十七話 前世の記憶②
将来、聖女として覚醒し刻印を貰うのはカレンという女の子。
そして彼女はブレントと恋仲になる。
いくら祈っても大天使ラファエルの加護を受けられないわけだ。最初から聖女も王妃の座も全てパトリシアがいるべき場所ではないのだから。
(わたしは……今まで、なんのために……ここまで……)
聖女と勘違いされたせいで家族を失い何度も危険な目に遭ってきた。
侯爵家の養女となってからは聖女として王妃として相応しくなるための勉強に時間を費やしてきた。
本物の聖女は別にいるのに……今までしてきた苦労も努力も全部無駄なものだったのだ。
ブレントと婚約しても、彼はカレンと出会い彼女を愛するだろう。そして自分は嫉妬に狂いヒロインを苛め罪を犯し処刑される悪役令嬢となる。
『……幸せになるんだよ』
本当の父が最後にくれた言葉が頭を過ると胸が苦しくなった。
こんな事ならあの日、炎の夜に本当の両親と一緒に人生を終わらせてしまいたかった。
自分はなんのために……こんな最悪な人生を辿る悪役令嬢に転生したのだろう。
「うぅ……」
「あ、パトリシアお嬢様! お目覚めになりましたか?」
目を覚ますと世話係のメイドが心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでいた。
階段から落ちたパトリシアは、自力で治癒魔法を発動させたため目立った外傷はなかったが、意識を失いそれから謎の発熱に魘され三日間寝込んでいたらしい。
前世の記憶を思い出した精神的ショックが大きな原因だと思う。
正直前世の自分の名前や死因など、はっきりとした記憶はぼやけて思い出せない。
日本人の女性として生まれおそらく二十代で亡くなった気がする。
「なにか軽く食べられるものを準備して参りますね」
「……ありがとう」
ぼんやりとしたまま部屋を出て行くメイドを見送り、パトリシアは鏡台の前に立った。
「やっぱり、パトリシアだ……」
黒髪に柘榴色の瞳の少女がそこにはいた。まだ幼い顔立ちをしているが、あのアニメのパトリシアと同じ顔、同じ声をしている。
ブレントにサディアス……クレスロット王国。ずっとどこかで聞いたことがあるような違和感はあった。ようやく胸のもやもやの謎が解けた。
(このままじゃ、わたし、処刑される……?)
ゾッとしてパトリシアは両腕を抱きしめた。
コンコンコン――
「っ!」
ドアがノックされ身を竦める。
メイドが戻って来るには早すぎると思ったが。
「パトリシア」
「……どうぞ」
声の主はクラウドだった。
「目を覚ましたと聞いたが、体調はどうだ」
「……なんともありません」
「そのわりに、顔色が真っ青だな」
「っ」
伸ばされた手が頬を撫でる。
「まだ病み上がりだ。ベッドに戻って休みなさい」
「…………」
「どうした? 言いたい事があるなら聞くが」
どうしよう。アニメの世界に転生したみたいですなど言えるはずがない。この世界の人に言っても意味が分からないことだろう。
けれど、このままアニメのシナリオと同じように時が進んでゆくのが怖い。
逃げ出したい。今ならまだ、逃げ出せるのではないだろうか。
「クラウド様……わたし」
「なんだ?」
「わたし、聖女ではありません」
「…………」
そう告げても驚くことなくクラウドの表情は変わらなかった。
「わたしは偽物です。きっとあと数年もすれば本物の聖女が現れる。だからっ」
「頭を強く打ったと聞いていたが、だいぶ混乱しているようだな」
「これは怪我の後遺症ではありません! 聖女ではない以上、もうお世話になれません。わたしをこのお屋敷から追い出してください!」
まだ一人で生活できるか不安は大きかったが、このまま聖女のふりをして処刑されるよりはよほどましだ。
しんっと部屋が静けさに包まれた。
「……言いたい事はそれだけか」
「っ」
威圧的で冷たい眼差しに射抜かれた瞬間、パトリシアは言葉を発せられなくなる。
「あの日、お前は言ったな。助けてくれるならなんでもすると。私はそれに応えた。お前が娘となり、聖女となり将来王妃になることと引き換えに」
自分はなんて愚かだったのだろう。
努力さえすればクラウドの要求に応えられると奢っていたのだ。聖女でもない自分が。
「ごめん、なさい……でもっ」
「お前が約束を違反するというなら、教会と今も療養施設にいる少女たちへの援助はなくなると思え」
「っ……」
「それから、マリーと言ったか。彼女の養子縁組に口添えをしたのも私だ。言っている意味は分かるな?」
「…………」
マリーとは今でも手紙のやり取りをしている。彼女は新しい家族と良好な関係を築けているようだった。優しい両親と姉に弟が出来たと、幸せに過ごしていると書かれていたのに。
(わたしの行動で、マリーの家族も奪われちゃうの?)
