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空っぽの教室が嫌いじゃない。
七月の放課後は朱色で、窓の格子の影色が、空っぽを示す透明な色と、教室ができあがるまで混ざる。
部活動に忙しい誰かの音が、忍び込んでくる。
窓ガラスに貼り付いた手垢や汚れが、実は微細な傷口の群れで、そこから滲みだしてきたんじゃないか、ってくらい、ささやかに忍び込んでくる。
音が聞こえるくらいには近いのか、霞むほどには遠いのか。
本当は、空っぽの教室というのは誤りで、なんたって僕が教室に居るからで、でも、僕にとっては、やっぱり教室は空っぽなのだ。僕に僕は見えないから。
「僕が存在する空っぽの教室」という矛盾。僕はそれと調和する。
「♪」
吹奏楽部の誰かが、僕の知らない楽器を吹いている。
僕は教卓の上に広げられた日直日誌に目を落とした。日直は毎授業の号令と共に、この日誌を書き付けることを命じられる。遅刻、欠席、一日の授業割とその担当教師、それから、――その日の出来事や感想。
僕のクラスの担任はその暑苦しい相貌に似合わず、まめまめしい字で丁寧にその日誌に対してコメントを残すタイプで、僕はそこにどこか交換日記と同じ類のひそかな楽しみを見出していた。と言ってもその性質上、前回の自分の頁に付せられたコメントは次の日直の機会まで見ることが叶わない。
遅刻の欄に「一」と書き込んで、僕はシャープペンシルを筆箱に仕舞った。
「さて」
誰にともなく呟くと、僕は日誌の頁を一枚一枚繰っていく。現れてくるのはクラスメイトと担任のささやかなやり取りだ。普通の日記と違って見られることを前提に書くから、個々の頁はかなりの個性を発揮するもので、正直、見ていて面白い。
誰かが麦茶を溢したのか。色がついてかさかさになった紙から立ち昇る匂いが、秒針に染みていく。
可愛らしいキャラクターが散りばめられた頁。汚い落書きの頁。わざとボケて担任のツッコミを待っている頁。字が汚すぎて所々読めない頁。
それぞれが、全く違う世界観の絵本でも読んでいるような、そんな気分がするのは、まあ、多分僕だけだろう。
そこにふと、透明な頁が入り込んでくる。
左右の余白の均一を意識して文字が並べられ、余分も不足もなく、求められた情報が求められた分だけ紡がれている頁だ。感想の欄には、個人的な想いを徹底的に排除した出来事の羅列が、恣意的な順序立てを想起させないように時系列順に体系化され、ただひたすら列記されている。物語のない童話。誰も登場しない喜劇。事件の起きないサスペンス。例えてみるとそんな感じだ。
担任も無味乾燥な頁についにコメントを思いつかなかったのか、ただ確認印が捺されているだけだった。赤みの少ない頁は、相対的に透明に近づく。
「居森新」。僕の名前。嗤える。こんな日誌を書くなんて、きっとつまらない奴なのだ。
頁を繰る。
すると、また、透明な頁。
でも、僕のとはまた違う。
「雨宮滴」。
書かれているのは名前と日付だけ。あとは空欄、空欄、空欄のパレード。何も書いていない。何も起こらなかった日記。透明な日。
最初こそ「書いてくれ(笑)!」とコメントしていた担任も、今では諦めたようで、やはり確認印を捺すだけだ。
僕は苦笑して、残すは赤石くんの日誌だけ、なんて思って紙の端をつまんだ時、ふと、「雨宮滴」の天気の項目が目に飛び込んできた。
――「蝉の雨」。そこには、そう書かれていた。
途端。
夕立ちが世界を濃くするように。
誰かがふと忘れ物を思い出した時みたいに。
木漏れ日が目蓋に弾けて目を覚ました時のように。
蝉の声が教室を濡らした。
蝉の歌声が僕の汗と交じって震えている。夏。つまり季節の発情が肌に触れて、鼓動が少し速くなる。虫の腹の蠕動が奏でるリズムは単調で、鼓膜に絡みついて喧しい。けれど、それはただひたすら愚直な愛の歌だ。
透明だと思っていた頁から溢れ出した世界に引きずり込まれて、僕はしばらくの間、蝉の雨に打たれていた。
うだるような暑さが、平野を往く草食獣の群れのように教室を横切っていく。
明日から、夏休みだ。