも国益優先の考えではないのである。うまく引き込めれば、信頼できると踏んでいる。
「どちらからですか? これを受け取ったのは」
「給仕のトーマスだ。恋人が、菓子類を作るのが得意だと言っていた」
「調査次第ですけど、その恋人がやべえぞって注意しておきます」
「よろしく頼む」
「はい、お任せください」
それも仕事のうちであロバーツたちならば、いいようにやってくれるだろう。
腹ペコ王子の噂はほどよく回っているらしく、差し入れをもらうようになった。必ず対呪毒室で安全を確認してからと言われているが、ほぼ毎回確実なチェックになる毒見が入る。時々は、対呪毒室を通さずデルウィン独自のチェックで持ち帰ることもあった。サウェリンの授業は厳しいが、相応に検知能力も上がっている。ロバーツも褒めるほどに。その検知をすり抜けても、訓練によって耐性があるデルウィンであれば問題ないレベルだ。ただ、自信は慢心にもつながるものである。
勉学の合間、城下で流行っているというナッツ入りのパンをもらった。セツは普段食べているパンよりもっとふわふわしたパンを食べていたらしい。そのパンはデルウィンが普段食べているパンより持っただけでわかるほどふわふわしていた。デルウィンの検知は通った。毒見させるものか。上機嫌で持ち帰る。
「もどった。いい土産を持ってきた」
「おかえりなさい。お土産ですか? 楽しみです」
嬉しそうに微笑むセツに、自然とデルウィンも笑みが浮かぶ。
「城下で流行りのパンだ」
「それは素敵ですね」
「すぐに茶を淹れる」
「いつもありがとうございます」
デルウィンの学びの時間はおよそ、朝、昼前半、昼後半の三部に分かれている。内容は偏りがないように組まれている。昼の前後の間の休憩には軽食と茶の時間でもある。デルウィンは自室で茶を淹れるということにして、対呪毒室チェック済みの菓子を持ち帰っていた。今日は女給からもらったパンはデルウィンのチェックしか通していないが、検知能力はサウェリンも認めている。問題ないだろう。そのために呪毒に関するカリキュラムを早めてもらったのだから。
ティーカップはワンセットしかなかった。ティーカップに限らず、この部屋で使うものは一つしか用意されていないものが多い。誰も入ることができない前提であるために。食事用のテーブルは二人で使うには小さく、椅子も一脚だけ。茶を淹れたものを比較したいからと、いくつか持ち込んだので、今はこうやって二人で茶を飲めているのだが。
無骨なパンが、大小はあるが半分に割られる。
「セツが大きい方だ」
先に言っておく。明らかに不自由をしているのにもかかわらず、セツは毎回“はんぶんこ”をしようとする。全て食べてほしいと思っているが、小さい方を受け取ることでデルウィンは妥協していた。
「はい、ありがとうございます。では、いただきます」
大きい方からさらに一口ちぎり取られ、セツの口に入る。
「うん、ふわふわで、ナッツがサクサクしておいしいです」
セツの好みにあっていたようで、“おいしい”がよく伝わってくる。デルウィンも小さい方に手を伸ばし──。
「ダメ!」
いつもの穏やかなセツが出したことのない声だった。
「これおかし……」
最後までいい切ることなく、かわりに出たのは汚泥のような黒くドロドロしたものだった。
呪毒だ。体内に入り込んだ呪いは、毒となって身体の中を蝕む。デルウィンのように訓練によって耐性をつけていれば、少しくらいの毒は効力がない。サウェリンが認めたのは、あくまでデルウィンの耐性を考慮してのこと。耐性訓練を受けていないセツを前提に考えていない。
力なくテーブルに伏せたセツの振動でティーカップがガシャリと音を立てた。
「セツ!」
なんのための学びだ。いざというときの対処方法も学んでいる。
伏せてしまったセツを抱えおこす。小柄で細身のセツは、五歳児でもどうにか扱える程度には軽かった。抱えて運ぶことまではできないが、それよりも前にまず呪毒を取り除かねばならない。
口から入ったのであれば、口から取り出せるのが道理というものだ。唇を合わせて吸い出す。
デルウィンの口内で毒素は苦味としびれとして感じられた。吐き出しそうになるが、こらえて分析する。理解、そして、噛み砕く。残滓はハンカチに吐き出す。
