望んだ支持や評価が得られない事について
皆様今晩は! シサマという者です。
エッセイを書くのは久しぶりだな……と思っていたら、前作エッセイから約1ヶ月の時間が流れていました。
今回は、その1ヶ月の間に起こった出来事のエピソードなども交えながら、タイトル通り「書きたいものを書いているはずなのに楽しくない」……そんな時に読んで欲しいエッセイをお届けしたいと思います。
さて、私がこのサイトに来てから2年と2ヶ月が過ぎましたが、これまでの活動で「楽しくない」と感じた事は殆どありません。
後に詳しく触れますが、他人の言葉に傷つけられたと感じたり、自分の言葉で他人を傷つけてしまったと感じた事はありました。
しかしながら、そんな時でも自分の作品を書いている時はいつでも楽しかったです。
その理由は勿論、自分の書きたいものを書きたい時に書いていて、新連載のタイミングや完結するタイミングは前もって知らせた上で、その期限を必ず守るから。
そして、どれだけ交流や可能性を広げても、自分の趣向とかけ離れた企画や、自分の作品を受け入れる土壌のないコンテストには参加しないから。
つまり、他のユーザーや自分自身の心に「後ろめたさ」がない様に努めているから楽しいのだ……という結論になるのですが、この「後ろめたさ」というものは、活動する中、様々な場面で顔を覗かせてきます。
書きたいものを書いているから楽しい。
この、一見当たり前の様でいてなかなか思い通りにならない活動を実現する為に、「後ろめたさ」という言葉を絡めながら事例を検証する、本エッセイが何らかの参考になれば幸いですね。
①自分が望んでいた数の読者、支持、評価が得られない
この事例は、最も多くのユーザーに当てはまるものであると考えられます。
それと同時に、書きたいものを書いていながら楽しくない理由が、もしこれだけであるならば、問題の解決は実に簡単。
読者、支持、評価が得られるまで作品を広めながら書きたいものを書き続けるか、それらを得られそうな作品を書いてみて、その時の自分の心境と具体的な数字を天秤にかけてみるか。
どちらか、或いは両方試してみればいいのです。
まず、Web小説の世界で書籍化やランキング上位を目指すには勿論、単純に自作品を読んで貰う為だけであっても、ある程度の宣伝活動は必要不可欠であると言えるでしょう。
よく「エッセイを書いてみればいいよ」という意見を目にしますが、それはエッセイや詩、或いは童話など、作者の内面や価値観が色濃く表れるジャンルには、作者の名前やタイトルにこだわらず、新着順に作品を読んでくれる読者が一定数存在しているからです。
エッセイで自作品の宣伝を、また、詩や童話のジャンルで自身の内面や価値観を打ち出せば、そこに興味を持ってくれた読者が増える事でしょう。
ただ、それはあくまでもサイト内のPVの話。
サイトの外からも読者を呼びたい場合、SNSでの宣伝活動なども必要になるでしょうし、その作品の支持を意味するブックマークやポイントがつくかどうかは、作品の内容次第。
少なくとも、共感出来る内面性や価値観が見当たらなければ、望んだ支持や評価は得られないと考えてよいと思います。
自分の書きたいものが、そのサイトのメインストリームと異なる場合、そもそも多くの読者を呼び込む事は難しいもの。
『小説家になろう』サイトのメインストリームである、悪役令嬢や聖女の婚約破棄型異世界恋愛作品や、追放ざまぁ型ファンタジー作品の支持率が90%、その他の作風の支持率が10%と仮定してみましょう。
そうなれば、もう最終目標としてはメインストリームど真ん中のトップ作品の10%のPV、10%のブックマーク、10%のポイントを目指すくらいでいいのですよ。
私の代表作は1話あたり17000文字という、比較対象が殆ど見つからない長文である為なのか、約880000文字に到達した現在、未だ11000PV、ブックマーク67、総合ポイントは385です。
しかし、1日あたりの最高PVである349という数字は、連載開始してから2年が経過した、先月の10日に記録していました。
一切の妥協なしに書きたいものだけを書き続けている人間が、連載2年後に最大の注目を集めているというデータを発見した。
この景色を全ての作者が見る事が出来れば、書きたいものを書いているはずなのに、楽しくない……などという気持ちには絶対にならないでしょう。
……とは言うものの、このサイトで気力と体力、そして時間を費やして活動しているからには、書籍化やランキングでその他大勢の上に立ちたい、しかも自分が書きたいものを書いて結果を残したい、という作者も相当数いると思います。
そんな時は、このサイトのメインストリーム作品の手法に、自分自身のこだわりを混ぜて作品を執筆されてみては如何でしょうか?