指先が震えた。
「今、発言を取り消すなら、頭を打って混乱していただけということにし聞き流してやる」
「でも……わたし、聖女じゃ、ないんです。その証拠に、どんなに祈りを捧げても刻印を貰えない! 加護を受けられないんです!」
「数年後に本物の聖女が現れるというなら、その前にお前が本物の聖女になればいい」
「そんな無茶な」
「無茶じゃない。お前はその怯える未来が起きぬようできる努力はしたのか? なにもせずに逃げるのか?」
人質を何人も取られている状態で、パトリシアに逃げるという選択肢を選ぶことはできなかった。
「分かりました……」
「そうか。ならば、今はゆっくりと休むと良い」
クラウドが部屋を出て行くのと入れ違いにメイドがコーンスープを持ってきてくれた。
泣きながら飲んだスープは、三日ぶりの食事だったのに味がしなくて美味しくなかった。
その夜、パトリシアは暗い部屋でぼんやりと記憶を辿っていた。
クレスロット王国でこれから始まる物語。ヒロインのカレンとブレントは、貴族たちが通うことの許されているクレスロット王立学院の入学式で出会う。
断罪されるのもその学院主催のパーティー、聖夜祭での出来事。
パトリシアはもうすぐ十三歳になる。ヒロインも同じ年齢だ。学院の入学は十六歳になる年だから……あと約三年後。
(三年でいったいなにができるの?)
『なにもせずに逃げると言うのか?』
正直クラウドの言葉は冷たくもあったが、なぜか励まされた気持ちにもなった。
自分はパトリシアの辿ろうとしていた運命を事前に思い出したのだ。回避する方法があるかもしれない。
貴族のご子息ご令嬢が通う学院へは、この家にいる以上通わざるを得ないだろう。聖女じゃないと辞退することも許されなかった。
そう考えると別に自分は操られているわけでもないのに、物語の道筋を大幅に外れないようなにか強制力が働いているのではないかと怖くなってくる。
この家に来るのだって、ずっと避けてきたのに結局は養女になってしまったのだ。
「でも……まだ準備期間に三年もある。やれることは、全てやっておこう」
破滅の人生など歩まない。そう思ったら少し力が湧いてきた。
(絶対に、処刑なんてされない。幸せになってみせる)
見えない運命に宣戦布告するように決意して、パトリシアは目を閉じたのだった。
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「ふん、わたくしは悪くないんだから! 謝らないんだから!」
決意を新たにした次の日。四日ぶりに部屋を出ると、待ち構えていたようにリオノーラが腕を組んで立っていた。
言葉だけ聞くと反省の色がないが、涙を瞳一杯に溜め虚勢を張っているのがバレバレだ。
それから枕元に飾られていた花は、リオノーラがパトリシアのお見舞いに庭で摘んできたものなのだという事と、クラウドに相当こってり絞られていたと、こっそりメイドから聞いている。
「…………」
「な、なによ! なにか言いなさいよ!!」
(ある意味、リオノーラ様のおかげで前世を思い出せたわけだし……)
「リオノーラ様が今日の朝のフルーツをくれたら許してあげます」
「なっ!? なによそれ!! そんな食欲があるなら元気じゃない!!」
「元気ですよ。丈夫な事だけが取り柄ですから」
「心配して損した気分だわっ」
「ふふ、心配してくれたんですか? ありがとうございます」
「~~~~っ!!」
リオノーラはなにか言いたげに顔を赤らめふるふると震えていたが、素直に朝食のフルーツを差し出してくれたので、パトリシアは今回の事件を水に流したのだった。