もう一度、吸い出す。噛み砕く。吐き出す。繰り返す。
じわじわセツの肌に毒素が侵食していくが、焦ってはいけない。確実に吸い出していく。
『ひゅ』とセツののどから呼気だけのうめきが漏れた。
「デル……様……食べて、ないですか?」
絞り出された声は、デルウィンを気遣うものだった。
「まだ食べていない」
「よかった……」
「よくない! セツが大丈夫ではない!」
腹の中から煮えるような怒りは、己に対するものだ。
「水を飲め。できるだけたくさんだ」
水差しとグラスを置く。
セツが水を飲む間に、桶とタオルを持ってくる。
床に座り込んだまま水を飲むセツ。水差しの水が減っていることを確認する。
「もう一度吸い出す」
「え、はい? 吸い出、んぐっ」
唇を合わせて吸い出す。
「っ、……が、は!」
洗い流すように桶に吐き出された水は、もう呪毒の気配はなかった。血液も混ざっていない。内臓を蝕むものではないようだ。
「かはっ! ……けほ……」
すっかり吐き出したセツの唇から唾液の糸が落ちていた。
「すまない、慢心していた」
涙と鼻水もタオルでぬぐってやる。デルウィンのように耐性のないセツにはダメージも大きかっただろう。左目の色素が少し薄くなり、目の周りにはアザが浮き上がっていた。
「跡が残ってしまった」
なでると、熱を帯びているように感じた。
「見苦しいでしょうか?」
「馬鹿を言うな! そんなことでセツを厭ったりしない」
「それなら、たいしたことないですよ」
「私を基準にするでない!」
言ってから気づく。セツはこの世界に落とされてからデルウィンとしか接触していない。己の基準は己の中にあるとして、第三者の基準はデルウィンしかないのだ。
平時であれば問題はなかった。今までやってこれたように。だが、こうして事故が発生した場合、必ずしもデルウィンだけで対処できるわけではない。今回は最悪の事態には至らなかった。これからも、いざというときにそれで済むだろうか? デルウィンだけではセツを守ることができない。突きつけられた事実に息が詰まる。
「呪いのことを調べてくる。セツは横になって休んでいてくれ。すぐに戻る」
本当は抱き上げてでもして運んでやりたいが、いくらセツが小柄であってもデルウィンがそうするには大きすぎた。肩を貸し、ソファに横たわらせる。しばらく様子を見るためには、ベッドよりソファの方が都合がよかった。
「僕はもう大丈夫ですよ」
「何も大丈夫じゃない!」
いつも温かいセツの手は、今は冷たく少し震えていた。
デルウィンが強く言っても、セツは曖昧に笑うばかりだった。
桶とハンカチと元凶であるパンの残りを対呪毒室に持ち込んだ。
「詳細な分析を頼みたい」
ロバーツは『ほう』と声を漏らしてパンに手をかざした。
「あぁ、これくらいでしたら」
小さくちぎったパンがひょいとロバーツの口の中に放り込まれる。
「うーん、苦味の利いた悪くない味です。殿下でしたら問題ない程度ですよね? 詳細な分析は必要ですか?」
「私は無事だ、見ての通り」
「そうですね、殿下“は”ご無事なようですね」
ロバーツは少し、いや、とても悪食ではあるが、城内に専門の部署のある対呪毒室の職員なのだ。呪毒についてのエキスパートというだけで務まるものではない。ロバーツが察したことを察した。
「ロバーツと、サウェリンに話したい」
「わかりました。あぁ、その前に、このパンは誰が?」
「女給のブライスだ」
「調べさせます」
職員を呼び、呪毒の解析と女給の調査を依頼していた。
平時ならば問題はない。だが、異常時にはデルウィンだけではセツを守りきることができない。慎重に人選するつもりだったが、今すぐに必要だと判断せざるを得なかった。
「室長はともかく、私でよろしいのですか?」
「ロバーツの優秀さは、私もよく知っている」
同時に、変態性も。ロバーツの悪食は飽きれるばかりだが、実践的ではあるのだ。
「光栄なお言葉です。では、室長室へいきましょう。次、室長の担当なんでしょう? 準備中ですよ」
「時間を使わせてすまない」
「いえいえ。殿下の安全のために我々はいますから。──室長、入りますよ」
