第8話
「あの古びた甲冑はゴースト騎士。訳あって、わたくしはあの者と争っています」
その戦場こそがサーカス。
いま僕たちが立っている、見世物の舞台。歪でカラフルなハロウィンナイトなのだと彼女は言う。
「あれは不死の豪傑であり、このステージはゴーストの独壇場……追い詰められたわたくしは、最後の手段としてこの門を叩きました」
門、と言いながらもシルクさんが取り出したのは美しいネックレスだった。
細い銀の鎖で繋がれたペンダントトップには薔薇の彫刻があしらわれていて、丁寧に手入れされているのかくすみのひとつも見当たらない。取り立てて華美ではないが、凜と静謐な雰囲気を纏う彼女にはとてもよく似合っていた。
「これは召喚士……ビーストだった祖母が使っていた魔法具です。異なる世界への門を開き、強大な力を持つ神獣や勇者を呼び招く為の引き金となるもの」
引き金。
そう称されたペンダントは揺れるたび、涼やかな音を立てていた。澄んだ音のなかに時折、唸るように風が鳴る。異なる小宇宙へと繋がる門。ひゅぅ、ひゅぉと何かを呼ぶように空気が振動していた。誰かに腕を掴まれ、強い力に引っ張られていく感覚が、不意にまた蘇る。
異世界、呼び招く声、泣いていた少女。
彼女の話を聞きながら徐々に点と点が繋がっていき、その全容を理解した瞬間、自分の顔色が途端に悪くなっていくのを感じた。
シルクさんの切り札。最後のとっておき。逆転への一縷の望みをかけて遥か高次より呼び出したもの。
それが、なんの取り柄も特筆すべき事もない僕だった。
何の間違いか僕の足元に門は開き、この不可思議なパレードのさなかに飛び込んでしまった、ごく普通の人間。受け身も取れず門から転げ出て、極彩色の世界に呆け、未知の敵意に晒されただけで固まってしまうあまりに無力な存在。あのひと時で、シルクさんもその事を否が応でも理解してしまったのだろう。戦場のど真ん中に、走って逃げる事すらままならないような一般人を引き込んでしまったこと。手脚は捥げてしまって、自分では文字通り手も足も出ないことを悔いて彼女は泣いていた。
泣かせてしまったのは、僕だ。最後まで戦う事を諦めなかった勇敢で優しい少女に、とんでもないハズレを引かせてしまったのだ。
握り締めた手がずっと小刻みに震えていた。もう僕か彼女のどちらか分からないくらい、どちらも震えてしまっていたのだ。どうしたら良いのか分からない。まるで見当もつかない。何も出来ない僕には、顔を上げることくらいが精一杯だった。
震える体はどうしたって言うことを聞かないけれど。同じように震える彼女と、目を合わせることだけは、僕にも出来たのだ。
「ぼく、は……星月光」
「……ホシ、ヅキ?」
「ヒカルで良いよ」
シルクさんは薄闇の中で瞳を瞬いた。
ヒカル、と。美しく清らかな声が僕の名前を呼ぶ。彼女の手を、自分の両の手でそっと握り込む。ひんやり冷たくて、力を入れればそのまま割砕けてしまいそうな華奢な手だ。けれど存外強い力で彼女は僕の手を握り返してきた。決して諦めなかった、遠い遠い世界の僕にまで伸ばされた彼女の手だ。なんとかして。どうしても失いたくないと思って、今度はしっかりと、僕もシルクさんの手を握り締めた。