奇々怪々
幼き頃より次代の王になることを期待されていたデルウィンは、つまりは王子だった。“完全なる私室”を持っているくらいに。
“完全なる私室”とは、その部屋の主以外誰も立ち入ることのできない部屋だ。部屋の主が成人するまで有効な強い結界が張られているのである。その中では安心できる反面、部屋の維持は己で行わなければならない。それでも、デルウィンにはその部屋が憩いの場であった。
さて。外から入ることができないということは、中から出ることもできないということである。そのためにはまず、“完全なる私室”の中にいることが前提であるため、ありえないのだが。
世界は、時々他の世界から生命を略取することがある。なぜそのようなことが起きるのか。残念ながら、神の、あるいは世界の意思など、人には知ることなどできないのである。
頻繁にあることではない。デルウィンも直接見たことはないのだが、それだと思った。
黒髪の青年。肌の色も、デルウィンよりも赤みと黄色みが強かった。神、あるいは世界の意思は、他の世界の人間を、とても強固な密室に出現させたのである。
彼はイブキセツと名乗った。イブキが家名、セツが名前。セツは雪の意味で、珍しく雪の降った日に生まれたのでそう名付けられたのだそうだ。この国では、雪は珍しいものではない。環境が異なるため、髪の色も異なるのだろう。顔立ちも幼く、デルウィンの思う平均と比較して小柄ではあるが、すでに成人している特徴が現れている。一見すれば少年のようだが、青年という方が正しいだろう。
この部屋は安全であること。それは、デルウィン以外に誰も出入りできないことを説明した。結果はわかっているので、実践はしたくないが、結界に少し触れてもらった。触れた指先が、ほんのわずかではあるが、焼けた。『ミステリだったら殺人事件が起こってる』と、つぶやいたセツの言葉はよくわからなかった。
「現状は、そういう状態だ。結論から言うと、私はセツを匿いたい。別世界の人間は、我々とは異なる知識や価値観や考えを持っているので、それだけでも十分な財産を持っていると言える。それだけでなく、だいたいはギフトを与えられてこの世界に落とされる。有用な能力である場合が多い。文献でしか見たことがないのだが。誰かに取り上げられるより、私が盤石な立場と後ろ盾を得るまで隠しておきたいというのが、正直なところだ。下手にセツを公開してしまえば、利用しようと数多の手が伸びてくる。それから守るためにも」
「僕がここから出られない以上、従うしかないんですが……」
この部屋にある家具は一人用のものばかりだ。セツにはソファに座らせ、デルウィンはライティングデスクの椅子を動かして座っていた。
「無理強いをするつもりはない。しかし、私にはまだできることが少なすぎる。モノ扱いする訳では無いが、まちがいなくセツを取り上げられてしまうだろう。そうなった場合、セツにとっていい方向悪い方向にどちらに転がるか、わからないし、なによりそれに私が関わることができなくなってしまう可能性が高い。私のところで現れたのは、“神”の気まぐれか思し召しか、そんなことはどちらでもいい。私はセツのことを尊重した上で、セツを利用したい。そうできるようになるまで、待ってくれないか?」
「……うん、下手に根拠なく庇護下に置きたいと言われるより、そう言ってもらえるほうがいいですね。わかりました。匿われます。何もわからないと、何もできませんからね」
セツにはそれが普通なのか、ずっと曖昧な笑みを浮かべたままだ。生活環境が異なると、そうも違ってくるものなのだろうか。
ただ、敵意は見られない。デルウィンは王族とし教育を受けている。また、裏も表もある人間と会う。そういうものには敏感なのだ。デルウィンの感覚でいえば、セツは腑抜けているレベルだ。
「この世界の事は私が教えよう。セツのことも教えてほしい。教育は受けているが、それが偏っていないとも限らない。セツの考えも聞かせてほしい」
「ただの平凡な学生の言うことでよければ。えーっと、確認なんですけど、デルウィン様が成人したら、この結界は効果がなくなる、と」
「そうだ。成人というのは、この国では十五歳のことだ」
「デルウィン様、おいくつなんですか?」
「五歳だ」
「十年、か……」
「来年からは学校に通わねばならない。少なくとも、それまでに協力者は作る。それまでは不便を強いる」
「五歳かぁ……。僕が知る五歳の子どもよりずっとしっかりしていますね。教育の賜物ですか? あ、一年が三六五日とも限らないのか!」
「三六五日? なぜそんな半端な数を神は強いたのだ?」