ノックをして尋ねる。返事を待って入室した。
「なにかありましたか? 学習に関する質問でしたらうれしいのですが」
「そうだな。実践的なところで質問はある。ただ、内緒話だ」
室長室は来客用のソファセットもあるのだが、そこかしこに資料が積まれているため、そのソファが使われているかは疑問だ。
「あまり時間を掛けられないので、簡単に言う。私の部屋に、異世界からの客人がいる。呪いを口にしてしまったのは、その客人だ」
「異世界の? この国ではその報告を聞くのは数十年ぶりでしょう」
「それで食事が必要で……あれ? 室長の講義始まったの、そんな最近の話じゃないですよね?」
「“完全なる私室”であれば隠せると思っていたんだ」
「今回の件で隠し通せないと判断したんですね」
「あぁ」
歯がゆい。うまくできていたと思っていた。だが、油断がセツの生命を危機にさらした。けっきょく大人を巻き込むしかなくなってしまった。己の無力さに腹が立つ。
人に知られてしまった。ここから慎重にやらねばなるまい。セツは人がよすぎる。その有用性を利用されかねない。
「父にはこれから言質を取る。セツは私のものだ」
セツをモノ扱いしたくないが、強く庇護下においていることを主張しておく。
「わかりました。今後のこともありますから、簡単な検査はしておいたほうがいいでしょう。そのセツ氏と話をすることはできますか? 今日の講義はそれにあてましょう」
「それは早急に調べたほうがいいな。可能だ。今は、解呪はしたが呪毒で体力を持っていかれたために寝かせている。無理はさせないでほしい。今はまだ公にしていない。私は二人を信用している」
「殿下を裏切る予定はありませんけど、これはますます裏切ることもできませんね。室長、試薬ですか?」
「あぁ、弱めのをいくつか頼む。殿下、私もご期待に添えられるように努めます」
部屋にもどると、セツはひょこりとソファから顔を出した。
「遅くなった。具合は悪くないか?」
「はい。デルウィン様の処置が適切だったんでしょうね。もうなんともないです」
散らかしたままにしていたテーブルの上はきれいに片付いている。動けるようになっているようだ。
「もう次の講義の時間ではないですか? てっきりそのまま行かれたのかと思っていたのですが」
「すぐに戻ると言っただろう。今回は特別講義になった。セツを秘匿すると言っていたが、異常事態への考慮がなかったと実感した。少しずつと思っていたが、セツのことを公表することになるかも知れない。すまない。まずは今回、命に関わることになったので、その道のスペシャリストを連れてきた。扉の所まで来てほしい」
「はい」
“完全なる私室”は入れないが、中を見ることができないわけではない。扉のそばまでくれば、廊下の人物と会話することくらいはできるのだ。
「はじめまして。対呪毒室の室長を務めております、サウェリンと申します」
「その部下のロバーツです」
「セツと申します。えっと、異世界から来ました……?」
扉は一人でくぐることを想定されており、大きく取られていない。お互いに覗き込むような状態である。滑稽だ。
「セツ殿のあらましはデルウィン殿下から聞いております。殿下、たしかにセツ殿は小柄なようですが……」
サウェリンは、最後はデルウィンにささやくように声を潜めていた。
「あっ! もしかして僕のこと、また少女のようなって言いましたか!?」
「そうだ」
「僕とデルウィン様、親子ほど離れてるでしょう! 成人男性を形容する言葉じゃないですよ!」
「セツは文化人らしいが、それにしても華奢すぎる。儚く、いつも消えてしまいそうで、毎日ヒヤヒヤしながらこの部屋に戻ってくることを知らんのか!」
「知りませんよ初耳ですよ! うわぁ……」
セツは手で顔を覆ってしまった。しかし、耳まで赤く染まっているので、どういう状態なのかはわかった。デルウィンにセツの羞恥の理由は分からなかったが。
「殿下、我々はノロケを聞きにきたわけではありませんよ」
「そうだったな。話を戻そう」
「“ノロケ”は否定しないんだ」
ロバーツのつぶやきは無視した。
