ふゆのひまわり~サイドストーリー~
子供の頃から自分の名前が嫌いだった。見た目とは裏腹な日向という名字も女みたいな葵という名前も。ただひとつ気に入っていたのは、母親譲りの金色の髪。あの子は夏に咲く、ひまわりみたいと喜んでくれた。
あの子、あかりは俺の幼馴染で子供の頃はいつも一緒に遊んでいた。
最初は、この見た目からか近づいてくるやつはたくさんいたけれど、あまり喋らない俺に興味を無くしたのか近づいて来なくなってきた。でも、そこにあかりがいるだけで俺の周りには友だちと呼べるやつが増えていった。ただ、友だちがどんなに増えていっても、一番だと思える相手はあかりだけだった。
あの日が来るまでは。
放課後の図書室で本を借りて戻った教室のドアを隔てた向こう側であかりとクラスメイトの声がした。
「あかりちゃん本当に日向くんのこと好きじゃないの?」
不意に自分の名前を呼ばれ開けようとした手を思わず止めた。
「好きじゃないよ。あんな奴。見た目はいいかもしれないけど暗いし名前負けじゃん。そんなことより早く帰ろうよ」
「そうだね」
少し、張り詰めていた雰囲気から一転、他愛もないものへとかわってドアが勢いよく開き、あかりと目があった。
「あ」
友だちだと思っていたのに心の中ではそんなふうに思っていたのかと俺は、力なく笑うことしかできなかった。
その直後だった。
あかりが原因不明のまま眠りについたのは。きっと
俺のことが本当に嫌いで会うのが嫌で目覚めなくなったんだろう。あの時だって、笑い飛ばせておけばこんなことになっていなかったんだろう。でも、そんなことはできるわけがなかったしなによりしたくなかった。
それからほとんど毎日、入院しているあかりのところに通った。
自分から話すことが苦手な俺は、図書室で本を借りてきてあかりに読んで聞かせた。あかりが好きそうな本や俺が読んでいて面白いと思った本。
でも、あかりから本の感想を聞けることはなかった。
「もう気にしていないから早く起きてよ」
力なく呟いたのと同時に、病室のドアが開いた。振り向くと、あかりの母親が立っていた。
「……あら。葵くんまた来てくれたのね。ありがとう」
「うん。早くあかりと遊びたいから」
「でも、もういいわよ」
「えっ」
なにを言われているのか分からなかった。
「だって、もう葵くんももうすぐ中学生でしょ?友だちも増えるだろうし、部活や勉強だって忙しくなるだろうし、あかねだっていつ目覚めるかわからないでしょう?ここに来るよりもっと自分の時間を大切にしてちょうだい。そのほうがあかりだって喜ぶわ」
おばさんは、どこか遠い目をしながら言った。
「おばさんは、あかりが目覚めないって思っているの?」
俺は、震える声で聞いてみた。
「そんなわけないでしょう!私たちだってあかりに早く目覚めてほしいと思っているわよ!!でも、見ていて辛いのよ。あかりはあの頃のままなのに同い年の子たちが大きくなっているのを見るのが」
おばさんは、俺の両肩に手を乗せて続けた。
「なんで、あかりなの?あの子がなにか悪い子とした?」
騒ぎを聞きつけた看護師さんたちが駆け込んできて俺とおばさんを引き離された俺は家へと帰った。
あかりの病室から帰って、夕ごはんのあと自分の部屋で宿題をしていると仕事から帰ってきた父さんが入ってきた。
「葵。まだあかりちゃんのお見舞いに行っているんだって?」
「そうだけど、いけない?」
おばさんがもう来るなと言っていたから父さんたちにも釘を指すように言ったのだろう。
「いけないことじゃないけれど、葵ももう中学生になるんだし勉強も難しくなる。だから毎日じゃなくてたまに行くだけでいいじゃないか。そんな……」
「目が覚めるのが分からない子の所に行くなって?」
「そうじゃない」
「最初の頃は、みんなあかりのところに行っていたのにしばらくしたらあかりがいなかったかのように病院に行かなくなった!机だってうしろの方に追いやられた!!あかりはまだ、いるのに」
おばさんだけでなく父さんまであかりの目が覚めないと思っているのかと涙が溢れてきた。
「誰も待っていないなんて寂しすぎるよ」
父さんは、諦めたかのようにため息をついた。
「あまり、あかりちゃんのご両親に迷惑をかけないようにしなさい」
「うん。わかった」
「あと、勉強はしっかりやること。あかりちゃんが目が覚めたときに教えてあげられないじゃ困るだろ?」
「わかってるよ」
それからというものおばさんから隠れて、あかりの病室へと通った。
中学になると入学してすぐに制服を見せに行った。すぐに成長するからと少し大きめな制服もあかりはそれをからかうんだろう。
あかりのところに行くために勉強の他に運動もするようになった。あかりの目が覚めた時にあかりより小さいままだと恥ずかしいから。でも、部活に入らず体育や昼休みに友だちとサッカーやバスケをする程度。
俺は、成長していくのにベッドに眠るあかりはあの頃と変わらないまま。手を握り、そこに軽く口を付けて願いを込めて呟いた。
「早く起きてよ。眠り姫」
呟いた声は風に乗って消えた。
おばさんからあかりが目覚めたと連絡があった。もう来るなと言われてからずいぶんと経っているにも関わらず教えてくれたということは、俺が幼なじみだからかもしかするとこっそり行っていたことがおばさんには、バレていたのかもしれない。
雪が降るなか、あかりの病室へと走った。マラソン大会でも、遅刻しそうな朝でもこんなに走ったことがないくらい駆けた。
早く会いたい。
ずっと、待ってた。
あの手紙を書いた頃はこんなに待つなんて思ってもみなかった。
汗なのか、涙なのか、溶けた雪なのか分からないしずくが頬を伝った。
いつもの倍掛かったんじゃないかと思えるほど時間をかけてあかりの病室の前に着いた。深く、深く呼吸をしてドアを開けた。
ベッドの上には痩せ細った女の子が身を起こしていた。
いつも、固く瞳を閉じ童話のお姫様のように眠り続けていた女の子。
あかりは、確かめるかのように俺の名前を呼んだ。それに、答えるように返事をする。ずっと、その声で呼ばれたかった。俺も呼びたかった。一方的に思い出を語るんじゃなくて思い出を一緒に作りたかった。
泣きじゃくったあかりは、あのときはごめんと言った。はじめはなんのことかと思ったけれどすぐに思い当たった。
「昔のこと過ぎて忘れた」と笑った。