「宇宙の運行に強いられてるかなぁ……。うるう年、いやなんでもないです。この世界の一般教養からお願いします」
生活の基本は衣食住だとセツは言った。住に関しては問題ない。デルウィンはほとんど寝室としてしか使っていないが、“完全なる私室”には、簡易的なキッチンや風呂、洗面所にトイレも完備されている。
「まずは、シャツを一枚もらってきた。食事は、すまない、昼食の小さなパンを持ってくるだけで精一杯だった」
シャツは、武術の鍛錬を受けている師範のものだ。武人として憧れていると褒めそやし(本心ではある)、目指すべき体躯であると言いくるめて譲り受けたのだ。同じ方法でまだ集めたいところである。
「ずいぶん大きいですね。半分くらいの布で僕なら足りそうです」
「師範はとてもたくましいからな。大きい分には、着ることはできる。裁縫道具はある。私はまだ、うまく使えないが……セツが使えるのであれば、調整はできるだろう。セツは少女のように華奢ではあるが、さすがに私の服は入らない」
「平均ないのは確かですけど、少女は言いすぎです」
腕を通すと、セツが着ている服の上からでも十分に余裕がある大きさだった。
「パンしかないが、せめて茶を淹れよう。夕食のときには、夜食を頼めば軽いものを用意できる。私の食事は毒の混入などがないように管理されている。厨房から直接、ということは難しいのだ」
「毒、ですか。王族って、大変ですね。僕は貧乏学生でしたから、一食でもわりと平気ですよ。この部屋から動きませんから、そんなにカロリーも必要ありません」
「“大学生”と言っていたが、それは何だ?」
「大学というのは、より高度で専門性の高いことが学べる学校です。僕はその大学で学生をしていたんです」
「専門性の高い教育を受けられるということは、セツも位階を持っているのか? 専門性が高いということは、職人の家系か? それとも研究者だろうか?」
「あっ、ここはそういう世界観なんですね。えーっと、僕のいた世界……でもないか、国では、ある程度の教育は義務で、それ以上も環境次第ですけど、どうにかすれば誰でも専門的な教育を受けられるようになっているんです」
「教育が義務?」
「はい。全員残らず一人も漏らさずというのは難しいですが、理想は全員残らずですね。読み書き計算社会の仕組みや歴史、理科は何っていうのかな、世界の仕組み? あと、外国語。それらの基礎を学びます。それ以外もありますが、基本はそのあたりですね」
「そうか、義務なのか」
デルウィンは幼い頃より高等な教育を受けている。王族としての義務といえば義務ではある。将来国を治めるために必要なのだ。基礎と言っていたので、初歩的な内容なのだろうが、国民全員に受けさせるとなると、随分無駄が多いようにも思える。
「義務にしなければいけないものか?」
「どこから芽が出るかわかりませんからね。一律で種を巻いて芽吹く期待をするなら、効率がいいんだと思います。もちろん、必ず芽が出るとも限らないし、そういった教育の外で花開く例もいくらでもあります。ただ、だいたいはその教育を受けることで選べるものが増えます。あぁ、えっと、いちおう表向きには特権階級はないことになっていますから。実情は、裕福さに左右されるものですけど。皇族は……いや、めんどうになるのでなんでもないです」
「では、誰が国を治めているのだ?」
「国のトップはいますけど、それは国民が選んでいます。定期的に選びなおすように決められています。強く国民が主張すれば、その選ぶ機会関係なく引きずり下ろすこともできます」
「処刑されるのか?」
「そんな革命は見たことではないですよ。現実的には難しいことですけど、国民であれば国のトップになることは誰でもできるっていうことです」
「国を収めるにはよっぽどの教育が必要になるだろう。あぁ、そのための義務か」
「はい。国のトップはさすがに極端ですけど、基礎があればその次のステップが選べますからね」
「なるほど、無駄も考慮した上で、効率的なのだな。興味深い話だ」
「人権を無視すれば、上からすくっていくのも効率はいいと思いますけどね」
セツの言う義務となっている基礎的な教育がどれほどの水準か、デルウィンにはわからないが、それだけよどみなく答えられるならば、基礎とは言っても高い水準であろう。“貧乏”学生の自称がどこまで信じられるのかもわからないが、“どうにかして”専門性の高い教育を受けているセツが証拠のようなものだ。
「──そろそろいかなければならない時間だ」
「あっ! もしかしてお昼休憩の時間でしたか? 話し込んでしまってすみません」
「面白い話ができた。まだ数時間だが、不便はないか?」