「今回は、セツ殿の呪いの耐性をまず確認します。ほとんど人体に影響のないくらいまで弱めている呪毒の試薬を持ってきています。これを、腕に垂らしていただいて、反応を見ます。弱めていますが、その中でも強弱のある試薬をいくつか持ってきています。腕の、このあたりに垂らしていただいて、どれくらい反応が出るか試しますね」
サウェリンは手首の内側の下あたりをなでた。ロバーツから試薬を受け取り、セツを見やる。
「あの、弱めているように言っていましたけど、真ん中の、他よりだいぶ強くないですか?」
「え? 確認します。殿下、戻してください」
試薬の瓶を並べた木箱はロバーツの手に戻された。
「……あー、たしかにこれだけ強めですね。間違いました。これでも十分に弱いですから大丈夫ですけど。セツ殿、何か見えていますか?」
「え? わざと見えないように、なにかそういう……」
セツは片目を覆った。眉をひそめ、今度は反対側の目を覆った。
「こっちの目で、見えてます。たぶん、さっきから……」
まわりを呪いのアザで染めてしまった左の目が、そうらしい。
ロバーツの変態性が目に見えて漏れ出してきた。
「一番弱い試薬を取ってきます! ついでに椅子も持ってきます!」
上司に木箱を押し付け、あっという間に走っていってしまった。
「前から思っていたが、ロバーツは……呪毒が好きなのか?」
うまくマイルドに伝える言葉が出てこなかったため、ストレートに言うしかなかった。
「最初に受けた呪いの味が、あまりに衝撃的だったそうです」
「味、ですか? ビリっとして、ぶわっと広がって、うえって感じでしたよ」
デルウィンもセツと同意見だ。うなずく。
「刺激がクセになるそうです。優秀は優秀なんですけどね」
「たしかに、呪毒の話でなく食べ物でいえば、クセの強いものはその癖の強さに惹かれる人もいますよね。毒で言えば、毒を持つ魚なんですけど、毒のある部分を避けて可食部を食べたり、毒のある内臓を無毒化して食べるっていう話もありますから」
「無毒化してまで食べるのか?」
「はい。とてもおいしいために。無毒化は、方法はわかっているんですが、何故その方法で毒が消せるのか理由はわかっていないそうですけど」
「うん、……うん?」
「僕も疑問なんですけど、命をかけられる人もいるんです。ロバーツさんの情熱も、そういうものかと思えばわからなくもないです」
「わからなくていい! そこは学習しないでくれ!」
成人しているが、まだ学び舎にいたというくらいに、セツは学習意欲が強い。呪毒に対する知識は持ってほしいと思うも、ロバーツの変態的な情熱は学んでほしくない。
小さくカチャカチャ音がなった、サウェリンが笑いをこらえて震えていた。
ロバーツを待つ間に室内のテーブルと椅子を扉の近くまで運んだ。試薬をセツの前腕の内側に落として反応を見る。
「すべてに反応がありますね」
「私は変化なしだ」
デルウィンも同じように試したが、何の反応もなかった。
「セツ殿は呪いの耐性がないと考えたほうがいいですね。あったとして、ないに等しい。ただ、幸いなことに、それが見える。見えるのであれば、避けやすいでしょう」
呪毒への耐性は後天的に得ることができる。この世界に来てまだ日が浅いセツに、その耐性をつけるタイミングがあるはずもない。ゼロに近いという結果にも納得がいく。
「では、次はその目がどれくらい見えているか、ですね。この試薬、の問の強さはわかりますか?」
一番弱いものを持ってくると言っていたが、試薬を詰めた試験管を数本持ってきていた。
「一番強いのはこれです。次が、これ、そしてこれ」
セツはよどみなく指していく。
「残りの二つは、何も見えません」
「正解です! 順番もあっています。何も見えないそれは、ただの水です」
何がそんなに嬉しのか、ロバーツは満面の笑みだ。感知はデルウィンにもできるので試してみたが、ほとんど感じられなかった。
「本当に呪いが溶け込んでいるのか?」
「とけこんでいますよ。本当に弱いものが少しだけ。この呪いで人を殺すなら、桶いっぱいにして相手の顔を押し付けて殺したほうが効果的なくらいです」
つまり、ほとんど効果はないらしい。
「我々もセツ殿の対策ができるように体制を作っておきます。食事、衣類、娯楽、これからは堂々と持ち込めますよ、殿下」