既に多く作者のエッセイや活動報告で、流行りのキーワードである「悪役令嬢」、「聖女」、「婚約破棄」、「追放」、「ざまぁ」、「ハーレム」、「主人公最強」などをタグに入れるだけで、少なくともPVだけはアップする事が明らかになっている様です。
多くの読者がランキングか、自分好みのタグを入れる方法で作品を検索しているらしいので、メインストリーム要素をちらつかせてアピールする事に、何ら罪悪感を抱く必要はありません。
はい、ここで最初の「後ろめたさ」が顔を覗かせます。
自分は、「なろう」のメインストリームなんかに寄りたくないんだ……というそこのあなた!
迷う時間が勿体ないですよ!
1回チャレンジして結果を見ましょう。
これまでよりPVが増えて、その結果ブックマークやポイントが増えた、感想が増えた。
結構な事じゃないですか!
PVは増えたけど、やっぱり自分の書きたいもの100%にはならなかった。
チャレンジしたけど、殆ど結果は変わらなかった……。
はい、あなたは「後ろめたさ」をひとつ背負いました。
その「後ろめたさ」を潰しましょう。
「後ろめたさ」を潰すには、ただ、自分の書きたいものを黙々と書き続けるだけでいいんです。
何の称賛も求めず、承認欲求を少しの間だけ我慢して目の前の「書きたいもの」に集中すればいいのです。
きっとその作品、そのエピソードは、自分の実力が限界まで引き出せた、会心の出来になっている事でしょう。
自分で「会心の出来」だと納得出来た作品やエピソードは、他人の評価が得られなくても余り気にはならないものです。
「こいつらがこの良さに気がつくのは、来年だ。だから来年まで納得がいくものを、時間をかけて書いていこう」という境地を、ひとりでも多くの作者に経験して欲しいですね。
ちなみに私個人としては、現在の「なろう」のメインストリーム的な作品を書く気は全くありませんし、メインストリームに少し寄せて、そこに自分のこだわりを混ぜたハイブリッド的作品を書く気も、全くもってありません。
それは何故なのか?
私はこれまでの人生で、学校で酷いいじめを受けた事があり、パワハラまがいの圧力により職場でピンチに立たされた経験もありました。
しかし、学校のいじめはクラスと担任を巻き込み、担任が頼りにならなければ個人的に仲の良い先生を捕まえて事情を話し、痛みに耐えながら時間をかけて解決しました。
高校2年生の8ヶ月は全力で戦い続けたので、一時的に成績は落ちましたが、最後にはいじめっ子の彼女から「あんたの方がカッコ良かった」という謝罪の言葉を貰ったのです。
今でも私を支えている言葉ですね。
世の大半の人間が見た事のない景色を、私は見ているんです。
職場での圧力の問題も、私自身にあった問題や責任をきちんと謝罪した上で、問題を伝えて退職を申し入れた所、当該の方と顔を合わせる事のない、別のグループ内施設への転属を勝ち取る事が出来ました。
ですから、追放した相手を見返すとか、裏切りに泣き寝入りせず自分の道を切り開くといった物語は、私にとっては単なる体験談の繰り返しに過ぎません。
わざわざ小説として書く程の、夢や願望を載せられるテーマではないんです。
私が書きたいもの、私が今書いているものは、他のユーザーの共感が得られるかどうかを問うてはいない、私の夢や願望を載せられる物語である訳ですね。
次回は「ポイントクレクレ」などに代表される、催促行動に対する「後ろめたさ」を検証してみたいと思います。