「あぁ、じゃあ、二つ確認を。触ったらダメなものはありますか? まんじりともできなくて。引き出しを開けてまで見たりする気はないです。時間はありますから、簡単な掃除くらいはできます」
「掃除など気にしなくていい。引き出しを開けて回らなければ、見えている範囲くらいは触って物を動かしても構わない。考慮が足りなかったな」
「僕は何もできませんから、それくらいさせてください」
セツを止めたものの、自分しか使わない部屋は気を抜けば散らかりがちだ。今はたまたまそのタイミングであるだけで、普段はちゃんと片付けている。たまたまそういうタイミングだっただけだ。
「洗面台のところの収納に掃除道具もしまっている。汚水は詰まるようなものを流さなければ、トイレに流せばいい。この部屋しか動けないセツに、あれもこれもダメだと言うつもりはない。もう一つの確認は?」
「本でもあれば。あと、書くものもあるとうれしいです。……紙がとても貴重だったりしますか?」
「紙は高価なものではない。未使用のノートがある。インクとペン……娯楽用の本は後で探しておこう。歴史書であればここにある」
机の上に並べて見せる。
「十分です。ありがとうございます」
数日であればともかく、数年閉じこもらざるを得ないセツだ。考えることはいくらでもある。
「では、出てくる。また、今後の方針を話し合おう」
「はい、いってらっしゃい」
セツは優しい笑みでデルウィンを見送ってくれた。
「セツ、戻った。パンとコールドミートだ。これで少しは腹も膨れるだろう」
午後は、今日は座学と作法の学習だった。そして、夕食。夕食時に夜食を頼み、無事に私室まで持ち帰ることができた。急遽作ってもらったものなので簡単なものだ。量も、成人男性の食事には足りないだろう。次回はもう少し増やすように言っておこう。
「おかえりなさい、デルウィン様。ありがとうございます」
明かりがついていなかったため、声しか聞こえなかったが。
「暗いではないか。明かりくらい勝手に使っても怒りはせん」
「すみません、付け方がわからなかったもので。それに、誰もいない部屋に急に明かりがつくと怪しまれます」
デルウィン以外誰も出入りできない部屋だが、明かりが漏れていれば不審に思われる。それはたしかにそうだと、少し考える。
「あかりは、どういう仕組なんですか?」
「ん? 日中の光をためておいたものを利用している。スイッチはこれだ。触ればつく」
ドア横のスイッチに触れて、明かりをつけたり消したりして見せる。
「この世界では、光は物質のように扱えるのですね。魔法のある世界は不思議だな」
セツは関心しながら、光源を探しているのか、天井を見上げていた。
「セツの世界では、光は利用しないのか?」
「直接ためておくことはできませんね。蓄光材はありますけど、ここまで明るさを保つものではありませんから。ただ、光を、ためておけるエネルギーに変換して、必要に応じてまた光に変換することはできます」
「わざわざ変換するのか?」
「光を直接ためておくという技術は、僕が知る限りまだありませんから。でも、ためておけるエネルギーは汎用的で、光に変換して明かりにする以外にも、熱に変換してお湯を沸かしたり暖を取ることもできます。他にも流用できるので、便利ではありますよ」
「使い方次第か。明かりは、明るい内に光を溜め込み、暗くなると光を放出するタイプのものがある。それを置くようにしよう。暗い中で待つのは気が滅入る。さあ、食事にしよう。このコールドミートは、とても美味だ」
セツを座らせ、バスケットを置く。
「そんなにおいしいんですか? 楽しみです。デルウィン様も食べますか?」
「私はもう食事を摂っている。セツはほとんど食べないだろう」
「ありがとうございます。では、いただきます」
ぷすりと一口大にカットされたコールドミートにフォークが刺さる。口に運ばれ、咀嚼、嚥下。
「本当、おいしいです」
パンも一口大にちぎられ、口の中に。
「ちょっとしょっぱいですけど、パンと一緒に食べるとちょうどいいです。どっしりしたパンですけど、こういうタイプがスタンダードなんですか?」
「あぁ、いつも食べている。口に合わなかったか?」
「おいしいですよ。僕がいつも食べているのは、柔らかくてふわふわしたタイプですから。どっちもおいしいです。……やっぱり、一口でも食べませんか? 用意してくれた方は、デルウィン様が食べると思って用意してくれたんですから、それを差し置いて全部食べてしまうのは気が引けます」
「では、一口だけ」
「はい。どうぞ、召し上がってください」
コールドミートが刺さったフォークがデルウィンの口元に運ばれる。これは、セツの手ずから食べろ、ということだろうか?