バツ悪く、むっと口元を歪めてしまった。
「セツ殿、なにか不便はございませんか? 我々でご用意できるものでしたら、すぐに持ってきます」
「デルウィン様が尽力してくださったので、今すぐにと言うものはないです。カトラリーをもう一揃えと、枕くらいでしょうか。もし、この世界に箸の文化があるようなら、お箸一膳で僕は事足ります」
「あぁ、お部屋にご用意しているのは一人分が前提ですからね。手配します。他にはなにかありますか?」
「急ぎではありませんが、髭剃りがほしいです」
「それは殿下では気が付きにくいですね。用意するのも難しい。十分に処理されているように見えますが?」
「救急セットの刺抜きで抜いていました」
急にセツの大人を突きつけられた気がした。
「セツの現状は把握できた。では、言質を取ってくる」
「あぁ、仰っていましたね。私も行きましょうか?」
「いや、私だけでいい」
「誰に何をしにいくんですか?」
「父に、セツは私のものだと宣言してくる」
優先すべきはセツの安全だ。国益を優先すれば、“完全なる私室”に閉じ込められているとはいっても、国有扱いになってしまう。そこはなりふり構わず幼いわがままを振りかざしてでもセツの“人権”を確保せねばなるまい。
どうやって勝ち取るのか。デルウィンの庇護下にあるという権威付けをもぎとるのだ。デルウィンより権威のあるものから。この国の最高の権威である国王を巻き込んでも。
急を要すると、場を設けることもせず、執務室に直接入った。人払いもしてもらった。
「夕食には顔を合わせる。そんなに急ぎなのかな?」
玉座で威厳を持って王をとなる父よりも、執務室で実務をこなす父はいくらかラフになっている。
デルウィンは長子ではないが、五歳児の父である。王となったのはまだこの数年で、年はセツより少し上くらい。セツの国とは一年の長さが異なるが、大きく離れるというほどの差でもない。
「私は今、異世界からの客人を匿っております。“完全なる私室”に。彼は私のものだと、たとえ父であろうと利用させないと、宣言しに参りました」
「ほう……。そういうことか」
一瞬何かを逡巡したようだった。ほんの少しだけ口角が下がっていた。机から取り出した物が渡された。長袖の白いシャツだ。
「“腹ペコ王子”」
「……父上?」
「急に食事量が増え、その増加分を自室で食べるようになってからしばらくたつ。成長期なのだろうとキャリルも喜んでいたが、そういうわけではなかったのか」
すべてを見抜かれてしまった気がした。なお、キャリルはデルウィンの母である。つまり、父の妻である。食事中、やけにニコニコしていると気づいていたが、何故なのか理解した。
「大人用の衣類、食料。本や紙は時間つぶしのためかな。いつ父に尊敬しているから服をくれと言ってくるのか待っていたのに、そういう理由か。いやぁ、異世界からの客人とは思い至らなかったな」
一瞬で補完するようにまだ何も言っていないことまで推測されてしまった。
「それで、誰にも気づかれずに匿うにはずいぶん長くたっている。何故、今?」
「申し上げたとおりです。彼は私のもので、父であったとして利用はさせない。利用するのは私である。その宣言に参りました」
「なにか困ったことでも起こったのかな?」
「……報告が上がってくると思いますが、呪いを盛られました」
「そう。じゃあ、早く戻りたいだろうね。わかった。デルの宣言は受け入れよう。後で詳しく聞かせてもらうが。ぜひ、父も挨拶をしないといけないからね。ドア越しは無作法だが、仕方ない。ところで、父には何故服がほしいと言ってくれなかったのかな?」
「王の衣類は、彼も気後れします」
「そう。そういうことにしておこう」
見透かされている。魔法のように少ない情報から事実を導き出してしまう父が、わずかな一言でセツの存在を見抜いてしまいそうだと思ったことを。
「じゃあ、その慎ましい彼によろしく伝えておいてくれるかな。デルの父が挨拶にいく、と」
父には一番知られたくなかったが、誰かの協力を得るためには、父に一番に知ってもらわなければならない。セツの情報はもう公開されたも同然だ。こうなれば、利用できるものは利用してやる。