「あっ! あーんとかないですね、すみません」
フォークはバスケットに戻され、バスケットごと差し出された。
「あ、あぁ」
引っ込められた手に少しがっかりしてしまった自分に驚いてしまった。顔には出さず、改めて自分でコールドミートの一片を口に運んだ。冷たいままで食べるため、味付けは濃いめに作られている。濃すぎるというほどまでではなく、噛み締め口の中で広がる風味を最大限引き立たせるにはちょうどいいくらいだ。後味にしつこさが残らず、もう一切れと思うくらいに。
「うん、おいしい」
「よかった。──あぁ、いえ、僕が作ったわけでもないんですけど。僕の分まで、ねぎらってくださいますか? 用意してくださった方に。一口も食べていないのに、おいしかったと伝えるのは、白々しいですから」
好物であると見抜かれたかと思ったが、そうではないらしい。
「ごちそうさまでした。おかげさまで、どうにか衣食住は確保できたみたいですね」
十分であるようにセツは言うが、明らかに足りていない。
もっと手を尽くさねば。まずはこの秘密を共有できる者を探す必要がある。信頼している者はいるが、けしてデルウィン個人に仕えているわけではない。セツは国益になりうる。異世界からやってきた者は得てして特殊な能力を持つからだ。まだその能力が何なのか、わかっていないが。国にとってその方がいいと判断されてしまえば、セツの存在は露見してしまう。まず、個人として、信頼できる者を考えなければならない。
自分以外の誰かの都合のいいようにセツが利用されるなど、我慢ならない。と、それは表面的な言い訳だ。なによりも、幼い頃より受けている高等教育のために年齢にあるまじき成熟をしているとはいえ、セツという特別な秘密は、幼いデルウィンにはあまりに魅力的で甘美な衝動だった。
数日は凌ぐことができた。
朝、セツに送り出され、武術の訓練を受ける。
昼食は、少し部屋に持ち帰り、セツの食事とする。その場で腹は満ちているが、すぐに空腹になるといえば、多めに持ち帰らせてくれた。夜食も同じく多く包んでくれるようになった。
午後は勉学に励み、夕食。夜食を持ち帰り、セツと食べる。その後は、デルウィンが持ち出した書物を読んでいたセツが抱いた疑問に答えるなどしていた。セツが聞きたがったので、デルウィンがその日に学んだことを聞かせた。鍛錬と勉学でクタクタだったが、セツと話す時間は苦にならなかった。この世界ではまだ物を知らないセツは、何を教えても驚き、関心を見せてくれた。口も滑らかに動くというものだ。赤子のようにまっさらというわけでもないため、デルウィンが思いもよらない考えや観点を聞くこともあり、得ることも多い。
そして、睡眠。セツは毛布にくるまってソファで眠った。ベッドは成長を見越して大きなものを設置している。小柄なセツくらいの余裕はあるのだが、『寝相がよくないですから』とのことだ。もしかすると、まだ信頼を得ていないのかもしれない。デルウィンは少し不満だった。